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貴子の姉は小笠原光という。
小笠原光は変わった生徒だった。
小笠原光は今年に入ってからきた転入生だった。
ちなみにN女の転入生は今まで一人しかいなかったという話は初等部に限った時の話で、中高の転入生はたまにいるらしい。およそ10年に一人くらいのペースだそうだ。それはそれで大概にレアなケースだが、そもそも転入生なんてものはそうそういないのは当たり前な話で、むしろ私立にしては多い方だと教えてくれた教師は言っていた。
それでも高3で転入してくるのは珍しいんじゃないかとマリは思う。
小笠原光は高校3年生だ。
一般の高3と言えば、大学入試なり就職なり次のステップに映るための大切な時期だ。そんな時期にどうして転校なんてしたのだろうか。その理由は分からなかったが、何か普通でないことがあったに違いないと噂されていた。何といってもあの小笠原家の息女なのだ。その彼女が転校しなければならない事情があったとしたなら、それはよっぽどのことだ。噂には尾が付きひれがつき、手が生え足が生え、翼とともにどこかに飛んで行ってしまっていた。正確なことを知ろうとしたら、きっと本人かよほど近しい人に聞かなければならないだろう。例えばその妹とか。
「マリ、あたしの顔に何かついてる?」
「……え?」
一緒にお昼ご飯を食べている貴子がマリに尋ねた。マリの端から食べかけのご飯をポロリと落ちる。マリは変な声を上げた。
「心ここにあらずって感じだよ。どうしたの?」
「別に、何でもないわ」マリは横目で貴子を見る。貴子はいつも通り、口元にかすかな笑みを浮かべてマリを見ていた。貴子に聞きたいことがあった。けれどどう聞いていいのかわからなかった。
マリはごまかすようにお弁当に手を伸ばした。
「何か聞きたいことがあるとか?」
マリはお弁当を取り落としかけた。
「あんたたまに見透かしたみたいなこと言うわよね……別にそんなのないわ」
「そう? じゃああたしから聞いていい?」
「何よ?」マリは先を促した。
「N女に男子生徒がいるなんて噂、いったい誰から聞いたの?」
その話を貴子から振ってくるとは、マリは驚きを隠して答えた。
「妹から聞いたのよ」
「妹? みくさんから?」
マリがうなずく。
「みくさんが誰から聞いたかは、わからないよね。あの子顔が広いから」
「ええ、悪いわね」
「ううん、気にしないで。それほど知りたいわけじゃないから……それでどう思った?」
「どうって?」意味が分からずマリが聞き返す。
「その噂を聞いて、何か思ったこととかなかった?」
「ばかばかしいって思ったわ」マリは思ったままに答えた。「N女に男子なんているわけないもの」
「あはは、そうだよね、馬鹿馬鹿しいよね」ひとしきり笑った貴子は、はあ、とため息をついてつぶやくように言った。「ていうか馬鹿だよ」
「……何かあったの?」マリが問う。なんだか貴子らしくない態度である。普段の貴子はもう少し余裕がある。今の貴子にはそれがなかった。
「心配してくれるの? マリンは優しいね」
「だからわたしはマリンじゃないってば。他人の名前の最後に余計な音をつけないで」
「キュアマリンは優しいね」
「誰がキュアマリンだ」
「いやでも実際いけると思うんだよね。ほらキュアマリンってちっさいでしょ? マリもちっさいし、それにキュアマリンってちょっとおバカっぽいところも魅力じゃない? ほら、ちょうどよくないかな」
「それは遠回しにわたしをちびでバカだって言ってるの!? そうなの!?」
「いやいやそんなことは言ってないでしょ? 被害妄想よ」
「そ、そうよね。ごめん、なんか最近おちょくられること多くて……」
「遠回しには言ってない」
「直接的ならいいってもんじゃないでしょ!?」
マリはいきり立った。
「つまりマリはプリティでキュアキュアだって言いたかったの」
貴子がおだてる。とても良い半笑いだった。
「ああそう、褒めてくれてどうもありがと」マリはげんなりと感謝した。
というかよく考えたらキュアキュアって意味わからない。本当に褒められているのだろうか。
「でも男子生徒かあ」貴子が言う。「もしかしたらマリが男子だったりして」
「なんでそうなるのよ」マリは呆れた。
「理由は別にないけど、、、強いて言うなら、そうねえ、マリって友達少ないじゃん?」
「いきなりひどいこと言うわね!」
「やっぱり親しい人が多いと隠すのが大変だと思うの」
「それは、確かに一理あるかもしれないわね」
「で、一人だけすごい仲がいい親友がいて、その子がいろいろと隠し事をするのを手伝ってくれるわけ」
「ふーん、で、その親友は誰になるのよ」
「もちろんあたし」貴子が自信満々に指をさす。
「そう言うと思ったわ」マリは、呆れたように言った。
貴子は気にせず話を続けた。
「男のマリにはよくわからない事情があって秘密裏に女子校に通ってたんだけど、なんか適当なイベントがあってあたしはマリが実は男だと気が付くの。最初は教師に知らせようとしたあたしだけど、マリの必死の説得でマリと協力してその秘密を守ることになるの。ばれそうになるたびにあたしと協力して何とか女子校に通い続けるマリ。あたし優し過ぎない? 女神かな?」
「おーい、貴子さん、現実に戻って来なさい」
「そして二人の間にはいつの間にか愛が芽生えて……きゃ、そんなことしたら子供出来ちゃう」
「んなわけないでしょ」
マリはため息をついた。
「で、実際どうなん?」貴子がマリに問う。
「どうって、何が?」
「マリって女子?」
「なんであんたが知らないのよ。わたしの裸ぐらい見たことあるじゃない」
「ベッドの上じゃあ暗くて見えない」
「なんでベッドの上で見てんのよ!? プールの時の着替えとか修学旅行の風呂とかあるでしょ!?」
「あー」
マリたちはその年の5月に修学旅行に行っていた。行先はH県でお嬢様学校のくせに妙に地味だった。マリと貴子は同じ班でほとんどずっと一緒に行動していたので、見ているはずだ。
「……いやでも風呂の中ってそんなに見える? 湯気とか謎の光とかで見えなくない?」
「あんたは何の話してんのよ」
「ブルーレイ版なら見えるのかしら?」
「本当になんの話してんの!?」
マリはほとほと呆れかえった。
それと同時にふとマリの中で一つの考えが生まれた。
貴子を親子判定機で撃つと何色が出るのだろうか。もしも貴子の姉がユメの父親なら、貴子はユメの叔母ということになる。マリとみくの関係と同じだ。正確にはマリとみくは父親が異なるので少し違うかもしれないが、似たような結果になるのだろうか。
彼女はすぐにそれを試すことにした。
「ねえ貴子、ちょっと目をつぶってくれない」
貴子はぎょっとしてマリを見た。
「やっぱりキスする気?」
「別に何もしないわよ」
「何もしないの?」
なぜか貴子は少し残念そうに肩を落とした。
「いやまあ、何もしないってことはないけど」
「やっぱり!」貴子は鬼の首でも取ったように勝ち誇った。
「わたしは一体どうしたらいいのよ?」
「したいようにすればいいんじゃない?」
そう言って貴子はいそいそと目を閉じた。マリは貴子がきちんと目を閉じていることを確認し、そっと懐から親子判定機を取り出した。引き金を引くと音も光も出ずに、何かが飛び出す機械。
マリはそっと貴子にそれを向け撃った。
拳銃は音も光も出ずに、吸い込まれるように貴子のむき出しの二の腕に当たった。
「……まだしないの?」貴子が問う。
「もうしたよ」
「え、嘘?」貴子が目を開ける。
「全然わからなかった」貴子が残念そうに言う。
「ねえ貴子、あなたって兄弟姉妹はいるの?」マリが問う。
「兄弟姉妹?」いきなりの問いに貴子は不思議そうにマリを見た。「弟と姉が一人ずついるけど、それがどうかしたの?」
「何でもない」
マリはもう一度懐に忍ばせた親子判定機のランプを見た。それは見間違いでも何でもなく、橙色に光っていた。貴子を撃った親子判定機は、みくに撃った時と同じ色で光っていた。




