12
数日後、朝の列車の中、意外な人物を見つけ、マリは声をかけた。
「こんな時間にいるなんて珍しいわね。なにしてるの、貴子?」
「おはよう、マリ、ちょうどよかった」
いたのは貴子だった。
マリに気が付いた貴子は眠そうな顔で吊り輪に揺られ、そのままゆらゆらとマリのそばまで来た。
「ごきげんよう、小笠原先輩」みくが軽く頭を下げた。
「ごきげんよう、みくちゃん。久しぶり。元気にしてた?」
「はい、おかげさまで。先輩もお元気そうで何よりです」
「ありがとう」
二人はにこやかに笑った。なんとなく、貴族とかが社交界でかわす挨拶みたいだとマリは思った。マリは貴族に偏見を持っていた。
「それからこっちの子も、ユメちゃんだっけ?」
「おはようございます」
貴子はマリとみくの間に挟まれていた少女に声をかけた。ユメはマリの従妹ということにして貴子に話した。あまり詳しく言うと、麻衣子の設定と矛盾がでるかもしれないので、ごくごく簡単なことしか話していないけれど、貴子はそれで納得した。
「N女にはもう慣れた?」
「はい」
貴子はユメを気に入ったらしい。あれ以来何かとユメのことを気にかけてくれていた。もっとも、初等部と中等部で離れているので直接的な交流はあまりないけれど、なんにせよ貴子が気にかけてくれているというのは心強いことだ。おかげ――かはわからないが、ユメは順調に学校になじんでいるらしい。
二人の言葉の応酬がひとしきり済むのを待ってマリが口を挟んだ。
「……それで、ちょうどいいって何か用でもあったの?」
マリの問いに貴子は肯ずる。
「ほら、この間初等部の先生について話したでしょ? あれでやっと思い出したから話そうと思って」
「ああ、そんなこともあったわね」
初等部にはもうユメが編入しているので、正直もうあんまり必要な情報ではない。マリは気のない返事をした。
「正直、もう忘れかけてたわ」
「ひどい……」
「だって遅いんだもの」
(お母さん)マリにしか聞こえない小声でユメが言う。(お話を聞きましょう)
(なんでよ?)マリも自然と小声で返した。
(まだ古葉さんは撃てていません。情報は多いに越したことはないでしょう)
(一理あるわね)
(一理どころかキュウリはありますね)
(いやキュウリはないでしょ……)
「お母さんはキュウリ嫌いなのですか?」
「なんでそこで大声出すのよ!?」
「お母さん?」貴子がきょとんとした目でマリを見た。
「いや、違うわ。決してこの子はわたしの娘とかそういうわけじゃないの」言ってからマリは後悔した。そんなの言うまでもないことだ。言ってしまっては逆に怪しまれるだろう。貴子はじっと二人を見て、恐る恐る聞いた。
「……親子プレイ?」
「プレイって何よ!」
貴子はおかしな勘違いをしているようだった。
「貴子さん。勘違いをしないでください。私とお母さんの関係はプレイなんかじゃないです。遊びの関係じゃありません」
「遊びの関係って、汚らわしい……」貴子は汚物を見る目でマリを見た。
「プレイじゃないって言ってるじゃん!?」
「本気の関係ってこと? 毛皮らしい……」貴子はもふもふした小動物を見る目でマリを見た。意味が分からなかった。
「それで、古葉先生の話に戻すんだけど」
「ここで話を戻すのっ!? あんたの勘違いはちゃんと解けてるんでしょうねぇ!?」
「わかってるって」貴子は優しい笑顔を浮かべて言った。
「本当にわかってるなら言葉にしなさいよ」
「マリンの変態くらいわかってるって」
「誰が変態だ! というか誰がマリンだ!? わたしはそんなキラキラネームじゃない!」
「はいはい」
このままでは埒が明かない。マリはあきらめた。
「ていうか、話で済むならメールでもラインでも送ってくれればいいのに」
「あたしスマホ持ってないから」
「そういえばそうだったわね」
貴子は携帯もスマホも持っていない。何でも親の方針で、大学生になって親元を離れるまではそういう通信端末を持つことは禁止されているらしい。さすがに過保護じゃないかとマリなんかは思うが、いいとこのお嬢様はそれだけで大変なのだろう。
「それで古葉先生の話に戻すけど、あれは初等部のソフト部の顧問をやってるの」
「ソフト部って言うと、ソフトボール部?」
「ソフトクリーム部」
「そんな部活あるんだ……」
さすがお嬢様学校である。さすがというのもおかしいが、とにかくすごい。というか部活でソフトクリームって何をするんだ。食べるのか。冬の部活はどうするんだろう……マリには理解できない世界だった。
「まあ嘘なんだけど」
「なんで嘘ついた」
「ほんとはソフトフランス部だよ」
「わかりやすい嘘をつくな!」
「古葉史郎はソフトボール部の顧問をしていました」ユメが静かに指摘した。
「あ、知ってるんだ。そういえば初等部に入ったんだもんね? 担任は屋敷先生なんだっけ?」
「はい」ユメがこくりとうなずいた。
「でもなんでそんなこと、貴子が知ってんの?」マリが問う。
「うーん、まあ、N女はあたしの家みたいなものだし、大体のことは耳に入っちゃうんだよね」
そんなものだろうか。まあ小笠原家ならできるのかもしれないと思わせるあたり、やはりこの家は狂っている。マリの懊悩を無視して貴子が続けた。
「でね、初等部のグラウンドにはネットがないから対外試合をするときには南のグラウンドに来るわけ。もちろん顧問の古葉さんも一緒に来るから、その時なら会えるんじゃない?」
「そのソフトボール部の対外試合は次いつあるかわかりますか?」
みくがマリ越しに貴子に問う。抜け目のない貴子はそれについてもキチンを調べていた。
「次の試合は7月の第三土曜にあるみたい」
「第三土曜?」
マリは頭の中で今月のカレンダーを広げた。マリがその言葉を理解するよりも早く、貴子が答えた。
「今週の土曜日だよ」




