変人奇人
初投稿です、宜しくお願いします!
この学校で、知らぬ者はいないだろう、美しい少女――木下由紀が目の前で笑っている。その晴れやかな笑顔とは裏腹に、今日は生憎の曇天。屋上にいる僕らを包むのは暖かな日差しではなく、じっとりと水分を多く含んだ鬱陶しい風だ。少女はその美しい髪を風で靡かせながら、じっとこちらを見つめている。
右腕に抱えた本が、手汗でじっとりと濡れる。ああ、お気に入りのブックカバーなのに。今日のような天気の日に屋上に来る人は少ないだろう、と踏んで読書をしに来たというのに、やはり来るべきではなかった。何せ、この少女は、
「飛び降り自殺でもしにきたの?」
言葉が通じない宇宙人として有名なのだから。
☆ ☆
つー……と背骨をやわく撫でてくる指に、ぴゃっと飛び上がる。階段のすぐそばで物思いに耽っていたものだから、あと少しで落ちるという事実に肝が冷えた。慌てて手すりを掴んで、嘆息する。
「まったく君は、普通に声をかけるということができないの?」
屈託のない、満面の笑みを美しい顔に称えた彼女は、何がそんなに楽しいかもわからないけれど、僕の声を聞くと更に笑顔を濃くした。ああ本当に、黙っていればきれいなのに、こいつは。
「普通っていう単語が嫌いなんだよね、わたし。人生死ぬつもりで前のめりじゃなきゃって思わない?」
「そのままスライディングして前歯が一本ぐらい折れればいいと思うよ」
「そうしたら、わたしは君を下敷きにするかなぁ」
にかっと嬉しそうに笑いながら、彼女はそんなことを言う。
「後頭部を激しく打って死んでしまえ」
突如言われた、でもいつも通りの台詞に、僕はもう一度長く息を吐き出す。
あの日、あの曇天の日に彼女と出会って――出遭ってからというもの、僕は彼女に付きまとわれている。何を勘違いしたかは知らないが、ずっとずっと付きまとわれている。そして、会うたびに死んでしまえ、とあの笑顔で、死を要求されていた。
「あのね、君が死んでって言うたびに死んでいたら、僕は命がいくつあっても足らないよ」
そんなこと彼女だって知っている。本当に死んでほしいと思っている訳ではない、と信じたい。彼女に急に殺されるほど、憎まれることを僕はしていない、と思う。
「うん、まだ死ななくていいよ」
「まだって何さ、まだって。当分僕が死ぬ予定はないんだけど」
「あはは、そんなのわかんないよ。明日死んじゃうかもしれないよ、わたしも君も」
彼女の笑みは変わらない。けれど、ビー玉の様な目の奥に、少しだけ影が差した気がして、僕は黙り込む。いつもふざけているくせに、こういう時の彼女は、なんだか触れてはいけない様な気がする。そもそも出会って、まだ一週間もたっていないというのに、彼女のことを知っているほうがおかしい。だから、僕が彼女に、この場面何も言えないのも仕方がないことといえる。決して言い訳ではない。
まあ、そもそも、死んでしまえと言われること自体、おかしいのだが。
僕が黙りこんだことによって、必然的に沈黙が流れる。彼女はまだ微笑んだままだった。
授業の五分前を告げる鐘が、響いた。こちらを見つめていた彼女の視線が、ふっと逸れる。それを見て、僕はようやく生きた心地がする。先ほどより長めに、溜め息を吐いた。
「予鈴だね、教室に戻ろっか。そう言えば、君何組なの?」
自分だけさっさと歩きだした彼女に少しむっとしながらも、直ぐに追いかけて横に並ぶ。同じところに立つと、彼女の背は僕と同じぐらいで、少し見下ろせばすぐに目が合う距離にいた。目が合うのを恐れて、前を見ながら会話をする。
「一組だよ。大して興味もないけど聞いてあげる、君は?」
「六組。あ、一番遠いね。昼休み以外は会いに行けないや」
「これほど先生に感謝した日はないだろうね」
「そうだね、きっと来年はおんなじクラスになれるよ」
「何でそういう結末に至ったのか教えてくれるかな」
けたけたと、心底楽しそうに彼女は笑う。つられて笑えるほど僕の表情近は仕事をしない。きっと僕の分まで彼女が笑っているのだと思う。
「そうそう、今日の放課後遊びに行こうよ、じみー君」
六組の教室に着いた。一組の教室は一番奥だから、その分彼女は徳だと思う。時間もそろそろまずいのに、彼女は僕の袖をつかんで離さない。
「……質問が二つ。いや、三つ。何で急にそんなこと言いだしたの。どこ行くつもりなの。そして本当に心底やめて欲しいんだけど、じみー君って何」
「一つ目、気が向いたから、暇だから。え、君も部活所属してないでしょ? 二つ目は、えっとね、なんか美味しいもの食べに行こう! じみー君の好きなところで良いよ。三つ目、この呼び方ね。そういえばわたし君の名前知らないし別に興味もないし、ほら、君って喋らないから。そういう君だって、わたしのこと名前で呼ばなくない? 実は知らないんでしょ?」
君の名前を知らない人はこの学校にいないよ、とは言わないでおいてあげよう。入学式にぶっちぎりで遅刻してくる。言い訳が宇宙人らしき人を見掛けました。踊り場で奇妙なダンスを踊っている所の目撃証言が多数。神出鬼没で気づいたら背後にいる……。などなど。突然背後に彼女に立たれていた人は本当にご愁傷様。僕じゃなくて良かった。
「……君の名前ぐらい知ってるよ。僕は君と違って、出会って間もない人でも名前を覚えておくことぐらいはできる常識人だからね。それと放課後は行きたくないな、彼女とデートだから」
「え? 彼女いるの?」
「いると思うの?」
「だよねぇ。じゃあいいじゃん、放課後校門で待っててね!」
本当に彼女は人の話を聞かない。強引に約束だけ取り付け、すぐさま教室に入って行った彼女の後ろ姿に、僕はまた溜め息を吐く。
僕は彼女のことを何も知らない。でも、知らないからこそ。知られていないからこそ。今のふわふわしたこの感じが、僕は案外嫌いじゃ無かったりする。
放課後の喧騒は苦手だ。友達がいない僻みではない。いや、それもあるにはあるが、唯、本当に騒がしいのは好きではないのだ。
だから、騒がしいを体現したような彼女が現れる前に、そそくさと教室から出ようと思う。彼女はきっと、大人しく校門で待つだなんてことができないやつだ。
校門から少し出て、隅っこの方に寄る。煩わしい彼女のせいで、最近めっきり進まなくなった読書をするべく、本を取り出してぺらぺらと捲る。
そうして、読もうとした瞬間に、本と腕の間に、にょきっと少女が生えてくる。近い。
最初こそ狼狽えたものの、この数日で確実に慣れた。はあ、と何度目か分からない溜め息を吐いてから、本をしまう。ついでにでこピンを見舞ってやった。
「あう」
「だから君は、ちゃんと普通に声をかけて来てよ……」
どうやら痛がるふりだったらしく、すぐ笑顔になった彼女は僕がしまった本を覗きたそうにしていたが無視する。無視された事すらも応えていない様で、彼女は終始笑顔だ。
「まぁまぁ怒るなじみー君! ところで行きたいところは?」
「本当に無計画だったんだ……適当なカフェで良いよね」
「じみー君のおすすめなら」
本当に何が楽しいんだ、君は。
「うん、やっぱり想像通りだ」
ぐるりと店内を見回した彼女は、納得した顔で頷く。黒を基調としたそれは、とても落ち着いた雰囲気だ。木製のテーブルや椅子はさわり心地が良いし、かかる音楽もとても耳に心地いい。
「とってもじみー君らしいよ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「これは普通に褒め言葉だよぅ。人の好意は有り難く受け取るものだよ? 君は捻くれてるなあ。あ、おすすめは?」
「君が素直に僕のことを褒めてくれるだなんて思わなくて。僕はいつもガトーショコラだけど、チーズケーキもおすすめだよ」
僕はガトーショコラ、彼女はチーズケーキ、二人ともブラックコーヒーを頼んだ。
「それでさぁ、君、結局何がしたい訳?」
「んんー、だから、君と美味しいもの食べに来たかっただけだって。甘いものは人生に彩りを与えてくれるよ。ここで君が超がっつり系のお肉の店選んできたどうしようかと……あ、でもまあ普通に食べれるけどね、わたし」
「甘いものは人生を彩るんじゃなかったの」
「お肉は人生に活気を与えてくれるよ! お肉らびゅー!」
「仮にもカフェで叫ぶことじゃないね。恥ずかしいからやめてくれない」
「あっ、今度は焼き肉いこうか!」
「君はほんとに人の話を聞かないね」
さらに文句と募ろうとしたところで、店員がケーキとコーヒーを運んでくる。ぱぁあっと目を輝かせた彼女に、もういいか、とフォークを手に取る。
「わ、すごい綺麗なケーキだね! 流石じみー君だ」
「見た目だけじゃ無くて味もだから。僕みたいに」
「……え?」
「冗談で言ったのに真顔で返すの止めてくれる?」
艶のいいチーズケーキに、振りかけられたブルーベリーソース。女子というのは、何故こうも、甘味を見ただけで輝けるのかは理解し難い。ただでさえいつもきらきらと煩いぐらいに笑っているというのに、もうその瞳からは星が落っこちそうだ。甘ったるいそれを、コーヒーで流し込む。
ちびちびとガトーショコラをつついていると、横からフォークが伸びてくる。
「太るよ?」
「女の子に向かってそんなこと言っていいと思っているのかな君は」
「ごめんあげるからやめてフォークをこっちに向けないで」
気を付けよう、太るだけは言ってはだめだ。言った瞬間彼女の後ろに鬼が見えた。大人しくケーキを差し出すと、鬼が散って代わりに花びらが舞い始めるのだから、単純で良かった。
「ねぇじみー君」
そう言った彼女があまりにも笑顔だから。僕は嫌な予感がして堪らなかった。
「糖分過多で死んでしまえ」
何でこうも嬉しそうにそんなことが言えるのだろう。笑顔を濃くする彼女に比例して、僕も眉間の皺を濃くする。勿論それは一瞬で。
「じゃあ僕は君に殺されるんだね。君が甘味ばっかり食べさせるから」
僕にしては珍しく、少しだけ口角を上げて見せながら、そう言った。
てっきり直ぐ何かを言い返してくると思ったのだが、彼女はその言葉を聞いて、ぽかん、と口を大きく開けていた。それほどうまいことを言っただろうか、と思いながらもどこか得意げにはなっていたが、流石に十秒以上たってくると不審に思う。
「……おーい、おーい。ちょっと君、どうしたの」
目の前で手を振って、そこでやっと彼女は目を覚ます。ぽかん、としていた顔が、次はだらしなく緩んできた。大きく見開かれた目は、ゆっくり細くなって三日月に。大きく開けられた口は、だんだんむゆむゆと歪む。
「そっか、そっかぁ」
えへへ、と気持ち悪い笑い方をしてずいっと顔を近付けてくるものだから、僕は思い切りのけぞって遠ざかる。それでも彼女は嬉しそうだ。
「君はわたしに殺されてくれるんだね」
いつの間にか、僕のガトーショコラも、彼女のチーズケーキもすべて彼女がたいらげていた。これでは本当に糖分過多で死ぬのは彼女のほうだ。
「明日は一日暇だよね? せっかくの土曜日をぼっちで過ごすのはさぞさびしいことだから、わたしが遊んであげる! 十時に駅前ね!」
お会計を済ませようと素早く立ち上がる彼女を、慌てて僕は追いかける。勝手に予定を決められた苛立ちよりも、君はわたしに殺されてくれるんだね、といった瞬間の、彼女の笑顔が、脳に張り付いて離れなかった。
彼女と出会ってからめっきり増えたため息を、僕はもう一度つく。
「君はいったい……僕に何を求めてるんだよ」
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