74.闇から夜明けへ ☆
イースにも通常保持する半分を超える量の魔力を消費した実感はある。
しかしクロイに答えた通り平気であることは本当だった。
魔力暴走を起こした後の疲弊感はまるでない。
それどころか、身体だけでなく、心まで軽くなったように感じられた。
クロイへの想いを石に渡したおかげだろうか。
しかしそうなると、イースはこの石を絶対に手放すまいと思ってしまう。
どうしてこの石を守りましょうか──。
イースがまさかこんな状況下でそんなことを考えているとは知らないクロイが、トトトと歩み寄ってきて、イースの二の腕をペタペタと触っていった。
イースは急に触れられた驚きで固まってしまう。
「イース、いつもより魔力少ない。ポーション、飲む」
ずっと触ってくださってもよろしいですのに──。
たった今触れられた二の腕が、熱を失い寂しいと泣いていた。
「頂けるのであれば嬉しいですが、まずはクロイが飲んでください」
「要らない。私は強い」
「えぇ、クロイはお強いですね。でしたらどうか、一人で飲むことが寂しいと感じる私と一緒にポーションを飲んでくださいませんか?」
「イース、変なやつ」
と言いつつ、クロイは両手に小瓶を持っていて、片方をイースに差し出した。
受け取りながら、イースはクロイの顔が視覚でも良く見えるようにと、二人の周りだけをほんのり明るく照らして見せた。
クロイが驚き「イースの魔法、便利」と言っている。
「飲んでしまうなんてとても勿体ないことですが……あなたと一緒なら」
クロイのポーションをちびちびと味わい、無くなることを惜しみながら飲めば、全回復とまではならなかったが、イースは身体に魔力が満ちていくことを感じた。
隣を見れば、ポーションをやっと半分飲んだクロイの顔色に赤味が差したことに安堵する。
クロイは魔力が多いわけではないのでしょう──。
保有する魔力の実体も不明で、自分たちの魔法を簡単に封じ込める魔法を使うから、クロイは大量の魔力を保持する無敵の人間に思えてしまうが、事実は違うのだろう。
現にイースがこの部屋に転移してきたときのクロイは余裕がなかった。
それに王太子はクロイを助けに行くかと聞いてきたのだから、クロイ一人でこの石に対応することはかなり危険な行いだったのではないか。
心配し見詰めるイースの表情を、クロイは違うように受け取ったようだ。
「イース、平気か?ポーション、足りない?まだ出すか?」
「本当に私はなんともないのですよ。クロイは平気ですか?」
「平気。私は強い」
胸を張ったクロイに、イースは眉を下げて微笑んだ。
「イース。石、見たい」
「えぇ、どうぞ。もう危険はありませんから、安心していくらでも見てくださいね」
クロイはイースの差し出した手を覗き込むと、イースの手のひらにある石をつんつんと指で突いて、それから顔を上げると笑った。
「イース、凄い!石、変わった!」
瞬間、イースの胸がとくんと跳ねた。
近距離で見た淡い紫色の瞳には、まだ日が昇り切る前の、闇と光が混じり合う夜明けの空が閉じ込められているようにイースは思えた。
この美しい瞳の中に私だけを閉じ込めていただきたい──。
「石の魔力、綺麗。イースの心、綺麗」
綺麗なのはあなたですよ、クロイ──。
急に瞼が見開かれて、美しい淡い紫色の瞳がイースからはより見やすくなった。
「イース?辛いか?石のせいか?」
青い瞳からぽろぽろと溢れ出す何かを、イースは最初気付いていなかった。
手が伸びてきて、その手が頬に触れたときに、やっとイースは自分が泣いていることを知ったのだ。
「辛くはありませんが。また少しあなたに甘えても?」
イースは答えを待たずに両腕を伸ばしてクロイの小さな身体をきゅうっと抱き締めた。
ここがどこかを忘れて、同じ室内にいる人々の存在も頭から消して。
永遠の時の中に二人きりでいるように信じて。
ゆっくりと擦られる背中を丸めて、イースはクロイの小さな肩に顔を埋めていく。
このときイースは石が身体に埋まりたい気持ちを理解してしまった。
ときを止める魔法を作りましょう。このときが本当に永遠となりますように──。
けれどそれは天才イースにもすぐには出来ないことだから、せめて今は出来るだけ長く。
この瞬間にそれだけを願ったイースの希望は、無惨に散ることになる。
「楽しんでいるところ悪いが、邪魔をするぞ、魔術師団長。クロ、それは回収していいな?」
男の気配は急にそこにあった。
男は夜会でしていたようには擬態せず、イースが不快に感じる魔力を垂れ流していて、イースはクロイの肩に顔を埋めたまま、眉を潜めてしまう。
「アレク関係ない。それは私の子どもたちに手を出した」
抱き締められたままのクロイから、クロイにしては大分長い言葉が飛び出して来て、それもイースの眉間の皺を深めた。
「残念ながら、私に関係がないことではないのだよ。私も被害者でな。この女を処理する権限を持つ。クロ、子どもたちは寝ているだけだから安心しろ」
「本当か?」
「あぁ。それと、そこの魔術師団長。クロを離して私に手を見せろ」
「嫌です」
「少しは怪我をしているだろう?この私が治してやるから見せろと言っている」
「していませんよ。私は無事です」
「イース、凄い!」
「本当に規格外なのだな。ならばいい、石だけ渡せ」
「もっと嫌です。この石は私が保管します」
急に出て来た男は絶句していたようだったけれど、イースは気にも留めなかった。
「はぁ……ならば後日魔塔に行くから、それまでは大事に保管しておけ」
「いいえ、この石はいつまでも私が保管します」
「分かった分かった。お前のものにしていいが、確認したいことがあるから一度は見せろ。それで、クロ。そこの女は回収するぞ」
「アレク、待つ。イース、離す」
「はい。分かりました」
「クロの言うことだけには素直だな。規格外の男を手懐けたのはクロか」
イースの腕から放たれたクロイは、トトトと駆け出し床に倒れた女性に近付くと、その場にしゃがみ込み、そして──。
「私の子どもたち、手を出した。めっ!もうしない!」
イースは笑った。くすくすと声が出てしまった。
男はそんなクロイとイースを順に眺めて、はぁっと長めの息を吐いている。
ぺちっと小さな音はしたが、クロイが叩いた女性の額は赤くもなっていなかった。
カシアが起きろと叩く時の方が余程痛い。
そう思ったイースは、ここで切実な願いを抱いてしまった。
「私のことも叩いてくださらないでしょうか、クロイ。まずは一度今すぐに叩いていただきたいのですが。出来れば毎朝今のようにしてクロイに起こされて目覚めたいのです──」
しんと室内が静まり返る。
もう子どもたちは眠っている時間だから、孤児院内部はクロイが魔法を解いても、静かな時間が流れていた。
「イース、変なやつ」
「魔術師団長。さすがにそれはどうかと思うぞ」
イースだけがしばらく、くすくすくすと声を出して笑い続けた。
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