第55話(最終回):選ばれた結末のその先で
人はきっと。
失ったものを抱えながら、生きていく。
全部を救える結末なんてなくて。
全部を忘れられる未来もなくて。
それでも。
誰かと過ごした時間だけは、消えない。
たとえ世界が変わっても。
その記憶だけは、確かに残り続ける。
風が吹いていた。
柔らかい春の風。
白いカーテンが静かに揺れる。
リナはゆっくり目を開けた。
「……」
知らない天井だった。
いや。
正確には、“知っている景色”だった。
普通の部屋。
白い壁。
窓から差し込む朝日。
遠くから車の音が聞こえる。
リナはしばらく、何も理解できなかった。
体を起こす。
頭が痛い。
長い夢を見ていた後みたいに、感覚がぼやけている。
「……ここ……」
小さく呟く。
その時。
部屋の外から声が聞こえた。
「リナー? 起きてるー?」
女性の声。
どこか懐かしい。
リナは反射的に返事をする。
「……あ、うん」
扉が開く。
そこにいたのは、母親だった。
普通の。
どこにでもいるような。
笑顔の母親。
「もう昼前だよ? 学校休みだからって寝すぎ」
リナは目を見開く。
「……え……」
母親は不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの?」
リナは何も言えなかった。
“普通”だった。
世界は、何事もなかったみたいに続いている。
崩壊も。
境界も。
白い世界も存在しないみたいに。
リナは震える指で、自分の手を見る。
ちゃんと存在している。
朝日が暖かい。
風が気持ちいい。
普通の世界。
――でも。
胸の奥に、ぽっかり穴が空いていた。
何かを忘れている。
すごく大切な何かを。
リナは無意識に呟く。
「……アッシュ……?」
その瞬間だった。
胸が痛む。
頭の奥にノイズみたいな記憶が走る。
白い世界。
崩れる空。
誰かの笑顔。
『――またな、リナ』
息が止まりそうになる。
リナは思わず立ち上がった。
「っ……!」
母親が驚く。
「ちょ、ちょっと!?」
リナはそのまま部屋を飛び出した。
階段を駆け下りる。
靴を掴む。
外へ飛び出す。
風が吹く。
青空だった。
どこまでも普通の街。
信号。
コンビニ。
歩いている人。
全部、ちゃんと存在している。
でも。
リナの心だけが追いつかない。
走る。
理由も分からないまま。
ただ、“どこかへ行かなきゃいけない気がした”。
息が苦しい。
涙が滲む。
何を探しているのかも分からない。
でも。
止まれなかった。
やがて。
小さな公園へ辿り着く。
ベンチ。
夕方によく子どもが遊んでいそうな、普通の公園。
リナは息を切らしながら立ち止まる。
「……なんで……」
その時。
風が吹いた。
桜の花びらが舞う。
そして。
ベンチに、一人の男が座っていた。
黒い服。
少し眠そうな顔。
ぶっきらぼうな目。
リナの呼吸が止まる。
男は缶コーヒーを片手に、空を見上げていた。
そして。
ゆっくりこちらを見る。
目が合う。
その瞬間。
止まっていた記憶が、一気に溢れ出した。
白い世界。
叫び声。
涙。
一緒に帰りたいと言った夜。
全部。
全部、戻ってくる。
リナの目から涙が零れた。
「……アッシュ……さん……?」
男は少しだけ目を丸くする。
それから。
困ったみたいに笑った。
「……よぉ」
その一言。
たったそれだけで。
リナの涙が止まらなくなった。
「なんで……」
震える声。
「なんでいるんですか……!」
アッシュは頭を掻く。
「いや、俺もよく分かってねぇ」
苦笑する。
「気づいたら、ここいた」
リナは泣きながら笑った。
近づく。
でも途中で止まる。
怖かった。
触れた瞬間、消えてしまいそうで。
アッシュはその顔を見て、小さく息を吐いた。
「……消えねぇよ」
リナの肩が震える。
アッシュは立ち上がる。
ゆっくり近づく。
そして。
そっと、リナの頭に手を置いた。
暖かかった。
ちゃんと存在していた。
リナはもう耐えられなかった。
アッシュに抱きつく。
「ばか……!」
涙声。
「ほんとに、ばかです……!」
アッシュは少し困った顔で笑う。
「悪かったって」
「遅すぎます……!」
「うん」
「心配したんですから……!」
「……うん」
アッシュは静かにその言葉を聞いていた。
風が吹く。
桜が舞う。
普通の世界。
何も壊れていない景色。
リナは泣きながら顔を上げる。
「……終わったんですか」
アッシュは空を見る。
青い空。
崩れていない世界。
そして、小さく頷いた。
「多分な」
リナは隣に座る。
二人で、公園のベンチへ。
しばらく何も話さなかった。
でも。
沈黙は嫌じゃなかった。
やがてリナが小さく言う。
「……ご飯、食べに行きますか」
アッシュが吹き出す。
「それ、まだ覚えてたのか」
「当たり前です」
少しだけ頬を膨らませる。
アッシュは笑う。
今までで、一番自然に。
「じゃあ行くか」
立ち上がる。
リナも立つ。
二人で歩き出す。
どこにでもある普通の道。
でも。
その景色が、何より特別だった。
途中でリナが小さく聞く。
「……ゼルは?」
アッシュは少し黙る。
そして。
空を見る。
「多分、どっかで見てる」
風が吹く。
その瞬間だけ。
遠くで、誰かが笑った気がした。
リナも空を見上げる。
青空だった。
終わった。
全部。
長かった戦いも。
崩壊も。
痛みも。
でも。
失ったものが消えるわけじゃない。
傷は残る。
記憶も残る。
それでも。
前へ進ける。
誰かと生きていける。
その未来を。
自分たちで選んだから。
アッシュが歩きながら言う。
「……なぁ、リナ」
「はい?」
アッシュは少し照れくさそうに笑った。
「腹減った」
リナは一瞬呆けて。
それから、大きく笑った。
「ふふっ……なんですかそれ」
春の風が吹く。
世界は続いていく。
どこまでも普通に。
穏やかに。
そして――
それがきっと。
三人が選んだ、“結末のその先”だった。
ここまで『ゴミ箱に転生した俺、世界食って最強になる』を読んでくださり、本当にありがとうございました。
この物語は、ただ世界を救う話ではなく、“誰かと生きたいと思うこと”を描いた作品でした。
アッシュ、リナ、ゼル。
三人が選んだ未確定の未来が、皆様の中にも少しでも残ってくれたなら嬉しいです。
本当に、ありがとうございました。




