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『今宵もRed Light Barで何かが起こる』  作者: 西崎小春


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第14話 女が強すぎる夜

月見橋交差点の夜は、たいてい静かに始まる。

 信号が変わる電子音、コンビニの自動ドア、遠くを走るタクシーの重いタイヤ音。そんな日常の断片が混ざり合って、この街特有の、湿り気を帯びた夜の空気がゆっくりと出来上がっていく。

 その交差点から一本入った細い路地に、小さな赤いランプを灯す店がある。――Red Light Bar。カウンター八席だけの、小さな店だ。

その夜、店主のタケさんは開店して十分ほどで、すでに少しだけ嫌な予感がしていた。

「……なんか、今日の空気は変だな」

 カウンターの中でグラスを拭きながら、誰に言うでもなく呟く。

 まだ店には誰もいない。氷が溶けて自重で崩れる小さな音だけが響く。こういう静かな時間は嫌いじゃない。だが、タケさんの「嫌な予感」は、たいてい当たる時ほど静かに、忍び寄るようにやってくるのだ。

最初にドアを開けたのはヒロだった。

「こんばんは」

「早いな。仕事はどうした」

「今日は少し早く切り上げたんだ。たまには効率的に生きないとな」

「効率的にバーに来るな。もっと無駄を抱えて来い」

 ヒロはいつものように無駄のない動きで席に座った。ジャケットを脱ぐでもなく、妙に落ち着いた顔で店内を見回す。

「今日は静かだな。嵐の後のなぎか?」

「今のところはな。だが、お前が一番乗りって時点で、何かが狂い始めてる気がするんだよ」

 ヒロが不敵に笑う。

「お前の嫌な予感は、だいたい当たるからな」

そこへ、二番手の足音が近づいてきた。

「こんばんはー」

 ナツキだった。やわらかい声と、春の風のような雰囲気。彼女が入ってくると、殺風景な店の空気が少しだけ丸くなる。

「ナツキか。今日はどうした」

「はい。なんか今日、無性に飲みたい気分で。……タケさん、今日は濃い目のでお願いします」

「珍しいな。お前がストレートに近いものを頼むなんて」

 ヒロが横目で、探るようにナツキを見た。

「ナツキが濃い酒を頼む時は、だいたい心に『ろ過しきれない不純物』が溜まってる時だ」

「ヒロさん、分析が細かいです。でも、たまにはありますよ」 「珍しいことが重なる夜ってのはな」とタケさんが氷を砕く。

「だいたい、収拾がつかなくなる前触れなんだよ」

さらに五分ほどして、リンが、気配を消すようにして入ってきた。 「……あ、やっぱり」

「何が『やっぱり』だ」とヒロ。

「この時間にヒロさんとナツキが並んでる。パズルが嵌まりすぎてて気持ち悪い」

「確かに、今日はずいぶんと『整った』メンバーですね」とナツキが笑う。

 リンは少しだけ店内を見回し、まるで猫が自分の定位置を確認するように静かに座った。

「今日は変な夜になる。もう、匂いでわかる」

「お前まで予言者みたいなことを言うな」とタケさん。

「もう始まってる。ヒロさんが早退して、ナツキが強い酒を欲しがり、私がそれを目撃する。……この時点で、因果律が歪んでる」

静かで、少しだけ妙な気配があって、それでも落ち着いた夜。  だが、その静けさをぶち壊すのに十分すぎる爆薬が、この店には存在する。

 ドアが、景気良く蹴破られんばかりの勢いで開いた。

「やっば! 何これ! もう出来上がってる空気なんだけど! 混ぜて混ぜて!」

 メグぽよだった。

 それだけで店の温度が二度は上がり、タケさんの寿命が三日は縮んだ。

「……うるさいのが来たな」とヒロが顔をしかめる。

「何その言い方ぁ♡ 寂しかったんでしょ?」

「一ミリも」

「嬉しいね、ヒロさん。素直じゃないんだから」とリン。

「リン、お前、今日ちょっと言葉の針が鋭くないか?」

「刺さる方が、柔らかすぎるだけ」

メグぽよはカウンターに身を乗り出し、獲物を探す猛禽類のような目で全員をスキャンした。

「ねえ、何これ。今日、全員ちょっと『大人っぽい顔』してない? 落ち着きすぎてて、逆に気持ち悪いんだけど!」

「第一声が失礼すぎるだろ」とタケさん。

「だってさぁ、ヒロさん、リンちゃん、ナツキちゃんって、この並び……絶対なんかある夜じゃん。恋愛か、事件か、あるいは自意識の暴走か」

「最後のやつが一番ありそうだな」とリンが呟く。

そして、その場の空気をもう一段階、根底から塗り替える女が最後に入ってきた。

 麗子嬢だった。

 黒いレザージャケットに、燃えるような赤い髪。入ってきただけで会話が一瞬だけ途切れるような、絶対的な存在感。

「……何これ」

 店を一瞥して最初に出た言葉が、それだった。

「俺も今、全く同じことを考えてた」とタケさん。

「いや、だってさ。何で今日こんなに『話し合いで解決しそうな顔』のインテリばっかり揃ってるの? 殴り合いの喧嘩も起きそうにない平和な空気。……不気味だわ」

「麗子嬢、平和を不気味呼ばわりするのはあんたぐらいだよ」とヒロ。

 麗子嬢は空いている席に座ると、まずヒロを値踏みするように見た。

「珍しい組み合わせね。……面白くなりそうだわ」

「じゃあ今日のテーマ決まった!」

 メグぽよが、誰も求めていないのに勝手に仕切り始めた。

「決めるな。勝手に開催するな」とタケさんが制するが、無駄だった。

「題して! 『この中で一番めんどくさい恋愛をするのは誰か選手権』!!」

一瞬の沈黙のあと、堰を切ったように全員が喋り出した。

「メグぽよ一択だろ」

「ヒロさんは絶対こじらせてる」

「麗子嬢はめんどくさいというか、もはや災害」

「リンちゃんは沈黙という名の重火器を持ってる」

「ナツキは隠れて呪うタイプ」

「一番めんどくさいのは、これを言い出したメグ本人」

「——事件の匂いがするな」

 最後の一言で、全員が入口を振り向いた。

「バックシティ〜♪ バックシティ〜♪」

 工藤ちゃんだった。

 帽子を深くかぶり、入口で謎のステップを踏んでから入ってくる。

「OK、ダンディ」

「全然OKじゃない。帰れ」とタケさん。

「……今夜も、隠しきれない事件の芳香が立ち込めている。これは……恋愛という名の集団訴訟事件だ」

「意味不明。帽子と一緒に常識も飛ばしてきたのか?」とリン。

メグぽよが手を叩いて工藤ちゃんを迎え入れる。

「ちょうどいいじゃん! 工藤ちゃん、今から“この中で一番めんどくさい恋愛するの誰か”決めるから、名探偵としてジャッジしてよ!」

「なるほど。プロファイリングの出番というわけか」

 工藤ちゃんは低く呟き、カウンターを見渡した。

「バックシティ〜♪」

「入る時だけじゃなくなったのか、その歌」とタケさんが呆れる。

メグぽよが最初の標的に指を突きつけた。

「じゃあまずヒロさん! あんたは確定!」

「何で俺からなんだ。俺ほどシンプルに生きてる男はいないぞ」 「嘘ばっかり! ヒロさんってさ、『付き合う前は余裕たっぷり、付き合った後は急に仕事が忙しいって言ってフェードアウトする』タイプでしょ!」

 店内に爆笑と、「あー、わかる」という共感の嵐が起きる。

 ヒロが露骨に顔をしかめた。

「言わない。そんなテンプレみたいな断り方はしない」

「言いそうですね。むしろ、相手に『私が悪かったのかも』と思わせるような、高度なフェードアウトをしそう」とナツキが静かに追い打ちをかける。

「ナツキ……お前までか」

麗子嬢が、獲物を仕留める前の猟師のような目でヒロを見た。 「ヒロはね、『会えないことに価値がある』とか、『距離が愛を育てる』とか、自分に都合のいい哲学を振りかざして相手を黙らせるのよ」

「ちょっと待て、それは……」

「ほら、めんどくさい」

「確定」

「冷酷な合理主義者」

 ヒロは少しだけ苦笑いし、グラスを揺らした。

「……会えないなら、その時間を無駄にしないだけだ。それを冷たいと言われるのは心外だな」

「それがめんどくさいんだってば!」とメグぽよ。

今度はリンに矛先が向く。

「リンちゃんは、沈黙が武器だもんね。一番大変だよ」とメグぽよ。

「何が」とリン。

「だってさ、『何考えてるか分からない』ってのが男を一番狂わせるんだから。説明しなさいよ!」

「説明する価値がある相手には、ちゃんと言葉を選ぶ。そうじゃない相手にリソースを割くのは無駄」

「出た! リソース! 冷徹なサイボーグ恋愛!」

 麗子嬢が補足する。

「リンはね、相手を試すのよ。自分の沈黙をどう解釈するかで、相手の知性を測ってる。……一番タチが悪いわよ」

「……図星?」とヒロがニヤリと笑う。

 リンは肩をすくめた。

「何でもかんでも言葉にする方が、感情を安売りしてる気がするだけ。……違う?」

そして、議論はついに「おっとり担当」のナツキへと飛び火した。 「ナツキちゃんが一番やばい説、あると思うんだよねぇ」とメグぽよがニヤつく。

「え、私? 私は普通ですよ。平和主義だし」

「それが怪しいのよ! 普段ふわっとしてる人ほど、好きになったら底なし沼みたいに深いのよ。一度ハマったら抜け出せない『沈殿する愛』ね」

 ヒロが深く頷く。

「それは一理ある。ナツキは、『分かってるけど言わない』。で、相手が一番ダメージを受けるタイミングまで、その不満を熟成させるタイプだ」

「熟成……お味噌みたいに言わないでください」

 麗子嬢が、ナツキの目をじっと覗き込んだ。

「ナツキは、相手が困るのが分かってるからこそ、自分一人で飲み込むでしょ。で、ある日突然、何の前触れもなく『もう無理』ってシャッターを下ろす。……相手からしたら、ホラーよ」

 ナツキが、一瞬だけ言葉を詰まらせた。

 リンがそれを見逃さない。

「……当たってるんだ」

「……いや、別に。……別に、の間が長かっただけです」

ナツキは困ったように笑い、少しだけ俯いた。

「だって、言っても仕方ないことってあるじゃないですか。言って壊れるくらいなら、私が我慢して、静かに終わる方がマシかなって……」

 その時、工藤ちゃんが、今までにないほど真剣な、低い声を出した。

「……『心の予告犯』だな」

 店内の空気が、ふっと止まった。

「……工藤ちゃん。今のは、ちょっとだけ名探偵っぽかったぞ」とタケさん。

「だろう。バックシティ〜♪」

「すぐ台無しにするな」とヒロ。

空気が少しだけしんみりしたところで、メグぽよがわざと大きな声を出して雰囲気を壊した。

「はい! 暗い! 終了! 重いのはナツキちゃんの心臓だけにして!」

「失礼ですよ!」

「でもさぁ、結局誰が一番なのよ。

……ねえ、麗子嬢は? 自分は完璧なの?」

 麗子嬢は、眉一つ動かさずに言い切った。

「めんどくさいわよ。私ほど扱いにくい女はいないわ」

「認めるんだ」とヒロが驚く。

「当然でしょ。簡単な人間なんて、一晩で飽きるわ。私は、相手が嘘をつくのも、見栄を張るのも、逃げるのも許さない。

……だから、男はだいたい途中で『面倒だ』って音を上げるの。……私自身のせいじゃなく、相手の器の問題だけどね」

「言い切った……かっこいいけど、やっぱり近づきたくない」とメグぽよが震える。

タケさんはグラスを拭きながら、最後にぼそっと言った。

「まあ、めんどくさいくらいが人間だろ。簡単にマニュアル化できるような奴ばっかりだったら、俺は今頃この仕事に飽きてるよ」  麗子嬢が少しだけ微笑んだ。

「珍しく、店主らしい良いことを言うじゃない」

「『珍しく』は余計だ」

その時、工藤ちゃんが勢いよく立ち上がった。

「よし。今夜の事件は、ひとまず解決だ」

「何も解決してないし、誰が犯人かも決まってないぞ」とヒロ。 「いや、解決した。……全員が犯人めんどくさいだった。共犯関係だ」

 工藤ちゃんは帽子をかぶり直し、風のように出口へ向かう。 「一度、夜風に当たりながらプロファイリングを整理する。

……女という、宇宙最大の未解決事件をな」

「二度と戻ってこなくていいぞ」とヒロが送り出す。

「バックシティ〜♪ バックシティ〜♪」

ドアが閉まり、工藤ちゃんが去った後の店内には、弾けたような笑い声が響いた。

 月見橋の夜は、まだ続いている。静かな住宅街の角にある小さなバーの中だけが、今夜もやっぱり少しうるさい。

 意味のない議論をして、くだらないことで笑って、たまに少しだけ本音が混ざる。

 何かが綺麗に解決するわけでもないし、明日から性格が直るわけでもない。

 けれど、簡単じゃない人間たちが、簡単じゃないまま酒を飲める場所がここにある。

「……で、結局、誰が一番めんどくさいんだ?」

 タケさんが最後に問いかけると、全員が、一秒の迷いもなく声を揃えた。

「「「「工藤ちゃん!!」」」」

店が揺れるほどの笑いが起き、今夜もまた、Red Light Bar で何かが起こっていた。

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