第三章 第二幕:藏木
怨みと憎しみが一心に向けられる
それは当然のこと
それだけの事を自分はしているのだから
だから許してくれとは言わない
ただ――。
まだ日が顔を出したばかりの薄暗がりの道を行く者が、三人いた。
黒い布で身体を包み込み、正体は掴めない。
日中に歩いていれば怪しまれるであろう格好の三人は、一つの屋敷の前で足を止めた。
人里離れた場所に聳え立つ、古くはあるが立派な屋敷。
敷地に足を踏み入れると先頭の一人が黒布を取り、姿を曝す。
他の二人もそれに倣って、布を剥ぎ取った。
「やはり血生臭いですねぇ」
先頭に立つ者は二十前後の歳若い青年で、その言葉にあとの二人は無言で答えた。
返答を端から期待などしておらず、青年は戸を開け放った。
中は知っていなければ叫んでいるであろうほどに、凄惨な光景が広がっていた。
家屋の彼方此方に紅い模様が出来、其処彼処から鉄の異臭が漏れ出す。
目の前にはもう人ではない、ただの塊と化した物が転がっていた。
「作戦は成功したようですね」
「さすが天下のあけ…」
「胡麻擂りは無用です。それにまだ終わってはいませんよ」
青年が言葉を遮って睨みつけると、失礼しましたと引き下がる。
だがその顔は舌打ちしたそうに歪められていた。
安易に年下のくせに生意気なとでも思っているのだろう。
青年と他の二人は歳が掛け離れている。
他二人は三十代後半に差し掛かるかくらいの男。
青年は二十そこ等で、上の階級に居る為に年上にはよく思われていなかった。
敬語を使用していることが、せめてもの年上に対する敬意だった。
立場上、命令をしないというのは許されないから。
青年は家屋を見渡し、腰に帯びた刀に手を添えた。
「三手に別れ、状況の確認をしましょう。門脇殿は右から。鳥羽殿は左から。私は真っ直ぐ。生存者は…斬ることを許可します」
「「御意っ!」」
行けという合図に手を払うと、二人は目礼して左右へと別れた。
青年も真っ直ぐと部屋へ足を踏み入れる。
襖は戦いの過酷さを物語るように、全て壊されていた。
人の屍骸と血が青年の行く道を築いている。
全員一様に黒装束を着込む屍の顔に浮かぶのは、怒りと憎しみ。ただそれだけだ。
この一族を滅ぼす為の作戦参謀となったのが彼だった。
今この血の海と化した屋敷の惨事を引き起こしたのは、紛れもなく自分である。
「とはいえ、此処まで手酷くやれとは言ってないんですけどねぇ」
ここは忍びの有数の使い手とされる一族で、家名を“藏木”と言った。
情報において抜きん出ている忍びが相手であるが故に、自分が抜擢された。
知力の優れる明智家の人間である自分が。
何故この一族が滅びなければならなかったのかは、知らない。
死んでも尚、怨めしい眼が自分に向けられているようで、胸が締め付けられる思いがする。
滅ぼす理由は、まだ知らなくて良いことだと言われている。
自分はただの参謀で、まだ歳若い為に旗頭の右腕とまでは上り詰めていない。
言い返せば自分もこうなることが判っているから言えなかった。
ふと青年は思考を遮り、次いで一つの部屋の前で足を止めると、眉を顰めた。
「これは……」
恐らく最後の部屋であろう場所は、襖が壊れることなく、閉じられていた。
否、何者かによってまた閉じられたようだ。
一滴の血も付いていないことの不自然さが際立ち、その可能性が顕著となった。
何か仕掛けが施されていたという形跡も無い。
だがまだ生きた人がいることは確かだ。
青年は刀の柄に掛けてあった手を退け、懐へと忍ばせた。
そこには刀よりも使い慣れた、硬くて冷たいものがある。
その存在を確認し、息を潜めて、一気に襖を開け放った。
瞬時に前方から何かが飛来する。
青年は素早く手を出して懐の中で握っていたそれを広げ、飛来した物を弾く。
広げられた青年の持つそれは黒光りする鉄扇だった。
襲い来た物はクナイで、軌道を逸らされたそれらは床に突き刺さっていた。
目の前に眼を向けると、其処には年端もいかない少年が一人敵意を顕わに立っていた。
青年は驚愕に目を見開く。
いるのは四、五歳の少年一人。
――では、このクナイを投げてきたのは…?
眼前の少年を置いて、他にいるのは綺麗に並べられ、顔を白い布で覆われた三つの死体。
クナイの狙いは正確に、急所である頭と首を狙っていた。
「このクナイを投げてきたのは、貴方…ですか?」
それに返答はなく、一つのクナイを手に警戒し構えている。
だが返事がなくとも判っていたことだ。
此処で動けるのは…否、生きているのは彼だけなのだから。
青年は任務失敗のことよりも、生きている人がいたことに、そしてそれを発見したのが自分であったことに安堵していた。
例え目の前のこの子にとって苦痛でも、許し難いことであっても。
「この者達が貴方の家族ですか?」
返答がないであろうことを分かっていながらも、青年は語りかけ一歩歩み寄った。
少年の殺気が強まるが、気にした風もなく二、三歩だけ死体により、膝を付く。
次いで青年は掌を合わせ、軽く言を唱えて拝んだ。
少年がその思いにも依らない行動に眼を見張った。
本来殺した相手に対し、有り得ないことだ。
しかも殺気を放つ武器を構えた、残された敵の前で瞑目するなど自殺行為に他ならない。
今が絶好の好機だと思いながらも、少年の身体は動かなかった。
その意味不明な行動に、闘気を抜かれてしまったように。
青年は閉じた目をゆっくり開けると、少年に視線を向けて淡く微笑した。
「少しだけ、私の話を聞いて頂けますか?私の名は明智光秀…いえ、秀隆と言います。浅間の配下で参謀をしています」
その言葉で少年に殺気が戻る。
クナイを持つ手に知らずに力が籠もる。
青年はそのことに気付いていたが、意にも介さず言葉を続けた。
「此度の惨状を招いたのは…この戦略を企てた自分です。これに関しては申し開きも無い。許してくれとは言いません。ただ…」
「明智様、何処に居わしますか?」
話の途中で遠くから自分を呼ぶ声が聞こえ、青年は一瞬視線を声ある方へと向けた。
今来られるのは不味い。
少年は藏木の者だとバレれば間違いなく殺されるだろう。
逡巡していると少年がそれを絶好の油断だと踏み、クナイをしっかりと脇腹の位置で固定し、床を蹴って青年へと飛び込んだ。
青年が近付く気配に少年を振り返り、今起こっている事態に眼を見開く。
次の瞬間、肉を割く音がし、手をぬるりと紅く濡らす。
床に滴り落ちた赤い血は、その波紋を刻々と広げていた。