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第三章 第一幕:怨恨

一生忘れない


あの時の言葉を


表情を


そして暖かさを――。







暗い闇が覆う朧月の夜。

転々と燈された灯籠だけが唯一の道標で、規則正しく立ち並ぶそれを頼りに廊下を進む。

足音はまるで誰も歩いていないかのように聞こえなかった。

それは訓練により常備身についてしまったもので、音を立てても良い時でさえ無意識に起こしてしまう。

何度言われてもこればかりは直せない。

普段このような場所を通るなど有り得ないことである為、より難しい。

薄暗い廊下を長く歩き、ある一室の前で足を止めると、片膝を付き頭を垂れた。


「明智様…。小姓倉本、只今馳せ参じました」


「入りなさい」


静かに告げると、中からも夜半を気にした遠慮がちな声が返ってきた。

その返事に倉本は障子戸を開け、室内へと身を滑り込ませた。

中も外と同じく暗いが、夜目が利く倉本には何ら障害にはならない。

それは長い間闇にいた明智にも同じ事で、相手の顔を識別できていた。


「夜中にすみません。呼び出したりなんかして…」


「否、明智様の為とありますれば、この倉本、如何なる場所へも如何なる時分にも馳せ参じまする。それに今は小姓でも本来は忍び、元来暗躍が務め。夜が最も動き時ゆえ」


本当にすまなそうに言う彼に、倉本はそう言い切った。

実際、倉本には夜の仕事が多い。

表では小姓として動いているが、裏では“孤黒”と名を変え、忍びをしていた。

孤黒は狐面に全身黒装束で包まれた姿から、明智に名付けられた忍名である。

その姿にしたのも他ならぬ明智であったが…。

通常忍びは夜闇に身を隠して行動を起こすが、実績を買われ、多く出陣していた。

その為、今日の小姓姿は久々ですらあった。

倉本の受け答えに、明智の口から苦笑が漏れる。


「自分と二人の時だけは言葉を正さずとも良いと言っているでしょうに」


「そういうわけには参りませぬ。明智様は私の命の恩人でもある御方。私が仕えているのは明智様ただ御一人。百歩譲って秀隆様と御呼びするまででお許し頂きたく…」


「全く…。久々だというのに、相変わらず御堅いですねぇ…」


明智は眉尻を下げて失笑した。

次に会う時までに少しは変わっているかと思っていても、こんなに短い間でそう簡単に変わるわけもないのが事実だ。

明智自身も変わっていないというのに、相手にだけそれを求めるのも変な話ではある。

だが、一つのことに囚われ続けて歳を取ってきた自分よりも、若くまだ先の有る倉本なら変わる術があるのではと、自分の希望を彼に託し求めてしまうのだ。


「……何ですか?」


倉本が明智を上目遣いで見上げる。

明智は自分でも気付かぬ内に倉本の頭を撫でていた。

訝んだ視線を向けられ、明智は自分でした行為に微笑して手を放した。


「いえ、少し大きくなったかと思いましてね」


「本当に御座いますか!?秀隆様!」


倉本はその言葉に一瞬にして目を輝かせた。

この時ばかりは歳相応に見えて、それが微笑ましく、明智はまた微笑んだ。

倉本はまだ十四で子供だ。

本来ならば他の子と外で走り回ったり、田を耕して両親共々笑っているべきで、このような手を血で染める場所にいてはならない。

曲がった事が嫌いで、優しい彼には不釣合いな場所ですらある。

しかし、そう思いつつも、この世界に踏み込ませたのは、紛れもなく自分だった。

今の御時世、力がなければ生きて行けないのだから。

その考えを表情には出さず、明智は倉本に優しい笑顔を向けた。


「本当ですよ。今成長期の貴方には後数年ですぐに追いつかれちゃいますね」


「……秀隆様が歳で縮んで下さればすぐにでも」


「何か言いましたか?」


「いえ、何も?」


お互い聞こえていたが、笑顔で切り返した。

人知れず負の気が出たが、慣れている倉本は何事もないようにしれっとしている。

育て方を間違えたかもしれないと、明智は内心小さく溜息を吐いた。


「あの頃はまだ素直で可愛かったというのに…」


「昔話をなさるのは老いを感じるので止めて下さい」


小声での呟きに反論が返される。

静寂に満ちた夜闇の部屋では聞き取れるほどのものだった。

忍びたる者、常に周りに耳を傾けているが為に、聞き取ることは容易だったろう。

顔がほんのり紅く染まっていることから見て、どうやら恥ずかしいらしい。

それを見てくすりと笑い、明智は扇子を開いて口元を隠した。


「人間誰しも…過去を振り返らずにはいられないものですよ」


そうあの時のことも、他の人のことも。

今でも鮮明に思い出し、夢に見るものもある。

自分には過去を忘れることは許されないのだと、そう言われているようで。


「貴方との出会いが、人生の中で最も晴天の霹靂ですけどね」


その言葉に倉本も出会い当時のことを思い出し、眉を顰めた。

互いに決して良い出会いというものではない。

同じ場面の過去にあるのは凄惨な光景と、手が紅く染まったこと。

しかし、良いこともあった。

倉本は一度目を閉じ、次の瞬間には暖かく笑い掛けた。


「私も忘れてはおりませぬ。秀隆様の家来となり、家族となった日でもあるのですから」


あの時のことは決して忘れることはない。

それだけの深い傷となって残っている事柄で。

それだけ嬉しく、生きる気力が湧いた。

そして、互いにある決意をした日。

契約とも言える約束を交わして、二人は今共に此処にいる。


「あの約束を……ちゃんと覚えていますか?」


ふいにそう発したのは明智で、静かに響く。

口は笑っているのに、眼鏡の奥の眼は寂しそうに微笑んでいるようだ。


「当然です。……今もそれは継続で御座いましょう?」


「ええ。……一生」


しばしの沈黙があり、場の空気が張り詰める。

その空気に混じるように倉本は目を細め、明智を睨み付けた。


「俺がお前を殺す……」


先程とは打って変わった口調と殺気。

そこには怨みと憎しみ、そして悲しみが宿っていた。

それを肌でも感じとった明智は、苦笑して一言呟いた。




ありがとう、と…―。




第三章は敵陣・浅間藩サイドの話となります。

新たに登場人物が出てきたので、此処でご紹介します!


氏名:明智 秀隆(あけち ひでたか/別名:光秀)


裏切り者として扱われ、死んだとされた明智家の末裔が一人。

分家として生き残っていた先祖がおり、今に至る。

敵に対し畏怖を持たせる為に、名を秀隆から光秀へと変え、浅間に軍師参謀として長く仕える。

知に突出して優れ、知る者には明智家歴代随一。その鋭い先読みと知略に未だ裏を掻ける者はいない。周囲には冷酷・無慈悲だと恐れられている。

砕けた敬語で話し、発せられる言葉は多々黒い。だが本当は仲間想いで、大切な人は言葉巧みに嘘を付いて守り通す。


歳:不明 / 武器:鉄扇・頭脳 / 一人称:自分(私) / 家紋:桔梗

呼名:光秀・明智 / 趣味:読書 / 役職:軍師参謀長


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