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桑原優人①

 朝、いつものように自然と目が覚める。

 時計を確認すると、時刻は決まって――


 4:44


 目覚ましのアラームより早く起きてしまう。


「だるい……眠い……」


 重い体を起こし、洗面所の鏡に映る自分に挨拶する。


「よう、今日も酷い顔だな。ゾンビみたいだぞ……」


 虚しい独り言を掻き消すように顔を洗いうがいを済ます。


 母さんが夜のうちに用意してくれた朝食を温めて食べるが、何を食べてもいつもの味でよくわからない。


 テレビをつけると、朝から事件があったらしく騒がしい映像が流れていた。家族が起きてくると面倒なのでもちろん消音。ぼ~っと見ているだけなので内容は入ってこない。


「行ってきます」


 まだ寝ている家族を起こさないように呟く。


 玄関を出るとちょうどマンションの隣室403号室の住人が自分と同じように外出するタイミングだった。

「行ってきま~す。……大丈夫だって、いつも通り会社に行って帰ってくるだけだよ。今日は大事な資料忘れたから、早く行くだけ」

 家族に向かってだろうか、俺と違って朝から元気一杯のようだ。


「あっ、おはようございます」

 隣人が俺に気付いて挨拶してくる。

「どうも」

 軽く会釈する俺。

「どうも……って、優人(ユウト)じゃない!覇気のない顔しちゃって、ぱっと見わからなかったわ」

 隣人が立ち止まり何か話しかけてきているようだが、頭の中にモヤがかかりよく聞き取れない。


「ちょっと、大丈夫?!しっかりしなよ。そんな状態で仕事できるの?」

 仕事という言葉に頭がハッキリしてくる。

「……あぁ、明里(アカリ)か」

「何よ、幼馴染みの顔もわからないなんて」

「大丈夫だよ。それより仕事に行かなきゃ、またな」

「幼馴染みを前にして、それよりとはなによ。どうせ駅まで同じ道なんだし一緒に行こうよ」

「あ~それもそうだな」

 この女性は同じマンションに住む幼馴染み、進藤明里(シンドウアカリ)。高校まで一緒だった腐れ縁ってやつだ。


「一緒に歩くの久しぶりだね」

「そうだな、高校以来か」

 大学生になってからは一緒に歩くどころか話をすることも減っていた。


「今朝のニュースみた?噛みつき事件だって、怖いよね~不要な外出は控えるようにだって」

「不要な外出は控えると聞いて、会社が休みになったことはないな」

「そうだよね。リモートできればよかったけど、今日に限って出社しないといけない仕事があるし」


 今朝、見ていたテレビを思い出す。

「……あぁ、テレビに映ってたのはそれか。ぼ~っと見てたから内容まで入ってこなかった」


「ぼ~っとって……仕事、大変なの?」

「なんで?」

「顔にも書いてあったよ。ゾンビみたいだったもん」

「あ~それな」

 今朝、洗面所の鏡に映った自分の顔を思い出し苦笑する。


「仕事に慣れてきたと思ったら、業績悪化で上司は辞めていくし、入ってくる奴もすぐに辞めちまう。残ってるのは俺みたいに中途半端な奴だけだから、業績が改善されるわけもなく仕事は溜まっていくだけ。毎日、早朝から深夜まで、終わりの見えない作業の繰り返しだよ。おまけに薄給」

「それは……シンドイねぇ」

 いきなり不満をぶちまけるように話し出した俺に明里が引いているのがわかった。


「すまん……久しぶりだってのに、嫌な思いさせたな」

「ん~ちょっとびっくりしたけど、そういうのはたまに吐き出した方がいいみたいだし、別にいいんじゃない」

「やっぱり、聞かなかったことにしてくれ」

「じゃあさ、何か奢ってよ。今度の休み遊びに行こう」

「なんだよ、いきなり」

「少しは気分転換も必要だよ。じゃあ、私あっちのホームだから、後で連絡するね」


「まったく、こっちの都合も聞かずに遊ぶ約束しやがって」

 ホームで電車を待つ間、口ではこう言いながらも、明里と話すことで頭の中にかかっていたモヤは少し晴れたような気がしていた。


 電車に乗り、いつも通りの日常が帰ってくる。この通勤の時間がいつも勿体ないと思う。

 入社したての頃は、スキルアップのために資格の勉強等に充てて、かなり有効に使っていたはずだが、いつしかやらなくなり、スマホの画面で無料のマンガを読むために、迫り来るゾンビを倒すアプリゲームの広告動画を何も考えずに見つめるだけの時間が増えた。


 今日は明里のおかげで周りを見る余裕があり、同じ電車に乗る者を観察してみることにした。


 自分と同じくスマホの画面と睨めっこする人。口を開けて寝ている人。ひたすらぼ~っとつり革に掴まっている人。中には、膝の上でノートパソコンのキーボードを叩いている人もいた。……みんな酷く疲れているように見えた。


 会社に着いたのは7時ジャスト。始業時間は9時からだが、昨日の続きを午前中には片づけないと今日の仕事ができない。


 さらに、威張るだけでなんの取り柄もないパワハラ支店長のデスクをきれいに掃除しておかないと同僚の皆が迷惑を被る。こいつのおかげで優秀な人材や前途ある若者が何人辞めていったか……。


「今時、紙ベースの資料なんて時代遅れだよなぁ」

 ため息をつきながらパワハラ支店長のデスクに散らばる資料を、目を通してほしい順に並べていく。


「うぅ~」

 部屋の隅で唸り声が聞こえたかと思うと、資料の山からムクリと起き上がる者がいた。


「また徹夜か、山田」

 唸り声の主に声をかける。

「桑原さん、こんばんは。まだ残ってたんですか?」

「何言ってんだよ、もう朝だよ」

「えっ!?もう朝……支店長の資料整理しなきゃ」

「もうやってるよ。ほとんど寝てないんだろ?支店長が来るまで、まだ1時間半位あるから寝てろよ。」

「うぅ~ごめんなさい……よろしくお願いします」


 こいつは、山田良太(ヤマダリョウタ)

 支店長の今のメインターゲットだ。

 会社がこんな状態になる前は、普通に仕事をこなす後輩だった。


 デスクの整理を終え、昨日の続きを始める。時間はあっという間に過ぎていき、時計は8時15分を指していた。


「トゥルルルル」


 会社の電話が鳴る。


「朝っぱらから何の電話だ?」

 嫌な予感しかしないが、仕方なく受話器を取る。


「おはようございます。こちら⚪×の桑原でございます」

「あっ、先輩……おはようございます。」

 この感じは休みの電話だ、嫌な予感が当たった。


 一応、用件を聞いてみる。


「田中か、どうした?」

「……すみません。今日、体調が悪くてお休みをいただきたくて……」

「なんだ風邪か?」

「いえ、それが昨日の帰りに変な奴に絡まれて噛まれまして」

「はぁ?!噛まれた?」

「はい。噛まれた場所が痛くて夜も眠れないし、なんだか寒くて体の震えが止まらなくて」

 そう伝える電話越しの声も震えているのがわかる。相当重症のようだ。


「大丈夫か、変な菌でもうつされたんじゃないか?こっちはなんとかするから、病院で検査してもらえよ」

「はい。申し訳ありません。よろしくお願いします」

「お大事にな……」


 嫌な予感は外れることなく、今日の残業が決まった。

 電話中に出社してきた同僚の谷口さんに田中の休みを伝えると、彼は深いため息を吐き眼鏡をかけ直し、無表情で仕事を始めた。


 もうすぐ9時になる。

 新人の高木が出社していない、いつもならとっくに来ているのに……再び嫌な予感。


「なんだ、田中はどうした!」

 部屋に入ってくるなり、無駄に大きな声を響かせる支店長(パワハラ野郎)がやってきた。


「田中は病休です。怪我をしたようで病院に行ってます」

「なんだ怪我くらいで、俺の若い頃は骨折しても会社に来てたぞ!」


 いつの時代の話だ。この老害モンスターが……。


「体調もかなり悪そうだったので、支店長にご迷惑をかけまいと休みを取らせました」

「桑原君。いい心掛けだが、彼の分の仕事は君が責任を持ってやるんだぞ!」

「わかっております。それと、高木が出社していません」

「あ~高木は辞めた。」


 嫌な予感的中!


「退職代行とかいう所から連絡があった。最近の若い奴は自分で辞める度胸もないのか!」

「辞めるのに度胸とか言ってることがおかしいだろ」

「ん~何か言ったか、桑原君」

 思わず口に出してしまったらしい。


「まあいい。お前たちは、いない人間の分までしっかり働くんだぞ!」

 言いたいことを言うだけ言ってスッキリしたのか、支店長席に座るなり、買ってきた雑誌を読み始めた。


 支店長の声を聞いたせいで、晴れていた頭の中に薄いモヤがかかり始めた。それでも午前中はなんとか自分の意思で仕事をこなし、昨日の仕事を終わらせた。


 午後になると、山田に対する支店長のパワハラが始まった。自分が言われるよりも、人が言われている方が辛く感じる。


 今日も終わりの見えない仕事を、何も考えず一つ一つこなしていくだけの一日。

 支店長は定時で帰り、いつの間にか谷口さんもいなくなっていた。彼の分の仕事は終わっている。山田は今日も会社に泊まるようだ。


 ふと視界に入った時計が刻む時刻は――


 23:45


「終電、間に合うかな……」

 頭の中をモヤが覆い尽くしていた。

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