……もしかして、これってデート!?!?! 2
「行こう!」
放課後のチャイムが鳴った瞬間、鈴蘭が私の机の前に現れた。
「うわっ!」
何が起きたのか理解する暇もなく、私はそのまま教室の外へと引っ張り出された。
この人、礼儀というものを知らないのか!
「ど、どこに行くの……?」
「最初は図書館に行こうと思ってたんだけどさ、金曜日って人が多そうじゃん? だから、私の家に行くことにしたの」
「……え?」
この人はいったい何を言っているんだろう。
「勉強するなら、やっぱり静かなところのほうがいいでしょ?」
だからうちに決まったの。
あれ?
私の遠回しな断り方、もしかして全然効いてない?
「あ……その……ま、待……わ、私……!」
鈴蘭に手を引かれながら歩いているせいで、まともに歩くことすらできない。
言葉だって上手く出てこない。
こんな状態で、鈴蘭にどうやって意思を伝えろというのだ。
学校を出てから、およそ十分。
その間ずっと、鈴蘭は私の手を握ったままだった。
まるで私が途中で逃げ出すことを本気で警戒しているみたいに。
……別に、そこまでしなくても逃げないって。
たぶん。
やがて私たちは、五階建てのマンションへと辿り着いた。
特別豪華というわけでもない。
むしろ、外見だけ見れば普通のマンションだ。
だからこそ、いつもキラキラしている鈴蘭とは、少しだけ釣り合わないような気がした。
マンションの中へ入り、少し古びたエレベーターに乗る。
三階で降りる。
目的地へ近づくにつれて、心臓の鼓動がどんどん速くなっていく。
さっきまで早足で歩いていたせいなのか。
それとも――。
同級生の家に遊びに行くなんて、今まで一度も経験したことがないからなのか。
そんなことを考えているうちに、目的地へ到着していた。
「ほら、入って!」
気づけば、鈴蘭の家の前だった。
「お、お邪魔します……」
玄関を入ると、そのまま鈴蘭の部屋へ案内された。
彼女の部屋は二階にあるらしい。
玄関から右へ曲がった階段を上って、最初の部屋。
「適当に座ってて。お菓子持ってくるから!」
そう言うと、私を部屋へ置き去りにして、鈴蘭は一人で階下へ降りていった。
一人になった私は部屋を見回す。
部屋の中は、可愛らしいピンク色で統一されていた。
本棚には本がきれいに並べられていて、床にも机にも余計なものがない。
部屋そのものも、かなり綺麗に掃除されている。
……なんだか、普段の大雑把な鈴蘭とは少しイメージが違う。
いや。
よく考えてみれば、これってもしかして……。
家デート!?
そう思った瞬間、また心臓が跳ねた。
いやいやいや。
落ち着け、私。
私たちは二人とも女だし、そもそも私は鈴蘭とそこまで親しいわけじゃない。
それなのに、どうして家に呼ばれたんだ?
勉強。
そう、勉強だ。
ただ勉強するだけ。
私は一体、何をそんなに緊張しているんだ。
貴重なゲームの時間を犠牲にして、わざわざこんなところまで来て。
そのうえ一人で勝手に緊張している。
……私、何してるんだろう。
「白上さん見過ぎ!」
「ひゃっ!?」
我に返ると、いつの間にか鈴蘭が部屋の入口に立っていた。
「ご、ごめんなさい……」
慌てて頭を下げる。
耳が熱い。
よく考えたら、人の部屋をこんなにじろじろ眺めているのって、かなり変態っぽい。
……私、変態なの?
「白上さんって、甘いもの大丈夫だよね?」
そう言いながら、鈴蘭はテーブルの上にトレーを置いた。
その上には、チョコレートケーキが二切れ。
そして紅茶が二杯。
思った以上にちゃんと用意してくれた。
「……あ、ありがとう」
慌てて手を伸ばし、ケーキを受け取ろうとする。
すると鈴蘭は、私に座るよう手で促した。
「ここのケーキ、すっごく美味しいんだよ~」
テーブルに置き終えると、鈴蘭はすぐに席へ座った。
満足そうな笑顔を浮かべながら、独り言のように呟いてケーキを食べ始める。
それを見て、私も静かにフォークを手に取った。
……本当に、食べていいんだよね?
見るからに高級そうなチョコレートケーキ。
包装だってかなり上品だった。
私が普段食べているものとは、明らかに価格帯が違う気がする。
「ん? ああ! これ、お客さんが来たときにしか出さないやつだから。遠慮しないで食べていいよ!」
……心を読まれた。
フォークでケーキを一口分切り取り、そのまま口へ運ぶ。
ふわふわでしっとりとした生地。
その間に挟まった濃厚なチョコレートソース。
そして、一番上にかかったココアパウダーが、チョコレートとソースの甘さを上手く中和している。
甘いのに、くどくない。
……美味しい。
こんなに美味しいケーキを食べるのは、いつ以来だろう。
思わず口元が緩んでしまう。
もし今、鏡があったなら。
きっと私は、ものすごく幸せそうな顔をしているに違いない。
「なんか、すごく幸せそうな顔してるね」
「うわっ! ……そ、そんなこと……」
夢のような美食の旅から、一瞬で現実へ引き戻された。
「美味しいものに罪はないからね~」
鈴蘭は何気なくそう言うと、残っていた最後の一口を口へ放り込んだ。
……って、早っ。
私はまだ一口しか食べてないんだけど。
「あ~、食べた食べた」
ケーキを食べ終えた鈴蘭は、両手を後ろについて身体を伸ばした。
そして――。
「実はさ、ずっと白上さんと話してみたかったんだ」
……私と?
どうして?
「私って、人気者でしょ?」
喧嘩売ってる?
「ははっ、そんな怖い顔しないでよ~」
「まあ、自分でも分かってるよ。私の友達って、普通の人より多いと思うし。誰とでもすぐ仲良くなれるから」
「これはね、私が意識して作ってるものなの。というより……これが、私が望んでいた姿なんだと思う」
鈴蘭は紅茶を一口飲んだ。
それから、少しだけ間を置いて口を開く。
「でも……実は、どうしたら本当の自分でいられるのか、ちょっと分からないんだ」
そう言った鈴蘭は、テーブルの上に置かれた紅茶へ視線を落とした。
その表情には、どこか影が差していた。
……何を言っているのか、いまいち分からない。
どうして私にそんな話をするんだろう。
それに――。
これは、鈴蘭自身が望んで作った姿なんじゃないのか?
今さら、何を言っているんだろう。
そんな疑問を抱えたまま、私も紅茶を一口飲み、鈴蘭へ視線を向ける。
「というか……ずっとこうだったんだと思う」
「人が聞きたいと思うことを言って、求められたことをする。そうやって、誰かが思い描く「私」になっていく。」
「だから、ここまでやってるんだから、人気者じゃなかったらおかしいでしょ? って、そう思ってた」
「でも……これが本当に私の望んでるものなのかは分からない。ただ周りに流されてるだけ。周りが望むように生きてるだけで、自分の意思なんて全然ないんだ」
鈴蘭は窓の外へ視線を向けた。
まるで、そこに何か答えがあるかのように。
「最近ずっと、そのことを考えてたんだ」
「それで……そんなことを考えてたときに、白上さんに話しかけてみようって思ったの」
……突然、話題が私のところへ飛んできた。
「……私?」
「そう。あなた。」
どうして私なんだろう。
「だってさ、私たちって、ほとんど話したことないでしょ?」
……また心を読まれた。
「だから、もしかしたら私には、自分らしくいられる友達が必要なのかもしれないって思ったの。それで、白上さんのことを思い出した」
……ますます分からなくなってきた。
「ほら、考えてみてよ。私たちって、ほとんど話したことないじゃん?」
「つまり、みんなの前にいる私のことを、白上さんはあんまり知らないってことでしょ?」
「だから、白上さんの中には『こういう人』っていう決まったイメージがあまりないし。私が白上さんの前で本当の自分を出しても、今までのイメージとのギャップで急に距離を感じたりもしないんじゃないかなって」
……言われてみれば、確かにそうなのかもしれない。
「自分らしくいられる人と友達になるって、すごく楽なんだよ」
「それに何より、白上さんって、人の話を聞くのがすごく上手だから。それだけで十分だと思う」
聞きたいことはたくさんあるけど。
頭が少し追いついていない。
それでも、一つだけ先に聞いておきたいことがあった。
「……あなたは……今の自分が、嫌いなの?」
「うーん……嫌いってわけじゃないよ」
鈴蘭は少し考えるようにして答えた。
「これも私の一部だから。ただ……ずっとその姿を維持してると、ちょっと疲れちゃうんだよね」
そう言って、鈴蘭はふうっと長く息を吐いた。
そして紅茶を手に取り、喉を潤す。
彼女の話を聞き終えて、最初に頭に浮かんだのは――。
『私、思ってたほど鈴蘭のことが嫌いじゃないのかもしれない』
ということだった。
勝手に私の領域へ入り込んできたことについては、まだ少し引っかかっている。
でも、彼女に悪意があったわけじゃない。
ただ純粋に、私と友達になりたかっただけなのだ。
それに……。
鈴蘭は今、彼女にとってかなり大切な秘密を、私に話してくれた。
クラスの人気者と、二人だけしか知らない秘密を共有している。
そう考えると――ほんの少しだけ、優越感のようなものが芽生えてしまった。
それでも、やっぱり分からない。
どうして私を選んだんだろう。
「あっ! もちろん、白上さんが迷惑じゃなければだけどね!」
私が黙っていることに不安を感じたのか、鈴蘭は慌てたように笑って場を取り繕った。
でも、正直なところ。
一つだけ、どうしても分からないことがある。
「鈴蘭の言う……『自分らしく』って……どういうこと?」
私から見る限り、鈴蘭は私の前でも、友達の前でも、それほど違いがあるようには見えない。
明るくて。
元気で。
人当たりがよくて。
いつも楽しそうに笑っている鈴蘭。
私の前でも、結局は同じ鈴蘭だった。
「……言われてみれば、そうだね」
私の質問を聞いた鈴蘭は、少し考え込んだ。
「実は私、みんなとお喋りするのって、そんなに好きじゃないんだ」
「どっちかというと、一人で自分の好きなことをやってるほうが好き。放課後だって、毎日のように外へ遊びに行きたいわけじゃないんだよ」
「もちろん、みんなと遊びに行くのが嫌いってわけじゃないよ?」
「ただ、それよりも一人で静かに、自分のやりたいことをするほうが好きなんだ」
「でも……みんなの誘いを断ったら、期待に応えられなくなるでしょ?」
「それが、ちょっと怖いんだ」
「みんなの楽しい気分を壊したくない。だから、みんなが思ってる私になろうって頑張る」
「……でも、たまには私だって休みたいんだよ」
それだけ言うと、鈴蘭は少し恥ずかしそうに笑った。
短い沈黙が流れる。
そして鈴蘭は、少し気まずそうに笑って話を切り上げると、私たちはそのまま勉強を始めた。
――当然のことながら。
私の意識は、勉強なんかに向いていなかった。
鈴蘭が何を教えてくれたのかも、ほとんど覚えていない。
私たちは夕方頃で解散した。
鈴蘭は、まるで何事もなかったかのように私を見送った。
「じゃあ、またね!」
「うん……」
家まで送ると言ってくれたけれど、私は断った。
あのときの私には――一人になる時間が必要だった。
家に帰り、ベッドへ横になる。
そして、今日聞いた話を頭の中で整理する。
どれだけ考えても、一つの疑問が頭から離れなかった。
「こんな生き方って本当に楽しいのかな」
誰に向けたわけでもなく、私はぽつりと呟いた。
自分を犠牲にしてまで、周囲の期待に合わせる。
私だったら、そんなことを気にすることなんてない。
でも鈴蘭は、それでもみんなが望む自分でいることを選んでいる。
そして――そんな彼女が、私に話しかけてきた。
この問題に首を突っ込んでいいのか、私には分からない。
それでも。
心のどこかで、何かが囁いていた。
もし今、鈴蘭の手を掴まなかったら。
きっといつか後悔する。
彼女の言葉の端々から、私は薄々感じ取っていた。
これは、ただ私と仲良くなりたいというだけの話ではないのかもしれない。
もしかしたら――助けを求めるサインなのかも。
自分で作り上げた仮面が、完全にすり減ってしまう前に。
翌朝、私はいつもより早く家を出た。
昨日のことが頭から離れず、結局一晩中ほとんど眠れなかった。
ベッドで悶々としているくらいなら、早めに学校へ行ったほうがいい。
どうせ、やることもないし。
教室に着くと、私はそのまま自分の机に突っ伏した。
身体に力が入らない。
窓の外をぼんやり眺める。
鳥の鳴き声と遠くから聞こえてくる運動部の掛け声。
まだ誰もいない教室には、そんな音だけが響いていた。
……なんだか、少し落ち着く。
だんだんと眠くなってきた。
私はゆっくりと目を閉じた。
久しぶりに手に入れた、貴重な睡眠。
このまま、もう少しだけ――。
「ちょっといい?」
「……ん?」
聞き覚えのない声だった。
そのせいで、私は反射的に身体を跳ね起こした。
「あっ……えっと……」
顔を上げる。
そして、ようやく気づいた。
私のすぐ隣に立っていたのは――。
予想もしなかった人物だった。
「……あ、赤坂さん?」




