26.リールの虎 来たる
26.リールの虎 来たる
マクシーネ・インメルマンとは、ゲルマニアにおいてオルトルート・ベルケやマルグリット・フォン・リヒトホーフェンと並び称される英雄の名前である。
二年前――アネット・フォッカーがゲルマニアに亡命した後、キャメルの導入が遅れたWEU軍はアルバトロスD.IIを提供されたマクシーネ・インメルマン率いるゲルマニア軍によって甚大な被害を被った。装甲の薄いスパッドVIIでの戦いを余儀なくされたAMパイロットたちは、ルネやジョルジーヌのような一部のエースを除き、機動性に勝るアルバトロスD.IIに手も足も出なかったのだ。これを世間では『フォッカーの懲罰』と呼んでいる。
それから三ヶ月足らずの間に十数機のスコアを上げたマクシーネは『リールの虎』の異名で知られるようになり、その名声はとどまることを知らなかった。後に彼女にはゲルマニアが帝政に戻ってから初の『プール・ル・メリット勲章』が贈られたが、それ以降というもの、青い装飾を持つその勲章がマクシーネの名前をとって『ブルーマックス』と呼び習わされるようになったほどだ。
その時点で二十六歳と、AMパイロットとしてはすでにロートルであった彼女は、それ以降目立った活躍をすることはなかった。だが軍は『リールの虎』のネームバリューだけでも敵の士気を削ぐ効果は十分にあるとして、新ロシア帝国の侵攻を抑える東部戦線の指揮を現在も彼女に任せている。
『インメルマン・ターン』とは、その英雄マクシーネ・インメルマンが編み出した技だった。
AMにはブレーキがないため、アクセルペダルを戻してもすぐには止まれない。低速状態からのターンやスピンであれば一瞬バックペダルを踏むことでトルクを打ち消せるが、高速での走行時にそれをやると慣性で転んだり履帯を痛めたりするのだ。
そこでマクシーネが考え出したのが、左腕のパイルバンカーを地面に突き立て、それを軸にして旋回するという方法だった。これならば急停止に伴う慣性をそのまま別方向に転換し、速度をほとんど落とすことなくAMを任意の方向へターンさせることができる。
最初はこの技の有用性を疑問視する声も多かったが、彼女の活躍によってそれが疑いようもないことが証明されると、敵である連合軍内でも多くの者がこの技を使うようになった。それどころか、今ではエースパイロットになるためには必須の技術とさえ言われているほどだ。
その技を編み出した英雄が今、直属の部下三名を引き連れてクリンバッハ城に向かっていた。
先日の戦い以降、クリンバッハ城のAM部隊は訓練飛行以外の出撃をしていなかった。城にいるパイロットのうち、半数以上にあたる五名が首都ベルリンへの召還を命じられたからである。フライヤーユニットの完成を祝し、開発者であるアネットを叙勲すると同時に、スコアが規定数に達したパイロットにもプール・ル・メリット勲章を贈る式典を行うためだった。
連合軍との決戦を控えたこの時期に、作戦の要となる城を手薄にしてまでそのような式典をやる意味があるのか――という声も国内にはもちろんあったが、軍の総司令官を務めるエーリカ・フォン・ファルケンハインはそれを断行すべしと訴えた。戦況が有利な東部戦線はともかく、膠着している北部戦線や西部戦線を押し返すためには国内の戦意高揚が重要だと考えたのだ。幸いなことにゲルマニア軍最強の部隊であるクリンバッハ城のエースたちは、そのための神輿として最高の存在だ。
マクシーネが東部戦線からわざわざ呼び戻されたのは、マルグリットたちが不在の間、重要拠点であるクリンバッハ城を守るためだった。欧州全土にとどろくその名が連合軍への抑止力になるのはもちろん、ベテランの彼女ならば一癖も二癖もある残留メンバーをまとめるカリスマにおいても申し分ない。
その日の午後、クリンバッハ城に到着したマクシーネたち一行は、城内の作戦会議室で隊長のマルグリットに迎えられた。
「やあ、リヒトホーフェン大尉。久しぶりだな」
「インメルマン少佐、お久しぶりです!」
旧知の友人に対するようなマクシーネのくだけた敬礼に対し、マルグリットは背筋を伸ばして堅苦しい敬礼を返す。スコアにおいてはすでに自分が大きく上回ってはいるが、彼女にとってマクシーネは尊敬する上官であり、憧れの先輩なのだ。
「おっと、知人としての挨拶よりも軍人としての挨拶が先だったな。マクシーネ・インメルマン少佐と部下三名、交代要員として着任した。私が来た以上は安心してベルリン凱旋を楽しんでくるといい」
「そんな、凱旋などと……敵はまだまだ残っています」
「なぁに、貴官らが戻ってくる頃にはフライヤーユニットの改修作業も終わっているだろう。そうなれば連合軍のラクダどもなど敵ではないさ」
「はい、そのつもりでおります」
「うむ、その意気だ。そうだ、部下たちを紹介しておこう。君が会うのは初めてだっただろう」
そう言いつつ、マクシーネは後ろに控えていた三人の部下にマルグリットの前に出るよう促した。まず一番右にいた猫っ毛の少女が前に出て敬礼する。
「テオドラ・オステルカンプ中尉です! リヒトホーフェン大尉にお目にかかれて、光栄であります!」
随分と背の低い少女である。目つきの悪さと胸の大きさを除けばかなり幼く見えるが、歳はいくつなのだろうか。
続いて真ん中の少女が一歩前に出て敬礼する。
「ヴァルトラウト・ブルーメ中尉であります!」
獲物を狙う猛禽のごとき鋭い目つきをした少女だ。テオドラとは逆に少し背が高く、髪を少年のように短く整えているせいで中性的な印象を受ける。
「ゲルトルート・ザクセンベルク中尉であります! ご不在の間、城の守りはお任せください!」
最後に、一番左にいた少女が前に出て敬礼した。腰まであるハニーブロンドのウェーブヘアが美しく、三人の中でも最も女性らしさを感じさせるが、彼女の視線もまた歴戦の勇士に相応しい獰猛さを備えていた。
虎の部下もまた虎というべきか、三人ともマクシーネ直属の部下だけあって、一見しただけで相当の凄腕であることが分かる。その立ち居振る舞いに軽薄さは微塵も感じられず、上官の命令に忠実な狩人であろうという点においては、ヘルミーネやブリュンヒルデのような我の強い連中よりもよほど頼りになりそうだ。
「うむ、よろしく頼む」
「こいつらは私の教え子たちの中でもとびきりの腕利きだ。三人ではあるが、君を除く四名の代わりも十分に務まるだろう」
「はい、残していく連中のことは少佐にお任せします。詳しいことは副隊長であるウーデット大尉にお聞きください」
「ああ、エルネスティーネなら昔の部下だからな。貴官よりも付き合いが長いから扱いはよく分かっているさ」
軍人らしさが骨の髄まで染み付いたような三人の部下に比べ、マクシーネの口調はあくまでも軽い。軍服の上着は肩にかけて羽織っているだけのタンクトップ姿で、筋肉質な体とバレーボール大の胸を惜しげもなく晒す彼女は、その名声とは裏腹に堅苦しいことが嫌いなタイプであった。そのくせ彼女の部下となる者には、かつてのエルネスティーネをはじめとして堅物が多いのが不思議なところだ。
「それでは、明日より私と部下四名は一時ベルリンへと帰還させていただきます」
「うむ、留守は任せておけ」
マクシーネはマルグリットの肩に手をかけ、自信満々といった表情でニヤリと笑う。それを受けてマルグリットもまた、こくりと頷いて微笑んだ。




