後編
「ちっ…違いますよっ!」
副団長の言葉を俺は、勢い込んで否定した。いざ行かんとするときに、なぜ副団長が現れるのか。
そのタイミングの悪さに内心焦りながらも、ひたすら否定を繰り返す。
「無駄な言い訳はよしてください。その子を見れば、団長の子だと言うのが一目瞭然です」
「違いますっ!どこが似ていると言うのです!」
「そうですね。一番はその特徴的な目でしょうか」
「……………」
実は俺もそう思う。
しかしここで、同意することは出来ない。
何とか、何とか反論しなければっ!と俺は内心の焦りを隠し、脳をフル回転させる。
「そ、そうですか?…にっ、2個あるってことくらいしか似てないかと…はは…」
「…………………」
「はは…ははは…あは」
俺の乾いた笑い声がむなしく響く。
その声に反応して、泣いていたアレクがきゃきゃっと笑った。
…息子よ、俺は今、本当に楽しくて笑っているわけではないのだ。
「あなた…それは無理がありますでしょう」
俺の空笑いに、副団長が冷めた目を向けてきた。
団長が率いる第五師団は軍の中枢組織であるが、副団長は聡明な頭脳によってその地位についた。
恐ろしく頭が切れる人なのだ。
誤魔化すのは無理と見た俺は
「そう言うことにした方が良いと思いますっ」
戦法を切り替えた。
副団長は、どこの誰とも知れない女を団長が妻として迎えるのには否定的だった。
アレクは団長と無関係と言い張れば、少しの疑念は残しつつも納得してくれるだろう。
副団長は俺を見て、はぁぁと深々とため息を吐いた。
「団長は朴念仁ですからね。あなたの腹が尋常ではないほど大きくなって、次に会った時には凹んでいた。それを奇病としか結び付けられない頭の固さはいかんともしがたいところです。あなたが女だとすれば、全ては納得できる結果になると言うのに」
あの夜団長は外へ出た様子はなかった。そもそも私は、女人禁制の宿舎でどうやって女を抱くことが出来たのか、女はどこから入ってどこから出て行ったのか、ずっと疑問に思っていたんです。警備上の問題がありますから、と副団長が理路整然と説いてくる。
「………………」
俺が女だってことまでばれてーら。
ばれてるのかなぁ?とは思ったけど、やっぱりばれていた。
副団長の心眼、侮りがたしだ。
俺は言い逃れる方法はないかと、頭を回転させながら
「いえっ、俺は男です!俺の登録証をお見せしますので!」
往生際悪く足掻いてみた。
テーブルの上の身分証を副団長に差し出せば、副団長は受け取ることなく
「私だとてあなたを見るまでは、自分の考えに自信はありませんでしたよ。でも今のあなた鏡で見てご覧なさい、男と言い張るには無理があります」
薄汚れた鏡を指さした。
鏡に映る俺は、母になったせいか、全体的に丸みを帯びている。
「…こっ…肥えたということでここは一つお願いします!」
がばりと頭を下げる俺に、副団長は無情な言葉を告げた。
「もう遅いんです。あの夜の相手はあなたで、妊娠したのではないか?その可能性をつい口に出してしまった時、団長はそれを拾ってしまった。私がここに来たのは、暴走している団長よりも早く事実を確認するためです。団長は【男でも妊娠できるとは知らなかったっ!】と根本的なところを誤解したままですが、あの夜抱いたのはあなただと確信しているようですね」
計算も合いますし、と副団長がアレクを見ながら付け加えた。
「………………………」
俺の心の乱れを感じたのか、アレクが泣きだした。俺は無意識に揺すってあやしながら、この状況をどう抜けるか頭を絞る。
団長は責任感が強い男だ。
恐らく、俺とアレクを捨て置きはしない。
しかしその責任の取り方は俺としては大いに不本意なのだ。団長にはこれからも騎士団を率いて欲しいし、身分に見合った方を妻に迎え、その地位を確固たるものにしてほしい。
俺は副団長に、俺は団長を男として憧れているが、異性として思っているわけではないと切に訴えた。
幻覚剤のせいで記憶がないことも主張した。
副団長は、2人とも記憶が定かでないとは厄介な…と眉間に皺を寄せて首を振った。
「団長には上手く話を作っておいて下さい。……そうだっ!俺が想像妊娠していたってことで、お願いできませんか?…そ、それか…極度の便秘でう〇こ6か月分…」
「下品な言い訳はお止めなさい。それに…もう遅いようですよ」
肩を竦めた副団長が窓の外を指差した。この辺りでは珍しい馬の嘶きが聞こえて、俺はざっと青ざめた。
窓の向こうに目を走らせれば、見たこともないほど強張った表情をして、授乳用の瓶を握りしめている団長がいた。
誰が見ても、混乱の最中であろうことが分かる。
俺はごくっと唾をのみ込み、咄嗟に裏口から外へ出ようとした。
荒い動きが不満だったのか、眠りに落ちていたアレクが目を覚まし、ふぎゃーっと大声で泣きだした。
俺は、静かにしててくれ~と宥めながら逃亡を試みるも、団長の動きは早かった。
無駄な動き一つもなく、俺の家に踏み込んできた。団長はさっと部屋に顔を巡らせ、俺と、俺がぎゅっと抱きしめているアレクに目を止めた。
「……俺……に似ている」
「いえっ!気のせいだと思います!」
呆然としたように呟かれた団長の言葉を、気のせいだと一蹴しアレクの顔を隠す。
団長はずかずかと近づき、アレクの顔を隠す布を捲ろうとした。俺はその手を払い落とし、見えぬように抱え込んだ。
団長は困ったように眉を落とし、言いづらそうに口を開いた。
「あの…夜、俺はお前に無体なことをしたのか?」
「いえ、なさっておりません!」
「お前はあの夜のことを覚えているのか?」
「さっぱり覚えておりません!いえっ、やっぱりさっぱり覚えております!何もありませんでした!」
「…………俺はあの夜のこと、その」
「ふんぎゃぎゃぁぁー」
アレクの泣き声がますます大きくなった。俺はその背を摩ってやりながら、近づいて来ようとする団長から距離を取った。
俺たちのやり取りを、副団長はため息を吐きつつ傍観していた。しかし埒が明かないと思ったのか、団長を諌めにかかってくれた。
「レイ・ロドリック」
「はい」
改めて名を呼ばれれば、染みついた癖でびっと背を伸ばしてしまう。
「お前はその子を団長の子ではないと言い張るんですね?」
「はい。違います」
「真偽はどうあれ、この者は団長が関わることを良しとしていない。団長もこの者の剣の志に目をかけていたものの、異性として見ていないのは言うまでもない。男だと思っていたのだから当然ですが。ならば団長、この者の望み通りにすることが一番良きことだと思います」
うんうんうん、と俺は高速で首を振った。
団長は暫く無言で、俺とアレクを見ていたが、やがて顔を上げ
「嫌だ」
ときっぱり言い切り、ぷいっとそっぽを向いた。
何でっ!と思わず突っ込んでしまったのは仕方がないことだ。
そればかりか団長は、たまりにたまった有給を取ってきたからしばしここに滞在すると勝手に決めてしまった。
それに異を唱えたのは副団長であったが、決めたことは頑として変えない団長の性質を知っていたのか、ともかく騎士団が混乱を迎える前にと城へ戻って行った。
残されたのは俺とアレクと、団長。
思わぬ展開に冷や汗を流しながら突っ立っていれば、団長が荷物を運びこんでいた。
普段身軽な団長とは思えぬほどの荷物からは、赤ちゃんの服や玩具が転がり出てきた。
俺は転がり落ちて来た積み木を目で追いながら、団長に再度帰還を頼み込んだ。
お願いですからお帰り下さい、帰らん、この子は団長とは関わりないのです、帰らん、騎士団が混乱してしまいます、帰らん、副団長も…、帰らん、…帰って下さい、帰らん、帰れ、帰らん。
最後の方は説得ではなく、帰れ、帰らんと言う掛け合いになっていたと思う。
頑として意思を変えない団長を相手にするには、今の俺では気力が足りなかった。
今度は腹が減ったのかふにゃふにゃ力なく泣き出したアレクに乳をやっている間に、団長はすっかりと荷解きを終えていた。
団長は自分に瓜二つのアレクに興味津々で、隙あらば近づこうとしていた。
それに対抗するには、夜中に数度起きて乳をあげている俺の体力は足りな過ぎた。
幾夜か迎えるうちには、夜中泣き出したアレクに反応し、団長がいそいそと駆け寄るのを、寝ぼけ眼で見送るようになっていた。
生活がガラッと変わった。
アレクの父はこの国の騎士団長ではないのか?
小さな町にそんな噂が広がった。俺は事の真偽を聞かれるたび、違いますっ!と強固に否定していたが、町の人たちはそうなのかい…?と疑ってかかっている。
その証拠に。
渋られていた給金もまとめて払われた。
店に行けば、一番鮮度が良く、形が良いものを渡された。
町を歩けば、嘘くさい満面の笑みを向けられた。
これはこれで居心地が悪いし、噂が町を出て広がるのも不味い。
さてどうすべきかと悩む俺の隣で、団長は呑気にアレクと遊んでいる。
「高い、高い」
「きゃっきゃ」
「高すぎです」
騎士としての団長は、俺にとって憧れの存在で、その存在は遠くにあった。
しかし今や、団長の存在をあの時のように崇めることは出来なくなった。
なり立て父としての団長は、あまりにも問題が多かった。今だとて、高い高いとアレクを上に放り投げてあやしているが、尋常ではない高さにまですっ飛んでいる。
団長がアレクを取り落すとは思わないし、アレクはアレクできゃっきゃと笑っているが、しかし色んな意味でアウトだ。
滞空時間が長すぎる。
「アレクは俺が見ているからお前は休んでいろ」
「大丈夫です。夜中起きる生活にも慣れましたし」
「しかし、産後の体力が戻るまで数か月以上はかかると本で読んだ」
「もう既に数か月以上経過しています。むやみやたら、本の知識を鵜呑みにするのやめませんか?」
団長はアレクを抱く手とは逆の手で、俺を部屋に連れ戻した。団長が来て以来、俺は働きに出ていない。
中途半端な知識を鵜呑みにした団長が、やたらと心配するせいだ。
ちょっとでも欠伸をすれば、寝ていて良いとベッドに入れられ、栄養のあるご飯を与えられ、軽い気持ちで何かが欲しい、食べたいなどと口にすれば、団長はすぐに買ってきた。
疲れたなどと零せば、ベッドまで強制連行の上、布団をかけられる。
産後のストレスは良くないから、と言う理由らしいが、いやいやと突っ込みを入れたくなる。
この状況は非常に困る。
俺は幼い頃から誰にも頼らず生きてきたし、これからもそのつもりだ。
色んな失敗を仕出かす団長だが、日々着実に赤子の取り扱いについて学びつつあり、俺の苦労は劇的に減っている。
これはまずい。この状態に慣れてしまうと後が辛い。
この生活の終わりは見えている。
騎士団からは途切れずに訴状が届いている。
いつまでも団長が城を離れているわけには行かない。
1か月が過ぎた頃、痺れを切らした副団長が直々にここまで出向いてきた。団長はそれでも渋った。
退団するとまで言いだして、バカですか、あなたは!と副団長に一蹴されていた。
必要な物だけすぐにまとめて下さい、と言う副団長の言葉に、団長は分かったと頷いて俺とアレクを抱えた。
「困りますよっ!」
俺が苦情を言えば、そうだなと団長は頷いて、アレクのおしめやら玩具を持ってきた。
違う、違う、そうじゃない。
副団長も盛大にため息を吐いて、頭を抱えていた。
結局、頑として他の意見を受け付けない団長に根負けして、俺とアレクも王都に戻ることになった。
もちろん、団長にそっくりのアレクを表沙汰にすることは出来ない。俺とアレクは団長が所有する別邸にひっそりと移り住むことになった。
外に出れないのは俺にとってかなりのストレスになるだろうと思っていたが、そうはならなかった。
むしろ、アレクがハイハイをし出して、あちこちに動き回るものだから別邸が物凄く広く感じた。
そんなわけで、俺とアレクは何の問題もなく過ごしていた。
先のことを考えなくては、と思う気持ちはあったが、一日一日に追われてそれを後回しにしていた。
「良いですね、あなた方。アレクのことは外に漏れぬよう重々注意してください」
数週間に一度、別邸を訪れ副団長は毎度同じ注意を置いて行く。
考えがずれてる団長と、どこか考えが浅い俺を諌めるために来ているのだろうが、副団長が来ると、俺と団長は子守役が来たぞ、とばかりにアレクを押し付けて、普段やれない雑務を済ませる。
副団長はよだれ塗れになって、うんざりとした表情で去っていく。
そんな風に月日が流れて。
アレクは2歳の誕生日を迎えた。