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25.エリザベスと沼地

「助けてくれてありがとうございます、やっと出ることができましたわ」


 木から出てきた女性は樹液で汚れたエリザベスの手をためらいなく握り、感謝の気持ちを示した。おそらくこの女性もソフィアと同じように何かしでかしてこのゲーム盤に囚われていたのかもしれない。つい仏心を出してしまい寄り道してしまったエリザベスだが、自分が悠長なことを言っていられない身分であることを思い出して焦りだした。


「思ったより簡単に出すことができてよかったです……。あの、わたしそろそろ行かないと。あの山のてっぺんまで少しでも早くたどり着かないといけないので」

「まあ、あの山へ? そんな歩きづらそうなドレスで? 黒くてドロドロでねとねと纏わりついているではないですか!」

「ええ、その……、それでも行かないといけないんですの、それでは」


 あなたを助けるためにそうなったんだけど……という言葉を飲み込んでその場を立ち去ろうとするエリザベスを女性は引き留める。


「待って! せめてものお礼にお着換えを提供しますわ! 侍女たちの予備ですけれども!」

「え? まあ、あなたたち……」


 エリザベスが振り返るとさっきまで黒くしなびた小人たちがいたところに、同じ人数の少女たちが現われていた。少女たちは女性の侍女のようなのだが、メイド服ではなく鼓笛隊のような男装をきちんと着込んでいる。


「失礼いたします! お召替えをどうぞ!」

「あっ、きゃああ……」


 侍女たちはどこから取り出したのか大きな布をばっと広げて簡易的な目隠しを作り、その中にエリザベスを押し込んで寄ってたかって着替えさせてしまう。その手際の良さはそれこそ魔法のようで、もみくちゃにされて目を回しながら木に囚われていた女性はどこかの国の王女様なのかもしれないとエリザベスは思った。


「殿方のようなお召し物なんて初めて……、いただいてしまってよろしいのですか?」

「よくお似合いですわ、それなら山に登っても足を取られて落ちることはないでしょう。助けていただいたお礼です」


 侍女たちと同じ鼓笛隊の衣装を着せられ、エリザベスはくるりとその場で回る。スカートを摘ままなくても足を取られない男装は確かにこの先役立ちそうだった。

 

「この先を行くと沼地で、そこを抜けるのが山への一番の近道です。それでは頑張ってください。優しいあなたがこのゲームで勝利をつかめますよう……」


 そう言い残すと、女性と侍女たちは光り輝きながら空へと昇って行く。このゲームから抜け出す条件をクリアしたのだろう。エリザベスがそれを見上げると空から覗き込んでいるアルフォンスと目が合った。彼は心配そうにエリザベスを見下ろし、何か言っているようでぱくぱくと口を動かしていた。


(そうだ、急がなきゃ、わたしとアルフォンスの幸せのために……!!)


 エリザベスは走った。走って走って、息が切れて苦しくなってきたころに沼地にたどり着いた。


(沼地……蛙を捕まえにアルフォンスと何度か来たわ。沼地を歩くときのコツをアルフォンスに教えてもらった……)


 沼地を歩くときはとにかく、足が嵌らないように気を付けなくてはいけない。苔や草が生えて盛り上がっている所を選んで歩き、なるべく歩幅を小さく、足の裏全体で地面に触れる……。

 エリザベスは手に持っていた手斧を置いて行くことにした。代わりに長い棒を拾って、足元を確認しながら沼地を渡り始めた。ぐじょ、ぐじょ、とした気持ち悪い湿った歩き心地に耐えながら山を目指して歩いていると、背後から彼女を呼ぶ声がした。


「お姉さま!! どうしてわたくしより先に!?」

「ソフィア!!」


 森から出てきたばかりらしいソフィアの姿はそれは痛ましいものだった。寝間着はかぎ裂きまみれでボロボロ、髪は小枝が絡んでバサバサ、顔や腕にはいくつもひっかき傷ができている。エリザベスが通った時は左右に避けてくれたいばらの枝は、ソフィアの前では避けてくれなかったのだろう。


「ああああ! なによその恰好!! 一人だけそんな服に着替えて! どういうことなの!? ずるいずるい! わたくしは薄着でボロボロなのに!!」


 きい! と怒りをあらわにしたソフィアはエリザベスに追いつこうとして大股で沼地に足を踏み出す。


「いけないわソフィア! もっと気を付けないと足を取られて沈むわよ!!」

「そんな嘘には騙されないわよ! わたくしに追い抜かれると困るからそんなことを言うんでしょう! 大体お姉さまは昔からそうよ! お父様が愛してた母親に顔が似てるから可愛がられて! 顔がなくなってからも自分の方がものを知ってるからバカの虚勢なんか効かないとばかりにわたくしがどんなに煽ってもそしらぬ顔をして! そういうところが本当にムカつく!」

「嘘じゃないわ! 嘘じゃないしそんなこと思ったこともない! わたしはあなたと仲のいい姉妹になりたかった! あなたが初めてうちに来た時、小さな妹ができて本当に嬉しかったのよ!」

「ぎいいいいいい!!!! 嘘つきいいいいいい!!!!!」


 わめきながらもずんずん歩くのをやめないソフィアに、エリザベスはハラハラした。エリザベスが草の生えている場所を選んで歩いているのを見て、ソフィアも似たルートを歩いているためまだ沈まずにすんでいるが、いつ沼に足を取られるかと気が気ではなかった。

 ソフィアは頭に血が上っている状態にしては冷静に歩を進め、慎重に歩いているエリザベスにほどなく追いつきそうなところまでやってきた。このままでは本当に追い抜かれてしまうかも、とエリザベスが思った時、突然彼女たちの足元が盛り上がった!


「きゃああああ!! 何!?」

「何か……出たわ!!」


 エリザベスとソフィアの間の泥を突き上げて、巨大な何かが現われた。それは馬を二頭合わせたよりも大きくて、怯えてうずくまる姉妹たちを見下ろすと一声、げええぇぇぇこ、と鳴いた。


「何!? 何何何何!? お姉さま、これ何ィ!?」

「か、蛙よソフィア! 大きな蛙だわ!!」

「気持ち悪い!! 嫌イヤッ!!」


 エリザベスは大蛙を見上げ、じっとしていた。蛙はアルフォンスと共に何度も捕まえたことがある。手で持ち上げられるくらいの蛙は慣れてみれば可愛いものだった。しかし、一口で人間を飲み込んでしまえるほど大きいとなると可愛いなどとは到底思えない。ただただ恐ろしく、何を考えているかわからない横向きの瞳孔はおぞましさを感じさせた。


「た、食べるならお姉さまを食べて! わたくしはそんなのごめんだからッ!!」


 ソフィアはしばらくはエリザベスと同じように大蛙を見上げていたが、恐怖が頂点に達したのかばたばたと逃げようとした。それを見てエリザベスは蛙捕りの時にアルフォンスが言っていたことを思い出した。


(蛙は動いているものならなんだって食いつくからね)


 手足をばたつかせているソフィアの背中に向かって、今まで動かなかった大蛙がのそりと方向を変える。


「ソフィア! 駄目! 止まって!!」

「と、止まるわけないでしょ! わたくし、蛙に食べられるなんて嫌……いやっ、いやぁあああああ!!!!」


 エリザベスに背を向けた大蛙は太い後ろ足で沼の泥を蹴り、一足飛びにソフィアに飛びかかった。そして、恐怖に叫び声をあげるソフィアを頭から咥えこみ、ごくりと一口で呑み込んでしまったのだった。


「ソフィアあぁぁぁぁぁッ!!!!」


 エリザベスの声に、ソフィアはもう返事をしなかった。ソフィアを飲み込んで満足したらしい大蛙は、そのままずぶずぶと沼の泥の中に帰って行ってしまった。

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