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13.エリザベスとプロポーズ

 研究室でアルフォンスにキスされたエリザベスは心ここにあらずという様子で呆けていた。魔術材料や薬品の匂いが染みついているとマイカに指摘された時も生返事をしていたので、脱衣所でコルセットを外されるタイミングでようやく自分が風呂に入ろうとしていることに気が付いたほどだった。化粧を落としてもらったエリザベスはマイカに声をかける。


「マイカ、温まっている間ちょっと一人にしてくれる?」

「ええよろしいですとも。ちょっとオーブンの面倒を見てきますからね。戻ってきたらお(ぐし)を洗わせてくださいね」


 アルフォンスが作った魔導バスの湯はいつもちょうどいい湯加減で綺麗だ。エリザベスは両手でお湯をすくって、そのまま濡れた両手で顔を覆う。


「……ンうぅ~ッ……」


 マイカがいなくなって一人になったエリザベスは我慢していたうめき声をようやく上げることができた。


「アルフォンスに、キス……されちゃった……」


 実家の本棚にあった恋愛小説を読んだ時、誰にも顔が見えない自分はもう男性にキスなどされることはないのだろうと絶望した。しかしアルフォンスには彼女の顔は見えていて、そしてキスをしてくれた。まるで恋愛小説のようなキス。そしてエリザベスはそれを施してきた時のアルフォンスの顔を思い出していた。

 彼の表情は切ないような熱に浮かされたような、エリザベスが初めて見る表情をしていた。まだ顔をなくしていなかった子供のころでも、元の婚約者であるクラウスがそんな顔を見せたことはない。

 あれが恋をしている男の顔なのだ、とエリザベスは思った。アルフォンスは自分に恋をしている。恋をしているから思わずキスをしたのだ。


「アルフォンス、カッコよかった……。男の人にキスされるってあんなかんじなんだ……」

「あらあ、坊ちゃまったらキスなさったんですか? ちゃんとできるか心配だったけどやるときにはやってくれますわねぇ」

「きゃあああああ!!!!」


 いつの間にか戻ってきたマイカに独り言を聞かれ、エリザベスは素っ頓狂な悲鳴をあげた。


「もうしわけありませんでした、声をかけても返事なさらないから溺れてたらどうしようと思ってぇ」

「んん……、もう……マイカ、恥ずかしい……」


 全身をピンク色に染めたエリザベスにバスローブを着せ、マイカはエリザベスの髪を乾かす。エリザベスは落ち着かない心情をぽつりぽつりと話し始めた。


「アルフォンス、決意を聞いてほしいって言ってて……。今夜わたしの部屋に来るらしいの……。寝室に男の人が来るなんて初めて……、どうしたらいいかわからないわ……恋愛小説では男の人が部屋に来てキスされたらそのまま次の朝のシーンに飛んでて……」

「あらあ、あらあらあらあらぁ……。ローゼンハイム家の婚前のしきたりについてはエリザベス様はご存知ですか?」

「婚前のしきたり?」

「そうです。結婚の式が終わるまでは婚約者であってもキスまでしかしてはいけないというしきたりです。ローゼンハイム家の当主の中には我慢できずに式の日取りを大幅に早めた方もいらっしゃったとか、うふふふふ!」

「そうなの? あの……キスの後って具体的に何をするのでしょう。後学のために……」

「まあ! だめですわ~、それは坊ちゃまのメインディッシュですわ~、花嫁が恥をかかないようにメイドが教える家もあるそうですけど、マイカにはそんなことできませんわ~、石ですし!」

「メインディッシュ……?」


 マイカの言っていることはエリザベスにはよく理解できなかった。マイカはそんなエリザベスをいつもと違う上等な香油を使って手入れしてくれた。石の顔面に宝石が埋まっているだけなのに、心なしか嬉しそうだった。


「待たせたかな。お腹がすいたね。夕食にしよう」

「は……はい」

「坊ちゃまが湯あみしている間に一品よけいにこさえましたよ」

「へえ、それは楽しみだ。いただこうか、エリザベス」


 シリカには温風の機能がついてないのか、風呂上がりのアルフォンスはいつも濡れたままの髪を後ろに撫でつけている。まばゆい額を露わにしている時のアルフォンスは男っぷりが増しており、クラウスともいつもより似ている。基本的には母親似だが、額のあたりは父親似なのだろうとエリザベスは思っている。


「……」


 さっきエリザベスのファーストキスを奪ったアルフォンスの唇が開き、綺麗にそろった白い歯の間に平たいソーセージとチシャのサラダを運ぶ。貴族である以上当然のことだが、それ以上に扱いの難しい魔術材料を日常的に触っている彼の所作は丁寧で繊細だ。毎日見ている食事風景だが、今夜はそれが特別なものに見えてエリザベスは思わず赤面してしまった。


「どうしたの、エリザベス。何かついてる……?」

「いいえ、何も……マイカの料理はおいしいわね」

「そうだね。たくさん食べてね」


 ついアルフォンスの口元ばかり見てしまうエリザベスはそれに恥じ入りながら食事を終える。先に自分の寝室に行き、一人でネグリジェに着替えるとどきどきしながらアルフォンスを待った。ベッドやカーテンと同じ布を張った椅子に座っていると、やがてドアをノックする音が聞こえた。


「どうぞ、お入りになって」

「失礼するよ、エリザベス」


 ドアを開けたのはアルフォンス付きの執事であるシリカではなく、マイカのほうだった。アルフォンスが入ってくるのと同時にマイカが持ってきたハーブティの香りが寝室に満ちた。


「それではごゆっくり夜をお過ごしくださいませ」


 いつもゴーレムと思えないほどかしましいマイカだが、この時はとても貞淑だった。余計なことは言わずに廊下へ出て、軽くお辞儀をするとドアを閉めた。

 アルフォンスはマイカから受け取ったハーブティの乗った盆をテーブルに置き、エリザベスの向かいの椅子に腰かける。


「緊張している? エリザベス」

「はい……」

「そう、僕もとっても緊張している。ガチガチだ。お揃いだね」


 髪を撫でつけえんじ色のナイトガウンを着たアルフォンスはその美しい顔の作りも相まって完璧な紳士なのに、そう言ってへにゃっと笑った顔は年相応の若者らしさを備えていた。その笑顔を見てエリザベスはちょっとだけ肩の力を抜くことができた。


「君はどうかわからないけど……僕は昔から君のことが好きだった。君を兄の婚約者として紹介される前から君のことが好きだ」

「えっ……」

「やっぱり覚えていないか。些細な出会いだったからね。本を廊下にぶちまけていた僕を優しい君は手伝ってくれたんだよ。僕が君に恋したのはその時だ」

「……覚えていないわ。ごめんなさい」


 申し訳なさそうに言うエリザベスにアルフォンスは「いいんだ」と答えた。


「兄との婚約発表のあとずっと不幸に見舞われ続けていた君だ。覚えていなくたってしかたない。だけど、君は優しい。いつも僕の研究をかいがいしく手伝ってくれているよね。冷たい場所で辛い仕打ちを受けつづけても君はその優しさを失っていないんだ。その心は宝石のようだよ。君の目と同じ、世界一美しい宝石だ」

「アルフォンス……」

「僕の妻になってほしい。あの時から僕はずっと君を愛している」

「……」


 アルフォンスがまたあの切ないような必死な顔で自分を見つめている。エリザベスは彼の言葉に胸がいっぱいになってなかなか返事ができなかった。アルフォンスの顔が少しずつ焦燥を感じる表情に変わり始めたころ、彼女はようやく口を開いた。


「ええ、アルフォンス。わたしも。顔をなくしてから初めてわたしを大事にしてくれたあなたのことが……好き」

「そ、それじゃあ!!」


 がたんと音を立てて立ち上がるアルフォンスを見上げて、エリザベスは言葉を続けた。


「わたしをあなたの妻にしてください」

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