表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
心はB♭で響いている  作者: World of Tukimoto
響く音響編 —始動—

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

67/68

67話 音と、言葉

音は、そこにあるだけで意味を持つわけではない。誰かの想いが重なったとき、初めてそれは“音楽”になる。

けれど、その想いが途切れたとき——残るものは何なのか。

言葉は、音とは違う形で人に残る。時にそれは、音以上に深く刺さることがある。

「なんで俺を助けた?」


東堂(とうどう)の低い声が、病室の空気を押し潰すように響いた。


掴まれた前髪に、じわりと力が込められていく。


「お前が俺を助ける理由が、どこにあった?」


至近距離。逃げ場はない。

呼吸が浅くなる。肋骨が、きしむ。


「先輩を……」


かすれた声。

それだけで喉が焼けるように痛む。


東堂の目が、わずかに細くなる。


「……それで?」


低く、押し殺した声。


「それで、なんだ」


一瞬。

ほんの一瞬だけ——東堂の視線に、揺らぎが混じる。

理解できないものを見る目。


「助けたかった、のか?

それとも——」


言葉が、わずかに詰まる。


「……自分に酔っただけか?」


吐き捨てるように言い切る。


その瞬間——


「……分からない、です」


東堂の動きが、止まる。


(ひびき)は、視線を逸らさない。

息を整える余裕なんてない。それでも、言葉を絞り出す。


「理由なんて……分からないです」


一度、呼吸を挟む。


それだけで痛みが走る。

それでも——続ける。


「でも……助けないと、いけない気がしたんです」


静かな声だった。

言い訳でも、正当化でもない。


ただ、そこにあった“選択”だけを置くような声。


沈黙。


東堂の目に、一瞬だけ空白が生まれる。

——理解できないものを見る目。


次の瞬間、


「……ふざけるな」


声が、低く沈む。


「それで俺は壊れた」


一歩、踏み込む。


「お前も終わった」


さらに力がこもる。


「それで、“正しい”つもりか?」


響は、答えない。

答えられないのか。

それとも——答える気がないのか。


東堂の目が、苛立ちに歪む。


「……チッ」


舌打ち。

掴んでいた手を、乱暴に放す。


その勢いのまま、響の身体が後ろへ崩れる。


鈍い音。

遅れて、全身に痛みが走る。


「っ……!」


息が詰まる。

呼吸がうまくできない。


それでも——

東堂は、もう見ていなかった。


「ふざけるなよ」


背を向ける。


「お前に助けられるくらいなら——死んだ方がマシだ」


最後に、わずかに顔だけを傾ける。


「お前はどこまでいっても、目障りだ」


そのまま、歩き出す。


コツ、コツ、と松葉杖の音が響く。

離れていく。


行かせちゃいけない。

何かを——言わなければ。


「……待って、ください」


掠れた声。

小さすぎて、自分でも届いているか分からない。


東堂の足は、止まらない。


「待ってください、先輩ッ!」


無理やり、身体を起こす。


ゴンッ!!


鈍い衝撃と共に、視界が揺れる。

響は、ベッドから転げ落ちていた。


激痛。

呼吸が乱れる。


それでも——手を伸ばす。


「……っ、は……」


指先が震える。


届かない。

それでも——


「……先輩」


東堂の背中は、もう扉の前にあった。


——間に合わない。

その瞬間。


「……また逃げるんですか」


空気が、止まる。

東堂の足が、ほんのわずかに止まる。


振り向かない。

それでも——止まった。


響は、息を詰めながら続ける。


「ちゃんと、聞かないまま」


一歩も動けないまま。

それでも、言葉だけを前に出す。


「それで……本当にいいんですか」


沈黙。


ほんの一瞬の、張り詰めた静寂。

それでも——東堂は動き出す。


完全に、背を向けたまま。

行ってしまう。


その時——


「か、海斗(かいと)先輩のッ!!!」


東堂の動きが、止まる。

今度は、はっきりと。


ゆっくりと、振り向く。

その目は、さっきまでとは明らかに違っていた。


「……お前」


低い声。


「なんで、その名前を知ってる」


空気が、変わる。


さっきまでの怒りとは違う。

もっと深い、何か。


響は、震える手で床を掴む。


「……伝えなきゃ、いけないことが……」


言い切る前に——


「黙れッ!!」


衝撃。


視界がぶれる。

次の瞬間、身体が宙に浮いていた。


蹴られ、ベッドの方へ叩きつけられる。


激痛。

呼吸が、完全に乱れる。


それでも——東堂の声は止まらない。


「その名前を口にするな」


低く、押し殺した声。


「——あいつは、もういない」


一歩、近づく。


「俺の中に」


その言葉を、最後まで聞ききる前に——


視界が、暗くなっていく。

音が遠ざかる。

呼吸が、途切れる。


(……まだ、)


何かを言わなければ。


そう思った瞬間——

意識が、落ちた。





病室を出て、しばらく歩いた。コツ、コツ、と松葉杖の音だけが、やけに廊下に響く。


さっきまでの空気が、まだ身体に残っている。


振り払うように、視線を前へ向ける。

前方から、二人組が近づいてきた。男女。早足。どこか落ち着きのない足取り。


そのまま、すれ違う。


挨拶はない。

東堂を見る余裕すらないようだった。


「こんな日に渋滞するなんて」

「響は大丈夫か?」


すれ違いざま、そんな声が耳に残る。

焦りを隠しきれていない声だった。


……響の、親か。


足を止めることはなかった。

振り返ることもなく、そのまま、東堂の横を通り過ぎていった。


少し歩いて、また人影が見えた。

今度は、すぐに分かった。


瞬崎(しゅんざき)先生」


「すみません、響君の親御さんを迎えていて、戻るのが遅れてしまいました。響君は?」


東堂は、一瞬だけ視線を逸らす。


ほんのわずかな間。


それから、何事もなかったかのように口を開いた。


「……ぐっすり眠ってしまいました」


短い言葉。


「本人も疲れているみたいで。あまり話せませんでしたし」


事実だけを並べるような、淡々とした声。

嘘ではない。

ただ——それだけだった。


「そうですか……」


瞬崎は小さく頷き、そのまま病室の方へと向かう。

東堂は、呼び止めなかった。


振り返らず、その場に立ち尽くしていた。


しばらくして、瞬崎が足を止める。

振り返らずに、静かに言った。


「東堂君も、お大事にしてください。大会までになるべく治したいですね」


「……」


返事はなかった。


言葉は、耳には入っていたはずなのに——

……ほとんど、残らなかった。



放課後。


部活を終え、久瀬(くぜ)は片付けを済ませる。


場所は同じなのに——

何かが、決定的に足りない。


音楽室には、もう自分以外誰もいなかった。

窓の外には、夕暮れの空が広がっている。


最終下校の時間が迫っていた。


「窓は全部閉めたね。あとは、ロッカーか」


残りの荷物をしまおうとした、その時。


「あれ……」


机の上に、一冊のファイルが残っていた。


楽譜ノート。

誰かが、しまい忘れたのだろうか。


「全く……ちゃんと片付けないと」


手に取る。


「ていうか、誰のだろう」


名前の欄を見る。



一年三組 月本(つきもと)



「……響君」


その名前だけで、呼吸が一瞬止まりそうになる。


分かっている。

彼が、もう出られないことは。


気づけば、ファイルを開いていた。

中には、たくさんの楽譜が挟まっていた。


コンクール曲、演奏会の曲——

見慣れているはずなのに、そこにはもういなかったように見えた。


ふと、最初のページに何かが挟まっているのが目に入る。


取り出す。

小さな封筒だった。


「……これ、」


軽く振ると、中で何かが揺れる。

開ける。


中に入っていたのは——写真だった。

その一枚に、目が止まる。


「……私、だ」


そこには、友達と並んでピースをしている自分が写っていた。


写真の中の自分は——

今では考えられないほど、笑っていた。


「……これ、中学校の時の……」


思わず、指先に力が入る。


ふと、裏返す。

そこには、小さく、薄い文字でこう書かれていた。

 


音と言葉。

それは人に与える影響。

僕は音で、彼女は言葉。

想いの伝え方は、人それぞれだ。

 


久瀬は、しばらくそれを見つめていた。

瞬きも忘れたまま。


「……言葉」


小さく、零れる。


一度、深く息を吸う。


それから、丁寧に写真を封筒に戻し、ファイルを閉じる。


ロッカーを開け、静かにしまう。

パタン、と音が鳴る。


音楽室を出る。

廊下は、もうほとんど人の気配がなかった。


「言葉……人に与える影響……」


その言葉だけが、静かに残っていた。



数日後。


いつも通り、部活が始まる。

それだけのはずだった。


だが——それだけでは済まなかった。


他が、変わりすぎていた。


当然、あの二人はいない。


部室の空気は、いるだけで重く感じる。

息が詰まるような静けさだった。


「今日もかぁ」

「疲れた」

「なんも進んでる気しない」

「東海大会もうすぐなのに」


そんな声が、ぽつぽつと漏れる。

誰も止めない。止められない。


もうすぐ瞬崎先生も来る。指導が始まろうとした、その時だった。


久瀬が、突然立ち上がる。


「久瀬?」


狩川(きりかわ)が思わず声を漏らす。


部長が何も言わずに立ち上がる。

その異様さに、空気がわずかに揺れた。


久瀬は、そのまま前へ出る。

指揮台の前で、足を止めた。


何をするのか分からない。

誰もがそう思っていた。


「皆んな……」


声が、少しだけ震える。

喉の奥で、一度言葉が引っかかる。


それでも——久瀬は息を吸った。


「皆んなに、話しておきたいことがあります!」


部員全員を見渡し、はっきりと言った。

誰かがいないだけで、世界は簡単に変わってしまう。それは大きな出来事ではなく、ほんの小さな違和感から始まる。

けれど、その違和感に気づいたときには、もう元には戻れないこともある。

残されたものが何を選ぶのか。

その選択は、まだ誰にも分からない。

ただ一つ言えるのは——

音は、止まっていないということだけだ。

感想、評価、ブクマ是非お願いします。

次回もお楽しみに!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ