45話 出会い
新しい学校、新しい出会い。だけど、静かな日常の中に、少しずつ音楽の風が吹き込む。
今日は、二人が初めて心を重ね、特別な約束を交わす日――。
長野市立寵栄中学校は、長野市の外れにある、ごく普通の公立中学校だった。
校舎は三階建てで、築年数はそれなりに古い。白かったはずの外壁はところどころ色が褪せ、廊下の床には、長い年月で削れた跡が残っている。
派手さはないが、静かで落ち着いた空気の学校だった。
吹奏楽部も、特別に強豪というわけではない。全国大会を目指すような学校ではなく、県大会に進めれば上出来。
音楽室にはいつも、どこか素朴で、少し不揃いな音が
流れている。
そして――
もう一つ、誰も大きな声では語らない過去があった。
数年前、この学校では、いじめが大きな問題になったことがある。
表には出にくく、気づかれにくい形で進行し、取り返しのつかないところまで行ってしまった事例もあった。
それ以降、学校は「問題を起こさないこと」に、異様なほど神経質になった。
表面上は穏やかで、落ち着いた学校。だがその内側では、誰もが踏み込みすぎないよう、互いに距離を保つことを選んでいた。
深く関わらない。
波風を立てない。
見ないふりをする。
それが、この学校で身についた暗黙のルールだった。
寵栄中学校は、静かな学校だった。
だがそれは、安心できる静けさではない。声を上げる前に、飲み込むことを覚えてしまった場所だった――
入学式、天奏は一人で座っていた。中学に上がっても、特別やりたいことがあったわけでもない。
このまま普通に勉強して、それなりの進路を目指す。
そう思っていた。
「ねぇ、君なんて名前?」
「え?」
目の前には一人の少女が立っていた。ショートヘアで、髪先にかけて黒から薄紫のグラデーション。真っ赤な瞳。
「え、えっと……」
(近い……)
「ん、名前なんて言うの?もしかして、言いたくない感じ?」
「あ、いや、えっと……」
「あ、無理に言わなくていいよ」
「て、天奏」
「ん?」
「天奏若葉」
「おぉ、天奏、珍しい名前だね」
「そ、そうかな」
「オッドアイってだけで気になってたけど、名前も珍しかったとは」
「そ、そうなんだ」
「あ、私は冴山比奈。比奈ってテキトーに呼んでもらって構わないよ」
「よ、よろしく」
「そんな緊張しなくてもいいよ。あ、そういえばさ」
「何?」
「吹部興味ない?」
「え?」
天奏と比奈の物語は、ここからゆっくり動き出すのだった。
それから2人は、席が隣同士になり、自然とよく話すようになった。
「ねぇ、天奏って普段、何してるの?」
「え、別に……普通に勉強とか……かな」
「ふーん、意外と地味なんだね。でもそういうの、落ち着いてていいかも」
「そ、そうかな……?」
比奈はふと笑って、机の上に置いてあったシャーペンをくるくる回した。
「そういえばさ、この前の授業、めっちゃ眠くなかった?」
「え、あ……うん、ちょっと」
「でしょー!私、ずっと耐えてたんだけど、さすがに無理で机に突っ伏しちゃった」
「……ふふっ、想像できる」
天奏は思わず笑ってしまった。比奈と話していると、なんだか時間の感覚が薄れてしまう。
気づけば休み時間も、放課後も、二人で笑いながら過ごしていた。
それから、部活発足式を経て、2人は吹奏楽部に入部した。
「私はフルートかな。ずっとやってるし」
「比奈、フルートやってたんだ」
「そ、結構自信あってね」
「私は特にやりたい楽器はないな」
部長らしき人が周りを見渡す。
「あれ、もうみんな決まっちゃった?うーん、どうしよう。まだ一年入ってない楽器もあるんだけど」
それを聞いた比奈が天奏に小さく呟く。
「特にやりたいのなかったら、あ、あれとかいいんじゃない?」
「え、あれって?」
天奏が視線を向けた先には、見知らぬ楽器が置いてあった。おそらく木管楽器。でもクラリネットではない。
「あ、あの……」
「お!もしかして、これやってくれる?」
「なんて言うんですか?」
「あーこれね。イングリッシュホルンっていうの。オーボエは知ってる?」
「はい、ちょっとは」
「それの大きいやつだと思ってもらえばいいかな」
生でこんな楽器を見るのは初めてだった。木目の光沢、形、音色の想像……どれもが不思議で、思わず胸が高鳴った。
「これにします」
「本当?!助かるわ、ありがとう!」
天奏は比奈の方へ振り返る。比奈はウインクし、軽く手を振って「やってみて」と合図を送った。
天奏は思わず微笑んだ。これから、比奈と一緒に音を重ねていく日々が始まる――。
2人は部活の中でさらに仲を深めていった。
比奈は小学校1年生からフルートを習っており、その技術は非常に高かった。
人付き合いも上手で、吹奏楽部の中では自然とお手本のような存在となっていた。
天奏は、比奈と一緒に演奏するたびに、自分も上手くなった気がし、話しているだけでも心が弾むのを感じた。
比奈の明るさと確かな技術は、周りの部員たちにも刺激を与えていた。
「冴山さん、今日も上手いですね!」
「ありがとう、でもまだまだよ。天奏も頑張ってるじゃない」
部員たちの間では、2人の息の合った演奏が少しずつ話題になっていた。
「天奏さん、フルートと一緒にやると音が映えるね」
「うん、比奈と合わせると、なんか自然に音が重なる気がします」
演奏だけでなく、普段の部活でも比奈は天奏を気にかけ、笑顔で声をかけていた。
「天奏、ちょっとこのフレーズもう一回やってみようか」
「うん」
天奏はその度に集中力を高め、少しずつ自分の音を部に馴染ませていった。
周囲の部員も、それを見て励まされるように、自分のパートに熱心に取り組む。
「天奏、音が綺麗になってきたじゃん」
「ありがとう」
休憩時間には、冴山と話すだけで自然に笑いがこぼれた。
「天奏って、いつも真面目そうに見えるけど、結構笑うんだね」
「そ、そうかな……?」
「うん、なんか見てるとこっちも楽しくなる」
こうして天奏と比奈は、お互いに影響を与え合いながら、部活の中でも存在感を増していった。
みんなから期待の新星として注目される比奈の背中を見て、天奏も自然と自分を成長させていくことを感じていた。
「天奏、練習しよ!」
「うん、今行く!」
部員たちも笑顔で見送りながら、それぞれのパートに戻って練習を再開した。
「私たちも負けずに頑張らなきゃね!」
「うん!」
そうして、部活の中での時間は、少しずつ二人だけの特別な空間になっていった。
次第にコンクールの時期が近づくにつれ、部活での練習はさらにハードになっていった。
「オーディション、絶対受かって一緒に吹こうね」
「うん、頑張ろ!」
天奏と比奈は互いに声を掛け合いながら、オーディションに向けて演奏の精度を少しずつ高めていった。
ある日の練習後、顧問に呼び出される。
「天奏さん。今回の大会、オーボエも一緒に吹いてほしいんだ」
「オーボエ、ですか?」
「そう、自由曲のフルートとのソリの部分さ」
「いいんですか?私で」
「はいはい、天奏がやりまーす!!」
比奈が無理矢理天奏の手を上げる。
「ちょ、比奈、やめてって」
「いいじゃん。ソリだよ?この上ないチャンスじゃん」
「冴山さん、お静かに。職員室ですよ。そもそもなんでついてきたんですか?」
「ハイスミマセン」
「あぁ、それから天奏さん。ソリの事だけど、もちろんオーディションを通過した場合だかね。それは分かってくれるかな?」
「は、はい、頑張ります!」
突然のお願いに、天奏は一瞬驚いたが、比奈の期待の視線を思い出して頷いた。
「うん、期待してるよ」
屋上の風が二人の髪を揺らす。空は夕暮れで、音楽室の中とは違う、開放感と少しの不安が混ざった空気が漂っていた。
「オーディション、大丈夫そう?」
比奈の声に、天奏は下を向く。
「うん、大丈夫……」
でも瞳は不安で揺れていた。
「天奏、どうしたの?」
「いや……このままオーディションに受かっても、もしコンクールでダメだったら、全部無駄になるんじゃないかって」
「それが怖いの?」
「うん……ずっと、吹いてたい。比奈と、二人で」
比奈は少し間を置いて、真剣な眼差しで天奏を見る。
「それならさ……勝ち続ければいいんだよ。オーディションも、コンクールも、全部」
「勝ち続ける……」
「うん。この世界は、勝者が全てだからさ」
「勝者……」
天奏はその言葉の重みをかみしめる。
「ねぇ、天奏」
「何?」
「今度さ、一緒に作ろうよ」
「作るって?」
「曲だよ。フルートとオーボエの二重奏みたいな」
比奈は視線を少し上げ、遠くの空を見つめる。
「いつか、その曲を、二人で世界に響かせたいんだ」
「二人で、世界に……」
「約束ね!」
比奈は小指を差し出す。天奏もゆっくりと小指を絡ませ、軽く笑みを返す。
「うん、約束」
風が二人の間を通り抜け、屋上に静かな決意の音が残った。
「あいつ……おかしくないか?」
「……あいつって?」
「天奏だよ。イングリとオーボエ、あの二刀流の……」
「あー、彼女ね。それがどうかしたの?」
「……お前、分かんないのか」
「どういうこと?」
「……成長速度だ。異常すぎる」
「は?成長速度?」
「そうだ……やつ、短期間で別人みたいに上手くなってる。もう、普通の範疇を超えてる」
「まさか……才能ってレベルじゃないのか?」
「才能……いや、もう才能ですら片付けられない。俺、少し怖くなってきた」
「怖いって……どういう意味だ?」
「わからない。でも……このままじゃ、何かが弾けそうな気がする」
「……なんで、あんなに……あいつだけ」
「……ずるいよな……全部、うまくいきすぎてる」
天奏と比奈の小さな約束が、未来の大きな旋律の第一歩になる。
でも、誰かの視線はすでに、二人の影を追い始めていた――。
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次回もお楽しみに!!




