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9 見た目詐欺没落令息は、走ります。

読みたいと言ってくださった方、ありがとうございます!

ゆっくりですが書き進めてまいります。


 その知らせは、突然届いた。

 朝、ノックの音が聞こえてにブライアンが扉を開けたら、そこにはマダムの息子のジョナスが立っていて、とめどなく涙を流しながらマダムの死を知らせたのだ。

 朝食中だった母は、持っていたカップを落として大きな音を立てた。中身が飛び散り、母のお気に入りだった青い薔薇の花が描かれたカップが砕けて散る。


「そんな、嘘……嘘よね、ジョナス」


 母の(こいねが)うような問いかけにジョナスの返事はなく、ただ鼻をすする音だけが響いた。


「そんな……」


 奥の部屋にいた父が様子を見に出て来た時、母の体がふらりと傾いだ。ブライアンが咄嗟に抱きとめるとすぐに目を開いたけれど、その青い瞳にはみるみるうちに涙が盛り上がって来た。


「嘘よ、エレンっ!」


 母のこんな悲痛な声をブライアンは、初めて聞いた。どんな貧乏暮らしをしていても、いつも朗らかに笑っていた母なのだ。


「エレン、どうして……エレン……」


 友の名を繰り返し呼び、涙を流す母をブライアンは抱きしめた。抱きしめることしかできなかった、何と声をかければいいのかわからなくて。

 三日前から、母の仕事は休みになっていた。クライネフ風邪の流行がいよいよ激しくなっていて、とても店を開けていられる状況ではなくなっていたのだ。

 針子の中でも熱を出して休んでいる者がいて、マダムも少し具合が悪そうだったと、母は心配していた。

 そして今朝になって、最悪の知らせが届いたのだ。


「ジョナス、エレンは薬を飲まなかったの?もう一本、残っていたのよね」

「飲んだんだ、熱が出始めてすぐに飲んだ。でも、駄目だった」

「そんな」


 クライネフ薬は、熱が出てもすぐに飲めばよく効く筈だった。もう一本買って来てくれとジョナスに頼まれなかったということは、そんな暇もないほど急速に悪化してマダムは、その命を落としたのだろう。

 年齢とか、体力とか、そういうのも関係したのかもしれない。若いジョナスやカーラ、それに子供たちは確かにあの特効薬で助かったのだから。


「エレンに会いに行ってもいい?」

「ごめん、ミレーヌおばさん。それが駄目なんだ、この風邪は死体からでもうつるんだって」


 小さく震える母の体を支えながらブライアンは、トム爺が言っていたことを思い出した。クライネフ風邪で亡くなると、悼みの祈りさえ捧げてもらえず、夜に運びだされて郊外に掘られた穴の中で火葬にされると。

 では、ブライアンの一家に優しくしてくれたマダムは今夜のうちに運び出されて、墓地で眠ることも許されないのか。

 あまりに惨くて、母を支えるブライアンの手も震えた。


「俺、戻るな。カーラも子供らも泣いて泣いて、うちは今ちょっと大変なんだ」

「知らせてくれてありがとう、ジョナス」


 ジョナスに礼を言って、見送ったのは父だった。母はブライアンの手を借りて、崩れるように椅子に座ったあとはもう、顔を上げることもできないようだ。


「お茶、熱いのを淹れるね。父上も飲むでしょう?」

「ああ、いただこうか」


 割れたカップを片付けて、お湯を沸かして紅茶を淹れた。店で一番安い茶葉だけど、丁寧に淹れればそれなりに美味しくなる。


「ミレーヌ、ほらブライアンがお茶を淹れてくれたよ」


 父が声をかけても母は顔をあげなかった。ただ、その細い肩がずっと震えていた。











 母が友人を失ったその日は、家の中の空気が質量を持ってブライアンを押しつぶそうとしているようだった。昼食も夕食も、ほんの少し口に入れただけでフォークを置いてしまう母を案じてブライアンは、トム爺がいつも作ってくれるように、温めたミルクにはちみつを入れて甘くした。

 お願いだから飲んでと言って渡せば母は、泣きはらした顔でありがとうと少しだけ笑ってくれた。


 そうしてゆっくりとミルクを飲んだあと、ブライアンに勧められるままにその日は早くに床についた母だったけれど、翌朝になっても起きて来ることがなかったのだった。











 朝、ブライアンが気づいた時にはすでに母の熱はかなり高かった。マダムが亡くなる三日前まで母は一緒に仕事をしていたのだ、うつっている可能性にどうして思い至れなかったのか。

 母は、マダムより十歳以上若い。だけど、ジョナスやカーラよりはずっと年上だ。マダムは、薬を飲んでも駄目だった。そして、この家にはその薬がない。

 ブライアンは、母の宝石の入っていない宝石箱から金貨をあるだけ全部出した。数えると、金貨は十三枚あった。これがファラー家に残された最後の財産かと思うと、あまりの少なさに目の前が暗くなる。

 薬は、一本では効かないかもしれない。買えるだけ買うつもりだった。前に買いに行った時には、一本で金貨五枚だったから、いくら値上がりしていてもこれだけあれば少なくとも一本は買える筈だ。

 手早く制服に着替え、母を父に任せて、ファラー家の全財産を握りしめて家を出る。裏木戸の前で今日も門番よろしく寝そべっている犬のラディに挨拶をする間も惜しんでブライアンは、そのまま外に飛び出した。

 フランク通りのガードナー商会まで、ほとんど止まることなく走りに走った。さすがに着いた時には息が絶え絶えだったけれど、かまわずドアノッカーを鳴らした。

 だけど、いくら鳴らしても誰も出て来ない。無作法な程にガンガンと鳴らしたが、応える声は聞こえない。ここには何度も来たが、いつだってすぐに対応してくれたのに。


「……休み?どうして、こんな時に限って」


 冷たい汗がブライアンの背中を滑り落ちる。ブライアンがこうしている間にも、母の病状は悪化しているかもしれないのに。

 走り過ぎて、頭がクラクラした。昨夜、色々なことが頭の中で渦巻いてなかなか眠れなかったのも響いているかもしれない。

 だけど、商会が休みだからと諦めるわけにはいかない。

 マダムは、薬を飲んでも逝ってしまった。母には、その薬さえないのだ。

 考えたくないけれど、もしかしたら母が明日を迎えることができない可能性さえある。薬がいる、ここで何度も買ったあの薬が。

 どうして誰も出て来てくれないのか。いつもすぐに出て来てくれたのに、どうして今日に限って。


「ガードナー商会……セザール・ガードナー」


 ガードナー商会を経営しているガードナー子爵家の嫡男であるセザールは、ブライアンと同じクラスだ。友達と呼ぶには程遠い険悪な仲ではあるけれど、とりあえず顔見知りではある。

 セザールに直接頼めば、商会が休みでも薬の一本くらいは融通してもらえるかもしれない。ブライアンを嫌っているセザールのことだからすんなりとはいかないだろうが、そこは必死に頼むしかない。母のためならどんな要求だってのむ。土下座して頼めと言われればそうするし、下僕になれと言われても従う。

 だけどブライアンは、ガードナー子爵邸の場所を知らなかった。貴族名鑑があれば調べられるが、あんな高い本をファラー家が購入しているわけもなく、頼りの図書館は休館中だ。


「どうしよう」


 貴族の屋敷は貴族街に固まっているとはいえ、闇雲に探し回れば時間を食ってしまう。それに、貴族街の外に屋敷を構えている貴族だっていくらでもいるのだ。


「どこかで貴族名鑑を見せてもらえたら……」


 思い浮かぶのは、親友の顔しかなかった。ロンの屋敷なら行ったことがあるから知っているし、リード伯爵家なら確実に貴族名鑑を置いてあるだろう。

 ここからだとかなりの距離があるが、行くしかない。辻馬車を使えたらよかったのだが、これもまたクライネフ風邪の流行のために運休しているのだった。

 ブライアンは、走った。走って走って走って、息があがあって倒れそうになってしかたなく少し休憩して、また走った。

 家を出た時には、東の空の低い位置にあった太陽がかなり高い位置になってから、ようやくふらふらになったブライアンは見覚えのある屋敷の前に辿り着いた。

 嫡出子ではないロンはこの家であまりいい扱いは受けてないようだけれども、それでも毎日、伯爵家の馬車で学園に通っているし、昼食代に困らない程度の小遣いももらっている。以前にブライアンがロンの友人として招かれた時にも、ロン以外の家族は顔も見せなかったけれど、それでも使用人たちにきちんとしたもてなしをしてもらえた。

 そして今回も、王立学園の制服を着ていたブライアンは、ロナルド君の友人ですと名乗ればすぐに応接室に通してもらえた。対応に出て来た執事が、以前にも訪れたことがあるブライアンをきちんと覚えてくれていたらしい。


「ブライアン、訪ねて来るなんて珍しいな」


 通された応接室でさほど待つこともなく、ロンが来てくれた。思いがけず親友が会いに来てくれて喜びが滲んでいた顔が、走り過ぎて疲れ切っているブライアンを見た途端に曇る。


「遊びに来てくれた、わけじゃなさそうだな」

「悪い、ロン。貴族名鑑を見せて欲しい」

「貴族名鑑って、何を調べたいんだ?」

「ガードナー子爵家の住所」

「セザール・ガードナーか?ブライアンは、あいつとは仲悪かったと思ってたけど」

「悪いよ、でも背に腹は代えられないってね」


 ブライアンは、簡潔に事情を説明した。母が熱を出していること、多分クライネフ風邪だろうこと。ガードナー商会に薬を買いに行ったけれど、休みだったこと。そして、セザール・ガートナーに会って、薬を融通してくれるように頼むつもりであること。


「ブライアン……」


 ブライアンの説明を聞き終わったロンは、しばし考え込むように黙っていた。そして次に顔を上げた時には、いつも明るく輝いている瞳が暗くなっていた。


「ブライアン、いい知らせと悪い知らせがある。どちらから聞くかと問いたいところだが、独断で悪い方からいくぞ」

「なに?」

「ガードナー商会は、休みじゃない。摘発されたんだ」

「摘発って……」

「クライネフ風邪の特効薬を独占して、異常な高値で売りさばいていた。国に奉仕すべき貴族が経営する商会でそんなことをすれば、どうなるかは想像つくよな?」

「……どなたか、高貴な方の怒りを買った?」

「まあ、そういうことだろうな」


 どういう経緯でかはわからないが、ガードナー商会がクライネフ薬を高値で売っていることが誰か高位貴族の耳に入ったのだろう。


 ノブレスオブリージュ。

 元々は他国の考え方らしいが、高い地位には義務が伴うという意味の言葉だ。


 いつもは贅沢な暮らしをしている貴族たちは、有事の際にはその力を民のために尽くさなければならない。その考えでいくと子爵家が経営しているガードナー商会は、クライネフ風邪で苦しんでいる民のために薬を無償で放出するくらいのことをしなければならなかったのだ。


「摘発……それで、商会に誰もいなかったのか」

「ガードナー子爵は、従業員が勝手にやったことだと言って捕縛を免れたらしい。商会で働いていた奴らを差し出して、あとは知らん顔だ」


 本来なら、商人が仕入れた商品にいくらの値をつけようが罰せられるようなことではない。だけどこの場合は、貴族が経営する商会であったことがあだになった。従業員たちは、本当なら捕まる筈がなかったのだ。まさに、ガードナー子爵家のとばっちりを受けた形だ。


「ひどいな」

「でも、よくあることだ」

「確かに」


 確かによくあることではある。だけど、薬を買いに行くたびにブライアンを馬鹿にしてあざ笑っていたあの男も今頃は牢の中かと思うと、少し気の毒な気がする。まあ、ほんの少しだけだけど。


「だから、今から薬を手に入れるのは厳しいかもしれない」

「確かに、悪い知らせだな」


 重い溜息をついてブライアンは、ソファーの背もたれに体を預けた。貴族としては無作法な行いだが、目の前の親友なら気にもしないだろう。


「で、いい知らせの方は?」

「ガードナー子爵家のタウンハウスなら、近所だ。連れてってやるよ」

「それは、朗報だ」

「だろ?」


 ロンが口の端をあげて笑う、まかせておけと言わんばかりの顔だ。

 多分、ブライアンが訪ねてもセザールは応じてくれないだろうけれど、ロンなら顔ぐらいは出してくれるかもしれない。セザールが目の敵にしているのはブライアンだけであって、ロンとは親しいとは言えないまでもたまに喋っていたりするのだから。

 頼りになる親友に感謝して、ブライアンは立ち上がった。走り過ぎた膝がまだガクガクしているけれど、少しでも座れたおかげで何とか行けそうだ。


「もう少し休んだ方がいいんじゃないか?なんなら、昼食の用意をさせるぞ」

「それはありがたいけど、気がせいているんだ」

「まあ、それはそうだよな。母上が心配だもんな」

「頼むよ、ロン」

「ああ、行こうか」


 ロンが先に立って部屋を出たところで、お茶を持って来た執事と鉢合わせた。紅茶のいい香りに喉がカラカラに乾いていたブライアンは惹かれたが、今はそれどころではない。

 少し待っていてと言い置いてロンは、一旦自分の部屋に戻って上着を取って来た。執事に馬車をご用意いたしましょうかと聞かれて、近いから歩いて行くと答えている。


「そんなに近いのか?」

「近いよ、三軒先だ」

「は?」


 三軒先とは言っても、貴族の屋敷は一軒、一軒が広大な敷地を持つからそれなりの距離があった。しかし、馬車を用意してもらう時間で到着してしまったのは確かだ。

 ロンが「ロナルド・リードです」と名乗れば、それだけで応接室に通された。王立学園の制服を着ているブライアンもセザールの友人だと思われたのだろう、難なく入れてもらえた。


「なんだよ、なんでコイツがいるんだよ!」


 予想はしていたが、ブライアンの顔を見た途端にセザールは声を荒げた。すぐさま踵を返そうとしたセザールの肘をつかんで、ロンが引き留める。


「相変わらず短気だな、お前は。話を聞くくらいしてもいいだろう」


 これだけ屋敷が近いということは、この二人はブライアンが思っていたよりもずっと近しい間柄なのかもしれない。ロンにいつもより低い声で座れよと言われてセザールは、憎々し気にブライアンを睨みながらもソファーに腰を下ろした。


「要件は?」

「クライネフ薬が欲しいんだ、譲ってくれないか」

「ま、そんなところだろうな」


 クライネフ薬を求めて訪れる客は、ブライアンだけではないのだろう。セザールはブライアンを小馬鹿にしたように口の端を上げた。


「今のうちの状況を知ってて言ってるのか?薬なら王家が持って行った、お前の分はない」


 薬がないと言われて、ブライアンはぐっと奥歯を噛み締めた。ブライアンの代わりに口を開いたのは、ロンだった。


「嘘をつけ、隠しているだろう」

「ないね」

「セザール……ネリー嬢がブライアンのファンなのは、ブライアンのせいじゃないだろう」

「ロナルド・リード、今すぐその口を閉じろ!」


 セザールが拳でガンっとテーブルを叩いた。振動で床までも震える。だけど、ロンは少しも動じずに言葉を続けた。


「お前がブライアンを小突く程度なら見逃す、ブライアンも相手にしていないしな。だけど、今回は命がかかっている。俺からも頼む、薬をわけてくれ」

「ロナルド」

「セザール、お前が本当はいい奴だってことを俺は知っている」

「見え透いたおべっかは効かないぞ」

「頼む」


 ロンが頭をさげた横で、ブライアンも頭をさげた。床に這いつくばってでも懇願したいところだが、ここはロンに任せるべきなのだろう。ブライアンが口を開けば、セザールは頑なに心を閉ざしてしまうかもしれない。


「……タダというわけには、いかない」

「ああ、わかっている」

「金貨二十枚だ」


 セザールが提示した金額にブライアンは、ぐっと奥歯を噛み締めた。ブライアンが持っているのは、金貨十三枚だ。七枚も足りない。


「それは、いくら何でもぼったくりだろう」

「金貨百枚積んででも欲しいという客がいくらでもいるんでね」

「まけてくれ」

「命がかかっているのに値切るのか?」

「金があるなら言い値で払うさ、でもないものは払えない。わかっているだろう?」

「いくらなら払えるんだ」


 ロンが顔を向けたのでブライアンは、金貨を出して手のひらに並べた。十三枚、ファラー家の全財産だ。


「金貨十五枚だ、これ以上はまけられない」


 わざと足りない額を要求するセザールにブライアンの手が震えた。何をどう頼んでもセザールは、ブライアンに薬を譲る気がないのだ。


「じゃあ、これで十五枚だな。早く薬を持って来い」


 ロンが震えるブライアンの手のひらに金貨を二枚置いた。確かにこれで十五枚だ……ブライアンが今にも泣きそうな顔でロンを見つめると、ロンはいつもの笑顔を見せた。


「……ロナルド」

「なんだい、セザール」

「覚えてろよ」

「いや、忘れるね」


 いくら睨まれても涼しい顔のロンに舌打ちをしてからセザールは、金貨十五枚と引き換えにクライネフ薬を一本だけ譲ってくれた。絶対に割らないようにその小瓶を大切に持ってブライアンは、ロンと共にガードナー邸をあとにした。


「ロン、何とお礼を言ったらいいのかわからない」

「わからないんだったら、言わなくていいんだよ」

「金は、必ず返すから。時間がかかるかもしれないけれど、必ず」

「じゃあ、これも一緒に返してくれ。出世払いでいいぞ」


 リード伯爵邸に向かって歩きながらロンは、何でもないかのように何枚かの金貨を出してブライアンに渡した。思わず受け取ってしまってからブライアンは、慌てて返そうとしたが受け取ってくれない。


「これは、ロンの大切な金だろう」

「別に大切ってほどじゃない、子供の頃から小遣いを貯めてただけだ」

「卒業したら家を出るんだろう?これは、その時のために貯めた金じゃないのか」

「気にするな」

「気にするに決まってる!」


 ロンから受け取ってしまった金貨は、七枚。さっきの二枚と合わせて、九枚だ。いくら伯爵家の令息とはいえ、ロンの立場でこれだけ貯めるのは楽なことではないはずだ。


「本当はな、金貨二十枚でも払えたんだ。でも、ダメ元で値切ったらセザールの奴、あっさりと五枚も値引きしやがった」

「ロンは、セザールと親しかったんだね。知らなかったよ」

「まあ、これだけ屋敷が近ければそれなりにな。所謂、幼馴染って奴だな」

「セザールの婚約者も知っているの?」

「ゴードン子爵家のネリー嬢だ、セザールが紹介してくれたから顔見知りだ。学年が一つ下だから、ブライアンは知らないか。小柄で可愛らしい令嬢だよ、セザールはベタ惚れでさ」

「へえ、あのセザールがね」


 ブライアンにしてみれば、セザールは怒っている印象しかない。そのセザールが小柄で可愛らしい令嬢に優しくしたりするのだろうか、想像できないのだけれど。


「ネリー嬢もさ、別にブライアンが好きとかじゃないんだ。ただ、学園で見かけたブライアンを格好いいと言っただけなのに、セザールは異常に気にしてさ。まあ、セザールはあの通り美男子ではないからな、ネリー嬢に見限られないか不安なのもあるんだろう」

「それで僕は、セザールに八つ当たりされているのか」

「ブライアンは、もっと怒っていいと思うぞ。ファラー伯爵家の方がガードナー子爵家より爵位は上なんだ、一発や二発殴ったって問題にもならない」

「いや、殴らないよ。手が痛くなりそうだし」

「ブライアンらしいな」


 可笑しそうに笑うロンにブライアンは、七枚の金貨を差し出した。いくら親友でも、これは駄目だと思う。


「金貨二枚でも借り過ぎなんだ、これは受け取れないよ」

「やるんじゃない、返せよ。出世払いなんだから、まずは出世しなくちゃな」

「ロン……」


 ブライアンの青い瞳に涙が滲んだ。

 ロンのおかげで薬を手に入れることが出来たが、もしかしたらこの一本だけでは母は助からないかもしれない。

 もっと薬がいる、もっと金がいる。

 七枚の金貨をブライアンは握りしめた。借りてはいけないと思うのに、ありがたいのは確かで。


「ほら、早く帰って母上に薬を飲ませてやれって」


 ロンは、うつむくブライアンの背中をバシバシと叩いた。喉が麻痺してしまったのか、ありがとうという言葉がなかなか出てくれなかった。


お気づきの方もいらっしゃるでしょうか、ロナルド・リードは『悪役令嬢を断罪した、そのあとで』でロードリックの執務室にいる秘書官の一人です。

若くして王太子付きの秘書官にまでなったロンは、頭の回転が速く、機転もきく、とても優秀な文官なのでした。

いつかロンのお話も書きたいです。

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