閑話2 元子爵令息は、子供の頃の夢を見ます。
閑話二作目は、セザールさん。
屋敷の前の道を泣きながら歩いている自分と同じような赤い髪の男の子を初めて見つけたのは、いつのことだっただろう。平均よりも体が大きかったセザールに比べ、その子はもっとずっと小柄だった。同じ歳だと聞いていたのだけれど、違ったんだなと思った。
セザールは、その子の名前を知っていた。
ロナルド・リード。
セザールの家より三軒先の、リード伯爵家の子だ。
「おい、セザール・ガードナー。起きろ!」
子供の頃の夢を見ていたセザールは、牢番の騎士の怒鳴り声で目を覚ました。飛び上がるように寝具のない寝台からおり、鉄格子までの短い距離を走る。
「セザール・ガードナー、面会だ。面会時間は、十分間。絶対厳守だ」
面会と聞いて、もしかして婚約者のネリーが会いに来てくれたのかと期待したが、ハンカチで鼻を抑えながら入って来たのは、セザールの母だった。
「セザール、旦那様が逃げてしまったのです!」
「……は?」
クライネフ風邪の特効薬を高値で売りさばいていたのがバレてセザールは、貴族としてあるまじき行為だということで投獄された。最初は貴族牢に入れられたのに、爵位剥奪が決まった途端に地下牢に移されたのだ。
貴族牢は、窓に鉄格子はあるものの普通の部屋だったのだが、この地下牢は冷たく埃まみれの石の床に寝具のない寝台が一つと、あとは用を足すための壺が隅に置かれているだけだった。地下なのだから当然暗く、息をするのも躊躇われるほど不潔だ。しかも、用足しの壺には蓋もないので、悪臭がひどい。
「実家を頼ろうとしたら縁を切られました。給料を払えないと言ったら、使用人たちが屋敷の調度品を奪って出て行ってしまいました。私はこれからどうしたらいいの、料理人も出て行ったから昨日の夜から何も食べていないのよ」
鉄格子の向こうで滝のように涙を流している母は、だけど貴族夫人らしい高価なドレスを着ている。捕縛された時のまま一度も着替えていないセザールとは、えらい違いだ。
それに首には、大粒のルビーがあしらわれたネックレスがぶら下がっているし、指には指輪が三つもはまっているのだけれど。あれらを売れば、使用人たちの給料ぐらい簡単に用意できただろうに、どうしてそんなことさえ考えつかないのか。
「それで、父上はどうされたのですか」
「だから、逃げてしまったのよ。昨日の朝、寝室がもぬけの殻になっていてね、探させたけれど見つからないの」
投獄されたのは、父も一緒だった。しかし父は、保釈金を自分の分だけ払って、セザールを残してさっさと出て行ってしまったのだ。
保釈金はものすごい金額だったらしく、二人分だとこれまでにガードナー商会が荒稼ぎして来た蓄えを全部吐き出しても足りなかったらしい。だから父は、セザールを見捨てた。そして今度は、母をも見捨てたということなのだろう。
「セザール、母を助けなさい」
「では、私の保釈金を用意してください。牢の中では、何もできません」
「そんなの、無理に決まっているでしょう!」
母の金切り声が頭に響く。
家屋敷を手放さなくとも、母が山ほど持っているドレスや宝飾品を売ればセザール一人分の保釈金ぐらいなら何とか用意できるはずだ。父は母の機嫌を取るために、それこそ好きなだけ買い与えていたのだから。
だけどセザールは、母上のドレスや宝石を売ってくださいと言う気にもなれなかった。ずっと固くなったパンと水しか与えられていないので、栄養が足りずに体力はもちろん、気力の方も落ちているのだ。
ふらふらとセザールは、寝台に戻った。耳を両手でふさいで、横になる。
「セザール、母の前でなんという態度ですか。起きなさい、セザール。セザール!」
面会時間が終わるまで、母は叫び続けた。十分は何て長いんだろうと思いながらセザールは、耳を塞ぎ続けた。
いつまでここにいなければならないのだろう?
面会時間が終わり、母が牢番の騎士に引きずられるようにして帰って行ってからもセザールは、むき出しの寝台に横たわったままで動かなかった。
環境は最悪だが、セザールは拷問を受けたりはしていない。先に捕まった、フランク通りの店舗を任せていたダン・ドーソンは、酷い拷問を受けて今は生死の境をさまよっているらしいから、それに比べれば遥かにましだとは思う。
「せめて、ブランケットが欲しい……」
パンと水しかもらえないのも辛いが、それよりも夜の寒さが辛い。上着を着ていても冷える、今夜こそは凍死するのではないかと毎晩怖い。
明日の朝には目が覚めないかもしれないと思い、だけど疲れ果てた体は睡眠を欲してしまう。怖いから眠りたくないのに、起きていられない。夜の訪れがセザールは、もうどうしようもないくらい怖いのだ。
ネリー。
愛しい婚約者には、二度と会えないかもしれない。婚約なんてとっくに破棄されているだろう。結婚したら王族より豪勢な暮らしをさせてやろうと、そう思っていたのに。
今頃ネリーは、どうしているだろうか。少しくらいは、セザールとの別れを悲しんでくれただろうか……。
「セザール・ガードナー。また面会だぞ」
牢番の騎士の声にセザールは、弾かれたように身を起こした。まさかまた母が来たのかと思ったが、その思いがそのまま顔に出てしまったのか、鉄格子の向こうの騎士の顔が少しだけ緩んだ。
「心配するな、母上じゃない。友達が来ている」
友達?
思い浮かぶのは、ニコラスくらいだ。ニコラス・ピンコットは友達じゃなくていとこだけれど、騎士がそんなことを知っているはずもない。
だけど、セザールの予想は大外れだった。
「なんだ、意外と元気そうじゃないか」
騎士に連れられて姿を現したのはニコラスではなく、セザールと同じような赤い髪の幼馴染だった。
「ロナルド……」
ロナルド・リードは、ガードナー邸の三軒先にあるリード伯爵家の長男だ。もっとも非嫡出子であるため、爵位を継ぐことはない。
「なにしに来た、笑いに来たのか」
「面白いこともないのに、どうして笑うんだよ」
「俺の惨めな姿を見に来たんだろう!」
「そんなに暇じゃねえよ」
ロナルドはセザールに背を向けると、両手をズボンのポケットに突っ込んでから背中をとんっと鉄格子に預けた。母は、ハンカチで鼻を抑えたままで鉄格子から一定の距離をとったままでそれ以上は近づかなかったのに、ロナルドの位置は母よりずっと近い。
それなりに値が張りそうな上着を着ているのに、あんなことをしたら背中が汚れてしまうのではないかと考えて、だけどあんな上着なんてロナルドにとってどうでもいいのだろうと思い直した。
リード伯爵家は古い家柄で、南方に実り豊かな領地を持つために裕福なのだ。ガードナー家のように悪事に手を染めなくとも、見栄を張るためとはいえ非嫡出子にさえいい身なりをさせている。
「食事は、ちゃんともらえるのか?」
「ああ、もらえる」
「体調はどうだ、どこも悪くないか?」
「絶好調だね」
「なら、よかった」
子供の頃は女の子みたいな高い声で、セザールセザールと、セザールのあとをよくついて来たものだけれど、十七歳になった今のロナルドは落ち着いた大人の声だ。あんなにチビだったのに、よく育ったものだと思う。
「しかし、お前も馬鹿なことをしたな。薬を売っただけならこんなに長く拘束されなかっただろうに、どうして水増しなんてしたんだよ」
「水増し? なんのことだよ」
背中は鉄格子に預けたままで、ロナルドが顔だけこちらに向けた。目を丸くしているということは、驚いているのか。
「まさかお前、知らなかったのか?」
「知らないって、なにが?」
「お前が売っていた薬、アベラール王国の薬を水で薄めたものだったんだぞ。安い瓶に入れ替えて、クライネフ薬なんて名前をつけてさ」
「嘘だろ……」
「本当だ、お前のとこの店員が吐いたってよ」
「ダンか?」
「名前までは、知らないけどさ」
ロナルドの父親、リード伯爵は司法局の役人をしている。よくは知らないが確か、結構高い地位にいるはずだ。ロナルドが妙に色々なことを知っているのは、いつも父のチェスの相手を務めているからなのだとか。守秘義務があるだろうにと思うが、信頼している息子相手には口が軽くなるのだろう。
ロナルドは、義母と義弟や義妹たちからは疎んじられているが、父親には可愛がられている。子供の頃、いじめられたと泣いているロナルドから出て来る名前は義母や義弟たちばかりで、父親になにかされたというのは、聞いたことがない。
「……おい、ファラーはどうした? ファラーはあの薬、誰に飲ませたんだ」
セザールは、大嫌いな同級生、ブライアン・ファラーにクライネフ薬を金貨十五枚という、とんでもない値段で売りつけてやったのだ。あんなに必死で頼んで買って行ったのだ、誰か身近な人がクライネフ風邪だったのだろう。
「お母上に飲ませたそうだ、ちゃんと回復したそうだぞ。水で薄めても全く薬効がなかったわけじゃないらしい。少なくともブライアンの母上は、お前の薬で助かったんだ」
「そうか、効いたのか……」
強張った肩の力が抜けた。セザールはブライアンが大嫌いだが、その母親まで憎いわけではない。
「お前って、根っこのところはいいやつなんだよな」
「根っこのところはって、なんだよ。どうせ悪人だと思っているんだろ」
悪人な上に、今回のことで前科持ちになってしまった。爵位も剥奪されてしまったし、もし釈放されたとしてもこの先、どうやって生きていけばいいのかわからない。
「セザール……子供の頃、お前は俺の逃げ場所だった。俺が泣いてたら、いつも屋敷に入れてくれたよな」
「それがどうした」
「感謝してる。お前がいなかったら俺の子供時代は、もっと悲惨だっただろう」
「それなら、どうして」
「なに?」
どうして自分より親しい友なんて作ったのかと、言いそうになってやめた。
王立学園に入学してからのロナルドは、ブライアン・ファラーとばかり一緒にいるようになった。ブライアンがロナルドを『ロン』と呼んでいるのを聞いた時、全身の血が逆流するかと思った。
幼馴染の自分でさえロナルドと呼んでいるのに、昨日今日知り合ったばかりのやつがどうしてあんな親し気に愛称で呼ぶのかと思ったのだ。
「まあ、生きているかどうか確認しに来ただけだ。元気そうだから、もう帰る」
「ロナルド」
「なんだ、なにか欲しいものでもあるのか?」
「いや……なにもいらない」
「そうか?」
じゃあなと軽く手を振って、ロナルド・リードは帰って行った。しばらくしてからネリーがどうしているか聞けばよかったと思ったけれど、そんなことを聞けば未練たらたらなのがバレて格好悪いから、聞かなくてよかったとも思った。
もういっそ、凍死してしまった方が楽かもしれない。
寝台に仰向けに寝転がって、手足を力なく伸ばした。
固いパンも水の一滴も口にしないで、このままここでこうしていれば数日後には立派な死体になれるだろう。
そうだ、そうしようと決めて目をつぶった。だけどそのまま死ぬことはなく、またもや牢番の騎士に名前を呼ばれて目が覚めた。
「セガール・ガードナー、起きろ」
また面会かと思ったが、違った。騎士が手に持った紙袋を鉄格子の間から差し入れている。
「早く受け取れ。昼間来たお坊ちゃんがまた来て、これをお前に渡してくれだとよ」
それは、オズバーン百貨店の水色の紙袋だった。ネリーと一緒に何度も行ったことのある店だ。
「中身の確認はさせてもらった、刃物でも入っていたらまずいからな」
ビリビリに破られた包装紙と一緒になにか入っている。
「ブランケット……?」
「よかったな、ここは冷えるもんな」
慌てて紙袋からブランケットを取り出した、早く出さないと消えてしまいそうな気がした。暗いためにほとんど黒に見えるが、違う。この色は、チョコレートブラウンだ。おいしそうだからこの色が一番好きだなんて、セザールの子供の頃の言葉をまだ覚えていたのか。
「いい友達を持っているんだな、ああいう友は宝だ、大事にしろよ」
暖かい、なんだこれは。
柔らかい、なんだこれは。
チョコレートブラウンのブランケットを抱きしめて、セザールはしばらく動けなかった。どうやら今夜も凍死できそうにないなと、そう思った。
もっと早く投稿するつもりがえらく遅くなってしまいました。
ざまあされたあとの悪役のその後のお話が大好きなので、書いてみました。
セザールは、根っからの悪人ではないんです。
だけど、いい人だろうと悪い人だろうと犯した罪は同じです。
この先のセザールの人生は、過酷なものになるでしょう。
どう生きるかは、セザール次第ですよね。
次は、二章を開始したいと思います。
もう少しまとまってから投稿しますね。




