◆第五話『再挑戦とラガン山』
ウェンディに金属製の棒――銜を噛ませ、頭絡を装着。
首の付け根に鞍を乗せ、こちらも装着。
騎乗の準備が整った。
ウェンディが左目でじっとこちらを見つめてくる。
思えば、騎乗に関してはペトラに任せきりだったのでウェンディに竜具をつけたのは初めてだった。彼女が不安を感じるのも無理はない。
レグナスは手綱を握りながら肩越しに後ろを確認する。
少し離れたところでピナが静かに待機している。
この流れは彼女が望んだことだというのに浮かれた様子はいっさい見られない。
いったいなにを考えているのか。
さっぱりわからない。
ただ彼女を見ていると、なぜか責められるような気分に見舞われた。
視線を戻してウェンディに向きなおる。
レースで墜落したあの日以降、幾度となく騎乗に挑戦したが、すべて失敗に終わった。だが、最後に挑戦してから少なくとも2年は経っている。
もしかしたらという思いはあった。
レグナスはごくりと唾を呑み込み、ウェンディのそばに寄り添った。手綱をぐっと握り、鞍を見上げる。
瞬間、脳裏に鮮明な映像が高速で流れはじめた。
最後に出場したドラゴンレース。
ギルトア大祭典のものだ。
独走状態から突風にあおられ、アルテが気絶。
なにもできず、ただ落ちるだけの無情な時間。
そして地面へと叩きつけられる――。
直前、弾けるようにして映像は散った。
視界が現実へと戻る。
気づけば息が荒くなっていた。
汗も大量にかいている。
明らかに異常だ。
時間が心の傷を癒してくれたかもしれない。
そんな淡い希望を抱いていたが、なにも変わっていなかった。
いや、面倒なことに見栄っ張りなところは増していたかもしれない。
いまも突き刺さる視線に背中を押され、無理矢理にでも乗ってやろうという気持ちが勝った。震える体に激を飛ばし、鞍によじ登る。
――乗れた。
そんな安堵は、ぐわんと揺れた視界のせいで一瞬のうちに消え失せた。
ウェンディが暴れたのだ。
どうしてかは明白だった。
怯える感情がウェンディに伝わったのだ。
ついには振り落とされ、地面の上を転がる。
汗をかいていたせいで顔にたくさんの芝がへばりついた。
レグナスは仰向けのまま空を見上げる。
荒い呼吸はまだ収まらない。
「レグナスさん!」
ピナの悲鳴のような声が聞こえたとき、強い風が吹きつけてきた。独特の風の流れから、それが竜によって起こされたものだと瞬時に理解した。
荒々しい足音とともに馴染みのある声が飛んでくる。
「ちょっとなにしてるの!?」
「……ペトラ?」
「レグが騎乗しようとしてるのが見えたから、急いで散歩を中断してきたんだよ!」
空の景色を遮るようにしてペトラの顔が映り込んだ。
空が見えなくなったからだろうか。
呼吸がゆっくりと落ち着いていく。
「悪い。声かけとくべきだったな」
「本当だよ……もう」
ペトラは怒った顔を向けてくるが、その目尻には涙が溜まっていた。
どうやら心配をかけてしまったようだ。
「レグナスさん、わたし……」
ピナがか細い声を漏らす。
なにを言ったらいいかわからない。
まさにそんな様子で彼女の顔は不安に満ちていた。
レグナスはゆっくりと半身を起こしたのち、告げる。
「見てのとおり俺は厩務員なのに竜にも乗れない。笑えるだろ。あんな偉そうにしておいて、このザマだ」
「……無理を言ってしまってごめんなさい」
ピナは事情を知らなかったのだ。
なにも悪くない。
むしろ悪いのは彼女を利用してまた夢を見ようとした自分だ。
そう思いながら、レグナスは人知れず拳を握った。
「やっぱり俺に指導役は向いてない」
「いえ、わたしはこれからもレグナスさんに――」
ピナの言葉を遮るように馬のいななきが辺りに響き渡った。
釣られて視線を音のほうへ向けると、竜舎のそばに馬と騎乗者の姿が見えた。羽つきの洒落た帽子を被りながら馬を乗り回す男は、この辺りではひとりしかいない。
「あれって村長だよね?」
「俺にはそう見える」
「どうしたんだろ、なんだか急ぎみたいだけど」
ペトラは立ち上がり、村長のほうへと両手を振りはじめる。
「おーい! 村長ーっ!」
ペトラの張りのある声のおかげか、村長が気づくのは一瞬だった。
こちらに向けて馬を走らせる。
近づくにつれ、その立派な白髭があらわになる。
「ペトラちゃん! マルクさんはどこに?」
辿りつくなり村長はそう訊いてきた。
切羽詰っているのがありありと伝わってくる。
「お父さんなら街の市場に出かけてますけど」
「そうか……困ったな」
「あの、なにかあったんですか?」
ペトラの問いから村長は悩む素振りを見せる。
だが、その皺を深めて頷くと、ついには口を開いた。
「ラガン山の麓に野生の飛竜が出たんだ」