◆第四話『竜の散歩』
「じゃ、あたしが見ておくね」
「頼んだ」
朝食後。
ウェンディとロードンを竜房から出し、ルグリン竜舎の広大な草原地帯へと解き放った。
放し飼いの時間だ。
ペトラ監視のもと、2頭とも好きなように歩き回りはじめる。ごろごろと寝転がったり、軽く声をあげたりとのびのび過ごしている。
竜はその巨体もあってか、起きてから完全に覚醒するまで時間を要する。そのため、こうした軽い運動をさせることで体に負担をかけず、ゆっくりと起こさせるのだ。
「あの、勝手に飛んでいったりはしないのですか?」
2頭の竜を見ながら、ピナが不安そうにしていた。
そう思うのも無理はない。
なにしろペトラは草原地帯の真ん中にぽつんと転がった大岩の上で座っているだけだからだ。
監視役というにはあまりに雑だ。
だが、なにも問題はなかった。
「言ったろ。竜は賢いって。むしろなにかに繋ごうものなら逆に言うことを聞かなくなって暴れだすぞ」
竜は鎖に繋がれることを嫌う。
竜房でも鎖にはいっさい繋いでいない。
竜の自由を尊重する意図もあるが、ほかに明確な理由がある。それは鎖に繋ぐことが、竜に〝脅威〟として判断されるからだ。
「脅威なしに竜は人を傷つけてはならない……知ってるよな」
「精霊の仲裁により、神から竜に科せられた掟ですね。破れば死の呪いにかけられる、と」
大昔に行われた人と竜の戦争。
精霊の仲裁により戦争は終わりを迎えたが、先に手を出した竜には神から2つの鉄槌が下った。
ひとつは長寿の剥奪。
竜は50年しか生きられなくなった。
そしてもうひとつは先ほど挙げた掟だ。
脅威なしに竜は人を傷つけてはならない。
「ま、多くの人間は掟を実感することなく一生を終えるだろうけどな」
「その言葉、すごくわかります」
今回、竜舎で餌やりを体験した際にピナも再認識したのだろう。
竜がどれほど怖い存在か。
そして人が〝掟〟に守られていることも。
「けど、竜は人を攻撃できないわけじゃない」
「死を覚悟すれば攻撃できる、ということですよね」
「そんな奴はそうそういないだろうけどな。ただ、覚えておくに越したことはない」
脅すわけではないが、忘れてはならないことだ。
ピナも重く受け止めたようで神妙な面持ちで頷いていた。
と、いつの間にやらペトラが大岩から飛び下りていた。そばにいたロードンの頭を撫でたあと、こちらに向かって走ってくる。
「レグ~、ロードンが飛びたがってるから散歩いってくるね~!」
「了解だ! ウェンディが羨むだろうからあとで付き合ってやってくれよ!」
「わかってるー!」
ペトラが手を振って応じると、鞍を取りに倉庫へと駆け込んでいく。
「あの、散歩とは……?」
ピナが首を傾げていた。
そう言えば散歩の説明をしていなかった。
「そのままの意味で竜を散歩させるんだ。もちろん空でな。目的は二つあって、まずひとつは人を乗せて飛ぶことに慣れてもらう。もうひとつはドラゴンレースに出るための必要な技術と合図を覚えてもらう」
ピナは興味津々といった様子で耳を傾けている。
「って高尚な理由を並べてみたが、実際は遊び感覚だな。竜も、乗ってる側も」
「だから散歩なんですね」
「ああ。ここでは午前と午後に1回ずつ。あとは竜の好きなときに飛ばさせてる」
今回、ロードンが自らせがんだのは予定外のことだ。調子に乗って午前中に飛びすぎることもあるが、そんなときは午後の散歩を減らすか失くすかして調整している。
「なんだか自由でいいですね」
「ルグリン竜舎のいいところだ」
――自分もあんな風に自由に空を飛び回りたい。
ふと過去に抱いた感情がせりあがってきた。
押し留めるためにまぶたを落とす。
やがて心が穏やかになったのを機に再びまぶたを持ち上げると、ピナがまじまじとこちらを見つていた。
「どうかしたのですか?」
「いや……」
忘れたはずの感情を、なぜいまになって思い出したのか。
……ピナの存在が間違いなく影響しているだろう。
きっと竜舎に来たばかりの彼女に昔の自分を重ねてしまったのだ。
「なあ、どうして竜舎の仕事なんだ? 言っちゃなんだが、裕福な暮らしと秤にかけるには、この仕事はあまりにも辛いだろ」
意地悪な質問の仕方かと思ったが、素直な疑問としてぶつけてみた。
「昨日も話しましたが、ドラゴンレースのファンで……そこから興味を持って、わたしも竜のことをもっと知りたいと思ったんです。本から得る知識だけでなく、直に見て触れて……」
その答えは本心だろう。
きっと嘘は言っていない。
ただ、それ以外にも理由があるような気がしてならなかった。それほどピナからは強い決意のようなものを感じるのだ。
しかし、いくら待っても彼女は続きの言葉を口にはしなかった。
「この竜舎なら、その願いはきっと叶うはずだ」
「はい、わたしもそう思います……!」
信じて疑わない純真な目を向けられる。
レグナスは彼女から逃れるように顔をそらした。
「さてと、雑談はこれぐらいにして仕事の続きだ」
「次はなにをするのですか?」
「敷物交換だ。俺は倉庫から手押し車を取ってくるから、その間にピナは竜房の土を取り出しやすいよう通路側に寄せておいてくれ」
「わかりました」
そうして速やかに分担し、手押し車を取り出して戻ってきたのだが……。
竜房にピナの姿がなかった。
ウェンディの竜房を確認すれば、敷物の土にシャベルが刺さっている。見るからに作業の途中だ。
いったいどこへ行ったのか。
真面目な彼女が途中で仕事を放り出すとは思えないが――。
まさか誘拐か。
その考えが頭に浮かんだ瞬間、血の気が引いた。
慌てて走り出し、奥の出入り口から外へ飛び出る。
と、思わず盛大にため息をついてしまった。
すぐにピナを見つけたのだ。
彼女は口をぽかんと開けながら空を見上げていた。
視線の先を辿れば、ペトラを乗せたロードンが悠々と飛び回っている。大きな楕円を描いたかと思えば、今度は波打つように上下の動きをみせる。
今日のロードンは調子が良いようだ。
旋回のキレもいい。
ペトラもさぞかし気持ちの良い風に当たっていることだろう。
あんな飛行なら見惚れるのもわかる。
だが、いまは仕事中だ。
「おい、なにサボってるんだ」
「ご、ごめんなさい。どうしても散歩が気になってしまって……」
ピナはばつ悪く目をそらす。
ようやく歳相応の反応を見せたかと思えば、なにやらそわそわしはじめた。やがて顔を上げ、改まった態度で「あの」と話を切り出してくる。
「わたしも乗りたいです!」
なにを言い出すのかと思えば……。
「立場を考えてくれ。ピナが怪我したら、この竜舎がどうなるかぐらいわかるだろ?」
レグナスはため息をついて、そう答えた。
ピナがむっと頬を膨らませる。
「なにか勘違いしているようですけど、お父様の許可を得たうえでわたしはここに来ています。もし怪我をしても、それはわたしの責任です」
「いざ怪我をしても父親がなにもしないと言い切れるか?」
「はい。お父様を信じています」
冗談でも強がりでもない。
本気の目だ。
こちらが譲らないと思ってか、ピナが代替案を提示してくる。
「ではレグナスさんが代わりに飛んでください」
「……は?」
「わたしが飛んではいけないのなら、レグナスさんの飛んでるところが見たいです」
彼女がなにを言っているのか理解できなかった。
それほどわけのわからない流れだった。
「いや待て待て。どうしてそうなる……!?」
「わたしを指導して下さる方が、どれほど竜に乗れるのかを知りたいと思うのはおかしいことでしょうか?」
正当な主張です、と言わんばかりにピナは胸を張る。
「俺が指導するのはあくまで厩務員の仕事だ。竜に乗るどうこうは関係ないだろ」
「ですが、ペトラさんは乗っています。それに先ほどレグナスさんも厩務員の仕事として散歩を説明してくれました」
頭が回る分、ピナの頑固さはタチが悪い。
こんなことになるなら散歩について説明しなければよかった。
「……わかった。散歩の見学をしたいならもうなにも言わない。いま、ペトラを呼んでくるからそこで待って――」
「もしかして乗れないのですか? 同じ厩務員なのに」
ペトラを呼びに行こうとすると、ピナが淡々と言ってきた。
レグナスはゆっくり振り向いて確認する。
「……俺を煽ってるつもりか?」
「いいえ、ただ訊いているだけです。もし無理なら無理と仰ってください。もうこのお話しはしません」
普段なら軽くあしらっていただろう。
実際、頻繁に煽ってくるダルダンに対してもそうしてきた。
だが――。
なぜかやけに苛立ってしまった。
半ばやけくそ気味に答えてしまう。
「……わかったよ。やってやる、やってやるよ……」
「本当ですかっ!?」
先ほどまでの毅然とした態度はいったいどこへいったのか。
ピナは途端に無邪気な笑顔を見せた。
おかげで急激に頭が冷えてきた。
自身の過ちを悔いるが、もうあとには引けない。
レグナスは舌打ちをする。
「そこで待ってろ。……鞍を持ってくる」




