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◆第三話『初仕事』

 翌日。


 レグナスはまだ日も昇らぬうちから動きだしていた。

 朝食前に幾つかしなければならない仕事があるのだ。


 ルグリン家の裏手口を静かに開け、竜舎へ向かおうとする。


「レグレグー! 見て見てー!」


 どたどたという足音とともに、ペトラの声が後ろから聞こえてきた。


 早朝とは思えない騒がしさだ。

 レグナスは気だるげに振り返る。


「じゃーん! あたしが子供の頃に使ってた作業服、ピナちゃんに着せてみたの! どう? 似合ってるよねっ?」


 ペトラがお披露目とばかりに両手を広げる。

 その前にはちょこんと立つピナ。


 彼女は汚れても目立たない土色の作業服を着ていた。

 髪も二つくくりにして胸前に垂らしている。


 動きやすいようにとの配慮だろう。


〝一日の流れの中で仕事を覚えたほうがいい〟というマルクの提案のもと、ひとまずピナの初仕事は本日に持ち越された。


 そんな事情もあって作業服を着たのは今回が初めてというわけだ。


「どう……でしょうか」


 ピナがもじもじしながら窺うような目を向けてくる。


「まあ、作業服との親和性はペトラのほうが上だが――」

「ちょっとそれどういうことよー!」

「良いんじゃないか」


 滲み出る華やかさのせいで不釣合いなのは間違いないが、それでも似合わないわけではない。むしろ彼女自身の素材の良さが浮き立って見えて、これはこれで悪くないといった感じだ。


 素直な気持ちを告げるとピナが不安な顔から一転。

 ぱあっと顔を明るくした。


「あ、ありがとうございます……!」


 あまりにも純粋な返しに居たたまれなくなった。

 レグナスは逃げるように再び竜舎のほうへと足を向ける。


「そんじゃ、朝番に行ってくる」

「ちょっと待って」


 ペトラにがしっと肩を掴まれた。


「なんだよ。まだなにかあるのか?」

「うんっ。ピナちゃんの指導役」


 にっこりと笑いながらそう言ってきた。


「……なんで俺が?」

「普通、こういうのって一番下っ端がするものでしょ」


 反論しようとしたが、言葉に詰まった。


 ほかに厩務員はいるが、臨時。

 実際に働いているマルク、ペトラと比べれば下っ端であることは事実だった。


「わたし、がんばります……!」


 ピナが両手に拳を作って見上げてくる。


 どうやら逃れることはできないようだ。



     ◆◆◆◆◆


 昼間とは違い、竜房は静かな空気で満ちていた。

 竜たちの鼻息がかすかに聞こえるが、本当にそれぐらいしか音はない。


 レグナスは倉庫から出してきた2つの道具を置いた。


 ひとつはシャベル。

 もうひとつは人の頭がすっぽり入る程度の鉄箱。


 どちらもこれから使うものだ。


「先に言っておくが、初っ端から強烈だからな。覚悟しといてくれ」

「な、なにをするのですか……」

「糞の処理だ」

「フン……ですか」


 初めて口にした言葉だったのか。

 ピナの顔がわずかに赤らんでいた。


「まあ処理と言っても捨てるわけじゃない。竜の糞は肥料として優秀だから農家に売って金にするんだ」


 そう説明しながら、レグナスは黄竜ウェンディのいる竜房に向かった。


 ウェンディは目を閉じたまま丸まった体を緩やかに上下させていた。一見して睡眠中に見えるが、〝彼女〟はすでに起きている。


「ウェンディ、起きてるか」


 ささやくように声をかけると、ウェンディがゆっくりとまぶたを上げた。こちらの姿を認めるなり低く呻き、口先を腰にすり寄せてくる。


「相変わらず甘えたがりだな」


 レグナスは掌でウェンディの鱗を撫でて応える。


 ウェンディはいま4歳だ。一般的に5歳からドラゴンレースに出られるとあって、その体はほぼ成熟していると言っていい。


 とはいえ、心のほうはまだまだ子供だ。

 甘えたがりなところが残っている。


「お、おはようございます! 昨日ぶり……ですね」


 そう声をかけたのはピナだ。

 見れば彼女は直立したまま固まっていた。


 昨日の餌やりの際に覚えた恐怖がまだ残っているのだろう。

 しかし――。


 人相手と変わらずに声をかけたことは評価できる。

 ウェンディも気をよくしたか、愛らしい甘え鳴きをしてみせた。


 ピナはそれがよほど嬉しかったらしい。

 思い切り顔を綻ばせていた。


「竜は賢い。人の言葉もある程度理解してる。もし仲良くなりたいならそうやって積極的に話しかけるといい」

「は、はい! たくさんたくさん話しかけます!」


 ピナが元気よく返事する。

 相変わらず彼女の真面目な姿勢は眩しい。


 レグナスはピナにそそくさと背を向けた。

 ウェンディの頬をさすりながら声をかける。


「待たせたな。さ、いつでもいいぞ」


 ウェンディは少しの間だけ目をつぶった。

 再び目を開けたのち、のそりと立ち上がる。


 ウェンディの臀部の真下に丸い物体が転がっていた。


 大きさは人の頭ほど。

 色は少し黒味を帯びた茶だ。


 ピナがぎょっとしながら訊いてくる。


「もしかしてあれが……」

「竜の糞だ。ピナ、糞を持ってきて、そこの箱に入れるんだ」

「あ、あの……手で、ですか?」

「手袋してるし、大丈夫だ」


 一瞬、ピナが顔を引きつらせた。

 さすがに厳しかっただろうか。


 だが、竜舎の仕事をしたいと言い出したのは彼女だ。

 こんなことで特別視はしない。


 さてどうする――。


 ピナは一大決心でもするかのように目力を強めると、そのまま糞のそばまで向かった。


 糞の臭いに襲われてか。

 んぐっ、と呻き声をもらしている。


 涙目にもなっていたが、鼻は塞がずにいた。

 きっとウェンディへの敬意の表れだろう。


「そのうち慣れる」

「ふぁい……!」


 彼女は糞を両手でゆっくり持ち上げた。

 早足で戻ってきて鉄箱の中へと丁寧に収める。

 おかげで糞は綺麗な丸型を維持したままだ。


 ピナが汚れた手袋を目にしたあと、不安な目を向けてくる。


「糞を掴んだ手袋は外して脇に置いとくといい。ほら、代わりだ」


 レグナスは作業服のポケットから予備の手袋を取り出し、ピナに手渡した。


 ピナが手袋をはめたあと、広げた両掌を向けてくる。


「……ブカブカです」

「明日からは予備を用意してもらってくれ」


 ふいにウェンディが口先で軽く突いてきた。

 早くしてくれとの催促だ。


「悪いな。もう少しだけ待っててくれ」


 そう声をかけてからピナに新たな指示を出す。


「今度はシャベルで糞が乗ってた土を竜房の外にかき出すんだ。竜は綺麗好きだからな。自分の糞が乗った敷物をいやがる」

「わかりました」


 ピナもウェンディの苛立ちを感じていたのか。

 せっせと指示どおりに作業を始めた。


 かき出された土が竜房の仕切りの外――通路に盛られていく。


「ロードンにも同じことをして、それが終わったら今度は餌をやる。そこまでが朝番だ。余裕があれば倉庫から交換用の敷物を出しておくんだが……今日は無理そうだから朝食後に回そう」

「……はい」


 ピナは申し訳なさそうに返事をした。

 自分のせいで作業が遅れ気味なことを気にしているのだろう。


 もともと大した量でないこともあり、話しているうちに土のかき出しが終わった。


 ウェンディに声をかけて腰を下ろさせる。

 背後でピナが「ふぅ」と息をついていた。


「これを皆さんはひとりでなさっているのですね……」

「こんなの、どうってことはない」


 実際、朝番は辛くなかった。

 早起きだって苦でもない。


 とはいえ、これは習慣化しているからこそだ。

 ぬくぬくと育ったお嬢様にはきついだろう。


 そう思いながら、レグナスは振り返って一言告げる。


「やめてもいいんだぞ」

「いいえ、やめません」


 即答だった。

 おまけに向けられた目は強い意志を宿している。


 なにが彼女をここまでさせるのか。


 ……本当に不思議な子だ。



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