第2話 天才ちゃんと底辺くん
講堂の後ろのドアからそーっと中をのぞくと、生徒たちは全員、規則正しく並ぶパイプ椅子にきっちりと腰かけていた。
中々圧巻の光景だ。我が校の全校生徒は約1000人、その人数がこうやって不自由無く座れるのも、このバカでかい講堂のお陰だった。
ちらと遠くのステージ横の時計を見ると、時間は8時25分とある。よかった、なんとか間に合ったようだな……
「よし、まあ間に合ったみたいだし、早いとこ席つこうぜ」
「あっ……ちょ、ちょと待っ」
雪菜が話し終わる前に、俺は目の前の大きな引き戸を両手で左右に開く。すると、少々立て付けが悪かったようで、ドアからギギギッという、シーンと静まり帰る講堂の中ではよく響き渡る音が聞こえた。
その瞬間生徒たちは俺たちに気がついたのか、皆一斉にこっちを見てくる。
あの……分かるだろうか、遅刻してもう一時間目が始まっていて静かに授業を受けている中、前のドアから入っていったときのあの感じだ。というかそれより規模はもっとでかい。なんというか…すごい注目を浴びているのだ、みんなの視線が痛い。
いや、でも少しおかしい。確かにギリギリに来た俺を見る気持ちもわかるが、なぜ皆して俺をそんなに凝視するのだろうか。遅刻はしてないはずーーー
「遅刻だぞ、榊」
その瞬間、後ろからややハスキーで、呆れたような声がした。
驚いた俺は、すぐに後ろを振り向く。
そこに立っていたのは、若い女性だった。背は高めで俺と同じくらい、透き通った目はジロリとこちらを睨んでいる。後ろで綺麗に纏めた長い黒髪と、ピシッと決まっているスーツが相まって、こちらに凛とした印象を与える。
彼女は俺の担任、いや、元担任の萩原彩香先生だった。
「せ、先生……いや、遅刻ってどういうことっすか。入学式は8時半からじゃ……」
「ああ、そうだが」
その先生の言葉に疑問を持った俺は、すぐに問い返す。やっぱり遅れてないじゃないか……
「じゃあなんで……俺間に合ってるじゃないですか、ほら!」
そういって俺は壁にかかる時計を指差す。だが先生はそんなもの目もくれず、こめかみを押さえて大きくため息をついた。
すると先生は胸ポケットから1枚の紙を取り出し、こちらに渡してきた。
どうやら入学式のプログラム表のようだ。そこにはしっかりと入学式開始 8時30分と書かれている。
ほらあー!と言おうとして顔を上げかけたが、その時その下に書いてある米印の文が目に入った。
※新2、3年生の生徒は、8時10分に前の学年の教室に集合。そこから体育館へと移動。
………あっ。
「事態が飲み込めたようだな、全く……入学式に遅刻など聞いたことないぞ。現に今、お前以外の全校生徒はもう集合している」
「入学式って……俺はもうとっくに入学してるんですから、説教なら在校生も入学式に参加するこの学校の伝統にしてくださいよ………って……俺以外?」
俺の屁理屈な言葉に反応して、まだありがたいお説教を続ける先生を横目に、俺は右隣を確認する。
すると、すぐ横にいたはずの雪菜がすっかりいなくなってる。周りを見回すが、それらしき人影も見えない。
あ…あいつ…この騒ぎに便乗して逃げやがった……ってかあいつ入学式の集合時間のこと知ってたんじゃないのか?くそ…なぜ俺だけこんな目に……
あとで雪菜にはゆっくり問い詰めようと決めると、真正面の先生は時間を確認する。すると彼女は諦めたように肩を落とした。
「聞いているのか?……とりあえずもう時間だ、早く座れ。……全く、君を相手にするといつも疲れるな」
「はあ、そうっすか……まあでも、もう俺と先生が関わることも無いんじゃないっすか?」
この学校では毎年クラス替えが行われるので、毎年担任の先生は変わるのだ。クラス替えの表は前学年の教室に張り出されているはずなので、そのまま講堂に直行してきた俺に、担任が誰かは分からないが。
そういえばやっとこの先生の長い説教からも解放されるな…この人なぜか俺だけ集中的に怒るし……と心の中で安堵していた俺に、背中を向けて歩き出した先生から、無情な真実が告げられた。
「残念だったな、私はまた君の担任だよ。全く、本当に嫌になる。……また1年間宜しくな」
そういって少し振り向いた先生の横顔は、どこか笑っているようだった。
おれの心境は真逆だが。
ふ…ふざけんなよな……くそう……
はあーーっとひとしきり大きな溜め息をつくと、2年の場所を探しに歩き始める。
周りの生徒は話の一部始終を聞いていたのか、なにやらこちらを見てひそひそ話をしており、中にはくすくすと言った笑い声も聞こえる。くっ…見せ物じゃねえぞ……
ぶつぶつと心の中で文句を言っていると、2年の場所についた。順番はクラス順のようなので、自分のクラスらしきところの空いている席を探す。幸いすぐに見つかったので、少し急ぎ足で席へと向かった。
無事席につき、ふぅと一安心していると、なにやら右隣から聞き覚えのある声がする。
「相変わらずだな、君は」
その声はひどく懐かしく、俺の脳を直接揺さぶった。
「……お前は…眞野、か……?」
「ああ、久しぶりだな」
俺は当然こいつを知っている。なんせ、俺の話すことのできる数少ない男だから……
彼の名前は眞野真也、俺と同じ高校2年生だ。去年の半ばから急に学校に来なくなり、しばらく見ていなかったが。
俺と同じくらい、大体170センチくらいの体の上には、相変わらず黒色のぼさぼさなくせ毛が見える。そして癖なのかズボンからワイシャツが出ており、一言で言うとだらしが無く、やる気の無さそうな男に見える。
まあ、悪いやつではない。小中と同じ学校で、気が合っていた俺たちはよく一緒にいたし、少なくとも休む前まではほぼ最底辺の俺と同じようなカーストだったはずで、その点俺の唯一の理解者と言っていいだろう。
ただーーー
「なあ…お前ってさ……家どこだっけ?」
「?なんだよ急に……半年会わずに忘れたのか? 前はよく来てただろ。この学校の裏門からまっすぐ100mくらいのとこだよ、ほら、木造で二階建ての……」
「…そっか……そう、だよな」
ならば、あれは見間違いだったのだろうか。ほんの数分前、俺は確かに正門前で眞野らしき人物を見た。いや、路地の遠くでしかも一瞬だったため、見間違いの可能性は高い。そもそもあんなところにいては俺より先に席についているはずがないのだ。
「どうした?考え事なら相談にのるけど」
「あ、いや、なんでもない…」
俺は右側に倒していた体を正面に向き直し、遠くに見えるステージを見る。すると丁度校長の話の最中だった。勿論その話の内容は俺達高校生にとってはつまらない世間話だったり、2、3年なら誰でも知っているようなこの学校の少し特殊なルールだったりの説明だった。
この特殊なルール。というのは、少々かいつまんで説明しておこう。
我が高校、国立先進能力育成第一高校ーーーいかにも中学生半ばの奴が喜びそうな校名だがーーー通称第一校は、ある学園都市の中の一つの高校だ。
学園都市内の合計4つある高校には、全校生徒3600人を対象とした巨大な階級ピラミッドが形成されている。
その名も《スクールカースト》。容姿、学力、体力、運動神経、リーダー性、はたまたコミュ力まで……俺も全ては知らない…というかこれくらいしか知らないが、全ての人間の能力を総合的に判断し、全員に階級付けをする制度だ。
まるでそれはかつてインドで行われていたカースト制度のように、無慈悲で、残酷だ。
人の評価は全てこのカーストの順位によって決まる。もっとハッキリ言うと、カーストの本当に高いやつは先生からもVIPのような待遇を受けるし、休み時間ごとに彼らの周りには人が群がり、まるで王にでもなったかのような扱われかたになる。そしてカーストの順位は俺達の箔となり、高いやつはそのまま推薦でどこの大学にも入れてしまう。
まあ、逆もまた然り。ってやつだが。
俺のような最下層のメンバーは先生からはゴミを見るような目で見られ、廊下を歩くと生徒たちは陰口を叩きつつ逃げていく。
確か、元々テストの点数やら評定やら内申だけで生徒の能力を判断するな。ってことで数年前に国が試験的にこの学園都市内だけに試験的に導入したってことらしいが、あながち間違ってもないとは思う。
実際、すげえ勉強ができる奴が社会に出たら絶対活躍できるのか…って言われるとそういうわけじゃないとはよく聞く話だしな。別に勉強や内申が人の能力の全てじゃないし。
何の能力もとりえもない俺が言うんだから間違いない。 はははは……
……話を戻そう。
そのカーストの順位ってのは一年生で入学する時ーーつまりは今日なのだがーーの一回限りしか貰えない。
そしてカーストを上げる方法っていうのが、ただ一つあるのだが……まあその話は今度にしよう。
と、なんだかんだ呆けているうちに校長の話が終わり、入学式も終わりに差し掛かってきたようだ。
「眞野ー、あと何が残ってる?」
「えーと、今生徒会長の話だから…確かもう新入生代表の話で終わりじゃないのか?」
「ふーん……代表、って確か一年の主席か。確か学校ごとのカーストトップ入学の奴だっけ?」
「ああ、聞いた話だと、どうやらこの学校の代表はカースト8位で入学してきたらしいぞ」
「ふぅーん……って…は、はちい!?」
一年で8位…というのは、本来ほぼあり得ない順位だ。通常学校のトップ30は2、3年生だし、現に去年の代表者も40位ほどだったはずだ。
「なるほどな…っていうかそんな奴もう化け物だろ……。あーあ、そんなの人生楽しいんだろうな……まあ俺達には関係の無い話だけどな……」
「はは……全くだね」
するとそこで生徒会長の話は終わり、司会進行の人が次へと進める。
「それではここで一年生挨拶。一年生の代表者は、壇上にお上がりください」
するとその瞬間、講堂がざわざわとした話し声で満たされる。
やはり今年の主席がカースト8位というのは皆に知れ渡っている噂のようだ。
少しすると、壇上に上がる階段を、薄い茶色がかった髪の女の子が登っていくのが見える。
ーー本当に俺とは縁もゆかりも無い話だな……こんなふうに多くの人に尊敬の目を向けられながら話をするなんてことは。
彼女は階段を登りきると、しっかりとした足取りで中央の演台へと向かう。ここからでは顔はよく見えないが、そこまでのカーストとなると容姿も整っているのだろう。
風が吹く。人口密度の高くこの蒸し暑い講堂の中に、所々開いた窓から。
「新入生、代表ーーー」
ーーこいつみたいな天才ちゃんと俺なんかじゃ、一生話すことなんかないかもな。顔を見れるだけでも幸せ、ってとこなのかね。全く、残酷だよなぁ……
風は俺の顔に当たり、爽やかな香りを運んでくる。どこか懐かしいような香りをーー
「新入生、代表。 ーーー榊 雪菜」
ふわりと吹く風と共に、その言葉はおれの耳に入ってきた。
恐らくだが……その言葉は、俺の人生の中で、最も俺を困惑させただろう。
「……………………ふぇ?」
と、俺に間抜けな声を出させるほどには。
かなり間が開きました。すいません。
これからバンバン変えていくので応援よろしくお願いします!