第1話 忙しい朝と時空飛行
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春初めの少し強めの風が網戸の奥から吹き、俺の頬を撫でる。
時刻は午前8時15分、そろそろ朝日が高く昇り始める頃だ。外は快晴、きっと気温もちょうどいいのだろう。
そんな気持ちのいい朝、俺は隣で困ったように俺を見つめる少女の声で目が覚めた。
「ちょっと、そろそろ起きてよね、兄さん」
半ば夢から覚めた俺は、薄く開けた目で隣の少女を見上げる。
黒く艶やかな髪は、窓から吹く風になびかれて揺れている。後ろで綺麗に纏められたポニーテールが特徴的だ。
背は俺より拳2個分ほど低い、160cmくらいだろうか。整った顔立ちとシワひとつ無い新品の制服が、少女の端麗な印象を際立たせている。
彼女の名前は榊 雪菜。俺の妹で、今年から俺の通う高校の新入生として入学する予定だ。
だが俺は、まだ自分の素直な欲求に逆らえずにいた。
「いや……もう少し、あと5分だけ………」
当然だろう、春休みの学生にとってはこんな時間はまだ早朝だ。
にしてもなんでこいつは、こんな朝早く俺を起こしに来るのだろうか。ほんの昨日まで俺は誰の邪魔も受けることの無く、正午近くまですやすやと眠っていたはずだ。
徐々に覚醒してきた俺の脳内に浮かんだ疑問の答えは、すぐに隣に立つ妹の、非情な一言によって明かされた。
「何言ってるの? 前もそういって結局1時間寝てたじゃない。それに今日は入学式だし。早く起きないと遅刻するよ」
げ………
マズい、すっかり忘れていた。
今日は4月5日。俺の、いや、俺たちの通う国立先進能力育成第一高等学校の入学式、及び進級式だった。
完全に目が覚めた俺は、布団を投げるように払うと、殺風景な俺の部屋の勉強机に置いてある目覚まし時計に目をやった。
そうか、昨日はどうせ明日も春休みだろうと思って目覚まし時計をセットしなかったのか……。
いや、学校側もなぜ長期休暇の次の日を通常時間での登校にするのだろうか。そんな急な変化に俺と言う人種がついていけるはずないのに…。せめて1時間ほどずらしてくれればなあ。
心のなかでぶつくさと文句を言うと、ハッと我に帰る。
今は8時16分、入学式が始まるのは8時30分。この学園都市の北端に位置する我が家から学校までは、どんなに急いでも15分はかかるだろう。
うーん……
詰んだ。
そもそも支度も何もしていないのだ。どう頑張ったって間に合いはしない。
「ちょっとこれ……時間大丈夫なの?入学初日から遅刻って、洒落にならないよ……?」
妹は心配そうな顔でこちらを見つめる。そんな顔されたら、どうにかするのが男ってもんじゃないか?
だがしかし、あの手は極力使いたくない。こんな朝っぱらから使っていいものではないのだ。
まあ、でも。
「これしかないよなぁ………」
俺はそう呟くと、おもむろに立ち上がり、目覚まし時計の横に置いてある腕時計を手に持った。
何の変哲もない、ごくありふれた腕時計だ。
俺はそれを左手首に巻くと、右隣で立ち尽くしている少女に声をかけた。
「よし、雪菜。俺と手繋げ」
「………へ?」
………うーむ、言った後で気づいた。これは多分誤解を呼んでる。
「ふーん……兄さん、そういう趣味、だったんだ……ちょっと、以外、かも」
「ち……違う!違うぞ、断じて!い、いいから早く!遅刻してもいいのか?」
うん、違うはずだ。俺は決してシスコンなどではない……多分。
雪菜は訝しい視線をこちらに向けながらも、遅刻という言葉に反応したか、俺の右手をきゅっと掴む。
8時1…7分……よし、いける。
俺は大きく息を吸うと、雪菜の手を握っている右手と、腕時計を着けた左手に力を込めた。
これ、こんなところで役に立つからタチが悪いんだよなぁ………まあ別に、いいんだけどさ。
ふと、横に立つ妹に目をやる。昔から皆に俺とは似てない似てないと言われ続けてきたから多分大丈夫だろうが……。
お前は、俺みたいにはなるなよ。
ふぅぅーーっと深呼吸すると、俺は目を見開き、こう唱えた。
「時空飛行」
一瞬、世界が反転した。
「う……ん……?」
やはりだめだ……これをやるときの感覚は、いくらたっても慣れる気がしない。
「何があったの? …なんか頭がくらくらするんだけど……」
俺は握っている雪菜の手を離すと、目覚まし時計を指差した。
その電子盤に表示された時間は、8時05分。
俺が起きる10分前だ。
俺の指差す先を見て、雪菜は小さく声を上げる。
「あれ?……嘘……時間、戻ってる?」
不思議そうな顔をする彼女の後ろで、俺は大きく溜め息をついた。
俺の名前は榊 暁也。時空飛行の能力を持つ、ただの平凡な高校生2年生だ。
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「っはぁっ!……はぁ、はぁ……うぷっ……!」
「ちょ…ちょっと……大丈夫? 頼むから吐くのだけは止めてよね……」
俺はただ今、現在進行形で学校へ猛ダッシュしている。
中高と帰宅部な俺は、体力にすこぶる自信が無い。 そんな俺のペースに合わせてくれる妹に気遣いまでされるのは、何かものすごい罪悪感を感じる。
俺なんかが進級式に遅刻するぐらいどうってことは無いのだが、こいつはそうはいかない。
高校生活という新たなスタートを切る今日、当然人間関係もほぼゼロの状態からスタートする。
そんな日に遅刻でもするなぞ自殺行為だ。浮きに浮いて友達なんぞ出来るはずが無い。
もちろん俺の妹はそういう目にはなって欲しくない。ここは俺が「俺には構うな……先に行け!」とでも言って雪菜に先に行ってもらうことにしよう。や、1回言ってみたかったんだよね、このセリフ。
俺はこの事を伝えようと荒い息を吐く口を開けたが、俺が出しかけた声は雪菜のやや興奮ぎみの声によって遮られてしまった。
「ねえ、さっきのって兄さんの能力でしょ? あれってどんな能力なの!?」
そうか、こいつはつい1週間前に一人暮らし中の俺の家に引っ越ししてきた(俺はそんな話ちっとも聞いていなかったのだが)ので、俺の能力について、いやそれ以前にこの学園都市のルールについてもよくわかっていないのだろう。まあ、それは入学式で色々と説明があるだろうからいいのだが。
うーむ、どうやら俺も色々とここで説明をしといたほうがいいようだ。まあこのままなら少しペースを落としても雪菜に先に行って貰わずとも何とか間に合うだろう。
「はぁ、はぁ……ふぅ……俺のは、時空飛行って言う能力だ。……まあ、大体想像つくだろうが……記憶を引き継いだまま過去へ移動することが出来る」
息を整えつつ俺が説明すると、雪菜は目を爛々と輝かせながらこう言った。
「おおーー! それって結構すごいやつじゃないの? じゃあ私今度、それやって恐竜見に行きたい!」
へぇ、こいつもそんな小学生の男子みたいな願望があるのか。いつもは声を張り上げたりしない雪菜がこんなに大きめな声でまくし立てて言っているので、恐らく本当に行きたいのだろう。
だが、こいつは何か勘違いをしているようだ。
「おい……話を最後まで聞けよな、さっき言っただけの能力だったら俺はどんなに喜んでいたことか……」
俺は唇を噛み締めながら言う。
「いいか、この能力には制約が2つある。1つは1日1回しか使えないこと。もう1つは10分前までしか戻れないことだ。だからお前のその希望には答えることはできない」
そこまで言うと、雪菜は微妙………とでも言いたげな表情でこちらを見る。こいつ、すぐ表情に思ってることが出るんだよな。わかりやすくていいのだが、もう少しセーブしていただけないとこっちが傷つく。
でも確かに微妙だから言い返せない。俺もこいつを貰った当時は、あれ?これ強いんじゃね?と少し思ったが、よくよく考えれば能力が使える学園都市内に、競馬場やら競艇やらの時間戻したらがっぽり金が手にはいる場所はないし、テスト中は能力使用禁止だし、戦闘では時間を戻したところで俺の強さは変わらないので、またやられに行くだけになる。
「でも、使いようによっては色々出来るんじゃない? よく聞くような能力だけに……」
「まぁ、それはそうかもしれないけど、どうしても学園都市だと、そういう特殊能力系よりも単純な戦闘能力強化系の方が強いんだよな……」
俺ももうちょい派手な能力がよかったなぁ……。時空飛行は使用者ともう一人しか使っているところがわからないので、どうしても地味な能力ということになってしまう。クラスメートでもろくに俺の能力知ってるやついないんじゃないか?
まあ、皆に能力が知られていないというのは自分にとってアドバンテージにもなるので、そういう面ではいいとも言えるが。
「ふーん、そういうものなのね」
「お前もすぐわかるさ、1ヶ月もすりゃ大体のカーストの構図とか、戦い方とかな……っと」
そこまで言うと、目の前に大きな建物の密集地が見えてきた。
統一感のあるコンクリート製の校舎の周りには木々が生い茂り、その向こうから微かに生徒の声が聞こえてくる。
ここが俺たちの通う、国立先進能力育成第一高等学校、通常第一高である。
隣の雪菜はどこかほへーっとした顔で学校を見る。こいつ学校来るのも初めてなのか。
まあ、初見ではここは結構驚く所だろう。特に広さが。
校舎が学年ごと1つづつ、合計3つ。その他にも体育館が幾つかに講堂やら格技場やら図書館やら実習棟やら……色々な学校の施設がところ狭しと並んでいる。面積もかなりのもので、ここ全体でかくれんぼでもやったら相当楽しいだろうな……とはよく思う。
さて、そろそろ急がないと、間に合わなくなってしまう。
「よし、入学式をやる講堂は正門を入ってすぐ右だ。こっから急ぐぞ。バテないでちゃんとついてこいよ」
「もう……それはこっちのセリフだってば……」
呆れたように溜め息をつきつつ微笑む雪菜を横目に、俺は正門に向けて走り出した。
その時、ふと雪菜とは逆の方向を見る。
特に意味は無かったが、何か微かな違和感があった。
横に伸びている道は、何事もないように長く続いている。
そのずっとずっと奥に、2つの人影を見た……気がした。
遠く離れたその影は、顔はおろか人なのかさえも分からなかったが、
その影に、少しの既視感を感じる。
「……あれは…」
その時、一陣の風が吹く。
俺は飛んでくる砂を防ぐため、目を閉じた……ほんの一瞬だけ。
何か、見てはいけないものを見てしまった気がした。
俺の背筋を寒気が走る。
これ以上見てはいけない……ような気がしたが、どうしてもそこに何があったのか、確認したかった。
すぐに閉じた目を開き、急いで横を見る。
そこには先程の影は無く、ただただ真っ直ぐに続く、道が見えるだけだった。
だが、無意識に口から漏れた声はある人物の名を指している。
「眞野………?」
「?……どうかした? 兄さん」
急に立ち止まり言葉を呟く俺を、雪菜は心配そうに見上げていた。
「いや……」
俺はすぐに体の向きを変え、学校へと向き直る。ふと上を見ると、先程までの雲一つ無い青空が一変して、黒い雲が空を覆いつつあった。
「………なんでもない」
俺はそう言うと、足早に学校へ駆け出した。




