第1072話 大海戦の始まり
紅炎の月14日、早朝。
ルーンの首都サンクレインにある最大規模の軍港には、帝国とルーンを合わせた一大海軍戦力、連合艦隊が集結していた。
レムリア一の海軍戦力を自負するルーンであっても、帝国海軍も加わり何十隻も巨大な軍艦が並ぶ様は見たことが無いだろう。
しかし、ルーンの誰もが注目するのは、海ではなく、むしろ空。錚々たる大艦隊の直上に鎮座する、空飛ぶ要塞……否、現代に蘇った古代兵器、天空母艦である。
魔王を象徴する漆黒に彩られた天空母艦、その一室にて連合艦隊を率いる重責を負うこととなった、ネル提督は静かに出撃の朝を迎えた。
朝食は一人で。配膳の侍女だけが部屋を出入りするのみ。
これから始まる大海戦、その前にとれる最後の落ち着いた一時を堪能。
そうして、心静かにブリッジへと向かおうか、と席を立った矢先に、無遠慮に扉が開かれる。
「おはようございます」
「……おはようございます」
現れたのはフィオナである。
自分と同じく、いいや、それ以上にこの戦いにおいて大きな責を負う立場だが、その顔はどこまでもいつも通りにボンヤリ顔。緊張という概念が存在しないかの如き自然体であった。
「それで、わざわざ部屋にまで来るなんて、どうされたのですか」
「ええ、実はですね――――さっきまで食堂で朝食をいただいていたのですが」
この改修型天空母艦を設計したフィオナには、当然のことながら専用の部屋がある。部屋というより、一角丸ごと専用機密区画だ。ともかく、自分と同じく普通はそこで済ませるはずだが……フィオナのことである、ただ近くを通りがかったら食べたくなった、くらいの大した理由は無いだろうとネルは察した。
「これがとても美味しくてですね、やっぱりルーンの海鮮は絶品です。食堂にもこだわった甲斐がありました」
「はぁ……フィオナさん、今ほど貴女を羨ましいと思ったことはないですよ」
「えっ、私の初体験を覗き見した時よりもですか?」
「キェエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!」
奇声を上げてネルに掴みかかられて、本気でビックリした顔をしているのが、一切の悪意なく特大地雷を踏めるフィオナという魔女である。
フィオナが自分の初体験を成功させるための踏み台としてネルを利用し、クロノの傷心につけ込んだ卑劣な、しかし確かな成果を上げた恋愛の駆け引きは、今となっては全てが良い思い出……となるには、あまりにも時間が足りていなかった。
サリエルは勿論、リリィでさえ流石に不憫に思ってネタにはしないネルの黒歴史トップ。だが陥れた張本人たるフィオナ自身が何とも思ってないので、平気で口にするという無法がまかり通り……ネルが発狂するのも止む無しといったところ。
清楚可憐な理想のお姫様で通っているネルが、奇声を上げて襲い掛かるという凶行を、人払いを済ませた一室のお陰で誰にも目撃されなかったことは幸いであった。
「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか」
「これ以上に私を怒らせる言葉なんて早々無いですよ!」
これでクロノと結ばれていなければ、全力で『一式・徹し』をぶち込んでいただろう。
静かな朝の時間はすでに彼方へと吹き飛び、ネルはむくれた表情でフィオナにケチをつけていると、
「あ、あのぉ……」
「すみません、今取り込み中なのでもう少し待っててもらっていいですか?」
「えっ、この声ってもしかして、ファナコ姫ではありませんか!?」
見れば、扉をちょこっとだけ開けた隙間から、幽霊のように長い髪を垂らした瓶底眼鏡をかけた女の顔が覗いている。
察しの良いネルは一声で気づいたが、もう顔まで見えているので間違い無かった。
「どうしてファナコ姫が」
「食堂で会って、ネルに挨拶しておきたいと言うので連れてきました」
「朝食美味しい話いらなかったじゃないですか!」
「ネルが怒るから話がこじれたのでは?」
「ああっ、もういいです。そんなことより、ファナコ姫はどうされたのですか。確か、ヴェーダへ留学したと聞いていましたが」
フィオナに責任追及するのは不毛だと割り切ったネルは、とりあえず自分を訪ねてきたというファナコの応対をすることにした。
ヴェーダ留学の話は、本人の希望であったとクロノから聞いている。あの気弱な文学少女のファナコ姫が、とネルはこれまでの彼女のイメージから意外に感じたが、己の加護と向き合うならば、武術の修行が発達したヴェーダは良い場所だとも思えた。
「あっ、はい、その通りなのですが……修行も一区切りがつきまして……何とか、戦いに間に合うよう、戻って来れました」
「まるで自分もこの戦いに加わる、という言い方ですが」
「はい、私も戦います」
語弊など一切無いよう、ファナコはそう力強く言い切った。
魔王の婚約者に加わったことで、ルーンの姫君であること以上の責任感はあろう。ネルもアヴァロンの姫君として、ファナコの思うところは理解しているつもりだ。
こうして対面しているだけでも、その真っ直ぐな気持ちがテレパシーで感じるほどに。
「そのお気持ちはご立派ですが、貴女の覚悟に見合った力はありますか」
「別に大丈夫じゃないですか?」
「フィオナさんはちょっと黙っててください」
「ネル姫の懸念は当然でしょう。何せ私は引き籠りのヘナチョコでしたから――――」
余計な口を挟むフィオナを抑えるネル、そんな二人の気安い姿を少し羨ましく思いながら、ファナコは鬼の眼を封じる眼鏡を外した。
「――――ですが、そんな私にもようやく覚悟と、それに伴う力を身に着けることが出来ました」
「驚きました、もうそこまで制御できるようになっているのですね」
露わとなったファナコの眼に、鬼神の威風は宿らない。
そこにはただ、鮮やかなアメジストのような深い紫色に煌めく鋭い瞳があるだけ。
「意識しなければ抑え込めませんので、まだまだ未熟ですが」
言いながら、ファナコは再び眼鏡をかける。
「それでも、戦場でお役に立てる程度には、鬼神の力を使えます。ご命令とあらば、近衛を率いて敵艦に乗り込んで見せましょう」
「どうやら、本気のようですね」
「だから大丈夫だって言ったじゃないですか。グリードゴアをソロ討伐できる実力あるんですから」
「えっ、倒したんですか!?」
グリードゴアはネルとしても思い出深いモンスターである。
イスキア古城を襲ったグリードゴアは、スロウスギルという別な寄生型モンスターに操られており、強力な雷ブレスも使う特殊個体でもあったが……そうでなくとも、グリードゴアは堂々の危険度ランク5に名を連ねるモンスターである。
「ヴェーダ傭兵団に、リリィ女王から大地竜渓谷の古代遺跡攻略が依頼されておりまして……実戦経験にちょうど良いと、私も同行したのです」
「なるほど、確かに大地竜渓谷ならグリードゴアの生息地ですし、遭遇することもあるのでしょうけど……しかし、リリィさんがそんな依頼を出していたなんて」
「まぁ、リリィさんのことですから、何か考えがあるんですよ」
「フィオナさんは何か?」
「私も忙しかったので、何も聞いてませんね」
「えっと、もしかして、言ったらダメな話でした……?」
「いえ、お気になさらず。必要ならリリィさんがちゃんと伝えてくれるでしょうし」
「そうですね。私達はこっちに集中していればいい、ということでしょう」
気になることは多々あれど、リリィの差配したことならばと全幅の信頼によって、根掘り葉掘り聞き出すことはしなかった。
フィオナの言う通り、自分達はただ任された戦場で勝つことだけを考えていれば良いのだ。
「では、私が聞くべきことは一つだけ。ファナコ姫は、どうやってグリードゴアを倒したのですか?」
「殴って倒しました!」
グっと両拳を握りしめて、高らかに言い切るファナコへ、ネルはにっこり笑って応えた。
「それでは、よろしくお願いします。鬼神の御力、どうぞ私達にお貸しください」
「は、はい! よろしくお願いしゃぁあす!」
「私も格闘には少しばかり自信があるので、後でお手合わせ願います」
天空母艦の甲板上で行われた二人の組手は、圧倒的鬼神パワーをネルが古流柔術の技で完封し、自信を失ってファナコが引き籠るのだが、それはまた後日の話。
今は半ば飛び込み参加のような形となったファナコを追加戦力として受け入れることをネルは了承。
フィオナとファナコの二人を連れて、ネルは提督としての務めを果たすべく、部屋を出てブリッジへと向かうこととした。
朝に一人でいた時に感じていたプレッシャーも、良くも悪くもフィオナの変わらぬ態度で紛らわせることができた。修行を経て力と自信をつけて参加を決めたファナコの気持ちも、嬉しく思える。
そうして、ネルはクルーが揃ったブリッジへと辿り着いた時には、キリリと凛々しくも美しい表情へと引き締まっていた。
一方フィオナは、まだ朝に食べたデカい海老の話をファナコにしていた。
「おはようございます、ネル姫様」
「おはよう、セリス。今日はよろしくお願いしますね」
ブリッジでネルを出迎えたのは、暗黒騎士のセリスであった。
重力を操る強力な加護は戦人機にも通用するが、クロノは悩んだ末に、ネルの副官として傍につけることを選択したのであった。
オルテンシアは強敵だが、ロンバルトもまた決して侮れない相手である。まして帝国では全く経験のない海戦でもあり、提督という重責を押し付ける羽目になったネルには、せめて実力含めて信頼できる副官をつけてやりたかった。
その役目は幼馴染でもあり、暗黒騎士のエースとして力もつけたセリスを置いて、他にはいなかった。
「――――さて、皆さんお揃いですね」
一通り挨拶とセリスからの報告と事務連絡を済ませ、ネルは提督として改めて語りかける。
ブリッジに詰めかけているのは、帝国軍将校。主だった面子はアヴァロン出身者であり、ネルとは顔見知り。そして何より、次代のアヴァロンを担う最も優秀な者達をミリアルドが集めたのだ。クロノと同じく、ネルが信頼できる者を傍につけたいとの思いが故である。
彼らの仕事は、ネルが何かをする必要がないほど完璧に艦隊運営をこなすこと。現状、それは上手くいっており、ルーン艦隊との連携も密になっている。
天空母艦は旗艦として、このブリッジがロンバルトとの決戦における最高司令部となる。
一方、天空母艦そのものを操艦するクルーは、大半が『魔女工房』メンバーで占められていた。
なにせ改修だけでも期限ギリギリの大仕事。その上、フィオナの独自設計による特別仕様ともあり、リリィが育てていた天空戦艦用のホムンクルスだけでは対応しきれない艦となっている。
この艦について最も理解しているのは、実際に改修をしたデイン達ドワーフ職人組。
そして完成後にいきなり乗艦を命じられ、いざ空を飛んでルーンへと向かう航路の途中になって、彼らはようやく気づいた。
フィオナは最初から、自分達をクルーにするつもりで仕事を振っていたことを。
道理で、やたらとブリッジのシステムを弄らされたのだとデインは思った。フィオナ直々の指導によって、高度な古代の演算システムを学べることについのめり込んでしまったが……何てことはない、デインを立派なブリッジ要員にするべく、育てていただけの話。
質が悪いのは、指導のお陰で艦への理解が深まり、改修は上手くいったし、実際に艦を飛ばすのにも何の支障も無いほど習熟できてしまっていることだった。
しかしデインは、まだ自分はマシな方だと思っている。
一番可哀想なのは、艦長という重責を押し付けられたウルスラであろう。
本来の立場は、第一突撃大隊所属の一隊員に過ぎないのだが……名実ともにフィオナの一番弟子となったのが災いした。
階級も年齢も全く見合わない、と反対されて当然。しかし、ウルスラよりもフィオナと天空母艦の両方を理解している者はいなかった。
デインとて知識は天空母艦に偏り、フィオナの天才的な魔法理論を解することはできないし、まして実戦でその意図を正確に汲める自信などない。
だがウルスラは違う。彼女は曲がりなりにも、ダマスク攻略でフィオナをサポートし、その役目を見事に果たし切った。戦闘時のフィオナの求めに応じられるのは、一番弟子ウルスラを置いて他にはいない。
とても帝国軍の命運を握る決戦兵器を任せるに足る人選とは思えないが、この艦は天空母艦である以上に、フィオナの専用兵器。ならばその運用は戦略兵器としての観点よりも、フィオナ個人が最大限に力を発揮できる扱いをすべき――――と、魔王クロノも女王リリィも認めてしまった以上、最早誰にも口を挟める問題では無かった。
かくして、事ここに至っては覚悟を決めるより他はない状況なので、艦長席に座ったウルスラは凪のように穏やかな表情を浮かべているのだった。
そんな悲哀の少女艦長を傍らに、ネルは穏やかに言葉を紡ぐ。
「いよいよ、出撃の時が来ました。ロンバルトは、すでに目前へと迫ってきています」
ブリッジは勿論、通信を繋いだ、この場に集った連合艦隊の全てに向けて提督の言葉は発せられる。
互いに示し合わせたかのように、両国は万全の戦力が勢揃い。ロンバルト艦隊は侵攻すべく、連合艦隊は迎撃すべく、ついにレムリアの大海原へと乗り出す。
古代兵器と大艦隊による一大海戦の始まりを、誰もが予感した。
「西方大帝ザメクは、パンドラ統一の野心を明らかに侵攻を始めました。もし彼がその強烈な野心でもって、パンドラを侵略し残虐非道の限りを尽くす十字軍を倒したならば、大陸を統べる器と認めることもできたでしょう――――ですが、このエルロード帝国を、パンドラ大陸の半分を解放してみせたのは、我らが皇帝陛下、黒き神々が認めし魔王クロノなのです」
確かに、ザメクには偉大な王たる器と力を併せ持つのだろう。西の小さな都市国家から、短期間で西部統一を成し遂げ、多くの民を統べ、数多の英雄を従える、希代の君主である。
だがしかし、十字教によって滅亡の憂き目にあった国々を取り戻したのはクロノだ。あの邪悪な侵略者に抗うべく、その力を尽くしてきた。
使徒を倒し、大軍を退け、奪われた故郷を取り戻したのは、ザメクではない。魔王クロノだ、とネルは声高に主張する。
「これから十字軍よりスパーダを取り戻し、ダイダロスからも追い出し、パンドラから完全に駆逐する、その平和を成し遂げる寸前に此度の宣戦布告は、最早、利敵行為といっても過言ではありません。ザメクにパンドラの平和を思う気持ちなどありません、あるのはただ、己の支配欲のみ。かような輩に、もうすぐ手が届く平和と安息を乱されることは、決してあってはなりません」
四帝会談で、クロノが心から思った。今更出てきて、邪魔するんじゃねぇ――――その思いは、ネルとて同じ。
帝国の大半を占める十字軍に滅ぼされた国々の者なら、誰だってそう思うだろう。
「ロンバルトの艦隊をレムリアで止められなければ、大陸全土は再び戦火の嵐に包まれるでしょう。そのような蛮行を、決して許してはなりません。強欲の王は、必ずこの一戦で討ち果たし、苦難の果てに手にしたこの平和を何としても守り抜くのです!」
ネルの勇ましい号令によって、連合艦隊は動き出す。
巨大な艦艇は一斉に唸りをあげ、備えた太い煙突から濛々と黒煙を噴き出した。
それは天空戦艦をも擁するロンバルトの大艦隊を相手するために、急遽開発された動力炉が稼動を始めた証。
先進的な海軍戦力を持つルーン、その花形とも言える戦艦は、魔力を動力源とした魔導式である。人力、風力、あるいは補助の魔法程度とは一線を画す推進力を誇る魔導式戦艦だが、当然、運用には高いコストがかかる。
基本的には一定水準を超える魔力の結晶を燃料とし、それを補うように追加の魔力と機関操作を担う、専門の魔術師が部隊単位で必要とする。
それそのものが高度な魔法技術の結晶たる魔導式動力炉、それを動かすための高価な燃料と、専門の人材。おいそれと魔導式の艦を増やせない、シンプルにして最大の理由であったが――――『魔女工房』は、その量産と低コスト化を成功させた。
フィオナがルーンから海底遺跡を分捕る条件の一つとして、海魔軍の持つ爆発する油、通称『黒油』を魔力結晶に変わる魔力エネルギー資源としての実用化があった。
ただでさえ輸入頼みの上に、虎の子の魔導戦艦を動かす戦略物資でもある魔力結晶。これを自国で賄えるようになれば、どれほどの恩恵があるか。
と、話を受けた第二執政官ソージロも、これを承認にしたハナウ王も、数年、数十年、と長い目で見た計画としていたが……一大決戦の一角を任されたフィオナは、即座にこれの実用化へとこぎ着けた。
黒油が炸裂するのを見た瞬間から、その魔法理論と実用方法を閃ていたフィオナだったが、ロンバルトとの一戦が無ければそこまで開発は急がなかった。いつものボンヤリ顔で仲間を振り回してはそのままぶん投げるフィオナだが、その実、不動のマイペースを維持する彼女としても、今回は頑張った自覚がある。
可愛い妹を道連れに、命懸けの不死鳥チャレンジは、自分自身の力のため。
天空母艦を引き受け、デイン以下ドワーフ職人を地獄のデスマーチに叩き落とした大規模改修は、決戦兵力のため。
そして黒油による新型動力炉の開発は、艦隊戦力の全体的な底上げのため。
そのフィオナの努力の一部と、実際の量産を丸投げされたクーリエの血と汗と涙の結晶が、晴れて連合艦隊の中型艦以上に実装された、新型動力炉『黒炎炉』である。
基本構造は『煉獄炉』と同様。ただし燃料を黒油のみとし、ただ船の推進機関を動かすためだけの単純な出力機構へと、大幅に簡素化されている。
その極限まで無駄をそぎ落とした設計は、超一流職人のデインと魔術結社の長たるクーリエの両名が見ても、美しい機能美の結晶と賞賛する完成度。これは素晴らしいものだ、魔導式動力炉に革命をもたらす一品――――だがしかし、短期間で量産の上、実装するのは地獄以外の何物でもなかった。
丸投げされたクーリエは優雅な麗人の仮面がバキバキに割れるほどの過重労働。かといって最も頼れる職人デインと一番弟子ウルスラは、他の仕事で自分と同じ状態になっており、とても助けなど求められる状況ではない。
もしもの時を見越して、海底遺跡でのホムンクルスを増産していたことと、『魔女工房』本拠地からオートメーション化の作業用ゴーレムの群れを融通してくれなければ、死んでいた。
そして死ぬ気で量産化を果たした『黒炎炉』を、既存の艦艇に実装し、短期間で習熟訓練をこなす、現場の作業員と海兵も、同じ地獄を見たことだろう。
そんな涙も枯れる地獄を潜り抜け、ネルの眼下には怒れるドラゴンが如く、濛々と黒煙を噴きながら一斉に動き出す連合艦隊の雄姿が映るのであった。
そして走り始めた艦隊の先頭を行くべく、浮遊状態で停止していた天空母艦もレムリアの水平線へと船首を向けた。
「連合艦隊旗艦、天空母艦『プルガトリオ』、発進!」
自由奔放なワガママの極みを演じる第十一使徒ミサの居城であった、白亜の宮殿を載せていた空中要塞ピースフルハート。
その白き使徒の城は今、黒き魔女が創り上げた漆黒の神殿と化していた。
アーク大陸のとある地方に伝わる、古い言葉で『煉獄』を意味する名を授かり、全ての敵を焼き尽くすべく――――
◇◇◇
「グレゴリウスよ、よくやった」
ははぁ! と大袈裟にひれ伏す狐面の男、十字教司祭グレゴリウスの姿を、ザメクは労いの言葉とは裏腹に、剣呑な目つきで見下ろしていた。
「誠に大義である。お前の言葉に嘘は無かった。見事に我が天空戦艦を飛ばし、大いなる古代の叡智を与えてくれた」
「あるべき者のところへ、巡っただけのこと。私はただ一人の聖職者として、神のご意志に従ったに過ぎません」
ロンバルトが誇る天空戦艦アスガルドは、今まさに空を飛んでいる。レーベリア海の上空を、その先で待ち構える帝国とルーンによる連合艦隊へ向けて。
アスガルドのブリッジ、大帝が座るに相応しい豪奢な玉座仕様となった艦長席に腰を下ろしたザメク。大海戦の作戦開始前、その中枢部で君主の前に立つことをグレゴリウスは許されていた。
だが、それはあくまで今回の功績に報いた特別待遇。これ以上はない。
つまり、この戦いにグレゴリウスを関わらせるつもりは一切なかった。
「さて、グレゴリウスよ。この功績をもって、お前は何を望む?」
「これ以上は、もう何も。私の望みは、すでに叶えられておりますので」
「余はまだ何も、お前にくれてやった覚えはないのだがな」
「陛下がこのアスガルドに乗り、空前絶後の大艦隊を率いて出征を果たす……この大事を成し遂げるために、私は遥々ロンバルトへと参ったのでございます。ですので、今こうして帰り道に相乗りさせていただいただけで十分。これ以上を望めば、罰が当たるというものです」
心から感謝をしている、とばかりに満面の笑みを浮かべて言い切るグレゴリウス。
実際、乗艦しているのは彼の希望であり、航路の途中で天馬馬車に乗って帰国の途につくこととなっていた。
万が一があってはならない、とグレゴリウスが持ち込んだ天馬馬車と御者となる者、どちらも厳重に取り調べの上、見張りを立てて格納庫の一角に隔離してある。
西方教会が秘匿していた古代遺跡を再起動させ、天空戦艦の飛行能力を復活させ、ロンバルトの大陸征服にグレゴリウスは大きく貢献した。そして今は、その功績に何ら大きな褒賞を求めることなく、ただ一人静かに去ろうとしている。
今にも裏切りそうな、胡散臭さ極まる顔と軽薄な雰囲気を纏わせながらも、この男の言動に、初めから終わりまで嘘は無かった。全てが有言実行。
故に、ザメクもここでただ去ると言うのならば、引き留めるつもりはない。やはり怪しいからと、背中を撃つような真似もしない。
信賞必罰を明らかにするのは、ザメクが王として自らに課した法の一つでもある。
グレゴリウスは望んでいないが、手切れ金としてそれなりの金貨も馬車に積ませてやった。
「うむ、そうか……まぁ、お前がロンバルトと帝国とで潰し合いをするのが望みであれば、確かにそれは叶ったワケだ」
「ふふふ、私のような者が関わらずとも、大望をお持ちの陛下ならば、決して避けられぬ運命であったでしょう」
「然り。あのオルテンシアが動いた、今この時こそ、レムリアの東へ乗り出す絶好の機である。これは余が自ら望んだ戦である」
「ええ、その通り。私はただ、ほんの少しだけ戦力増強のお手伝いをさせていただいたに過ぎません」
自分は大したことはしていない、と殊更に強調するグレゴリウスの慇懃な態度は、実に鼻につく。だがそれにケチをつける者は、ここには誰もいない。
ザメクとて、この底知れぬ怪しさを秘めた男とは、今ここで手を切るべきだと確信しているのだから。
「それでは陛下、私はここでお暇させていただきます」
「うむ、徹頭徹尾、見事な道化ぶりであった。余もお前の素顔を垣間見ることは無かったが……まぁ、良い。グレゴリウス、貴様とは二度と相まみえることも無かろう。精々、達者でいるといい」
やや渋面で別れの言葉を放つザメクに、グレゴリウスは変わらぬ笑みをたたえて、深く礼をして退室していった。
それから間もなく、グレゴリウスが予定通り天馬馬車にて出発。近場の港町を目指して飛んで行った――――
◇◇◇
レムリア海上、発進してきた天空戦艦が見えなくなってしばし。天馬馬車の中で、撃墜されなかったことにホッと安堵したグレゴリウスは、義理堅いザメクの土産である金貨を暇つぶしに数えていた。
万にも及ぶその数を数え切ったところで、グレゴリウスは深く息を吐く。
「くくっ、西方大帝ザメク、貴方は確かに偉大な王だった」
有言実行はザメクの方であったと、グレゴリウスは振り返る。
可能性があると見るや、自分に古代遺跡を任せたこと。実績を挙げれば、それに応じて予算も人手も権限も増えた。その分、疑惑の眼差しと警戒感も日に日に高まったが……最終的にザメクは、こんな大金まで持たせた上で、自分を見逃した。
シンクレアでは、絶対にありえない待遇と処遇であった。
「貴方のような本物の覇王に仕えた者は、幸せ者ですね」
これほどの大器があればこそ、平らげた西部各国から取り立てた英雄達も、忠誠を誓っているのだろう。
もしも自分が、最初に仕えたのが神ではなくザメクであったなら……そんなことを、ふと考えてしまうほど。
純粋に一人の男として見れば、クロノよりもザメクの方が君主に相応しい。正に王となるべくして、王となった男。
「ですが所詮、我ら人は神の手によって弄ばれるもの……ただの善良な青年を、魔王にまで祭り上げてしまうのですからねぇ」
王になどは向かない、平凡な感性の青年に過ぎなかったクロノは、名実ともに魔王となった。そして本物の覇王たるザメクとも堂々と渡り合い……そして必ず、勝利するだろう。
随分、遠くまで来たものだ。『白の秘蹟』の施設から脱走してより、クロノの動向を把握し続けていたグレゴリウスは、ついそんな感傷的な気分になる。
予言に従い、彼を追ってきた自分もまた、遠くに来たのは同じであるから。
「このパンドラでの仕事も、残すところあと僅か――――」
静かに瞳を閉じれば、自然と見えて来る。
白き神がもたらす予言、『神意』が示す未来の景色が。
そこでグレゴリウスは垣間見る。
邪悪なる漆黒に包まれた魔王の城。それを切り裂くかのように差し込む、一筋の白い光を。
「それでは、最後のお仕事、勇者様のお出迎えの準備をするとしましょうか」




