番外編①・前編 公爵令嬢は家庭教師の準備を始める
卒業パーティーから一週間。
クラリッサは忙しい日々を過ごしている。
かつての家庭教師イヴリン先生に公爵邸へ来ていただき、家庭教師として必要な準備を進めている。
「これで礼法の復習は、一通り終わりました」
イヴリン先生が読んでいた教本をパタンと閉じた。
「はい。ありがとうございます」
「完璧でしたよ」
「本当ですか! 良かった」
礼法には自信があったが、それでもイヴリン先生に太鼓判を押してもらえると安心する。
「それにしても、あの頃はメモなんて全く取られませんでしたのに」
「う……すみません」
「それでも、貴女は優秀な生徒でしたね」
「そうなのですか?」
「ええ。礼法は」
「ふふ、ありがとうございます」
「ところで……」
イヴリン先生の視線が、クラリッサの手元の手帳に向けられている。
「今書かれているメモは、教える為のメモということですね」
「はい! 自分では何となくできますけど、教えるとなるとやっぱり違います」
「……本気なのですね」
「もちろんです」
そう返すと、イヴリン先生はジッとクラリッサを見た。
そして。
「それなら、身だしなみや持ち物も整えた方がいいかもしれませんね」
と言った。
* * *
イヴリン先生と一緒に自室へと行き、家庭教師先で使用する予定の私物を確認する。
「……その万年筆も、少し華やかすぎるかもしれません」
イヴリン先生の言葉にクラリッサは手元へと視線を落とした。
愛用の万年筆はピンク色で、金色の縁取りと可愛らしい花の模様が施されている。
「華やか……」
「ええ、基本的には落ち着いた色合いで、雇用先から反感を買わないようにするのが無難というものです」
「……反感……無難……」
クラリッサがそう繰り返すと、イヴリン先生は少しだけ眉を下げた。
「家庭教師は雇用される側です。使用人と同じ立場と考えてください」
「……そう、ですわね」
言われてみれば、イヴリン先生の持ち物は茶色や紺色の物が多く、今着ている服も白いブラウスに紺色の足首までのスカート、同じ色の腰丈のジャケットだ。
クラリッサは手帳をテーブルの上に置き、椅子から立ち上がった。
そして、クローゼットの扉を開ける。
「……無いですわ」
隅から隅まで確認しても、該当するような服は無かった。
どれも華やかな色合いのもので、紺色のワンピースが一着あるものの。
「少し装飾が華美ですね」
いつの間にか隣に来ていたイヴリン先生から、そう指摘をされる。
「どうしましょう……間に合うかしら」
顔合わせまで一週間程度しかない。
「大丈夫ですよ」
イヴリン先生の声は穏やかで、とても落ち着いている。
「家庭教師の服は仕立てる必要はありませんから」
言葉の意味が分からず、クラリッサは首を傾げる。
イヴリン先生は何故か苦笑いを浮かべていた。
* * *
翌日――
「まぁ、たくさんあるわ」
イヴリン先生の案内のもと、既製品が売られているというお店にクラリッサは来た。
ずらりと並ぶワンピース、ジャケット、コート。少し離れたところには、ドレスもある。
「本当ね」
お母様もとても珍しそうに、あちこちキョロキョロと見渡している。
お店のドアの前には護衛騎士が二人控え、お母様の侍女とイヴリン先生がクラリッサたちの後ろを歩く。他に人はいない。
昨日のうちにお母様がお店に連絡をして、貸し切りにしたのだ。
ちなみに店員さんは、来店してすぐに挨拶を交わしたあと、「御用があればお申しつけください」と一言残し、お店の奥で待機されている。
「イヴリン先生、家庭教師に相応しい服はどれかしら?」
たくさんありすぎて、クラリッサはどうしたらいいのか分からない。
いつもは仕立て屋さんが事前に厳選した数着の中から決めていて、これだけの中から選ぶというのは、初めての経験だ。
「わたくしが今着ているようなデザインが、一般的ですね」
イヴリン先生の今日の装いも、昨日とほぼ同じ。
ハイネックのブラウスに短いジャケット、それからロングスカート。ブラウスは白で、ジャケットとスカートが揃いの琥珀色。とても上品だ。
「ブラウスは白にするのがいいのかしら?」
「ええ、もしくはアイボリーでも」
「あら? この小花柄、可愛いわ」
「……ブラウスは出来れば柄物は避けた方が」
「……そうなの?」
「まぁ、残念ね。とても可愛いのに」
「お母様も思います?」
「ええ。こっちは部屋着にしたらどうかしら?」
「そうですわね……」
小花柄の白いブラウスを侍女に渡す。
「全くの無地よりは、このように縦のピンタックが入っているブラウスの方がすっきりして見えます」
イヴリン先生はそう言って、無地の白いブラウスと、細かくピンタックが入っているブラウスを比較できるように並べた。
「イヴリン先生が着用されているのも、こちらですわね」
「はい。重宝しています」
「真似してもいいのかしら?」
「ドレスとは違いますので安心してください。家庭教師の服は一点物よりも一般的なデザインの方が無難です」
「無難……」
「ええ。無難が一番です」
貴族令嬢としての感覚とは大きく違う。
クラリッサは戸惑いながらもイヴリン先生の助言に従い、ピンタックの白いハイネックのブラウス二着と、色違いのアイボリーのブラウス二着を選んだ。すると、お店の人が姿を現し、先ほどの小花柄のブラウスと一緒にお店の奥へと持って行った。
「次はスカートとジャケットですね」
イヴリン先生がスタスタと先導していく。
時折、気になる服もあるのだが、今日は家庭教師用の服を選びに来ているので、よそ見は厳禁。……お母様は自由に店内を歩き始めているが。
「こちらはセットになっていて、決めやすいかと思います」
イヴリン先生の言葉通り、腰丈のジャケットとロングスカート、それから細めのリボンタイがセットで並んでいた。
それらをひとつ、ひとつ、見ていく。
紺色、淡い栗色、茶色、カーキ色。
「……これだと、ダメかしら?」
ジャケットは腰丈で細身。細い銀糸の縁取りに、袖口には小さな銀色のボタンがあしらわれている。ハイウエストのスカートは、裾まで細かいプリーツが入り、ふわりと軽やかでありながらも、全体的にはすっきりとした印象だ。
クラリッサが気に入ったのは、その色だ。
――淡い青。
(……アジサイと同じ色だわ)
クラリッサの大好きな色だ。
でも、少し華やかな気もして、ちらりとイヴリン先生を窺う。
「そうですわね……」
イヴリン先生はそれをジッと見てから、手に取り、そしてクラリッサの体に当てた。
「意外と上品ですし、落ち着いて見えるかもしれませんね。試着されてはいかがです?」
「え?」
「まぁ、試着できるの?」
いつの間にかお母様が戻ってきていて、嬉しそうに声をあげた。
イヴリン先生が大きく頷くと、なぜかお母様の方が乗り気で、
「クラリッサ、こっちもどうかしら?」
そう言って、もう一着渡してきたのは、薄紫色のジャケットとロングスカートのセットだった。こちらも細かいプリーツがあしらわれている。クラリッサが選んだものの色違いのようだ。
「……こっちもアジサイみたいで素敵だわ!!」
「ふふ。貴女の好きな色だと思って。それに一着では足りないでしょうから、もっと選びましょう」
お母様は何故かいつもよりも興奮されていて、とても楽しそうだった。
* * *
買い物を終えても、お母様は上機嫌。
「いい買い物ができたわね」
「はい。イヴリン先生もお母様も、ありがとうございます」
服を買った後は文具屋に寄り、それからシルバートン・サロンへと来た。
ブランデルウッド公爵家ご用達のサロンなので、待たされることなく個室へと案内される。
(ふふ……あと二週間ぐらいで、ここでアリスさんと会うんだわ)
テーブルに並べられたケーキやお菓子。
(そういえば、アリスさんって何がお好きなのかしら? 甘いものが好きな感じはしませんけど)
サンドイッチを食べていた時のアリスさんに、あまり表情の変化はなかった。クラリッサと違って好き嫌いが無いタイプなのかもしれない。
「ねぇ、イヴリン」
「どうかされましたか?」
お母様がイヴリン先生に声を掛けた。イヴリン先生は元々お母様が王女だった頃の専属女官で、今でも仲が良い。
「髪型は特に指定はないのかしら? 貴女はひとつに纏めているじゃない?」
「……そうですね。クラリッサ様は髪が長いですし、少し整えた方がいいかもしれませんね」
「整える?」
クラリッサは腰まである髪をひと房、手に取った。
「ええ、わたくしのように低めの位置でシニヨンに纏められるか、そこまでしなくても一つに結われるか。そうすれば邪魔になりにくいかと」
「……邪魔」
「そうです。例えば……礼法の授業であれば、動くことになりますよね」
「はい」
「その際に、髪が生徒に触れたりすると不快に思われる方もいらっしゃいます」
「……それなら、髪を切ればいいのかしら?」
長いから邪魔になるのであれば、単純に短くすればいいのでは?とクラリッサは思った。
「いえ……そこまでされる必要は」
「まぁ! 面白そうね」
「ビクトリア様!!」
「お母様、この後すぐにでも」
「ええ、そうしましょう。イーディス、美容師に連絡をして、この後の予定を押さえて」
「……かしこまりました」
「ま、待ってください!! クラリッサ様は公爵令嬢で……」
「関係ありませんわ! 公爵令嬢が髪を短くしちゃいけないなんて決まってませんもの」
「ええ。そうよ。それに切っても髪は伸びるわ。……わたくしも短くしようかしら?」
「お願いです!! お二人とも……」
イヴリン先生は何故か悲痛な声で、クラリッサたちに訴えていた。
* * *
「ど……どういうことだ!!」
「クラリッサ……か、髪はどうした!!」
家に帰ったらお父様とお兄様がうるさかった。
「似合いません?」
あんなに反対していたイヴリン先生だって、髪を切ったクラリッサを見て「……とてもよくお似合いです……ええ似合ってはいます……いますが……」って、何度も似合っていると言って下さったのに、お父様とお兄様からその言葉がまだ聞けていない。
二人揃って、呆然とクラリッサを見て、叫んでいるだけ。
「……に、似合っては……いるが」
「可愛い……クラリッサは可愛い……だが!!」
(どうして、『だが』とか『が』……とか言うのかしら?)
クラリッサは後ろを振り返る。
お母様はにっこりと笑った。
「とても可愛いわ。クラリッサ」
お母様だけが、余計な言葉を付け加えない。
「わたくしも切りたかったわ……」
ただし、非常に残念そうではある。
お母様も『髪を切りたい』と大変乗り気だったのだが、イヴリン先生と、それから専属の美容師に『公爵様の許可を』と懇願され、髪を切るに至らなかったのだ。
* * *
その日の夜。
クラリッサは自室でひとり不安に駆られていた。
不安の元は、今日買った服。
ブラウスと同じように、ジャケットとロングスカートを四セット買った。
クラリッサが最初に気に入った淡い青と、お母様が選んだ薄紫色、イヴリン先生の選んだ紺色に、お店の人がおそるおそる提案して下さった淡い緑色。
イヴリン先生が選んだもの以外は、どれも色味が明るい。
それがクラリッサの不安を煽っている。
何度もイヴリン先生に確認はした。
それに対して先生は、『上品ですし、それにクラリッサ様でしたら却ってこれくらいの方が淑女らしさが出て、生徒とそのお母様も納得されるでしょう。下手に色味を落ち着かせるよりもいいかもしれません』という、謎の理論を持ち出してきたのだ。
(……本当に大丈夫なのかしら?)
クラリッサは、『落ち着いた雰囲気』というものに、自信がない。
今までは公爵令嬢として、華やかさや可愛らしさを求められ、与えられてきた。だから、自分に似合う『落ち着いた雰囲気』というものが分からない。
(落ち着かないわ)
机の上の万年筆を撫でる。
こちらも今日新調したのだ。
手帳は紺色にし、万年筆は青紫色。
紺色の手帳の上に万年筆を置くと、意外と青紫色の万年筆が可愛らしく映えていて、とても素敵ではあるのだが、同時に不安を煽る。
(……どうしましょう)
イヴリン先生は大丈夫と言った。でも、不安が消えない。
(そうだわ!!)
クラリッサには、『先生』がもう一人いる。
そして、今回のことにうってつけだ。
思い立ったら、すぐ行動。
クラリッサは夜も遅いというのに、お母様の部屋へと突撃した。




