第68話「兄の手紙と王都の暗雲」
第68話「兄の手紙と王都の暗雲」
クラウス兄様が出発する朝。城門の前で、兄が一通の封書を差し出した。
「これを預かっている。シュテファン殿下からの伝言だ。直接は渡せないから——俺を経由した」
蝋封に王家の紋章。第一王子の名が記されている。
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兄を見送ってから、自室でシュテファン殿下の書状を開いた。
丁寧な字だった。殿下の人柄がそのまま表れている、穏やかで均整のとれた文字。
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「エリナ・フォン・ヴァルトシュタイン嬢へ
辺境伯領の経済報告書を拝読いたしました。温室農業、保存食の域外流通、ルーン石の段階的市場投入——いずれも見事な成果です。辺境伯と共に成し遂げられたこの成果を、いずれ正式な場でお伝えしたいと考えております。
二点、お伝えすべきことがあります。
一つ。メリア・シュヴァルツに対する聖女認定の正式な再調査が開始されました。バウム顧問の計測記録と、関連する証拠が揃っています。結果が出るまでにはもう少し時間がかかりますが——事実は、もう明らかになりつつあります。
二つ。弟のことです。アルフレートは政務においてさらに失態を重ねています。先日の枢密院会議にも遅刻し、三件の案件を未処理のまま放置しました。父上も憂慮しています。
辺境での日々が実りあるものであることを、心より祈っています。
シュテファン・フォン・ルヴェンタール」
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書状の裏に、兄の手書きの走り書きがあった。
「補足。アルフレート殿下は最近、宮廷の会議で居眠りをしたらしい。シュテファン殿下が代わりに全て処理している。……情けない話だ」
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わたくしは書状を机の上に置いた。
アルフレート殿下。一年前にわたくしを「不要だ」と切り捨てた人。
その人が——今、自分自身が切り捨てられようとしている。
メリアの聖女詐称が暴かれたとき。彼は何を思うだろう。
(かわいそうだとは——思わない。でも、ざまあとも思わない。ただ——遠い人の話だ。もう、わたくしの世界にはいない人の)
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王都の片隅。アルフレートの居室。
机の上に政務書類が山積みになっている。封を切られていないものが三通。期限を過ぎたものが五通。
アルフレートは窓辺に立って、王都の秋空を見ていた。
最近、メリアの姿を見ない日が増えた。以前は毎日、朝と夜に必ず顔を見せていたのに——ここ数日は、食事の時間にすら姿を見せない。
「聖女の祈りの時間が長くなりましたの」——それが理由だと、メリアは言った。
信じた。信じるしかなかった。
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窓の外に目をやったまま——アルフレートの唇が、小さく動いた。
「……エリナ」
追い出した女の名前を、口にしたのは初めてだった。
「お前は今——何をしているんだ」
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辺境からの報告書は読んだ。鉱山崩落からの救出。ルーン石の大鉱脈。辺境経済の急成長。
兄シュテファンの言葉が耳に残っている。「お前が『不要だ』と捨てた女だ」
あのとき。婚約破棄を宣言したとき——エリナは微笑んで「ありがとうございます」と言った。
あの笑顔の意味が——今になって、胸に刺さる。
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辺境。グラフ城の城門。
クラウス兄様が馬に跨がった。
「エリナ。元気でいろ。次は——父上を連れてくる」
「お待ちしています、お兄様」
兄がカイン様に向き直った。
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「辺境伯——妹を頼む」
カイン様が——短く、はっきりと答えた。
「約束する」
クラウス兄様の目が——一瞬だけ、赤くなった。
「……ばかやろう。そういうことを真顔で言うな」
背を向けて馬に跨がり、手綱を引いた。振り返らなかった。
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馬蹄の音が遠ざかっていく。
街道の先に、土煙が薄く舞い上がって——やがて消えた。
わたくしは城門の前に立ったまま、兄の背中が消えた方角を見ていた。
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隣に——気配を感じた。
カイン様が、いつの間にか隣に立っていた。
「……行ったか」
「はい」
二人の肩が——少しだけ、触れていた。
意図してではない。自然に。寄り添うように。
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秋の風が、城門を通り抜けていった。
遠くの山の紅葉が、午後の日差しに照らされて燃えるように赤い。
兄が帰った。王都では、嘘が崩れようとしている。そしてここでは——わたくしたちの日常が続いていく。
肩が触れている温もりを——わたくしはそのまま、しばらく感じていた。




