第66話「兄の目」
翌朝、クラウス兄様と城下を歩いた。
温室を見せた。露地の畑を見せた。市場を案内して、燻製サーモンの加工場を見せた。
第66話「兄の目」
兄は一つ一つを丁寧に見て、時折わたくしに質問した。農業のこと。商売のこと。ルーン石のこと。辺境の冬のこと。
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「すごいな……お前がこれをやったのか」
市場を一回りして、城門に向かって歩きながら、兄が言った。
「わたくし一人の力ではありません。カイン様や、ルドルフや、みんなの——」
「いや」
兄が足を止めた。
「お前の力だ。それは認める」
まっすぐな目だった。近衛騎士として人を見る目——ではなく、兄として妹を見る目だった。
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「一年前、お前が辺境に行くと言ったとき——正直に言う。俺は反対だった」
「知っています」
「書斎で父上と一緒にお前の説明を聞いて——まあ、論理は通っていた。でも心配だった。お前が一人で、こんな辺境で——」
兄が息を吐いた。
「杞憂だったな」
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城に戻ったのは昼過ぎだった。
カイン様が管理棟の前にいた。巡回から戻ったところらしく、外套にまだ朝の冷気が残っていた。
「辺境伯」
クラウス兄様が声をかけた。
「少し話がしたい。二人きりで」
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わたくしは——二人を残して、管理棟の中に入った。
帳簿を開いたが——正直、一文字も頭に入らなかった。
(お兄様が、カイン様と何を話しているのだろう)
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管理棟の窓から、中庭が見えた。
カイン様とクラウス兄様が、中庭の石のベンチの近くに立っていた。
クラウス兄様が何かを言った。カイン様が答えた。
表情は——ここからは見えない。
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十五分ほど経って、二人が戻ってきた。
クラウス兄様の顔は——穏やかだった。怒っている様子はない。
カイン様の顔は——いつも通り無表情だった。ただ——耳が、微かに赤かった。
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夕方、兄と二人きりになったとき——聞いた。
「お兄様。カイン様と、何をお話しになったのですか」
「単刀直入に聞いた。妹をどう思っているか、と」
「お兄様!」
「兄として当然の質問だ」
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クラウス兄様が腕を組んだ。
「あの男は——『大切な人間だ』と言った」
「……そうですか」
「『それだけか?』と聞いたら——」
「聞いたのですか」
「当然だ。そうしたら、こう言った。『それ以上のことは——本人に伝えた』と」
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胸が——熱くなった。
カイン様がクラウス兄様に、そう答えたのだ。「本人に伝えた」と。
(この人は——嘘をつけない人だから。兄の前でも、取り繕わないのだ)
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「正直に言おう。あの寡黙な男が——お前に何かを伝えたという事実だけで、俺は驚いた」
「お兄様」
「合格だ」
「……え」
「兄としての審査。お前を泣かせるような男じゃない。あの不器用さは——本物だ」
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クラウス兄様が、にっと笑った。
「あの男、お前のことになると声が変わるぞ」
顔が真っ赤になるのが自分でもわかった。
「お兄様! そういうことを——」
「事実だ。他の話をしているときは低い声で淡々と答えるのに、お前の名前が出た途端——声のどこかが柔らかくなる。本人は気づいていないだろうがな」
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わたくしは両手で顔を押さえた。
「もう、お兄様——」
「からかっているんじゃない。安心しただけだ」
兄の声が、少し低くなった。
「一年前、お前を送り出したとき——ずっと心配していた。あいつは妹を大事にしてくれるのか。妹は幸せなのか。手紙だけではわからなかった。だから来た」
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「お前は——幸せか、エリナ」
「はい」
迷いなく答えた。
「ここが——わたくしの場所です。お兄様」
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クラウス兄様が——少しだけ、目を細めた。
「そうか」
一言だった。でもその一言に——兄の安堵の全てが詰まっていた。
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翌日、クラウス兄様の滞在最終日。
朝食のとき、兄がカイン様に向かって言った。
「辺境伯。妹を——頼む」
カイン様が——顔を上げた。
「……ああ」
短い言葉だった。でもその声は——わたくしが今まで聞いた中で、一番力のこもった「ああ」だった。
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窓の外に——兄が立っていた広場が見えた。
(お兄様。また——来てくださいね)
胸の中が、温かかった。
——ふと、カイン様の方を見た。窓の外を見ている横顔が、いつもより少しだけ、遠い気がした。




