6.「日本医学会の最高頭脳」
今回の時系列は本編第一話のおよそ一か月前にあたります
20XX年7月7日。
今日は何の日でしょう?
多くの日本人にとっては――きっと七夕を思い浮かべる日だろう。
織姫と彦星が、年に一度だけ天の川を越えて会えるっていう、ロマンチックな伝説のある日……しかし、地域によっては8月7日に祝うところもあるらしいから、ちょっとややこしい。
でも、文月家にとって、7月7日はもっと特別な意味がある。
それは――
私、文月愛華の誕生日。
本日をもって、私は16歳になった。
ついでにこの日はアイツも同じ誕生日だけど、それは別に……どうでもいいや。
学校から帰った私は、ソッコーでシャワーを浴びた。
この時期特有のジメジメした汗と、体育のせいでベトベトになった髪。
全部まとめて、シャワーでザバっと流しきると――嫌な汗と一緒に、嫌な気持ちもスルスル落ちていって、「……世界も、案外、捨てたもんじゃないなぁ」なんて思えたりする。
そして、シャワーから浴び終えた私は、冷凍庫で冷やしていたアイスを今から食べる。
もうすぐパパが誕生日ケーキを買って帰る頃だろうけど、アイスは別腹だから食べても平気平気。
アイスのふたを開ける。中身はチョコミントだ。
――チョコミント……
「チョコミント よりも あ・な・た♪」
ふと頭に浮かんだ歌詞を、そのまま口ずさんでいたそのとき。
「愛華! アイス食べている暇があるならママを手伝ってよ!!」
台所にいたママから小言が飛んできた。
「べ~! 今日は私の誕生日だから嫌だよ~だ!」
「……誕生日じゃなくても、最近手伝わないでしょ! アンタ!!」
ママの怒鳴り声が台所から響いてきたかと思うと、ズンズンと足音を鳴らしてリビングまでやってきた。
「……ところでさ、アンタ、順くんとも一緒に祝わなくていいの? せっかく誕生日が一緒なのに……」
ママがいきなりアイツの話をする。確かに、順もこの日は私と同じ誕生日だが。
「いいのよ、別に! 順は一緒に祝いたいとか何も言ってこなかったし。今日だって学校で一言もなかったのよ? 『お誕生日おめでとう』って! 同じクラスなのに!!」
何も言ってこなかった順のことを思い出して、なんだかまたムカッとくる。
「……あんたたち喧嘩でもしたの? だって、中学二年生まで、アンタたちはいつも一緒に祝っていたのに……」
ママが少し寂しそうに私を見つめる。
「いや、喧嘩とかじゃないから。ただ……なんとなく、合わなくなっただけ。趣味も違ってきたし、話すこともなくなったし。ほら、大人だってあるでしょ? 気づいたら、なんとなく疎遠になっている関係って」
私はそう言って、チョコミントアイスをぐるぐるとスプーンで掻き回す。
けど、ママはまだ納得いってない顔で、何かを言いかけている。
しばらくして、ぽつりとつぶやいた。
「……でもね。織女さんから聞いたんだけど、午郎さんと一緒に、今は中国に出張中らしいのよ。順くん、今は一人で暮らしているって」
ママは私の目を見ずに、静かにそう言った。
「きっと、寂しいはずよ」
織女さんと午郎さん――それは順のお母さんとお父さんの名前。
順も私と同じ一人っ子だから、両親が出張中ってことは……今、順はほんとに一人ぼっちだ。
「(寂しい……のかな? 順。でも、アイツ一人でいるのが平気なタイプだし……)」
でも、私だったら……誕生日くらいは誰かに「おめでとう」って言ってほしい。誰かと一緒に過ごしたい。そう思う。
――仕方ない。
「わかったわよ! そんなに言うなら、誘ってみるよ。もし順が『行っていい』って言うなら、一緒に祝ってあげる。それでいいでしょ?」
私が折れると、ママはようやく満足そうに笑って、また台所へと戻っていった。
さて、どうやって誘おうか。いきなり電話はなんか気まずいし……
私はスマホを取り出して、SNSのチャットを開く。
「えーっと……『お誕生日おめでとう。今日、家で誕生日を祝うんだけど、順も一緒に来ない?』……うん、こんな感じでいいよね」
内容を確認して、送信ボタンをタップ――
送った瞬間、メッセージに既読マークがついた。
「……はやっ」
まさか、送信から一秒も経ってない。
てことは、ちょうど順も私にメッセージを打っていた? それとも、ずっとスマホを見ていたの?
……と思った次の瞬間、返信が届く。
「なになに……『愛華、急いでテレビの電源を入れろ。どのチャンネルでもいい。今、国民向けに緊急生放送している。それと、できればおばさんに頼んで、食料とか生活用品を今のうちにまとめ買いしておいてくれ』……ってなによこれ!?」
せっかくの誕生日なのに。
久しぶりに順から返ってきたメッセージが、「テレビをつけろ」「食料を買っとけ」って……
他に言うことがあるでしょ? たとえば――
「お誕生日おめでとう」とか。
「また同年齢になったね」とかさ。
そういう一言くらいあってもいいじゃない。
相変わらず、無粋というか、野暮な人なんだから……
でも――メッセージの内容は気になる。
順がこんなメッセージを送ってくるなんて、よっぽどのことだろう。
私は渋々リモコンを手に取って、テレビの電源を押した。
すると――
「お茶の間の皆さんこんばんは。私の名は、今野跡史と申します。39歳で、国立感染症研究所の主任研究官を務めております」
テレビの画面には、スーツ姿の男が映っていた。淡々とした口調でそう名乗る。
「自慢ではないのですが……人呼んで、日本医学会の最高頭脳と呼ばれているらしいです」
自己紹介と同時に、自分の肩書を誇らしげに語るおじさん。謙虚ぶってはいるけど、どう見ても隠しきれてない強い自己顕示欲。
背も高くて顔も整っているし、その地位まで上り詰めたということは、それなりに並々ならぬ努力をしてきたんだろうけど……正直、私はこういうタイプ、ちょっと苦手だ。
まあ、逆に言えば、そういう強い自己顕示欲があったからこそ、三十代で主任研究官なんてポジションにいられるのかもしれない。知らんけど。
そんな私の第一印象をよそに、今野さんは話を続ける。
「本日こうして生放送で皆さんにお伝えしたいのは、世界中で今最も注目されているウィルス――PNウィルス、つまりポイントネモウィルスについての、私の研究成果であります」
PNウィルスについての解説――。
私は、思わず姿勢を正した。いや、きっと私だけじゃない。日本中、いや世界中の人たちが今、このキーワードに釘付けになっているはずだ。
きっかけは、今から約二ヶ月前。
世界的超迷惑系インフルエンサー、バーズ・リータイさんが新種の深海魚〝ネモ・デメニギス〟をライブ配信で食べ、突如異常をきたした――あの事件。
そこから、ニュージーランド、アメリカ、アジア、ヨーロッパ……PNウィルスは次々と感染拡大していった。
PNウィルス。
このウィルスに感染すると、両目がミッドナイトブルーに染まり、やがて理性を失って、非感染者の人間を襲うようになるという。
さらに恐ろしいのは、襲われた人間の一部が新たな感染者となり、その連鎖によってネズミ算式に感染が広がっていくことだ。
凶暴化し、人を噛む、吐血する、暴れる――
そんな感染者の姿が、ゾンビを彷彿とさせることから、SNS上では〝感染者〟と呼ばれるようになった。
日本政府はこれを重く見て、渡航制限をかけ、国内へのウィルス流入を必死で防いでいる。
そのおかげか、テレビやネットでは「日本国内での感染は確認されていない」とされている。
まあ、SNSでは「日本にも感染者が出たぞー!!!」って騒ぐ人もいたけど、大抵はデマか釣り。今のところ、信憑性は薄い。
でも、それは〝今のところ〟であって――
明日、来週、来月……いつPNウィルスが日本に上陸しても、おかしくない状況なのは間違いない。
そもそもこのウィルスついてまだ「わからないことだらけ」なのだから。
もしかしたら、空気感染するかもしれないし、潜伏期間が長くて無症状のキャリアがいるかもしれない。
当然、ワクチンなんてまだ存在しない。……いや、もしかしたら人類が生きているうちにワクチンなんて作れないのかもしれない。
そんな中、今野さんの口から、ついに〝あの言葉〟が飛び出した。
「皆さんが最も気になっていることでしょう……〝PNウィルスのワクチン〟について。今から、その研究成果をお教えしましょう」
その一言を聞いた瞬間――
私はテレビ画面に、釘付けになった。
日本医学会の最高頭脳だと?




