ヴィエラの『望み』
「中身がない、つまらない男……ですか?」
「ええ。お前も見ていたら分かるわ。あの凡骨はね、『自分』というものがないの。いつだって『周りに合わせる』言葉ばかり。『他人の正解が自分の正解』だと思い込んでいる、愚か者なのよ」
ヴィエラはフンと鼻を鳴らしながら顔を逸らし、浮かび上がった王子の顔を消し去った。
一方でロアンは門前で出会った少年からそのような気配は感じず、首を傾けたが、ヴィエラの鋭さは知っている。ヴィエラが言うならそうなのだろう。と納得した。
「じゃあ、王子様はいつも誰かといっしょにいるんですね」
「そうね。基本はわたくしたちと同じように護衛がついているわ。あとは乳母と、侍従かしらね。乳母はそのうち役目をおろされるでしょうけど、あの者たちもよくないわ。しつけのなっていない無礼者の集まりよ。そしてそれを『正そうとしない』から、あの凡骨は“凡骨”なのよ」
「えっと……?」
ロアンにとってはまだ難しい理論に再度首を傾ければ、ヴィエラは簡単に噛み砕いて説明し始める。
「考えてごらんなさい。わたくしの侍女であるフィリアとリゼル、お前にとってのメアリが、なにかある度に他人に噛みつく姿を。無礼だなんだと大声でわめいて、文句を言って……。素敵だと思う? それとも、しつけが出来ていないと思う?」
「……ちょっと……やめてほしいかな、と思います」
「そういうことよ。従者というのは、主人をうつす鏡なの。主人をよく見せたいのであれば、従者はわめくのではなく胸を張って立つべきなのよ。もちろん言葉を伝えあうのは大事よ。だけど、時には“沈黙”こそがその人の“格”を表すの」
だからか。とロアンは納得する。
グラディアスは決して沈黙を尊んでいるわけではない。むしろ家族間の会話の多さなら、ストーンリッジ伯爵家よりも圧倒的に多い。使用人や護衛、兵士もそうだ。それでも軽々しく見えないのは、彼らが常に胸を張って堂々と立っているからだ。
そして他者の言葉に耳を傾けた後に発せられる言葉は、どれも重たく鋭い。
「注意することは大切よ。でも、それを主人や家人の前で行うのは恥ずべきことだわ。こちらに不手際があったのなら、あとで正式に抗議を入れるのが礼儀としては正しいもの。それを忘れたかのように目の前でさわぐなんて……。我が家では考えられないマナーの悪さね」
ヴィエラは王子の背後に立っていた従者たちの顔を思い出す。特に乳母など分かりやすくヴィエラを睨んでいた。あの程度の粗忽者に怯むほど弱くないが、不愉快ではある。
護衛騎士もそうだ。他家の門前で大声をあげ、あまつさえ『保護している子供』に対し剣を抜こうとした。
ヴィエラは、あの騎士の蛮行を一つも許してはいない。
「ロアン。お前は『正しい在り方』を学びなさい。他人に大声でほえるような駄犬ではなく、誇りある『グラディアスの一員』として、わたくしの隣に立つのよ」
「え。でも、ぼくはストーンリッジの次男で……」
「わかっているわ。でも、わたくしの隣はお前だけのものよ。だから、お前はこれからもずっとわたくしの隣にいるの」
ザアッ、と吹き上がってきた風がロアンとヴィエラの髪を揺らす。
美しい金糸が陽の光を反射させながら靡き、ロアンの癖毛をグシャリと撫でていく。
まるで一秒が十秒にも感じられるような世界の中、ロアンは半開きにしていた唇をわずかに震わせた。
「……ぼく……これからもずっと……ヴィエラ様といっしょにいてもいいの……?」
「ええ。わたくしが許すわ」
──ロアンにとってヴィエラは、この上なく大事な『光』であり、『宝』だ。
何もなかった、空っぽだった自分に沢山の優しさを、常識を、そして愛を与え、体験させてくれた。
世界をぼんやりとしか見ていなかった自分に『世界とは何か』を形付けてくれたのだ。
だからこそロアンにとって『ヴィエラの隣にいる』という言葉は酷く大きく、人生のすべてを決定づけるものだった。
「ロアン。お前は、わたくしの隣にいなさい。これから先もずっとよ。わかった?」
「は……はい! ぼく、ヴィエラ様が『もういらない』っていうまで、ずっとここにいます!」
「バカね。そんなこと言わないわよ」
そう言って微笑んだヴィエラの顔は美しく、ロアンも嬉しそうに笑顔を浮かべる。
物陰に隠れて『聞いていない』命令を遂行していた侍女たちも、更には護衛達も思わず唇を噛み、拳を握り、決意した。
──決してこの二人を離れ離れにしてはならない、と。
「でも、そうね。わたくしの隣にいるのなら、いつまでもそんな話し方ではダメね」
「え。ぼく、まだおしゃべりじょうずじゃないですか?」
「いいえ。かなりマシにはなったわよ。でも、お前は従者でも護衛でもないもの。わたくしの『隣に立つ』ということは、常に『対等である』ということよ。上下関係があってはいけないわ」
「でも、ぼくは伯爵家だし、ヴィエラ様は公爵家だし……」
家格で言えば比べ物にならないほど差がある。歴史を鑑みてもそうだ。国が興る前から『公国』として存在していた地で君主を務めていたグラディアスと、近年ようやく子爵家から伯爵家に成りあがったストーンリッジ。
学んだばかりの『差』を意識して俯くロアンに、ヴィエラは「バカね」と優しく罵った。
「大事なのは肩書ではなく、『心』よ。わたくしたちは、ここにある『心』で対等でいなくてはならないの」
「心……」
「そう。従者と護衛なら、グラディアスにはたくさんいるもの。でも、わたくしの隣に立ち、歩む人間は生涯に一人だけよ」
ヴィエラがトンと人差し指を向け、軽く突いたのはロアンの左胸だ。そこはトクトクと小さな心臓が脈打っており、ロアンはぼんやりとその鼓動に耳を傾ける。
「……ぼく、ヴィエラ様より頭よくないから、きっと、いっぱい、めいわくかけちゃいます……」
「そんなこと気にしないわ。お前だって、いつかわたくしに振り回される日がくるかもしれないでしょう?」
「……でも、きっと……まわりの人は、よく言わないです。ぼくのお父様やお母様だって、きっと……」
そして嫉妬深くロアンを毛嫌いしている兄妹は、もっと酷くあざ笑ってくるだろう。
だがそう言って俯いたロアンに対し、ヴィエラはもう一度熱のこもった声で「バカね」と言い切った。
「わたくしが『いい』と言ったのよ。お前は、わたくしよりも『周りの声』が正しいと、本気でそう思うの?」
「──!」
愛する宝石よりも、更に力強く輝く赤い瞳がまっすぐと自分を見つめている──。
ロアンは息をするのも苦しくなる感覚を覚えながらも、首を振った。
「思いません! ぼくには、ヴィエラ様のほうが大事です!」
「わかっているじゃない。ロアン、お前はそんなこと気にしなくていいの。わたくしが『許す』と言ったのだから、お前はここいなさい。わたくしが望むのは、それだけよ」
自信と愛情に満ち溢れた笑みを向けられ、ロアンもようやく笑みが浮かんでくる。
「はい! ありがとうございます! ヴィエラ様!」
心からの笑みと言葉を向けたロアンに対し、ヴィエラは優しく微笑んでから形のいい唇を開いた。
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