伯爵家の過ち
潔癖で、気に入った人間以外寄せ付けないヴィエラが、初めて他者を招いてから早一ヶ月。数日おきに公爵邸に来るようになったロアンを見て顔を顰めた。
「ロアン。お前、いつも同じ服を着ていない?」
「え。うん。これが一番キレイな服だから」
そう答えるロアン本人は笑顔だが、普段から最高級品ばかり目にしているヴィエラからしてみれば論外だ。
目の粗い生地に、くすんだアイボリー色のシャツ。半ズボンも生地が分厚く硬そうで、肌触りもよくないだろう。
平民からしてみれば『高級品』に見えるだろうが、貴族から見れば『お粗末』としか呼べない装いである。それを『一番キレイ』と称するのだから、相変わらずあの家は性根が悪い。とヴィエラは眉間に皺を寄せる。
それを見たロアンが「何かダメだったのかな」と不安そうにズボンを握ったため、ヴィエラは「お前は何も悪くないわよ」と息を吐き出した。
「いちおう聞くけど、それ、新品ではないわよね?」
「うん。お兄様が昔着てたお洋服だって、お母様が言ってたよ」
「はあ~……。つくづくなめたマネしてくれるじゃない」
ヴィエラはケチっているのか、それとも公爵家に喧嘩を売っているのか分からない伯爵家の面々を思い出して腹を立てるが、ロアンはすぐに「あのね、ヴィエラ様」と補足するように言葉を続ける。
「お母様は悪くないよ。お母様は僕に『新しいお洋服を用意しないと』って言ってくれたんだ。でも、お父様が……」
「ストーンリッジ伯爵が止めたのね?」
「うん……。お兄様が着てた服も悪くないし、どうせぼくはすぐによごすから、それでいいだろう、って……」
ヴィエラはもう一度ため息を吐きたくなったが、ロアンがシュンとする姿を見たくなかったため堪えた。代わりに控えていた侍女に目配せをする。
「お母様かエルディオンお兄様、どちらかお手が空いていないか確認してきて」
「かしこまりました」
「ヴィエラ様?」
サッと音も立てずに退出した侍女に驚いたロアンが首を傾ける。
今までまともな扱いを受けていなかったロアンにとって、この“貴族らしからぬシャツ”でも『いいもの』判定になるのは分かる。
だが苛烈な気性を持つヴィエラにとっては違う。
『汚れても問題ない兄のお下がり』を着せても公爵家にバレない、と思われている時点で喧嘩を売られたも同然である。
怒り心頭のヴィエラが待つこと数分。
優秀な侍女は母親であるセラフィアと、長男であるエルディオンの両名を連れて戻ってきた。
「ヴィエラ、急に呼び出してどうしたの?」
「おや、ロアンじゃないか。今日は何をしていたんだい?」
「ごきげんよう、セラフィア様。エルディオン様。今日はヴィエラ様に文字をおしえてもらいました」
伯爵家からまともな教育を受けていないロアンは、なんと文字の読み書きすらおぼつかなかったのだ。それに気づいたヴィエラが「わたくしが教えてあげる」と紙とペンを用意し、ロアンに教えていた。そして休憩を兼ねて雑談に入ろうとしたところ、ヴィエラが「そういえば」と冒頭の台詞を口にしたのだった。
つまり、今のヴィエラは非常に不機嫌であった。
「お母様。エルディオンお兄様。わたくしは非常に怒っていますわ」
「そうね。見たら分かるわ」
「そうだね。それで、一体何があったんだい?」
ヴィエラとロアンが座るソファーの対面に二人も座り、事の顛末をヴィエラから聞く。
すると元王女でもあるセラフィアは「あらあら」と優雅に微笑み、エルディオンは静かに口角だけを上げた。
「そう。ストーンリッジ伯爵がそのようなことを。うふふふふ。アルノー……旦那様にもキチンと報告しないといけないわね」
「夫人の方は“多少”改心したようですが、それでもまだ教育が行き届いているとは言えませんね」
お茶会でヴィエラにコテンパンにされたストーンリッジ伯爵夫人は、現在社交界に顔を出すことを控えている。何せ元王女であり、母親世代にとっては憧れの的でもあるセラフィアが参加するお茶会で騒ぎを起こしたのだ。彼女を擁護する者も、親しくしようとする者もいない。
また、妻の失態により立場が危うくなった伯爵は、愚かなことにその苛立ちをロアンにぶつけていたのだ。
『お前が庭に出ていたからこんなことになったのだ』と。そして『二度と部屋から出すな』と執事長に命令した。
だが幸か不幸か、ヴィエラが「ロアンのみ公爵家の立ち入りを許可する」旨を書面にしたためて送りつけていたため、軟禁は免れている状況だった。
「わたくしがいなかったら、ロアンは貴族としても人としても権利をうしなっていたはずですわ。自分の息子をいったいなんだと思っているのかしら」
ヴィエラは憤るが、セラフィアやエルディオンは『そういう人々』がいることを知っている。貴族は特に体面を気にするため、ロアンのような『異端児』や、体や頭に障害を持った子供は捨てられるか隠されるかのどちらかだ。流石に残酷な現実を口にするほど冷酷ではなかったが、いつかは教えなくてはいけないことだ。エルディオンは母に目配せし、ヴィエラの名前を呼ぶ。
「ヴィエラ。お前の気持ちはよく分かる。だけど、伯爵の行動は『貴族』の中ではそう珍しいことではないんだ」
「ええ。わかっておりますわ。『見せたくないものは隠すのが貴族』と言うのでしょう? わたくしだってバカではありません。そのぐらい想像できます。でも、ロアンはなにもおかしくないわ。自分たちと考えが違うだけで閉じ込めようとするなんて、わたくしはそれが腹立たしいの」
ムスッとしたヴィエラだが、その辺は想像がついたらしい。流石賢い我が妹だ、とエルディオンは苦笑いで流したが、隣で聞いていたロアンはどうだろうか。心配して視線を向ければ、当の本人は心配そうにヴィエラを見ているだけだった。
「ロアン。君は、今の話を聞いてどう思った?」
「え? ぼく、ですか?」
「ああ。これは君にも関わりがある話だからね。君がどう思ったか、聞かせてくれるかい?」
ヴィエラはともかくとして、ロアンは普通の五歳児だ。厳密に言えば『普通』ではないのだが、突出した才能と頭脳を持つヴィエラに比べたら凡庸と言える。つまり両親が自分に対して迫害にも近い行動を取っていることについてどう思っているのか、確認する必要があった。
だが流石はロアンと言うべきか。ヴィエラが見初めた男は、エルディオンの心配をよそに丸い目を瞬かせるだけだった。
「とくには……なにも思いません」
「え? 何も思わない、って……どういう意味だい?」
話が難しくて理解出来なかったのか。それとも自分のことだと分かっていないのか。確認するためにも深堀しようとするエルディオンに、ロアンは「えっと」と幾分マシになった言葉遣いで話し出す。
「お父様はお兄様を大事にしています。ぼくのことをきらうのは、ぼくがお兄様とちがうからだとわかってます。でも、ぼくはいつもフシギに思っているんです。どうして、同じ人はいないのに、お父様は『同じ』をもとめるんだろう、って」
ロアンは心底不思議だった。何故顔も声も名前も違う自分に、父や兄と同じものを求めるのだろうか、と。
自分は自分であり、父でも兄でもない。例え同じ行動をやっても結果は異なるというのに、何故『同じ』にさせたがるのか。ずっと理解出来なかった。
「だって、かけっこしても、みんなが同じはやさで走れるわけではないでしょう? ぼくはお兄様より足はおそいし、お父様は、たぶん走ることは『ユウガじゃない』っていやがると思います。でも、みんな『ちがう』のがあたりまえじゃないんですか? エルディオン様も、イリアス様も、ヴィエラ様も、みんなちがいます。ぼくもちがいます。だから『同じ』じゃなくてもぼくはいいと思うんです。だから、えっと……お父様になにをいわれても、ぼくはかなしくないです。お父様はお父様で、ぼくはぼくだから」
たくさん話して疲れたのだろう。ふう、と息を吐き出すロアンに、ヴィエラは「よくがんばったわね」と言って微笑む。そして控えていた侍女がすぐさま淹れなおしたお茶をロアンの前に差し出し、ロアンは「ありがとうございます」とお礼を言った。
エルディオンは、正直ロアンを侮っていた。
ここまで確固たる考えを持っていると思っていなかったのだ。
だがヴィエラが規格外だからこそ『普通』に見えていただけで、ロアンも十分『異端』だ。しかしその『異端』さはきっと、ヴィエラの価値観とうまくかみ合うのだろう。
だからこそヴィエラは自身の考えを伝えきったロアンに満足そうな顔をしている。
一方、驚いたのは母も同じなのか、セラフィアも目を丸くしていた。そしてチラリとエルディオンと視線を合わせ、微かに顎を引く。
「分かった。ロアン、君の考えを教えてくれてありがとう。君は、僕達が考えていたよりもずっと『自分』というものを強く持っているんだね」
「えへへ……ありがとうございます」
ロアンの年齢が高ければ、また話した相手が『貴族らしい』思考の持ち主であれば「無礼」と捉えられたかもしれない。だがここは柔軟な思考を持つ公爵家だ。ロアンの『貴族らしからぬ考え』を聞いても糾弾することはない。
むしろ「思ったよりも面白い子だ」という認識に変わっていた。
「では、問題はストーンリッジ伯爵ですね。伯爵にはキチンと“教育”が必要かと」
「ええ。長くなった鼻はしっかり根元から折って、研磨してあげましょう」
若干あくどいと思えなくもない微笑みを浮かべ合うセラフィア公爵夫人と、グラディアス公爵家長男のエルディオンに、ロアンは「何がおきるんだろう……」と不安そうに手を組むしかなかった。




