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思考の羽ばたき、あるいは迷宮の共振

ドームを支配する重圧は、もはや呼吸することさえ困難なほどに高まっていた。第5トラックの最終盤、デジタル表示の支持率メーターは白鳥学園の勝利まであと数ミリという地点で停止している。宇佐美いちかの放つ絶対的な旋律は、ぴかりが丘学院の面々から気力を奪い、その喉を沈黙させるのに十分すぎるほどの威力を持っていた。


だが、極限の疲労のなかで、月影ゆりの脳内だけは、氷のような冷徹さを取り戻していた。彼女は隣に立つ美墨なぎさと、わずか一瞬だけ視線を交わす。言葉は必要なかった。なぎさの瞳に宿る、敗北への強烈な拒絶反応。そして、その背後で獲物を狙う獣のように身を潜める星空みゆきの躍動感。


「……なぎさ。一音、私に預けなさい」


ゆりの囁きが、なぎさの刻むビートに溶け込んだ。なぎさは一瞬の迷いもなく、次に放つべきメインの旋律を、本来の主役であるみゆきではなく、あえてゆりのコーラスへとパスした。


白鳥学園の紅城トワが、その動きに敏感に反応する。トワの「直感ゲス」は、音の供給源であるなぎさの視線の動きを、正確に読み取っていた。


「——んふふ。次は、その落ち着いたお姉さんだね!」


トワが躍動し、ゆりの歌声を遮断すべく完璧な防壁を築く。白鳥学園のメンバーが全員、ゆりが次に放つであろうロングトーンを警戒し、意識のすべてを彼女に向けたその刹那。


ゆりは、歌い出さなかった。


彼女は口を開きかけたまま、あえて一拍分、完璧な「空白」をステージに落とした。楽譜には存在しない、計算された無音の静寂。トワの直感は、その予期せぬ「リズムの欠落」に、生まれて初めて空振りを喫した。


「……えっ!?」


トワの動きがコンマ数秒、凍りつく。その無音の隙間に、ステージの死角から弾丸のような勢いで飛び出してきたのは、星空みゆきだった。


みゆきは、これまでの直線的な跳躍ではない。日向咲や秋元こまちの背後に隠れ、自らの気配を極限まで消しながら、白鳥学園の視覚的な「影」を通って、最も無防備な場所へと到達していた。


「——今だっ!!」


なぎさが、その「影」の出口に向けて、今日一番の鋭いビートを叩き込む。みゆきの喉から放たれたのは、宇佐美いちかのパワーにも、紅城トワの直感にも頼らない、ただ純粋な「スピード」という名の刃だった。


ドォォォォォン!!


白鳥学園の陣形の真ん中に、ぴかりが丘の全力を乗せた絶叫が突き刺さる。支持率メーターが、地響きを立てて跳ね返った。


「……信じられない。あの『影』の中で、自分たちのタイミングを合わせるなんて。……美墨なぎさ、お前はどこまで自分勝手な正確さを追求するのだ」


ベンチのジョー監督が、苦々しく、けれどどこか称賛を込めて呟いた。なぎさがみゆきに合わせたのではない。みゆきがなぎさの思考の周波数に溶け込み、二人の意識が「言語」を介さず「反射」だけで繋がった瞬間だった。


トワは、ステージの上で呆然と立ち尽くしていた。自分の「読み」が、これほどまでに完璧に、そして残酷に利用されたことに衝撃を隠せない。


「……今の、わざと……? 僕を踊らせるために、あえて音を止めたのかい?」


トワの問いに、ゆりは静かに微笑むだけで答えなかった。 ぴかりが丘の逆襲は、力による正面突破ではなく、王者の「予測」そのものを迷宮へと誘い込む、高度な情報戦へと変貌していた。


「なぎささん、いけます! まだ、私たちの羽は折れてません!」


みゆきが、汗を飛び散らせながら拳を握る。その瞳には、宇佐美いちかという巨大な太陽を撃ち落とそうとする、無謀なまでの輝きが戻っていた。


いちかは、変わらずステージの中央で、黄金のオーラを纏って立っていた。彼女の瞳には、驚きも、焦りもない。ただ、自分たちの玉座を脅かそうとする不遜な烏たちに対し、さらなる「暴力的なまでの完璧さ」で応える覚悟だけがあった。


「……面白い。数分前まで死に体だったお前たちが、これほどまでの牙を剥くとはな。……だが、その足掻きも、私の次の一音で終わる」


いちかが再びマイクを強く握り、深く、深く空気を吸い込む。その肺胞のすべてが膨らむ音が、スピーカーを通してドーム全体に響くような錯覚。


第5トラック、最終局面。 王者の放つ「絶対の正解」と、烏たちの描く「思考の迷宮」が、ドームの空を真っ二つに引き裂こうとしていた。


なぎさは、震える脚を叱咤し、次のビートの起点を探す。 一人では届かない。けれど、この六人の呼吸が、一瞬の火花のように重なれば、あの太陽の翼を撃ち落とせる。


「——全員、私に合わせなさい。……いくわよ!」


ステージの照明が激しく点滅し、物語はいよいよ、勝者と敗者を分かつ運命のラストフレーズへと、雪崩れ込んでいく。

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