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夢幻郷リンカネーション  作者: 霞弥佳
第一章 充溢大樹
17/26

それはスタッフが片づけてくれたみたいに 3

「アルフレートさん……」


「あ、な、なに……?」


「何か、悩み事でも? お困りなら、差し出がましいようですが、お話ししてくれませんか」


「いや……大したことじゃないんだよ、本当に……マジで……」


 さっきから、僕はアンナの顔を、正確には表情に視線を向けることができないでいた。目を合わせられずにいた。色濃い深緑に少しでもピントを合わせてしまえば、力任せに押さえつけていた感情の蓋から一気に悪夢が飛び出してきそうだったからだ。メリッサ従姉さんへの不義、アザレアへの背徳、アンナへの冒涜。それらは鋭利な棘を持つ茨のような形状で、僕の胸中を責め苛んでくるようだった。楽になりたかった。この理不尽な責苦から、逃げ出したかった。僕は冤罪なのだと、この良心の痛みは、結果論がもたらす解釈の相違によるものにすぎないのだと。少なくとも、僕は僕以外の誰かにこの思いを打ち明けたかった。


「夢を、見たんだよ」


「夢?」


 暴露に当たっての当たり障りのない脚色は妥当だと、僕は舌の裏側に自己弁護を貼り付けてから言った。


「人が死ぬ夢、人殺しを何とも思わない異常者に、殺される夢だ。二人、殺された」


「アルフレートさんが、ですか?」


「違う、僕じゃない。アザレアと、それと」


 僕はちらりとアンナの顔色を伺った。


「君だ、アンナだ」


 アンナは小さく息を呑んだ。僅かに眉をひそめて、改めて僕の話に耳を傾けたようだった。


「銛で、喉を刺されて、胴を裂かれて死んでた。僕はそこに居合わせたけど、何もできなかった。君を殺した奴、僕のことも追いかけてきて、そうしたら偶然アザレアともはち合わせた。ど、どうにもできなかったんだ、アザレアはそのままそいつに殺された、僕は逃げることしかできなかった、僕の魔術が通用しない相手に敵うはずないんだから……」


「その場所がリミノクス、ということでしょうか」


 ろくに話の順序も整理できていない不格好な解説に、アンナは小さく微笑をこぼした。


「アルフレートさんでも、怖いと思うものがあるのですね」


「あ、当たり前だよ。僕だって、に、人間なんだから」


「ええ、人間です。アルフレートさんも私も同じ、ただ人種が違うだけの同じ人間。だから、わかります。それはただの夢だから、目覚めてしまえば何も恐れることはないのだと」


「普通の夢なんかじゃないんだ。薄気味悪いくらいにリアルで、現実にしか思えなかった。そもそも記憶自体が食い違っているんだよ、僕は確かに昨日リミノクスに行った、そうしたら二人が……殺された」


 言い終えた後で、昨夜見た一切が単なる夢だという設定を自分でひっくり返してしまったことに遅まきながら気づいた。


「でもアンナはこうして生きてる、話もできる。アザレアだって寮でシチューを拵えてるんだろう? それじゃあ僕の見たものは一体何だっていうんだ」


「ただの夢です」


 きっぱりとアンナは言い切った。少し考えてみれば当然だった。知人が自分に向かって『お前が殺されるリアルな夢を見たんだ』と半ば錯乱気味に言い放ったところで、真面目に取り合うのもバカバカしく思えるだろう。


「温度や、匂いだって覚えてる! しっかり感じたんだ、あんなの夢とは思えないんだ」


「それなら私やアザレアさんは、今頃リミノクスの警察署で検死を待っている最中でしょう。でも、そうはなっていない。私もアルフレートさんの言うことを信じて差し上げたいのはやまやまですけれど、そうもいかない。アルフレートさんのようにこの現実を懐疑するためには、私は死んでいないといけませんものね」


「そんなの、理屈じゃわかってるんだ……」


「では、今こうしてアルフレートさんとお話している私の方が偽物だという証明はできるでしょうか。私は夢の産物で、アルフレートさんは警察の取調室でまどろんでいるだけに過ぎない。やはり私は裸に剥かれて検視官に腑分けされていて、殺人犯は次の獲物を物色している。どうです? アルフレートさん」


 テーブルの上で作った拳が震える。認識を確たるものへと昇華させるための拠り所がないという孤独。そんな僕の手首を、アンナの大きな右掌が握り締めた。


「捕まってしまいましたね、アルフレートさん。この感覚は夢の産物ですか?」


 アンナの手は暖かい。否、熱いくらいだった。灼けた鉄のような体温。握り手を注視していた視線を、僕は徐々にアンナの表情へと推移させた。じいとこちらの表情を、垂れ目がちの両眼がねめつけるように見据えていた。向かいのテーブルから身を乗り出して、半ばこちらを見下ろすように。


「私たちが夢と現実の確実性を論じるためには、それこそ神の視点が必要になるでしょうね。例えばそう、この世界をまるでこの小説を読み解くかのように俯瞰することのできる視点。しかしそんなものは机上の空論に過ぎません、私たちが俯瞰できるのはせいぜいガングナー・シリーズの戦史くらいのもの」


 メリッサさん譲りの、夢見がちな人なのかしら。アンナは余した左手を、Zガングナー第六巻の表紙を撫でつけた。


「血管の代わりのケーブル、皮膚の代わりの冷たい金属装甲。宇宙に進出した人類が編み出した、肉体の延長と代替を両立させるガングナー・シリーズにおける新たな身体。正確には強化外骨格パワードスーツ、しかしあえてここでは意義を拡張、類推してヒト型奉仕機械(ロボット)人造人間バイオノイドともしましょうか。ガングナー・シリーズでは、いたいけな少年が兵士として殺人に駆り立てられる苦悩に苛まれることが往々にありますよね? 忌まわしいことに、そのうちに彼らは外見がヒトでないならそれはヒトでないと割り切るようになっていきます、同時にその分厚い全身鎧には、確かにヒトが収納されているのだという確信を抱けるだけの敏感な感覚と洞察力が養われておきながら。悲劇ですね? 悲劇でしょう? 悲しいですよね?」


 手首を握る指がより一層力を増す。橈骨と軟骨が、万力で締め付けられている。肉の磨り潰される痛みがじわじわ増していく。当のアンナといえば、酒にでも酔ったかのような、陶酔とも呼べる酩酊ぶりで持論を語り続けた。


「アンナ……い、痛」


「ではアルフレートさん、夢で見た人間というものに、果たして血は通っているとお思いですか? 我々にはガングナーの登場人物のように、感覚として他者の存在を知覚することはできませんよね? 強化外骨格や奉仕機械の内部に誰がいようと感じ取ることはできません、私たちにはそれがそう見えているだけに過ぎないのです。ヒトの形をしたヒトでないものをヒトと錯誤しているだけに過ぎません、自動人形オートマタがヒトのように振舞っているだけで、いとも簡単に人間の感覚は騙されてしまうのです。確かなものを知覚できるほど、私たちの感覚器官は上等ではないでしょう? 考えても見てください、夢の住人を誤って殺してしまったとして、何の差し障りがありますか? 仮にアルフレートさんが殺人の遠因になってしまったとて、自責の念に駆られるのは聊か過敏なのではないでしょうか、もちろんアルフレートさんが正義感と責任感の強い人というのは重々察しているつもりです、しかしそれゆえに、アルフレートさんがありもしない罪責に苛まれる様を見るのは心苦しいといいましょうか、夢を夢として消費するだけの心の余裕をもつことが肝要なのではないかと私は思うのです」


 翠の瞳が僕を見る。水晶体から脳蓋まで、ざらざらした舌で眉間の裏側をこすりつけられているような感覚。これがあのアンナなのか? ドミニク・バルヒェット率いるチンピラ集団に因縁つけられて、レイプ紛いの恐喝に見舞われていた儚いエルフの少女なのか?


「アルフレートさんはお優しい、感受性の強い人。だから、空想の産物や登場人物にも感情移入することができる。涙を流すことができる、自分のことのように憤ることができる。経験によって培われた観念だけは、真実のものとして心の糧にするべきだと思います。しかしねアルフレートさん、私、言いましたでしょう? 人間には良書だけを選別して摂取することができるほど高度な能力は備わっていないと。目にしたもの、聞いたものの取捨選択を絶えず行うことこそが心的健康の初歩の初歩です、夢が与えてくれる非日常的な体験を支配してみてくださいアルフレートさん、これは要る、これは要らぬと。傲慢になさって良いのです、それは虚ろな夢に相違ないのですから」


「ゆ……め……?」


「そう、夢。噂。まぼろし。ちょうど今、学校でも流行っているでしょう? 実習棟で自殺した女子生徒の幽霊の噂。あれだって単なる膨張した情報に過ぎません、口伝されていく情報が人間の姿をとっているだけなのです。実体、もしくは人格のないヒト型の存在を、それが真実人間でないとしても愛したり、憎んだりできるのもまた我々人間なのでしょうね。果たしてその人格とやらが信頼のおけるものかどうか、疑わしいものですけれども」


 僕は手首の激痛にいよいよ耐えられず、アンナの手に抗議の意を含めて指を添えた。やがて堅固な巌に巻き込まれた手首が、ようやく解放された。血流が元に戻り、青白く変色していた手指に血色が戻る。


「ご、ごめんなさい、私また……なんて、ことを」


「ね、熱が込み入るタイプなんだね、アンナは」


 チェアに腰を下ろし、憔悴して俯くアンナを見て、僕はほっと胸を撫で下ろした。彼女は身体能力全般、特に筋力強化に特化した火属性に秀でる魔術師なのだろうと思った。澄ました幻想的な外面の内に潜む熱意が確かなことは、僕もよく実感として味わったところだった。


「たださ、アンナ。アンナは夢だって切り捨てられるだろうけど、僕にはそうも言ってられない理由があるんだ」


「理由……?」


 僕は少々考えてから、アンナの目の前にスマホを突き出した。


「これは……機械、ですか?」


「海外から取り寄せた、ちょっとした代物なんだ」


 僕は適当にアンナの疑問をさらりと受け流すと、件の動画のアドレスにアクセスした。何度も転載され、画質が落ち切ったルミナ・サバトの動画だ。願うことなら昨夜のニセルミナの動画や写真でも見せつけてやれば、いかにアンナでも僕の証言をある程度認めざるを得なくなるだろうが、ないものは仕方がない。第一、アンナ本人に自分の死体を見せるようなことには抵抗があったから結果オーライでもあった。


 ストリーミング再生が開始される。何百回もリピート再生した、愛情ルミナの死にざまがそこに再現される。はずだった。


 陰惨な事件を娯楽として消費するちゃらちゃらしたコメントが、右から左へ無機質に流れゆく。その背景には、何も映ることはない。暗幕が下りたままの長方形を、無責任な野次が無為に飾り付けるのみ。動画が開始されていないわけではない、シークバーは動いている。


「消されてるわけじゃないよな……?」


 ほかの動画サイトにもアクセスして、僕はルミナ・サバトの動画を探した。どれもこれも同じだった、コメントや評価数は変わりないのに、愛情ルミナの死に関する動画はいずれも視聴できなくなっていた。つい数分前にルミナの死を面白がるコメントが投稿された履歴があるため、僕以外のユーザーには問題なくルミナ・サバトは視聴できているらしい。


 ぽかんと僕の様子を見つめるアンナを誤魔化すべく、僕はスマホと青空文庫をアンナに見せびらかすだけに終わらせた。


 天頂に登った太陽が僅かに傾いてツェレファイスの市街を照らしたが、やはり僕の胸の内は晴れやかでないままだった。

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