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醒ヶ井興子は狂ってる  作者: 不連続がと


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3/3

恋占いは、運命抜き♡

 放課後の教室は、夕焼け色に染まっていた。




 窓際の席で、鯉沼日和(こいぬまひより)は、ノートの端に同じ名前を何度も書いては、慌てて消していた。




 藍川蓮(あいかわれん)




 二年三組。男子バスケ部。背が高くて、笑うと少し目尻が下がる。体育祭で転んだ日和に手を差し伸べてくれた。文化祭では、重たい段ボールを何も言わずに持ってくれた。数学の小テスト前には、彼の方から「ここ、出るらしいよ」と教えてくれた。




 それだけ。




 たぶん、それだけ。




 でも、日和にとっては、その「それだけ」が、世界の全部みたいになっていた。




「ねえ、もう告白しちゃいなよ」




 前の席に座った友人の朋美(ともみ)が、机に頬杖をつきながら言った。




「無理だよ」




「なんで」




「だって、変じゃん。急に好きですって言うの」




「急じゃないじゃん。日和、半年くらいずっと好きじゃん」




「私の中では急じゃないけど、藍川くんからしたら急かもしれないし」




「そういうこと考えてたら一生無理だって」




 朋美は呆れたように笑った。




「こういうのは勢いじゃない?言わない後悔より、言う後悔」




 その言葉に、日和の胸がきゅっと縮む。




 言わない後悔。




 言う後悔。




 どちらも嫌だった。




 でも、卒業は近づいている。三年生になればクラス替えがある。藍川くんが誰か別の子と付き合い始めるかもしれない。何もしなければ、何も始まらないかもしれない。




「でも、もし迷惑だったら……」




「だから占いでも行けば?」




「占い?」




「駅前に新しくできたところ。すごくいいらしいよ。」




「いい?当たるってこと?」




「ううん、当たるっていうか……なんか、『合ってる』らしい。すごく。」




「なにそれ」




 すごい占い。




 その言葉は、日和には魔法のように聞こえた。




 誰かが、運命を教えてくれる。




 自分の臆病さではなく、星やカードや神秘的な何かが、進むべき道を示してくれる。




 もし、告白しなさいと言われたら。




 もし、彼もあなたを想っていますと言われたら。




 日和はきっと、勇気を出せる。




 数日後。




 駅前の雑居ビルの三階。




 小さな看板には、こう書かれていた。




『占い キョウコ・サメガイ』




 扉を開けると、鈴が鳴った。




 部屋の中は薄暗く、青い照明が揺れていた。丸いテーブルの上にはタロットカード。水晶。小さなキャンドル。壁には星座の絵が飾られている。




 奥に、一人の女が座っていた。




 青い縁の眼鏡。まとめられた黒髪。無駄のない姿勢。整えられたスーツ姿。占い師というより、どこか秘書のような雰囲気だった。




「いらっしゃいませ」




 女は静かに言った。




醒ヶ井興子(サメガイキョウコ)です」




「あ、あの、恋愛の相談を……」




「はい。座ってください」




 日和は椅子に座った。




 胸がどきどきしていた。




 藍川くんの顔が浮かぶ。体育館の光。渡されたプリント。文化祭の廊下。少し笑った横顔。




「あの……私、好きな人がいて」




「はい」




「その人に、告白した方がいいか、占ってほしくて」




 言ってしまった。




 それだけで、頬が熱くなる。




 醒ヶ井は頷き、タロットカードを丁寧に切った。




「では、現在の状況、障害、助言の三枚で見ます」




「お願いします」




 カードが一枚、めくられる。




 恋人。




 日和は息を呑んだ。




 胸の奥に、ぱっと光が差したようだった。




「こ、恋人……!」




「はい」




「それって、やっぱり……」




「選択のカードです」




「選択」




「恋愛感情、関係性、価値観の一致。または選択の必要性を示します」




 思ったより事務的な説明だった。




 醒ヶ井は二枚目をめくる。




 塔。




 日和の心臓が跳ねた。




「塔って、悪いカードですよね?」




「急激な変化、崩壊、思い込みの破綻などです」




「えっ」




「今の関係性に、急激な処理をかけると、想定外の反応が返る可能性があります」




「処理」




 恋の話をしているはずなのに、言葉が少し硬い。




 醒ヶ井は三枚目をめくった。




 節制。




「節制です」




「それは、どういう……?」




「混ぜる。調整する。急がず、均衡を取る。段階的に進めるという意味です」




 日和は、三枚のカードを見つめた。




 恋人。




 塔。




 節制。




 運命っぽい。




 すごく、運命っぽい。




 恋人のカードが出て、塔が出て、最後に節制。これはきっと、怖いけど勇気を出して告白しなさい、でも焦りすぎないで、という意味なのではないか。




「あの、つまり」




 日和は、震える声で聞いた。




「私は、告白した方がいいんでしょうか」




 醒ヶ井は、少しも迷わず言った。




「タロットカード云々を抜きにして。まず、原則として、告白は推奨しません」




 青い部屋の空気が、すうっと冷えた。




「……え?」




「告白は、関係性を成功か失敗かの二択に圧縮する行為です」




「え、あの」




「相手に即時または短期の回答を求めます。十分な相互理解がない段階では、心理的負荷が高く、失敗した場合の関係修復コストも大きいです」




「占いですよね?」




「はい」




 醒ヶ井は、恋人のカードを指差した。




「恋人は、相互の選択を示します。つまり、相手にも選ぶ権利があります」




「それは、そうですけど」




「塔は、急激な変化による崩壊です。突然の告白は、ここに該当しやすいです」




「でも、好きって伝えないと始まらないって……」




「好意は伝えるべきです」




 醒ヶ井は即答した。




「ただし、一括でなく、小出しに、かつ明確にです」




「小出し」




「はい。たとえば、相手の話に関心を示す。一緒に帰る機会を作る。休日に短時間の予定へ誘う。楽しかったなら、楽しかったと伝える。相手の反応を見る。合わなければ、次に行く」




「次に行く」




「はい」




 日和は口を開けたまま固まった。




 想像していた恋占いと、何かが違う。




 もっと、運命とか、前世とか、赤い糸とか、そういう話をされると思っていた。




「でも、藍川くんが運命の人だったら……」




「運命は、検証不能です」




「検証」




「はい。運命かどうかを考えるより、相性がよいか、会話が続くか、一緒にいて疲れないか、価値観が極端にずれていないかを確認してください」




「それ、恋愛というより、審査じゃないですか」




「恋愛は、相互審査です」




 日和は、思わずテーブルに額をつけそうになった。




 ひどい。




 ひどい占いだった。




 恋する女の子が、ようやく勇気を出して占いに来たのだ。そこで普通は、カードが背中を押してくれるものではないのか。運命の人です、と言ってくれるものではないのか。




 なのに、この占い師はタロットカードを使って、告白のリスク管理を始めている。




「じゃあ、私はどうすればいいんですか」




 日和は少しむくれて言った。




「藍川くんと、仲良くなりたいんです。付き合いたいんです。でも、怖いんです」




「なら、まず二人で短時間話す機会を増やしましょう」




「それだけ?」




「はい。関係は、コツコツと育てた方がよいです」




 醒ヶ井は、節制のカードを日和の前に置いた。




「急に注ぐと、こぼれます。少しずつ混ぜてください」




 翌日。




 日和は、昇降口で藍川蓮を見つけた。




 心臓は痛いほど鳴っていた。




 手紙は持っていない。




 告白の言葉も用意していない。




 運命を信じる勇気も、まだない。




 それでも、日和は一歩前に出た。




「あ、藍川くん」




 蓮が振り返る。




「鯉沼さん?」




「この前、数学の小テストの範囲、教えてくれてありがとう。助かった」




「ああ、全然」




「それで、その……今度、駅前のクレープ屋さん、行かない? 新作が出たらしくて。嫌じゃなければ」




 言った。




 言ってしまった。




 告白ではない。




 運命でもない。




 ただの、小さな誘い。




 藍川くんは少し驚いた顔をして、それから笑った。




「いいよ。俺、金曜なら部活早く終わる」




 世界は、爆発しなかった。




 チャイムも鳴らない。




 桜の花びらも舞わない。




 抱きしめられることもない。




 でも、日和の胸の奥に、小さな灯りがともった。




 ――だが、藍川くんが角を曲がり、姿が見えなくなった後、声が聞こえた。




「お、脇屋(わきやん)、ちょっとちょっと」




「どうした?藍川(アイ)?」




「俺、彼女出来るかもしれん。デートに誘われたわ。」




「マジ?誰?あ、当てるわ……鯉沼日和(ひよりん)じゃね?」




「お、当たり。なんでわかるん?」




「俺くらいになるとな、分かるんよ。で、どうなん?タイプ?」




「うん、結構ストライクだわ。ストラックアウトで言うとー、……『1』!」




「「インハイやないかーい」」




「「あっはっはっはっ」」




 日和は、耳に届く声を聞きながら、友人と、占い師の言葉を思い出していた。




(占い、確かに合ってる……相互理解、か……)


(蓮くん……裏の顔、ちょっとそういう面白い感じなんだ……嫌いじゃないけど)




(ただ、野球部の脇屋(わきや)はなんなんだ……。馴れ馴れしい。茶化すな。ムカつく。)




(一生に一度しかない、ここぞの大チャンスの打席で凡退しちゃえばいいのに。)




 その日の夕方。




 占いの部屋で、醒ヶ井興子はタロットカードを片付けていた。




 机の上には、恋人、塔、節制の三枚が並んでいる。




 青い照明の中、彼女は呟いた。




「告白。一発逆転。逆転を狙っている時点で、既に形勢は不利……。まずは、コツコツと始めることです」




 そして、最後に節制のカードを箱へ戻し、静かに言った。




「継続は、力なり。すなわち、力とは、継続なり、と。」



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