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エピローグ:トッピングは全部のせ

「……祢城さん。あれで良かったんですかね」


帰り道。俺は沈黙に耐えきれず、隣を歩く祢城さんに尋ねた。


夕暮れ時の街は、オレンジ色の光がアスファルトに長く伸び、どこかの家庭の換気扇からは、食欲を優しく撫でるようなカレーの匂いが漂ってきていた。


「何がだい?麦くん。さっきのオムライスの卵の硬さの話かな?」


「違いますよ。……彼女のことです」


俺は、パトカーで連れて行かれた彼女の、最後に見せたあの虚ろな表情を思い出していた。



「麦くん。彼女は他人の物語に無理やり乱入して、自分の名前を書き加えようとした。それは読者のマナー違反だ」


祢城さんは、仕立てのいい黒いコートの襟を少し立て、前を見据えたまま続けた。


「それに、あのまま見過ごしていたら、彼女は小説の結末通りに、海の中へ消えていただろうからね。現実の海は、砂永くんが書く文字ほど美しくもなければ、ドラマチックでもない。ただただ冷たくて、暗いだけだ。彼女は、物語を完結させるために自分を殺そうとしていたんだよ」


俺は言葉を失った。あのバニラの甘い匂いが漂うマネキン。あれは、彼女自身の「死」の予行演習だったのかもしれない。





砂永の物語は、これからどう書き直されるのだろうか。


自分の書いた言葉が誰かを狂わせ、そして危うく誰かを殺しかけた。そんな重すぎるペンを、彼はもう一度握ることができるんだろうか。


不安そうな俺の顔を見て、祢城さんはふっと口角を上げた。伏せられたまつ毛の影に、いつもの煙に巻くような、けれど確かな知性が宿る。


「麦くん、今度彼に会ったら伝えてくれ。『砂永くん、次の小説は、最高に美味しいものが出てくる話にしなさい』とね。もし君がそれを書くなら、僕が君の一番のパトロンになってあげてもいい、と」


「……美味しいものが出てくる話、ですか」


「そう。血の匂いやバニラエッセンスの警告じゃない。読んでいるだけでお腹が鳴って、つい席を立って冷蔵庫を開けたくなるような、そんな生命力に溢れた物語だ。それなら、誰も海になんか飛び込まない。せいぜい、深夜のコンビニへ走るのが関の山さ」



祢城さんは、俺のキャメル色のジャケットの袖を軽く引いた。


「それより、賭けようか、麦くん。事務所に帰るまでに、僕が何回『お腹が空いた』と言うか」


「……さっき学食でオムライス、3人前食べたばっかりですよ……?」


「麦くん、君はわかっていないね。あれはこれから始まる長い夜のための、ほんの序章、いわば前菜に過ぎないんだ。さあ、今夜は事務所で特大のピザを頼もう。トッピングは全部のせだ。具材同士が喧嘩して、最終的に全員が握手しているような、そんなカオスで幸せな一枚をね」


「……。全部のせって、パトロンが何人いても足りませんよ」


俺はため息をつきながら、名探偵の少し早まった足取りに必死についていった。夕闇が街を包み込み、街灯が一つ、また一つと灯っていく。





砂永はきっと、新しいペンを買うだろう。


彼女もまた、いつか自分の人生という物語の「作者」として歩き出す日が来るはずだ。



そして、少なくとも、俺たちの「食欲という名の物語」には、まだ当分エピローグはやってきそうになかった。


次はどんな出前を頼むのか。何を賭けるのか。俺の鼻は、事務所のドアを開けたときに漂うであろう、挽きたてのコーヒーと、これから届く熱々のピザの匂いを、すでに心待ちにしていた。

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