伏義 ──フギ──
イチカたちのシリーズ名となっている《ジョカ》は、旧中華人民共和国の神話に登場する女神に由来する。
ジョカ──女媧は、古代中国神話と道教に登場する人類を創造した女神であり、昔の文献によると女媧の姿は蛇身人首(龍身人首)であるとされ、漢時代の画像などでもそう描かれている。また、笙簧という楽器を発明したという説もある。
婚姻制度を作った神であると言われ、男女を結婚させて子孫繁栄へと繋がることから婚姻の女神であるとされ、楽器を作ったことから音楽の女神という側面を持つ。
そんな女媧には対となる男神が存在し、その名を伏義と言う。
伏義と女媧は夫婦であるとも、兄妹(姉弟)であるとも云われる。
◇◇◇
「襲撃者は十数名程度。連携から練度はかなり高いとみなされます」
「おう。油断せずにきっちりと撃退しろ。逃げるようなら逃がしてもいい。シェルターと住民を防衛することを第一にな。もちろん、KSST隊員の被害も最低限に抑えろ」
部下の報告を聞いたKSST──カワサキ・シェルター警備隊──の司令官であるスズキ・カツトは、厳しい表情でその部下に指示を出した。
突然襲撃を受けたカワサキ・シェルター。
だが、イチカが張ったセキュリティによりカワサキ側は襲撃者のクラッキングを防ぎきり、その後に続くであろう襲撃を直前に察知、素早く防衛態勢を整えることができた。
シェルターの代表であるウイリアムが何より重視するのは、KSST隊員も含めたシェルターの住民の安全だ。そのためには、シェルター内に襲撃者を侵入させないことが最も重視される。
カワサキ・シェルターとそこに暮らす人々の安全。それこそがウイリアムを筆頭にカワサキの首脳陣が最優先に考えることであった。
襲撃者の正体は不明。流れの盗賊なのか、それとも何か目的があってカワサキを襲ったのかは分からない。
襲撃者を全員返り討ちにできれば言うことはないが、深追いしてKSSTの隊員に無用な被害を出さないことを首脳陣は選択する。
今の時代、流れの盗賊が後を絶つことはない。いくら全滅させようとも、新たな盗賊がどこからともなく湧き出してくるからだ。
その全てを殲滅することなど不可能であり、手酷い反撃を浴びた盗賊はほとんどの場合は二度とカワサキ・シェルターを襲おうとは考えない。
酷い反撃を受けるぐらいなら、もっと規模が小さく防衛設備も整っていない他のシェルターを襲った方がいいと考えるからだ。
他のシェルターを犠牲にする、という考え方もできるが、ウイリアムたち首脳陣は何よりもカワサキの安全を重視していた。
「装備も整っているようだし、連携も十分取れている……か。どうやら、ただの盗賊ってわけじゃなさそうだな」
「連中、何が目的っすかね?」
カツトの言葉に応えたのは、ササキ・トウマ。KSSTの隊員であり、第1分隊所属第2小隊の小隊長を務める彼は、ウイリアムの養い子の一人でもあり、フィッシャーマン・ファミリーの長男でもある。
「盗賊ではないのなら、どこぞの工作員か何かか……となれば、明確な目的があってカワサキを襲撃したんだろうが……」
果たして、その目的とは何なのか。
ここカワサキは、5000人もの住民が暮らすシェルターだ。当然、ここにはその住民が暮らしていけるだけの各種物資が蓄えられている。
単なる盗賊であれば、その物資が狙いだと想定できる。だが、今回の襲撃者たちはそうではないだろう。であれば、何か明確な目的があってカワサキを襲撃したはずだ。
「──考えられるとしたら、ショウんトコのお姉ちゃんたち…………か?」
「どこかでイチカたち……《ジョカ》の情報を掴み、その現物である彼女たちを狙って、ですか? いや、さすがにそれは無理がありませんか?」
「だよなぁ。《ジョカ》の存在を知っている者は限られている。それも、ここカワサキの住民ばかりだ。シェルター外の奴らが《ジョカ》のことを知っているとはまず思えねえ」
カツトは、戦況をリアルタイムで告げるモニターを睨みながら、傍らに控えるトウマに尋ねる。
「なあトウマ。連中の実力は相当高いと見受けるが……どうにも圧が弱いと思わねえか?」
「あ、団長もそう思いました? 実は俺もさっきから同じことを考えていましたよ」
今、カワサキを襲撃している者たちの練度は相当高く、そこから襲撃者たちがそれなりの精鋭であることは容易に窺える。
だが、実際にKSSTの防衛線に掛かる「圧」は、それほど高くはない。防衛線へ攻撃を仕掛けては、反撃を受けないように後退。襲撃者たちは先ほどからそれを繰り返していた。
そんな現状から、カツトとトウマは一つの結論を導き出す。
「こいつぁ囮……陽動だな」
「ってことは、西側の防衛線以外からも襲撃がありそうですね」
「トウマ、おまえは自分の部隊を率いて北の防衛拠点へ行け。他方面の拠点にも応援の戦力を送る」
「了解です」
トウマはカツトへ敬礼をすると、即座に指令室を飛び出していった。
今、謎の襲撃者たちはカワサキの西側から襲いかかってきている。そのため西側の防衛拠点に重点的に戦力を振り分けているが、連中が囮だとすれば、他の方面からカワサキへと襲撃をしてくるだろう。
カツトは投入可能な戦力を西側以外の防衛拠点へと振り分け、改めて戦況モニターを睨みつける。
「…………さて、本命の攻撃はどこから来る?」
カツトのこの疑問は、結局解決することはなかった。
なぜなら、敵の「本命」はこの時点で既にカワサキへと侵入していたのだから。
◇◇◇
「数か月離れていただけなのに、案外懐かしく思えるものね」
見慣れたカワサキ・シェルターの街並みを、ヴァレンティーナは眺めて独り呟く。
教団の上層部から潜入任務を命じられ、三年ほどここカワサキ・シェルターで暮らしていた彼女。
任務を終え教団の本拠地へ戻った時、このような感情を抱くことはなかったというのに。
そんな思いを一瞬で断ち切り、ヴァレンティーナは迷いなく走り出す。
カワサキへ侵入することは難しくはなかった。
彼女は三年近くこのシェルターで暮らし、ここのことは細部までよく知っている。
加えて、当時恋人だったショウを通じてカワサキの首脳陣とも知り合いだった。そのため、防衛拠点の位置や緊急時にカワサキの戦力がどのように移動するかも知り尽くしているのだ。
時には、ウイリアムから依頼されてショウと共に、襲撃してきた盗賊の撃退に加わったことさえあったのだから。
結果、四人というごくわずかな人数であることもあり、警戒が最も手薄な地点から侵入することは難しくはなかった。
「『聖母』を確保するためには、彼女の居場所を特定する必要があるけど……この時間帯なら、まだ職場にいるはずね」
マルチデバイスに表示される時刻──現在午前11時23分──を確認し、「聖母」がいるであろう場所へと向かう。
「今日が非番の可能性もあるけど、その時は自宅へ向かわないと」
背後に三体の男性を引き連れながら、ヴァレンティーナは慣れた様子でカワサキの中を歩いていく。
当然、シェルター内には無数の防犯カメラが存在するが、それらはカメラが反応する前に男性たちが手にした拳銃で破壊していく。
防犯カメラの位置は、カワサキに潜入しているダミニから事前に送られてきたデータを男性たちにインストール済みであるため、カメラを見落とすことはない。
「カメラの破壊に気づかれる前に、『聖母』を確保しましょうか。まあ、確保できなくても別に構わないのだけどね」
今は襲撃の方に注意を向けているここの首脳陣たちも、街中のカメラが破壊されていくことにすぐに気づくだろう。
だが、気づかれても問題はない。たとえここにKSSTの部隊が押し寄せても、ヴァレンティーナが従える男性たちの運用データさえ取れればそれでいいのだから。
見慣れた街中を静かに駆け抜けるヴァレンティーナたち。既に避難指示が出ているからか、途中で住民と出会うこともない。
そうして、目的地付近まで来た時。彼女のマルチデバイスに同胞からの連絡が届く。
「ティナ、ごっめーん!」
「ダミニ? 突然どうしたの? もうすぐ目的地であるカワサキ病院に着くけど?」
「あのねー? 実は今日ねー?」
どこか言いづらそうな様子のダミニに、ヴァレンティーナは眉を寄せながら彼女の言葉を待つ。
「それがさー。こういう日に限って『聖母』が病院にいないんよね」
「今日は彼女、非番だったの? なら、自宅にいるんじゃない?」
「どうもそうじゃないっぽいー。さっき病院の避難エリアへ逃げ込んだ際に知り合いがいたから彼女のことを聞いたんだけど、どうやら上からの指示でカワサキの外に出ているみたいなんよね。あははー」
「はあっ!? ちょっとそれ、笑いごとどころか厳罰もののミスじゃないっ!! 計画が根本的に狂ってくるんだけどっ!?」
「仕方ないじゃーん。どうも急に決まった『出張』みたいだしー。それに最近、『聖母』とは勤務シフトが被らなくってさー。直接あの子と話していなかったんよぅ」
「そこをどうにかするのがあなたの仕事でしょう」
思わず声を荒げそうになるが、ヴァレンティーナは今の状況を思い出して声のトーンを落とす。
そういえば、彼女はクラッカーとして極めて優秀なのは間違いないが、時々こういうとんでもない失敗をする人物だったことをヴァレンティーナは思い出す。
それでも大きな処罰を受けることなく今も「教団」に存在できるのは、失敗を帳消しにするような大きな貢献を過去に何度もしてきたからだ。
そんなことを考えながら、ヴァレンティーナは意識を切り替える。
「すぐにケビンに連絡して撤退させなさい。『聖母』がカワサキにいないのなら、これ以上の攻撃は無意味よ」
「りょーかーい! で、ティナはどうするん?」
「私もすぐに脱出するわ。それでダミニ。あなたにやって欲しいことがあるんだけど?」
「そりゃ今回の埋め合わせにできることはなんでもするよーん。で、何をすればいい?」
ヴァレンティーナは背後の男性たちに視線を向けると、特に表情を変えることもなくダミニに告げた。
「彼らに少し運動させてあげようと思うの。その行動指示と運用データの回収をお願いしたいの」
「彼ら? ああ、例のお人形さんたちのことね。りょーかい、りょーかい」
ヴァレンティーナはマルチデバイスを操作し、背後の男性たちの命令権をダミニに送りつけた。
「さて、後はダミニの指示に従って暴れなさい。いいわね?」
その言葉に、男性たち──試作型人造兵シリーズは小さく「御意」と答えた。




