プロローグ ある人間の未練
魔王とは、途方もない未練を抱えて死んだ人間が、死後もそれを手放すことが出来ずに、転生した姿である。
僕の父親は、この学説を唱えた後に城から追放され、辺鄙な村で隠れるように暮らす羽目になった。それから、魔王狩りが激しくなったのは、何故か突然不審死してしまった王族と関係があるだろう。王位継承の為に、どんな惨い方法で殺したのやら。
まあ、お上のお話なんて僕には関係のないことだ。
僕にとって問題なのは、家の中から聞こえる、酔った父の泣き言が大変うるさいということだ。過去の栄光にすがるくらいなら、口止め料なんか受け取らなきゃよかったのに。
「こんにちは!」
ベッドの上でため息をついていると、元気な挨拶の声がした。傍の窓を見れば、幼い女の子が張り付いている。
「……ここ、二階だよ」
落っこちられても困るので、僕は窓を開けて女の子を中に招き入れる。ついでに、窓の外を見たが、近くに木はないし、どうやって登ってきたのか甚だ謎だった。
「あたし、マリー!」
「自己紹介どうもありがとう。で、僕に何の用?」
三つ編みにした髪の毛に泥をつけたその姿は、馬鹿な田舎の村の、馬鹿な田舎娘にしか見えなかった。僕はとっとと用件を聞いて、追い出そうと決意する。
女の子、マリーは再び元気に言葉を返す。
「用は済んだよ」
「うん?」
「降りれなくて困ってただけだから。ありがと!」
マリーはそのまま僕の部屋を突っ切って出て行こうとする。僕は慌てて、その腕をひいて、よくよく話を聞く。
どうやら、マリーは村にある全ての建物によじ登る遊びをしていたらしい。僕の住む家は足場になるものが何もないので、一番最後の砦だったようだ。一か月のチャレンジの末、やっと登頂出来たものの、降りれなくなってしまったそう。
マリーの目的を勝手に僕だと考えたのは、思い上がりで恥ずかしい。
が、それよりも、マリーの行動が意味不明だった。
これが、マリーと僕の出会いだった。
年をとれば、マリーの行動は落ち着くかと思ったが、違った。
「冒険者と殴り合いをするな、やめろ。それでしかも勝つんじゃない」
マリーは何度も問題を起こした。体が弱く、逃げ足の遅い僕は自然と騒動に巻き込まれ、そのうちにマリーの世話係みたいなポジションについてしまった。
「新鮮は、生で食べて良いという意味じゃありません!」
マリーには、僕の知性はさっぱり通用しなかった。
「頼む、落ち着いてくれ。誰も君のパイを奪ったりなどしない」
マリーの行動は、いつだって僕の想定外だった。
「なんで、野犬と肩組んでるんだよぉぉお」
ただ、一番想定外だったのは。
「あんたって、良い奴だよね」
「は?」
「優しいし」
「はァ?」
マリーに、この僕が優しい人間だと認識されていたことだった。正直に言うが、僕は全く性格が良くなかった。この村で上からクズを数えていったら、二番目、父親の次にクズだろう。
「バーカ。目、腐ってんじゃないの?」
「ふふ。照れてやんの」
「照れてないし!」
マリーが笑う。その笑い声が、いつもの破天荒さと真逆で、高くて、透き通っていて。笑顔なんかも、よくよく見れば可愛くて。
「どうしたの? 固まって」
気付いてしまえば、普通に喋っている顔も可愛く見えて。
僕は自分の耳に、熱が溜まっていくのを感じた。
その年の収穫祭の日、僕はマリーにプロポーズをしようとしていた。この村では、収穫祭の日に告白すると、そのカップルは長く続くというジンクスがあったからだ。
そんな迷信にすがる自分が滑稽ではあったが、マリーと結ばれる為なら、どんなことでもしたかった。
結局、告白はマリーに先を越されてしまったが、それでも、恋人になれた。
幸せだった。
恋人になって気づいたのは、マリーも想定外のことに弱いということだ。僕がさりげなく口説くと、マリーは顔を真っ赤にして震えるのだった。それで、調子にのって、あちこちで愛の言葉とやらを囁いていたら、ついに切れたマリーにはたかれた。
でも、それで自分が愛されているという自覚を持ったらしく、今度はマリーから積極的に「好きだ」と言われるようになった。それはそれで、嬉しかった。
そのまま、婚約者になるのになんの躊躇いもなかった。顔合わせも、逆にマリーのご両親から「娘をよろしくお願いします」と頭を下げられたくらいだ。一応、僕の父にも報告したら、「幸せになれよ」と何年かぶりにまともな返事を貰えた。
新居も、必要な家具や雑貨も揃えた。ご近所の人からお祝いとして貰ったものもあれば、僕が翻訳で貯めたお金で買ったもの、更にはマリーが意味不明な所から手に入れてきたものもあった。
……子ども用の部屋も作った。
もっと、幸せになるはずだった。
結婚式の一か月前、二人で、首都に住むマリーの親戚に結婚のご挨拶に行くことにした。が、当日僕は体調を崩してしまった。もう行くと連絡してしまったからと、マリーは一人で挨拶に向かうことにした。
心配する僕に、マリーは言った。
「大丈夫。どんな奴が襲ってきても、木っ端微塵にしてやるから」
それが最期の言葉だ。
一週間ほどで帰ってくるはずだったのに、それから、いくら待ってもマリーは帰ってこなかった。
村の人の制止を振り切って、僕はマリーが通ったであろう道を走った。無理な運動に、僕の体はたちまち熱をぶり返したが、それでも僕はマリーを探した。
そして、横転した馬車を見つけた。
この辺りは滅多に他の馬車が通らないので、気づかれなかったようだ。馬車の運転席には、お腹から血を流した状態で馭者が息絶えていた。
辺りを更に探すと、細くて白い、マリーの腕があった。
信じたくなかったけど、指や爪の形が完全にマリーのものだった。
夥しい血の跡が崖下に続いていて、僕はためらわずに崖を降りた。無様に転がり落ちて、右腕が折れたような気がしたけれど、痛みなんて気にしなかった。
生き延びたマリーが、もっと苦しい思いをしながら、助けを待っているかもしれないからだ。
そんな期待はすぐに裏切られたけれど。
崖下の森にマリーはいた。右腕はなくて、胸に穴が開いていて、力なく横たわっていた。
僕は震える足で彼女の下に向かい、それでもと、脈を診る為に残った腕をとった。
確かめる以前に、腕は冷たくて、固かった。
「……マリー」
僕は彼女の髪を撫でる。いつもは、くすぐったそうに笑い声をあげるのに、今日は静かだった。そして、これからも静かなままだ。
マリーの騒がしさに振り回される日々は、二度とない。
「君がいなきゃ、僕は生きていけないよ」
口からそんな言葉が零れ出た。僕は自分の言葉に驚いて、すぐに納得した。
僕は自分の懐から、ナイフを取り出す。手紙用のナイフだが、これでも皮膚は十分に切り裂けるだろう。
最期にと、マリーの頬をくすぐる。柔らかく、ない。
僕は堪らず嗚咽を漏らしたが、そこで、マリーの口角が上がった。
「え」
僕はマリーの胸に耳を付けた。希望も虚しく、心臓は動いてなかった。幻覚かと思って、再びマリーの顔を見ても、やっぱり微笑んでいた。僅かに、ぴくぴくと痙攣している。
「まさか」
僕は辺りを見渡した。深い森だ。コケがかすかに光っている。魔力に満ちているからだ。
この世界では、死体に魔力が満ちると、魔物になる。
僕はマリーに触れた。彼女はこれから、長い年月をかけて、ゾンビになろうとしているのだ。
僕はコケを根ごとむしると、マリーにかぶせた。魔力の巡らない部分は腐敗していくからだ。腐った彼女でも愛せるが、やっぱり僕のことを覚えていて欲しかった。
僕は一緒にゾンビになろうと、再びその横で死のうとして気づく。
このまま、ゾンビになったところで、マリーを守れるのか。
ゾンビになったからと言って、特別強くなるわけではない。冒険者には襲われるし、他の魔物にだって襲われるだろう。
再び彼女を失ったら、もう、取り戻す手段は存在しない。
同じ失敗を、苦しみを味わいたくなんてなかった。
「また、会いに来るから」
僕は彼女にそう言うと、彼女の腕だけ抱えて、元の道に戻った。方角は分かっていたので、戻るのはそんなに難しくなかった。
村に帰る途中、盗賊のアジトに寄った。一丁前に堀なんか作ってたので、唯一の橋をふさぎ、火を投げ入れた。
全身焼きただれて、呼吸も出来なくなって、死ね。
村についた僕は、マリーの腕を抱えたまま、ふらふらと家に帰った。
マリーのお母さんにも会ったが、何をしゃべったかは覚えていない。
僕は、たったひとつのことを考えていた。
魔王とは、途方もない未練を抱えて死んだ人間が、死後もそれを手放すことが出来ずに、転生した姿である。
父の学説だ。
父はクズだが、その頭の良さだけは信用している。この僕の父親だから。
僕は決意していた。
ゾンビの彼女にお似合いの、魔物になろう。
彼女をどんな困難からも守れるような、恐ろしい魔王になろう。
マリーの傍で死ぬと、ゾンビになってしまう。他に僕が未練を感じる場所は、この新居しかなかった。故に、村に帰ってきたのだ。
マリーの腕をどうしようかと考えたが、食べることにした。体の中に取り込んだ彼女の肉体は、来世で僕を彼女と巡り合わせるだろう。これは全くの妄言だが、そんなものでも縋らずにはいられなかった。
マリーと結ばれる為なら、どんなことでもするから。
僕はベッドに寝転がる。白いシーツが肌に冷たい。ここで、彼女と寝転がるはずだった。
僕は叶わなかった未来と、これから叶える未来に想いを馳せて、
自分の首を、掻っ切った。
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