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第8話 結婚指輪

「馬鹿じゃねえの?」

「ジャン兄ちゃん……」


 イージャンは、自分が結婚指輪の存在を知らなかった事。それが原因で起こった、先程の王宮での経緯を、レイセインにも少し手伝ってもらいながら話し終えた。


 自分が、女王の御髪の結婚指輪をもう既に買って用意していると、ジャムシルドやシビアナに誤解させてしまっていると。


 その結果、ガドリクを呆れ返らせ、ソティシャには憐みの目を向けさせる事になった。


 ただ、話の中で、最後のシビアナが泣いた部分は伝えていない。彼女も、自分の知らない所でそういった事を話されるのは、気分が良いわけがないだろう。レイセインに話した時と状況も違うのだ。


 だから、イージャンはそこの部分だけ、外して伝えていた。レイセインにも、それは分かって同じく話すことはなかった。


 また、二人とも良く分かってないのもあり、レアルカルナシフォンの事は女王の御髪として伝えている。


「信じらんねえ……。ホントに、結婚指輪の事まで知らなかったのか? ソティシャより小さいガキでも、知ってるんだぞ?」

「す、すみません。本当に知りませんでした……」


 申し訳なさそうに頭を下げるのを見て、ガドリクはしかめっ面になると、首元をがしがしと掻く。


「かー……。お前が、そう言う奴だってのは昔から分かっていたが、まさかここまでとは……」


 一つ溜息を吐いて、呆れ返ったまま言った。


「マジで剣術以外、からっきしだな、おい」

「うっ……」


 顔を俯けたまま目を瞑るイージャン。返す言葉もない。その心境は、正座をして説教でも受けているかのようだった。


「まーまー、父さん。ジャン兄ちゃん、からっきしじゃないから。顔も格好良いから。ね?」

「それが、余計に腹立たしいんだよ」


 しかも、擁護の仕方が見当違いだと、ソティシャを睨み付け、それからイージャンを見る。


「はあ……」


(朴念仁をとことん煮詰めた凝固物――。そういやあ、そうだった。ここに顔を出すのも久しぶりってのもあるが、婚約を決めちまったんだ。それで、もう心配ねえって事で、すっかり忘れてたぜ。確かに、こいつは面が良いんだが、そのくせ色恋沙汰はてんで駄目だったんだよ。


 色んな女から言い寄られても、一切反応しなかったからな。マジでからっきしだ。その面は、宝の持ち腐れ。全く生かせてねえ。だから、レイくらいだと思ったんだ。こいつのこのアホさ加減を分かってて、相手になりそうなのはよ。


 だが、ここまで知らないってのは、いくらなんでもおかしいぜ。こんなのと、よくシビアナ様は……。ホントに大丈夫なのか? 不安になって来たぞ)


「…………」


(ううむ。とは言ってもなあ――)


 ガドリクは腕を組むと、自責の念に囚われているだろう、俯いたイージャンをじっと見る。


(本人に、悪気はねえ。至って真面目なだけなんだよなあ。ただ、致命的なまでに、あっち方面に興味がないってだけで。


 しっかし、そんな奴がだ。いきなり「婚約しました」って言いに来やがったんだからなあ……。あん時は、そりゃあもう心底たまげたもんよ。


 しかも、お相手が、陛下の御養女。王国一の美女と謳われる、あのシビアナ様ときたもんだ。それを聞いて、目ん玉と肝が飛び出して腰を抜かさなかったら、そっちの方がどうかしてるぜ。いや、別に俺がそうなったわけじゃねえけどよ……。それぐらい驚いたって事で――)


「親父さん……?」

「ん? ああ……」


 黙ったままのガドリクに、レイセインが訝しんだ。


「まあ、何だ……。あれは、高価過ぎるも通り越してやがる。レイの言う通り、訳を話して、さっさと謝っちまう事だな」

「は、はい……」


 ガドリクは、湯呑に手を伸ばして、口に運ぶ。イージャンは俯いたまま、苦しそうな顔をしている。それを心配したソティシャが、元気づけようと声を掛けた。


「うん、そうよ! 父さんの言う通りだわ。謝ればいいのよ! 私だって、皆が知ってても、自分が知らない事なんて幾らでもあるんだから!」

「ソティシャ……?」


 俯いた顔が、隣に向く。


「でも、それを言い訳にするのは良くないわ。だから、まずしっかり謝って、それからきちんと説明すればいいの! そしたら、大丈夫! きっと大丈夫だよ! シビアナ様は、絶対に許してくれるわ!」


 彼女の言い分に根拠はなかった。しかし、そんなのはどうでも良い。イージャンは、シビアナの悲しそうな顔を思い浮かべると、今でも辛かった。だが、女王の御髪は手に入らないのだ。それが分かった今、彼女に悲しい思いをさせてでも、謝るしか道はない。


 親父さんの遠慮のない叱責。自分に頑張れと励ましてくれる、ソティシャの懸命なその姿。そして、レイセイン。三人のおかげで、救われた気になり、そうする踏ん切りがついた。


「そうだな。謝ろう。ありがとう、ソティシャ」

「えへへ! うん!」


 嬉しそうに頷くその様子のおかげで、元気も勇気も湧いてくる。


(よし。ちゃんと謝って、それから別の指輪を渡そう! その指輪は勿論、親父さんのが良いんだが――)


「…………」


(うーん、今更作ってくれるだろうか……)


 彼は、さっきのやり取りを思い出し、若干勢いが無くなった。


「ふふ……」


(大丈夫。作ってくれるわよ。シビアナも、それが良いって言ってくれるわ)


 レイセインは、その表情の変化で何を考えているか分かった気がした。そして、頬杖を突いてイージャンを見る。


(やれやれ、これでやっと元気が戻ったのかしらね……)


 ソティシャのおかげで、和やかになったイージャン達。そんな三人を見ながら、ガドリクはお茶を一口飲んだ。


「…………ったく」


(二人にまで心配させやがって、しょうがねえ奴だぜ……。だが、俺もこいつがこういう奴だって知ってたんだ。なら、ちゃんと教えておきゃあ良かったな。そうすりゃあ、指輪も――。いや、つまんねえ事考えちまったな……)


 その気持ちを断ちながら、手に持った湯呑の中に目を落とす。それから、ぽつりと呟いた。


「しっかし、女王の御髪に結婚指輪か……。懐かしいな、思い出しちまったぜ……」

「ん? 何が懐かしいの? 父さん?」


(あ。しまったな……)


 ソティシャに首を傾げられ、ガドリクはつい口に出していたと気付いた。


「何でもねえよ……」

「そう?」

「ああ……」


 大した事じゃないと、ぞんざいにして答えたものの、


「む……」


 ふと、レイセインの目を見てしまう。彼女は頬杖を突いたまま、しっかりとこっちを見ていた。


(参ったな。こりゃあ、ばれちまったか……? いや、流石に今のだけじゃあ、無理だな。別に心を読んでる訳じゃねえし――)


「…………」


 彼は、ここで思い直した。


(まあ――、もう随分と経つから、構いやしねえか……。いや、イージャンは知っておいた方が、良いのかもしれねえ。シビアナ様と結婚する以上はな)


「イージャン、レイ。これは、絶対に言い触らすなよ? お前もだ、ソティシャ」


 話すと決めたとはいえ、口止めはしておきたい。ガドリクは、順に視線を向け三人へ念を押した。


「え? う、うん。分かったけど……?」


(あれ? 話してくれるんだ)


 ソティシャが躊躇いながら頷く。それを見て、ガドリクはイージャン達に視線を向け直す。


「お前らも、分かったか?」

「は、はい」

「ん……」


 レイセインは、同じく不思議に思っているイージャンと一緒に頷く。


(でも、いきなり何かしら?)


 ちなみに彼女は、別に不審だとか、そこまで思っていなかった。何かあるかなと思った程度だ。しかし、今は興味が湧いている。


「よし。じゃあ話してやる」


 ガドリクは、湯呑を卓の上に置いた。そして、片肘を突いて前のめりになると、声を抑え気味にして話し始める。


「いいか? これは、もう結構前の話なるんだが……。王妃様――。エラクツォーネ様の結婚指輪があるだろ?」

「うん」


 ソティシャに続いて、イージャンたちも頷く。ガドリクはそれを見渡し、また少し声を潜めて言った。


「実は、あれ――。うちの親父が拵えたんだよ……」

「え!? ええええ!? お爺ちゃんが!?」

「な!?」

「っ!?」


 イージャンとソティシャが、目と口を大きく開く。レイセインは絶句。声は上げなかったが、その驚きは二人に負けていなかった。


(嘘でしょ!? ビレイクお爺ちゃんが作ったの!?) 


 このビレイクとは、ガドリクも言った通り、彼の父親だ。もう既に亡くなっているが、彼と同じく鍛冶職人だった。


「ホントなの!? 父さん!?」


 ソティシャが、卓に両手を突き椅子から立ち上がる。


「ああ。実際にこの目で渡す所を見ちまったからな。間違いようがねえ」


 ガドリクは、自信を持って答えた。その堂々とした態度は、冗談でも嘘でもない。


「ひーええええええ……」


 それが分かって、声に合わせ力が抜けていくように、ふにゃふにゃと椅子に座り直す。


「…………」


(本当にホントみたいね……)


 レイセインも、ガドリクのその態度と声色で、嘘ではないと分かった。


(でも、驚いたわ。まさか、ビレイクお爺ちゃんが作ってたなんて……)


「親父は、陛下直々に結婚指輪を作るよう、頼まれてたらしくてな。約束とか言ってたか……」

「約束……」


 イージャンが、呆気に取られたままぼんやりと呟く。その腕を、レイセインがとんとんと叩いた。


「ねえ……」

「ん?」

「何か……、聞いてない……?」


 彼は、近衛騎士なのだ。そう言う話が聞けても、おかしくない立場にいる。そして、シビアナ。彼女ならどうか。何せ、国王の養女で、結婚相手だ。ならば聞いていないか、と尋ねた。


「いや、俺も初めて聞くな……」

「そ……」


(今の反応を見ればそうか。ま、そもそも興味ないだろうし。なら、聞いたとしても、耳から零れ落ちてるかもね)


「へ、陛下と約束って……。うちのお爺ちゃん、一体何者だったの……?」


 この国で一番偉い人と、約束なんかが出来る。子供であろうが、それはとんでもない事じゃないかと、ソティシャは漠然に戦いていた。


「いやまあ……。昔の事は、尋ねても話したがらなかったから、俺もよく知らねえんだよ」


 ガドリクは、腕を組んで宙を見ながら思い返す。


「あー、そっかあ……」

「ただ、自分の打った剣を、直接陛下へ献上しに行った事もあったからなあ、親父の奴」

「ええ!?」

「ちょっ!? 直接ですか!?」

「ああ。この話より少し前になるがな」


 驚くソティシャとイージャンに向かって、ガドリクが頷く。そして、


「…………」


(剣――。ですって?)


 レイセインの目がぎらりと光った。


「あん時は、良い剣が打てたっつって、珍しく親父が喜んでてな。見てみりゃあ、まあ確かに見事な剣だった」

「…………」


(見事な剣――)


 レイセインの眉がピクリと動く。


「けどよ。この後すぐに、その剣がどこかにいっちまいやがった。だから、聞いたんだよ。どこの誰が買いに来たんだってな」

「う、うん」


 ソティシャが、イージャンと一緒に興味深く頷いた。


「そしたら、そうじゃねえ。自分が陛下に献上して来たって、言いやがったんだよ。しかも、直に手渡したらしいんだぜ?」

『じ!? 直に手渡した!?』

「おう。振り加減を見て調整するからってな。その調整もそこでやったらしいぜ? 陛下もお忙しいからだろうから、纏めて終わらせたかったらしい」

『えええええ!?』


 直接とは謁見だけではない。手渡して、そこまでやってるのかと、ソティシャとイージャンの驚く声が重なる。


「それを聞いた時は、そりゃあ、びっくりしたもんよ……」

「そ、それは、そうなりますね……」

「すっご……」


 二人は、愕然として呟く。


「しかしよ。一介の鍛冶屋が、直に献上なんてそんな大層な事、出来るわけねえだろ? だから、以前から何かしらの関係が、やっぱあったんだろうな。これは、間違いねえよ。で、それがあって、エラクツォーネ様の結婚指輪も作ることになったんだろう。と、俺はこう思ってる」

「た、確かに。でないと、納得できませんね……」

「うーん。そうかも……」


 イージャンたちも、その通りだろうと思えた。


「ま、それが何なのかまでは、さっぱりだがな。親父は、話してくれなかったしよ」


 ガドリクは、肩を竦める。


「へえええー……。そんな事が……。でも、それってホント、どんな関係だったのかな? 気になるね、ジャン兄ちゃん?」

「ああ、そうだな。何だろうか……」


 ソティシャとイージャンは、一緒になって腕を胸の前で組んで首を捻る。答えを一応考えてみた。


『うーん……』


 唸ってみるが、驚きが強くてそっちに気を取られてしまう。上手く考えが纏まらず、二人とも要領を得ない。


「ねえ……」


 今まで黙っていたレイセインが、顎に手を当て摩る。


「ビレイクお爺ちゃんって……。腕は……。ホントに相当だったわよね……?」


(親父さんは一介なんて言ったけど、とんでもない。超一流よ。鍛冶職人の町として名高いこの玄應街でも、ビレイクお爺ちゃん以外にそう思えるのは、親父さんくらいだわ。私は他に知らない)


「まあな。親父が作る装飾品は、従来の決まったものに縛られねえ。気に入った形や物を取り入れるもんだから、かなり独創的だった。で、その作品や模様の曲線美が、また特に秀逸だったな」

「ええ……」


 ガドリクに相槌を打つ。


「紙一重だ。少しでもその曲がり方がずれれば、駄作に成り下がる。そんな形を持った作品や、模様を幾つも彫り込んでやがった。もちろん、刀剣なんかにも、それは生かされているんだが、こっちはもっと目を見張るもんがある。それが――」

「凄味ね……」

「そうだ。剣身や刀身に宿る、あの屈強な鋭さからくる凄味。あれは、そうそう出せねえ。だから、陛下にも、胸を張って献上できただろう」

「ん……」


 その通りだと頷く。


(ま、それは親父さんもなんだけどね)


 彼女は、今の言い様が何だか自画自賛しているみたいで、少し可笑しかった。


(ふふっ。それはさて置き)


「だから、それと……。関係あるんじゃない……? 何かしらってのは……。その一流の腕を、認められるような……、機会があった……」


(それがあって、その時から陛下に一目置かれるようになった、とか。こんな感じじゃないかしら?)


「かもしれねえな」

「なるほど……」


 ガドリクが顎をなぞる。イージャンは考え込んだままの姿勢で頷いた。


「うーん、それかもねえ」


 幼いソティシャは、ぼんやりとした直感に近い。しかし、皆、ビレイクの作品を見て、その腕は知っている。だから、ガドリクたちは、この推察が当を得ているように感じた。


「ところで、親父さん」

「あん?」

「それって、どんな剣だったの?」


 レイセインの口調が変わる。若干、興奮しながら尋ねた。


(凄い興味があるわ。ビレイクお爺ちゃんが打った剣――。ふふっ。それを聞いただけで、もう堪らないわね。一体どんなのだったのかしら?) 


「ったく。目をキラキラさせやがって。しょうがねえ奴だぜ……」

「ふふふ!」


 ガドリクは、嬉しそうに微笑むその顔を、半分呆れながら眺める。


(まあ、レイは、親父の作品を見て育ったからな。その中でも、特に刀剣類が気に入っていた。武器好きになった切っ掛けは、これだろうな。そのおかげか、その良し悪しが分かる目利きにまでなっちまったが)


「そうだな。確か――」


 腕を組んだまま、眉間に皺を寄せた。再び宙を見て、それから視線を下げる。そうする事で、自分の記憶から、ビレイクのその剣をすぐに探し出せた。


 これも、結婚指輪を作った時期と同じ頃で、結構前の話になる。だが、その職人気質故か、しっかりと目に焼き付けていたため、ありありと思い浮かべる事ができた。


「あの剣は、装飾の類が一切ない、銀色の剣身を持つ長剣だったな。その剣身の姿形は、あそこに立て掛けてあるイージャンのと良く似ている。材質も同じだが、違うともいえるか。『氷輪鋼ひょうりんこう』に『白羽鉄しらはがね』を混ぜたものだからな。俺と親父じゃあ、その割合は異なる」


 氷輪鋼と白羽鉄は、剣などの武器に用いられてきた金属。ただ、両方とも希少で非常に値が張るため、おいそれと手が出せない代物だった。


「剣身の両面には、樋の筋が真ん中に真っ直ぐ入っている。そして、丹念に鍛え上げられた地肌には、薄らと『八重雲やえぐも』が現れていて、刃紋は『珠玉繋(しゅぎょくつな)ぎ』だったな」


 八重雲とは、幾重にも重なる雲のような模様の事。珠玉繋ぎは、爪程度の珠玉が連なって見えるものを言う。どちらも、一流の鍛冶職人しか出せない技法だ。また、これが出来るのが、その証でもあった。


「鍔は、太めの『鐘分銅かなぶんどう』。ここと柄頭には、白日金も混ぜてる。だから、金色が強く出ていたな。柄は、両手で構えても、ゆったり持ってる程だ。そのくらいの長さはあったと思うぜ。ただ、剣身と一体じゃなく、無数の切れ込みを均等に入れて、粗目にしたものを別に作ってたがな。これで、なかごを覆い、両端と真ん中の三か所にある目貫で止めていた」


 鐘分銅は、長四角の箱のような形をしたものが、そう呼ばれている。


「柄巻は革を使わず、『鬼角羊おにつのひつじ』の金毛だ。それを黒く染め、より手に馴染みやすくした後、捻りを入れて綺麗に巻いていた。で、最後に柄頭。こいつは玉で、俺の手で包める程度だが、少し小さいと思えたな」


 鬼角羊は、北都の山岳地帯に棲む羊の一種だ。この羊の毛は、丈夫で長持ち。そのため、衣服をはじめ様々な物に用いられてきた。白い毛が普通だが、金色もある。こちらは、更に良質。少量であっても非常に高価だ。一般人は、まず入手出来ない。


「ま、こんなのだったろう。親父が打ったあの剣は」


 これで、説明を終える。


「すご……」

「と、とんでもないですね……」


 平然としているガドリクとは違い、ソティシャとイージャンは戦いていた。氷輪鋼、白羽鉄、白日金。そして、鬼角羊の金毛。それから、剣身の地肌には、八重雲。刃紋が珠玉繋ぎ。さらに、これを作ったのは、全てを昇華させる超一流の鍛冶職人。


「…………」


(本当にとんでもないぞ、これは……)


 イージャンの頬に、冷や汗が一筋流れる。これだけ揃った剣は、一体どれくらいするのか、全く見当が付かない。いや、そもそもお金なんかで、手に入りやしないんじゃないか。彼は、そう思わずには、いられなかった。


 そんな様子の隣で、レイセインは目を閉じている。彼女は、ガドリクの説明をそうやって聞いていた。瞼の裏で、その剣を再現するためだ。そして、聞き終えると、ゆっくりと瞼を開いた。


「只、剣として……。それを突き詰めったって……、感じかしらね……」

「そうだな。装飾もねえ、余計なものを一切排除した只の剣。つまり――、まあ主眼はそれのはずだ。親父は、その最上を目指したんだろう。で、最終的にはただ一人のためだけの剣に絞った。陛下のためだけのな」

「そ……」


 主眼は何としたか。ガドリクは照れ臭くて濁したが、レイセインにはその答えが分かる。満足して、もう一度瞼を閉じた。その剣を瞼の裏に映す。


「…………」


(刺突、斬撃、受け、いなし……。それに必要な、斬れ味、強度、弾力、耐久――。どれも凄そう……。重さや重心なんかも、考えてあるんでしょうね。より重い白日金を混ぜたんだから、当然だわ。これで、調整したのよ。


 何より、予め主眼を置いて、それを目指した剣ってのが良い。この主眼は、つまり理想よ。その理想を、ビレイクお爺ちゃんが、長年の鍛冶職人としての経験と感性でどう解釈し、その腕でどこまで辿り着けたのか。


 そして、その辿り着けた場所――それが最上って事ね。素晴らしいわ。ぞくぞくする……)


 彼女はゆっくりと瞼を開いた。


「ふふふ……」


 にやりと口端を広げ禍々しく笑うと、瞳孔が何度か収縮を繰り返す。


「本当に良いわね……」


(自分の中にある一つの理想。その主眼はつまり、「剣とは何か」。親父さんは、はぐらかしたけど、これを目指し体現した剣なんだわ。ああ、何て素敵なのかしら。堪らないわね……。その剣を見たい、触りたい、斬ってみたい……。ふふふふ……)


「ふふふふ……」


 右の拳を軽く握る。そして、腕から手首を使って、色んな方向に捻りながら、何度か振った。


「その妖剣に魅入られたような顔をして、見えねえ親父の剣を振るの止めろ……」


 ガドリクが、うんざりしたように呟く。


「レ、レイ姉ちゃん……」

「ひ、久しぶりに見たな……」


 初めてではない。とはいえ、ソティシャとイージャンは、その不気味な姿に顔が引きつった。そして、ガドリクは眉間にできた皺を揉みほぐす。


(ったく……、こいつは……。度を超えると、すぐ変になる。そういう顔は、惚れた男とかに向けんなよ。絶対逃げられんぞ。まあ、大抵の奴は、すぐに回り込まれちまうだろうがよ……)


 レイセインは、こうなったら落ち着くまで時間が掛かる場合が多い。それを知っているガドリクたちは、彼女から視線を外す。いつものように放置を決め込んだ。


「しかし、親父さん。話を聞いた限りですが、何とも武骨そうな剣ですね」


 イージャンが、感銘を込めて言う。


「その印象は、間違ってねえだろうな。俺も同じ様に思ったぜ」

「そうですか……」


 頷いて返す。


「…………」


(――ん? 武骨?)


 不意にイージャンは、その言葉に妙な引っ掛かりと、何かが噛み合うような感じを覚えた。


「はあ……」


 両手で頬杖を突いて、ソティシャが呆れ気味に呟く。


「私は、材料が凄いから、只って感じが全然しないよ、父さん……」

「まあ、最上を目指せばな。それに、何たって陛下に献上しちまえるくらいの代物だ。余計なものを省いた分ってのもあるが、素材には思い付く限り最大限拘ったと思うぜ?」

「そっかあ。うーん、そうだよねえ……」


 二人の会話を聞きながら、イージャンは自分が感じたものの正体は何なのか、それを探し当てようと考え込んでいた。


「…………」


(武骨……。武骨……。凄い剣……。珠玉繋ぎ……。それを陛下に献上……)


自分が気に入っていたものであり、見たのがさっきだったもある。


(陛下に献上……? ――陛下に!? ああ!?)


 ガドリクの説明そっくりのその剣が、すぐに思い当たった。


「お、親父さん……」


 イージャンに呼ばれ、ガドリクとソティシャの顔も向く。


「ん?」

「あの――。その剣の鞘は、口が金色の金具で覆われ、黒い平紐がその下から、真ん中辺りまで巻かれた黒の糸巻拵え。そして、先のこじりにも金色の金具があって、これが鳥の羽ばたいているような形で覆ってありませんか?」


 ガドリクは、一旦視線を落とし、口髭をなぞってから答える。


「ああ、そんな感じだったはずだぜ。白日金を使った、深黒檀の鞘だ」

「し、深黒檀……」

「うわあ……」


 鞘の方もか、とソティシャはげんなりと顔を歪める。


「…………」


(あれも、そうだったのか……。言われてみれば、確かに黒一色ではなかったかもしれないな。しかし、やはり……)


 イージャンはこれで確信した。


「何だ、お前。王宮で見た事あるのか?」

「はい。あるにはあるんですが……」


 歯切れが悪いその様子に、ガドリクは眉をひそめる。


「どうした?」

「あの、親父さん。その剣……」

「ああ」

「陛下の執務室の壁に、抜剣して鞘と一緒に飾ってあります……」


 こう告げると、ガドリクが理解するためなのか、少し間ができた。


「マジか……」

「はい……。しかも、飾ってあるのは、その剣だけなんです……」

「マジか……」

「はい……」


 そうやって飾っているという事は、この国の王であるジャムシルドが、自分たちの身内が作った剣を、とても気に入っているという事だ。


『…………』


 その意味の重さに、顔を俯けて二人は静まり返る。聞こえるのは、レイセインの不気味な笑い声だけだった。


「ジャ、ジャン兄ちゃん……。しつむしつって?」


 ソティシャには、聞き覚えのない言葉。だが、黙った二人の様子から、何となく凄そうだと感じて恐る恐る尋ねた。


「とても大きなお部屋で、机とか椅子があって――。そこに陛下が座られ、お仕事をなさる場所だ」

「陛下が、お仕事をするお部屋!? そ、そんなとこに飾ってあるの!? しかも、一つだけ!?」

「ああ……」


 イージャンは神妙に頷いた。


「お爺ちゃんって、ホントにすっごい……」

「そうだな……」


 彼は答えると、天井を仰ぐ。


「はあ……」


(道理で良いと思ったわけだ。お爺さんの剣だったのか……)


 それから、三人とも黙りこくる。いや、四人ともだ。レイセインの不気味な笑い声も聞こえない。彼女は両肘を突き、振っていた右手を左手と重ね、それを口許に当てている。ある思案を巡らせていた。それが不意に、静かな室内へぽろりと零れ出る。


「何とか策を講じて、その剣を貰えない――。いえ、触れない――。いえ、見られないかしらね……」


 初めに発した言葉がいけない。徐々に下げていったが、それでもそれは自分の願望だだ漏れの、危ない発言でしかなかった。そうと分かった三人は、ぎょっとして彼女に顔を振り向ける。


「おい、レイ! 何言ってやがる! 親父が打っちゃいるが、陛下の剣なんだぞ! 分かってんのか!?」

「ちょ、ちょっとレイ姉ちゃん!?」

「レ、レイ!?」


 レイセインは、こと、武器の話になると、途端に暴走する嫌いがある。それは、先程の不気味な行為にとどまらない。


 この三人は、その事も良く知っていた。しかも、恐ろしい事に今回、彼女にはそれが出来てしまう伝手があるのだ。本当に頂戴まで言い出しかねないと、皆が一斉に叫んだ。


 しかし、ガドリク達の言葉は、届いていない。膝に乗せてあった細剣を卓の上に置き、そんな事はお構いなしにと、イージャンへ擦り寄り始める。


「自分だけなんて、ずるいわ。ねえ、イージャン。高望みはしない。シビアナに頼んで、せめて見るだけでも――」


 妄想に夢中になっていても、二人の話はばっちり耳に入っていた。そう。もちろん伝手とは、国王の養女であるシビアナの事。友人でもある彼女に二人で頼み、自分にも見せろと、顔も近づけ詰め寄っていく。


「いや! だから、レイ! それは――!」


 イージャンは、その勢いに気圧され、後ろの背もたれへと仰け反っていく。確かに見るだけなら、出来るかもしれない。シビアナなら、便宜を図ってくれそうだ。


 しかし、希望を与えてはならない。ここで、甘い顔をして許してしまえば、例え王の前であっても、その要求以上の事を口走る。それは、経験上もう明白であった。


「あ。でも、イージャン――」


 レイセインは、彼の両肩をがしっと掴むと、無理矢理、彼のその体を自分の方へと捻った。


「え!?」


 いきなりの事で驚くと、彼女はにこりと笑った。


「シビアナなら見るだけでなく、触らせてくれって頼んでも、良いんじゃないかしら? 振りを確かめさせてくれって頼んでも、良いんじゃないかしら? それくらいだったら大丈夫よね?」

「ええ!?」


 王に会うまでもない。早速、要求の段階が上昇する。彼女は、徐々に興奮しているようだ。早口で自分の希望を伝えると、両肩を掴んだまま、ずずいっと更に顔を近づけた。腰も少し浮く。


 それに合わせて、イージャンが狼狽しながら顔を仰け反らしていった。だが、もちろん逃げれるのは、顔だけだ。


「くっ!?」


(やられた! しかし、やはりそうなるのか! レイ!)  


「レイ! 駄目だぞ! 駄目だ駄目! 絶対に駄目だ! シビアナ様に迷惑かけんな!」


 怒鳴りつつ、ガドリクは立ち上がった。


「そうだよ! 駄目だよ、レイ姉ちゃん! って、顔を近づけるのも、何か駄目え!」


 二人の顔は、もうかなり近い。レイセインは若干見上げているのだが、興奮した熱いその吐息が、イージャンの頬に当たっている。それは、お子様が見てはいけない、女が男を押し倒そうとしている姿そのもの。大人の階段を一段登ったソティシャは、何となくそう感じ取れた。やはり、彼女は成長している。


 しかし、そんな彼女達の必死な声も空しく、レイセインは一人で勝手にどんどん興奮していく。最早、自分ではどうしようもないと言わんばかり。じわりとだが、顔も更に近づいていった。そして、わざとらしく何かに気付いた。


「あ! ひょっとしたら、譲ってくれるようにも頼んでくれるかも――! いえ、出来るわ! そうよ! 彼女ならそれも出来る! でしょ!? イージャン!」

「レイ!?」

「やっぱり、それが目的じゃねえか! 絶対に駄目だからな! おい、返事しろ! おい、こっち見ろ! おい!」


 ガドリクの怒声にも耳を貸す様子はない。そして、ソティシャにも。


「あわわ! レイ姉ちゃん! だから、顔! 顔!」


(本当に顔が近い!)


 イージャンもそう思い、


「レ、レイ! ちょっと待て! 落ち着け! 頼むから、落ち着くんだ!」


 とにかく遠ざけようと、結局本音を最後まで暴露したレイセインの両肩を、同じ様に掴んだ。そして、ぐぐっと押し戻していく。すると、徐々に二人の顔が上下に離れていく。それが分かって、彼は少し安堵する。だが、その油断が、彼女の付け入る大きな隙となった。


「ふふふ! それくらいじゃ、私を止められないわよ! イージャン!!」


 興奮は、最高潮に達したのか。そう叫ぶと、イージャンの肩を掴んでいた両手を突然離す。その手を胸の前で交差させた。そして、そのまま自分の両肩を押す彼の腕へ、掌打を食らわせ前に出る。


「何!?」


 瞬間、目を見開いた彼の腕は、外側に向かって折り曲がった。肘の関節を、内側から叩いたからだ。これで、自分の体を前に入れ、押し戻された距離を詰め直す。更に、その隙を利用しようと、彼女は椅子から勢いよく立ち上がった。


「くふふふふふふふふふ――!」


 レイセインの妖しげに笑う顔が、真正面から向かい合う。触れ合う擦れ擦れのところまで、一気に迫った。しかも、彼女の肩を掴んだままである事が災いし、立ち上がられた分、彼の体は椅子ごと背後へ傾く。

 

「さあ、イージャン。私も一緒にシビアナの所へ連れて行ってもらいましょうか! 謝るついでに!」

「うっ!?」


 視界も塞がれてしまった。血走った目しか見えない。これで虚を突かれて驚くと、遂に体勢を崩す。


「――わ!?」


 掴んだ両手を、慌てて離したがもう遅い。椅子諸共、後ろへと押し倒されていった。しかし、それを止めようと、彼の袖をソティシャが咄嗟に掴む。


「ジャン兄ちゃん! きゃっ!?」

「っ!? ソティシャ!」


 だが、彼女の力では、傾いたその体が重くてどうにもできない。椅子に座ったまま、お互い叫びながら二人共々、床へと倒れ込んでいった。そして、盛大に響く、床を転がる椅子の音。それが収まると、室内はしんと静かになった。


「…………」


 どうして、こんな事になったのだろう。ガドリクは、目の前で起きた出来事を、半ば呆然と眺め佇んでいた。だが、すぐに我に返ると、


「お、おい! お前ら!?」


 円い卓に身を乗り出して、床に転がった二人の様子を覗き込んだ。


「ふう……。怪我はないか、ソティシャ?」

「う、うん。どこも痛くないよ……」


 ソティシャは、仰向けで椅子に座ったままのイージャンの上にいる。彼の胸の中で横になって、両手で抱き上げられる形で乗っかっていた。彼は、彼女がこのまま袖を離さないと判断し、床へぶつかる寸前にすかさず引き寄せたのだ。


 それと同時に、彼女が座っていた椅子を掌底で弾いて転がした。これは、倒れた椅子が当たりでもして、万が一にでも傷つくのを防ぐためだ。そして、床にぶつかると、その身を挺し衝撃を吸収、和らげる。そのつもりだったが、そうはならなかった。


「二人とも……。大丈夫……?」


 レイセインは、普段の口調に戻っている。目を丸くして見下ろしていた。そして、その足の爪先は、イージャンが座る椅子の背もたれに、引っ掛けてある。


 ソティシャを抱きかかえたの見て、足の甲を背もたれに当てた。それから、徐々に勢いを殺し、床にぶつかるのを防いだのだ。おかげで、イージャンは痛い思いをする事はなかったが、二人が肝を冷やしたのには違いない。 


「レイ!」

「レーイー姉ーちゃん!」


 その顔を睨み付けた。


「ごめんなさい……。調子に……、乗り過ぎたわね……」


 ぺこりと、くせ毛一本頭を下げる。そして、ゆっくりと背もたれを床に着け、足を引き抜いた。


「おい、レイ――!」

「ごめん、ごめん……。冗談だから……」


 咎めようとするガドリクにも振り向いて、苦笑いになりながら手をひらひらと振る。


「はあ!? ホントかよ!?」

「もちろんよ……」


 非常に疑わしい。微笑んだその顔を、じっと見詰める三人。だが、


「はあー……」


 ガドリクが、やれやれと目を閉じて溜息を吐き出す。あの様子が演技な訳がない。絶対に嘘だが、どうしようもないので諦める。落ち着いているから、取り敢えずもうそれで良しとした。これは、他の二人も同様。


 床に寝転んだままイージャンも、目を瞑って溜息。そして、ソティシャは、頭をこてんと彼の胸に当て、それから同じく目を瞑って、安堵の溜息を吐いた。


「ふふふ……。ごめんごめん……」


 レイセインが、三人の様子を面白そうに笑う。


(ごめんなさい。やりすぎちゃったわね。まあ、それはそれとして――)


 彼女のその瞳が、誰にも気づかれない様、一瞬だけ怪しく光りを走らせる。


(聞くだけは、ただよね。聞くだけは。ああ、でもそれは、お酒が入った後に聞かないと。その方が何かと都合が良いでしょうから。変な事を口走っても、最悪そのせいに出来るしね。くふふふ……)


 彼女は、明日の夜に、シビアナと気晴らしをする約束をして、本当に良かったなーと、心の中で一人ほくそ笑むのであった。

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