存在否定
…倫理的、道徳的にダメでしょう、という表現があります。
東大陸中央部は二十前後の国が興亡を繰り返していた。
その中でも古株が、北部のヴォーディス王国と北東部のザガディア王国。
両国は古くから同盟関係にあり、当代に至っては王同士が夫婦となっていた。
大戦によって戦力の増強が必須である東大陸にとって、比較的魔導師が生まれやすい王族間の婚姻は珍しいものではない。
双方が婚姻に至った最大理由は、それぞれの特殊事情により利害が一致していたからだ。
ヴォーディスは女しか、ザガディアは男しか王位を継げないという不文律が存在した。
つまり、女が生まれればヴォーディスへ、男が生まれればザガディアへという契約が成立していたのだ。
だが、長い間に親族もしくは決まった同盟国との婚姻ばかりをしてきたせいで、子供ができにくくなっていた。
ヴォーディス女王がようやく懐妊したのは結婚から十年後、二三歳になった年だった。
十三歳(当時は王女)での婚姻は、当時は普通だった。戦争ばかりで平均寿命が低かったのが理由だ。
対して、ザガディア王は懐妊当時で三一歳。八歳差くらい、王族ならまだ近い方だった。
翌年、生まれたのは男児。
契約通りにザガディアへと送られた嬰児は、カインと名付けられた。
その七年後、女王は再び懐妊する。
生まれたのは双子の女児。
ヴォーディスにとっては後継ぎだったが、喜びの声は国内のどこからも上がらなかった。
かつて、双子の姉妹が対立して国を二分する内乱を起こしたことがあるヴォーディスでは、それ以来双子は禁忌とされてきた。
その時、勝利したのが姉であったため、妹の方を王家から追放するしきたりが作られていた。
本来は殺してしまうのが楽なのだが、追放(監視はつく)する理由は代々女王しか知らない。
生まれた双子、姉はイリアと名付けられて大切に育てられた。対して、妹は国境に近い辺境の修道院へと幽閉された。
唯一つ、『イヴ』という名前だけを与えられて…。
※※※
乾燥した寒空の下、イヴは洗濯物を干していた。
小さな村にある修道院は小さく、古びていた。そこに住んでいるのはおよそ十年前までは一人の老婆だった。
老婆はかつては王宮に伺候していた魔導師だった。加齢とともに力が衰え、故郷でひっそりと暮らしていたのだ。そんな折に舞い込んだ王女の監視という役目に、老婆は投げやりだった。
双子の片割れは王家にとっては不要な存在でしかない。ただ目の届く所に置いて何かを仕出かそうものなら仕置きをすればいい。死なない程度に痛めつければ従順になることは、魔導師として暗部に近い場所で働いていた老婆には分かっていた。さらに、王家が死なない限りは王家が無関心であり続けることも理解していた。
第一王女にして第一王位継承者イリア=ラウラ=ヴォルジアは、強力な魔力を有するが病弱で色白、可憐な美貌を持っていると有名だった。
対して、存在を抹消された第二王女であるべきイヴ=ラーラ=ヴォルジアは、調べていないから魔力があるか分からないが、日に焼けてそばかすが浮かび、十人並みの平凡な容貌をしていた。
二人は、二卵性双生児だったのだ。
今年十歳になったイヴは、老婆にとって使い勝手の良い小間使いに近かった。
辺境に住む唯一の魔導師である老婆に逆らう者はいなかった。子供に対していくらなんでもひどい、と思ってはいても。
ちなみに、村人達のイヴに対する認識はみなしごである。
「終わったかい」
「はい」
「じゃぁ、次は畑だ。昼までには終わらせな」
「はい」
扉を開けて顔だけのぞかせたと思えばそれだけ言って室内に引っ込む老婆に、イヴは無感情な視線を向けた。
四月の始まりに、水仕事や土仕事は辛い。十歳の痩せた子供にはとくに。
だが、文句が言える立場ではないことをイヴは理解していた。
本来、追放した王族の素性を、本人に話したりはしない。それによって不満と理不尽を感じ、反抗心が生じるのはまずいからだ。
老婆はそれを理解していないのか、もしくは、何があっても魔法でどうにかできると高をくくっているのか、素性の全てをイヴに話していた。
それはイヴが五歳の時だったが、全てを理解して納得した。
だからこの現状か、と。
イヴは非常に聡い子供だった。それを表に出したことはない。不要な争いを生むかもしれないと直感していたからだ。
そして、ただ陰鬱になるわけでもひねくれるわけでもなかった。村人達がそっと優しさを示してくれているからだろう。
厳しい環境の貧しい村では珍しく、子供は護る存在、と一致団結していた。ここで育ったはずの老婆は、長年の宮廷生活ですっかり忘れているらしいが。
両手は土だらけで爪の間にも入り込んでいる。
ちゃんとしないとイヴの食事がなくなるので、時間を忘れてせっせと世話をする。
一部の軍人以外はほとんどの人間が寝静まった深夜。
イヴにとって唯一の自由時間だ。
老婆が所有している書籍類は、老婆の部屋の隣にまとめられている。書庫とかしているそこには、魔法の書物が多くある。
老婆が眠ったことでようやく安堵の息がつけるこの時間、イヴはこっそりと書庫に忍び込んで魔法に関して勉強していた。
イヴに魔法に関する知識を与える者はいなかった。だから、すべて独学で習得していた。
自分には魔力があり、それが強い部類に入ることをイヴはとうに知っていた。
初めて魔法を使用したのは三年も前。
興味を引かれて遊び感覚で詠唱を行った。手のひら大の炎を顕現するだけの初歩中の初歩だ。
それが一発で成功し、魔力を有していることを知った。その時から、イヴは魔法にのめりこんだ。
母に捨てられ、召使のように扱われ、何もかもがなかったイヴにとって、魔法は唯一『自分自身』のものだった。
属性は基本的に一人一つ、ということを知り、自分は火の属性なのだと思い込んだ。
色々と試していくうちに、自分の魔力が異常に多いことを理解した。どれだけ魔法を試しても、疲労を感じないのだから当然だろう。
もちろん、大規模な魔法など使えないから、小さな魔法を連発して制御の練習をしていた結果の判断だが。
イヴは老婆以外の魔導師を知らない。そして、老婆が魔法を使うところもあまり見たことがなかった。
だから、魔導師である老婆がすぐそばで魔法を連発していることに気付いていないのか、ということを疑問に思わなかった。
そして、自分が魔導師としてどこまでも異質であることを理解していなかった。
イヴが十二歳になった頃、老婆に引きずられるようにしてある場所を訪れた。何も言われていないから、混乱の極致にありながら場所の把握に努めた。
暮らしている村から遠く、けれど最寄りでもっとも栄えている都市だった。
そこにある王家の離宮へと入り、イヴは混乱が冷めて心が凍てつくようになった。
母親を恋しがる頃はとうに過ぎ、母とは他人と同義の言葉としてすでに根付いていた。母にとっても自分はどうでもいい駒でしかないのだろう、とイヴは思っていた。
そして、それが今現実としてイヴの前に示された。
「…私の子だというのなら、もっと身なりに気を使いなさいな。みっともない」
「申し訳ございません。野山での遊びが楽しいようで、異性にも混じって…」
「まぁ…」
憂う実母と嘆く養母。
その茶番をひれ伏したまま聞き流し、イヴは早く終わらないかなと思っていた。どういう風の吹きまわしだ、とも。
(気を使え、というなら衣類を送ってくれてもいいんじゃないかな。確かに野山には出かけてるけど、それは狩りの為だし…。そしたら普通、男の子と一緒に行動するでしょうよ。嘆くんだったら、せめて人として扱ってほしいわ)
内心で悪態つくイヴの部屋は、納屋である。奴隷にだって雑魚寝の板間とはいえ専用の部屋が与えられるのが普通だというのに、いヴの扱いは家畜と一緒だ。仮にも王族なのに。
文句を言っても無駄というか言う以前の問題、と結論付けているイヴはいわれのない非難と三文芝居を聞き流しつつ途中で放り出さざるを得なかった畑仕事のことを考えていた。
「七年前、第二王子が生まれたでしょう?」
「存じ上げております。お体が弱くていらっしゃるとか…」
「そうなの。しかも魔力もないから、使いどころがなくて…」
役立たずを生んでしまった、と言っている母もどきの言葉に嫌悪を抱きつつ、イヴはこの時初めて自分に弟(血縁上は)が存在したことを知った。
辺境の村人にとったらどうでもいいことだし、老婆はイヴに言う必要性を感じなかったのだろう。ヴォーディスは女性継嗣であるから王子への関心が薄いため、なおさらだ。
「でもまぁ、王族であるのは確かだし、その次は魔力を持っているかもしれないから、中継ぎとして期待することにしたの」
子供を造る以外では期待しない、と言い切る。
自身の子供を道具としてしか見ていない発言に、イヴは思わずため息をつきそうになる。
幼い弟に対する憐憫だ。
だが、その思いは次の瞬間に砕かれる。
「だから、アゼルと子を成しなさい」
突然の命令に、イヴはそれが自分に言われたと理解できなかった。
まず、アゼルという名が弟の名だと気付くのに時間がかかった。
その次に、子を成す、という意味を知っているはずなのに理解できず、納得するのに間があいた。
二つを理解して、納得して、命令の意味を理解する。それが自分に対して言われたということも。
母もどき―――ヴォーディス女王はイヴに弟のアゼルの子を産めと言ったのだ。
思わず顔を上げれば、不快な物を見たと言いたげに女王は美貌をゆがめた。
「お前達は異父姉弟だもの、法には触れないわ。あと六、七年もすれば子供を作れるようになるでしょう。そうしたら、子作りに励んでね? なるべく多くの子供を産みなさい。そして、多くの魔力ある子供を産みなさい。そうすれば、王族として王宮に部屋を与えてあげても良くってよ?」
美貌をうっそりとした笑みに変えて言う女王を、老婆は何と慈悲深いとたたえている。
どこが慈悲深いのか、イヴには欠片も理解できなかった。
この時代、より強い血と魔導師を望む王族は多く、血族婚を繰り返すのは当たり前だった。ただ、ヴォーディスのようなのは異常だろう。
何しろ、ヴォーディスでは同じ両親から生まれた兄弟姉妹でなければ、異父もしくは異母兄弟姉妹であれば結婚できるという方があるのだから。これは一般市民にも適応されるが、まずそうなることはない。
(…王同士の結婚でありながら、愛人を作って子供を産んで、子供同士で…とか)
いくら時勢、いくら法が許す、とは言え限度がある。
我が子に我が子と子供を作れ、というのは限度を大きく逸脱した部分だ。
双方の後継ぎは産んだのだから後は好きにする、という考えの下で王宮内の若い男性(特に騎士)はほとんどが女王の愛人となっていた。一夜限りの火遊び、という場合も多いが女王の相手を務めたというのはそれだけで箔がつく。
現在、王宮は女王の愛人たちの巣窟となり、腐敗が広がっていた。
そんな事実を当然知らないイヴは、拒否したくともできずに黙って顔を伏せた。
元より拒否権などないことを理解していた。だから、弟が真っ当な精神であること、もしくは教育しようがある精神状況であることを祈るしかなかった。




