表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/73

第十五話:第四試験

一部流血表現があります。ぬるいですが。

【大陸暦八六年六月十九日:第四試験・模擬戦】


※・※・※


 修練着に身を包み、学院指定の武器を手にとって、注意事項を聞かされる。

 それに少しうんざりしつつ、エルヴィアは視界の端にとらえた人物に瞳を細める。

 二年と三年の実技(剣術)は勝ち抜き形式ではなく、くじで組まれた一対一が行われる。

 人数が多いための措置だろう。その結果、一年生よりも早く終わり、彼らは何故か模擬戦を見学に来ていた。


(ま、結構好き勝手やってるからねぇ)


 ジャネットの皇女としての権威を大いに活用していた。それは上級生にとっては腹立たしいものだろう。

 自分達より実力の劣る一年ならばなおのこと。

 それが分かるだけに、エルヴィアは睨まれるのも仕方ないと思っていた。

 だが、昨日、クラウジアに聞いた話のせいでどうしてもカルメーラに対して厳しい眼差しになる。


(? なんか…)


 気に食わない一年生を睨みに来たのかと思っていれば、ベルナートやカルメーラ達はまだ何も映っていない空中画面スクリーンを見ていた。

 思っていたのとは違う空気に、ちりちりと火がくすぶっているような嫌な感覚を覚えてエルヴィアは眉を寄せる。

 考えている間に、所定位置につくように命じられる。

 いたしかたなく崖を降りて、B組の陣地に行くと、ふわりと浮いている水晶を見つける。

 それが空中画面スクリーンに映像を送っていると理解して、何気なく背を向けてから小さく笑う。

 音声が向こう側に行かないのはすでに分かっている。

 二度の模擬戦見学で、それは明確なものになっている。

 ちらっと視線を送れば、気付いたフローラとラウルがニヤリと笑う。

 音声が届かない。つまり、本来の詠唱をしても問題はないということだ。


「おい」


 不機嫌そうな呼びかけに、エルヴィアは振り返る。フローラとラウルは無視だ。

 それに怒鳴りつけようとしていたジェルジを制する。


「で、何?」

「…っ。作戦はAを使う。表通りに動けよ」


 偉そうだな、と思いつつ作戦Aを思い出してジェルジの正気を疑う。

 与えられた作戦表はAからCの三つ。

 Bは二手に分かれて挟撃。

 Cは敵の動きを待って迎え撃つ防衛戦。

 そして、Aは突撃だ。

 一年だから簡単な内容になるのは分かる。だが、選択が悪すぎる。

 真正面から盾役が防御を張って突撃し、後衛が遠距離魔法を撃ち込む。近距離に至れば、武器で対戦。

 はっきり言って、負ける。

 A組には、初級とはいえ広範囲魔法を習得済みのジャネットに高威力の魔法を放つクラウジア、複合魔法を扱えるアレンがいる。この三人だけで、B組の壊滅はたやすいだろう。

 他の二人はあまり使い物にならないが、防御を張るだけなら出来る。

 おそらく、A組の指揮官はジャネットだ。

 人望や人格ではなく、身分でそうなるだろうことは容易に分かる。

 対して、B組の指揮官はジェルジだ。

 三つの『凍矢とうし』を顕現して標的にあてたのは、一年としては上々だが、それで魔力切れを起こしているようでは、話にならない。

 一発でふっ飛ばされるのは目に見えている。

 たとえ、ラウルが一年としてはかなり高位の結界を張れても、フローラがクラウジア以上の高威力魔法を使っても、エルヴィアが一撃必殺系の魔法を使わない限り勝利はない。

 フローラもラウルも、そう思って思わず振り返る。同時、三人は思い当たる。

 つまり、負けるのが目的なのだ。

 最初に思っていた通り、教師達はB組に負けるように示唆していたのだ。そして、それを言葉でも伝えていた。

 エルヴィア達に伝えなかったのは、常にジャネット達と行動していたからだろう。


「貴方達は、勝つ気がないの?」

「お前っ。相手は皇女殿下だぞっ?!」

「それがどうしたってのよ」


 背後から駆けたフローラの怒りを含んだ声に、ジェルジはびくっと肩を揺らす。

 その怒りが、物質的な威圧を含んでいるように感じられたのだろう。

 フローラをなだめるように肩を叩き、瞳を細めたラウルが視線を向ける。


「負けるように、言われたんですね。そして、それを受け入れた」

「しょうがないだろうっ!? 皇女殿下や騎士団長の娘、皇太子后の甥だぞっ!!」


 普通ならば、そう思うだろう。

 だが、エルヴィア達もジャネット達も普通ではなかった。学院の建前通りに動いているので、ある意味普通なのだが。

 ひたすら、平等を望み、切磋琢磨し合うことを望んでいる。

 その思いを、ジェルジ達や教師達の身勝手な思いが踏みにじる。


「同じ学院の同じ一年生です。平等に、全力を出しても問題はないはずです」


 建前を主張され、誰もが口をつぐむ。

 大きく喧伝しているからこそ、それを真っ向から否定できない。すれば、信頼の失墜につながる。

 信頼があるのかどうかはともかくとして。

 ラウルの言葉に、ジェルジとマルティンは黙りこんで、視線をそらす。その時、一瞬、水晶の方に向けられたのを察し、エルヴィアは内心にくすぶる不穏な火が肥大するのを自覚した。


「教師達だけじゃないわね」


 ぼそり、と落とすようなエルヴィアの呟きに、ジェルジ達が小さく震える。

 それに確信を抱いて舌打ちをすれば、フローラとラウルが怪訝そうにエルヴィアを見る。


「上級生が絡んでるわ。おそらく、自治会が」

「大人げないですね」

「上級生なら、下級生に対して優しくありなさいよ」


 自治会であり上級生だからこそ、下級生に厳しくしようとしている。

 それが必要だとはフローラも分かっているが、明後日の方を向いた厳しさはいじめにしかならない。

 エルヴィア達の感想は、ムカツク、の一言に尽きる。


「良いわ。作戦Aでいきましょう」


 エルヴィアの言葉に、ジェルジ達が眉を寄せる。

 何を企んでいる、と言いたげな視線を無視して、剣の柄をきつく握りしめる。


「そちらに乗ってあげるって言ってるのよ。文句あるの?」

「い、いや」

「作戦通りにしていれば、良いんでしょう? 自分に出来ることをすれば、良いんでしょう?」


 言いながら、視線は水晶に向いている。そして、さっきは隠していた微笑みを浮かべる。

 音声は届かないと知りながら、念押すようにエルヴィアは呟いた。

 ジェルジとマルティンは背筋を氷塊が滑るような、凍えるような悪寒を感じた。

 そして、空中画面スクリーンを見つめる上級生の中で、唯一、エアルだけが感じた。

 ゾワリ、と総毛立つようなすさまじい悪寒を。

 空中画面スクリーンを挟んだ向こうとこちら。

 双方で感じた悪寒の意味を、彼らは十数分後に知ることになる。



※※※



 B組陣地についたジャネットは、苛立っていることを隠しもせずにラユムンドを見る。

 小柄で愛らしいジャネットに上目遣いに睨まれても、何も怖くない。だが、まとう空気が険悪であることは分かるのか、ラユムンドがわずかに身を引く。


「いつの間に、作戦がCに決定していたのかしら」

「殿下が、アレらをいつもひきつれているので」

「わたくしの友人をアレと言われたくないわ。ひきつれているんじゃなくて一緒に勉強しているのよ。作戦決定のための相談くらい、模擬戦について、と一声かければ出来るでしょう」


 きっぱりと言い切られ、二の句が継げない。まさにその通りだから。

 相手が皇女だからと遠慮しているのなら、家格的には劣るクラウジアに声をかければ良い。それを非礼と考えるのなら、勝手に決めるのも非礼なのだからこの場で相談すればいい。

 ラユムンドの言動は、一欠片も理にかなっていない。

 それがさすがに分かったのか、悔しそうに眉を寄せている。


「防衛戦を選んだということは、あっちはAの突撃なのね」


 断言すれば、どうして、と言いたげなラユムンドとオットーの視線が返る。

 それをアレンが鼻で笑う。


「低劣の考えそうなことは分かるっての。それに、組分けの時点で分かってんだよ。オレらに勝たせる気なんだろう、てな」

「考えなくともわかる。わたし達はそれほどバカじゃない」


 クラウジアにまで軽蔑の視線を向けられて、ラユムンド達は押し黙る。

 それを無視して、三人は小声で意見を交わす。


「どうする? エルヴィア達が素直に突撃してくるかしら?」

「どうでしょう。軍略については話し合ったことがないので未知数です」

「突撃してくるだろ」


 言い切ったアレンに、二人の視線が集まる。

 それに、いいか、と言い置いて指を三本立てる。


「理不尽を突きつける奴らには、それを真っ向から叩き潰して、正論を貫く。それがエルヴィアだ」


 一本、指を折る。

 その言葉に、ジャネットもクラウジアも納得できるのか頷く。


「さらに、身分や権威におもねる奴らの思惑に乗るのは気に食わないと考える」


 二本目。

 再び頷く二人は、だからこそ、突撃を選ぶとは思えなかった。


「最後、エルヴィアはああ見えて短気だ」


 三本目。

 簡潔な言葉に、二人は首を傾げる。

 納得は出来る。だが、それがどうつながるのか分からない。


「だから、相手の思惑に乗ってやった上で、文句を言えないように動いて、自分の意思を通して叩きつぶし、最後は相手の思惑外だが反論できない結果をつきつける。相手の思惑も言動も封じて、自分の意思を通すってことをやると思うね」


 ああ、と二人が納得の吐息をこぼして頷く。

 全てがつながって安心する。

 突撃してくるのを狙えばいいだけではない。

 そんな簡単にはいかない。

 高威力をぶっ放すフローラ。

 高位結界を張れるラウル。

 二人の実力は、ともに鍛錬してきたからこそ良く知っている。

 それぞれの性格に見合った魔法の種類とたゆまぬ努力によって得ることのできた力。

 ジャネット達もそれは変わらない。

 負ける気はしない。相手が二人ならば、だ。

 だが、ジャネット達を鍛えたのは、魔法を教えたのはエルヴィアだ。

 彼女がいる。おそらくは、怒り狂っているだろう師が。

 三人は、笑う。

 楽しそうに、面白そうに、嬉しそうに、けれど、緊張して強張っている。

 気を引き締めなければならない。

 相手は、自分達が師とする者。しかも、怒りをまとっているのだから。

 覚悟を決める。どうせなら対等でやりあいたかったが、ラユムンド達の作戦に乗る。

 深呼吸をして、ジャネット達が身構える。

 開始のチャイムが鳴る。

 十数分後にやってくる、絶対的な恐怖の具現を、ジャネット達はまだ知らない。

 さらに十数分後、エルヴィアも予想しなかった事態が起こる。

 そのことを知るのは、その場にいない数人だけだった。



※※※



 双方の陣地は、向かい合った小さな丘の上に敷かれている。

 そこには、学院指定の簡素な防具と記録用の携帯水晶が人数分置かれていた。

 水晶は手にとって魔力を注げば、ふわりと浮き上がって魔力の持ち主と一定距離を保ってついてくる。

 それらが完了すれば、教師達から開始の声が届く。

 作戦通り、A組の陣地に向かって直線的に突撃を開始する。

 だが、互いの陣地はおよそ二キロの距離がある。

 図面上では感じなかった距離が長い。

 防衛しているA組にとっては、B組がたどり着くまでの時間は暇の一言だろう。

 B組で先行しているのは、エルヴィアとフローラだ。

 ジェルジ達が盾役を押し付けたわけじゃない。その意図はあっただろうが、これは自然の成り行きだった。二人の後ろには一歩遅れてラウルがついてきている。さらに二メートル離れてマルティン、さらに少し離れてジェルジだ。

 単純に、エルヴィア達の運動能力が二人を上回っているだけのこと。

 その事実に呆れつつ、あまり引き離しては後々面倒になりそうなので、手加減しておく。というか、指揮官であるジェルジを置き去りにして、速攻撃破されてはエルヴィアの思惑が通らない。

 いたしかたなく、ジェルジの動きを把握しながら速度を抑えていた。


「一時休憩にしましょ」


 二キロの距離は、ちょっとした長距離競走だ。

 騎士として訓練してきたマルティンには軽いだろうが、基本室内派だったラウルと貴族のジェルジには、一定の休憩が必要だ。

 エルヴィアとフローラはマルティン以上に平然としていた。

 およそ三百メートルほど進んだ地点で、特に警戒する様子もなく休憩する。

 向こうは待っているのだから、警戒する必要もない。


「少し、離れるわ」

「は? おい、勝手な行動は…」

「真っ先に勝手な行動をした人の言い分ではありませんね」

「全くだわ。ちょっと黙ってなさい」


 さっさと森の中に姿を消すエルヴィアを止めようとするジェルジだが、ラウルとフローラの一言で何も言えなくなる。

 事前の作戦決めはエルヴィア達を抜いて行われたのだ。勝手といわれても仕方がない。

 一人、集団を離れたエルヴィアは十メートルほど進んでから地面に手をつき、詠唱を始める。


『 顕現せよ。我が求めるは誓いを果たす正者せいじゃ。大地に眠りて全てを見定める慧眼に願う。呼びかけ願う声に応えたまえ  地契じけい  』


 魔法陣が消えても、何も起こらない。だが、それでいい。

 エルヴィアは満足げに微笑んで立ち上がると、また十メートルほど進んで同じ詠唱を始める。

 踵を返して、一度合流してから再び離れる。今度は逆方向に。

 そして、十メートル間隔で同じ魔法を使う。

 しばしの休憩後、再び走る。

 また三百メートル強を走れば休憩。

 同じことをエルヴィアは繰り返す。

 次も三百メートル強を走って、休憩。魔法を行使する。

 そして、数十メートルを走り、ちょうど半分ほどを消化したところで停止する。

 細かな休憩と魔法の行使で時間を取られ、開始からすでに十二分がたっていた。


「ラウル、結界を」

「はい」


 魔法が来たわけでもなく、突撃してきた(そもそもしてこない)わけでもなく、何故結界を張るのか。

 いぶかしげなジェルジとマルティンをエルヴィアとフローラは無視し、ラウルは詠唱を始める。


『 顕現せよ。我が求める災厄を跳ね返す不倒の盾。生命いのちを巡る高貴なる流れに願う。生まれいでしか弱き魂を守りたまえ  守天しゅてん  』


 ザァ、と小さなさざ波の音が周囲を囲み、空気中の水分が集まってドーム状の結界を作る。

 エルヴィア以外の全員が結界に取り込まれ、守られる。それを認めてから、エルヴィアは詠唱を始める。

 第一声とともに、その足元に現れた魔法陣は直径三メートルの巨大なものだった。


『 顕現せよ。我が求めるは契約の履行。気高き汝が紡ぐ契の証をここに示すことを願う。紡ぎ繋がれ辿り流れ永劫続く生命いのちに力を示さん  水豪殻漣すいごうかくれん  』


 魔法陣が強い光を放つと同時、後方、エルヴィアが詠唱を行った場所に小さな魔法陣が出現し、光の線で結ばれて一気にその効力を発揮した。

 最後方の線から大地が崩れ、地面の底から吹き上がった水が津波になってエルヴィア達に迫る。

 結界内だというのにジェルジとマルティンは反射的に頭を抱えてうずくまった。

 フローラとラウルも、さすがに驚いて腰が引ける。

 二人はエルヴィアが何かをやらかす気だと思っていたが、何をするかは分かっていなかった。

 だから、我にかえって二人はエルヴィアを振り返る。

 大地を削り、木々を掘り起こして進む津波が、結界に覆いかぶさろうとしたとき、エルヴィアは魔法陣の中央にいた。

 このままでは飲み込まれる。そう思った瞬間、肩越しに振り返ったエルヴィアの笑みを最後に、視界は土に濁った水に支配された。

 幅四十メートル高さ三メートルの津波は、二キロにもわたって木々をなぎ倒して更地にした。

 津波が地面に吸い込まれるように消えた後、更地のほぼ中央に立っていたのは結界に守られたフローラやラウル達。そして、すぅと消えていく魔法陣の中央に無傷で立つエルヴィアだけだった。


「基本的に、自分の魔法に飲み込まれることもそれで傷つくこともないのよ?」


 困ったように眉尻を下げるエルヴィアに、フローラとラウルは視線を泳がせる。

 教練書の最初の方に書いてあったことを思い出したのだ。

 だが、『水豪殻漣』は上級最上位の魔法だ。その規模の大きさと仕込みの面倒さのため、最近ではほとんど忘れられた魔法なのだ。見たことがある者も、宮廷魔導師の中でも数人だろう。

 それがいきなり行使され、間近に迫られれば常識も度忘れしてしまう。

 あまりに自分がてんぱっていた事を突きつけられて、少し落ち込んでいるフローラとラウルに苦笑して、エルヴィアは前を向く。

 開けた視界の向こう、一キロ先の丘の上、立ち尽くす影しか見えない。

 だが、呆然としているだろうことは容易に想像できた。


「さぁ、見晴らしが良くなったし、走りやすくなったでしょう?」


 これだけ見晴らしが良ければ、向こうから狙いやすいだろうがこちらも防ぎやすい。

 見晴らしの悪い中、敵に狙われるよりはましだ。作戦表通りなら、ありえないが。

 唖然としていたジェルジとマルティンの背中をたたき、我に返らせて走りだす。

 突撃、という作戦通りには行っている。

 ただ、大技を出して見晴らしを良くしただけ。

 誰も何も言えはしない。作戦を逸脱していない(魔法強度は大きく逸脱している)し、見晴らしを良くしてはいけないなんて教師達は言ってない。

 元より、画策していた方が悪い、とエルヴィアは心の中で舌を出した。



※※※



「オレ以上に無茶やってるよな?」

「否定できないな」

「無茶というか、もうありえないわね」


 一年生水準(レベル)とかそういう次元じゃない。

 宮廷魔導師でもここまで上級最上位魔法を使えるか分からない。

 あまり目をつけられないように、と思っていたはずのエルヴィアが、こんな大技を使うということはそれだけ怒り狂っているということだった。

 それを察して、三人の顔色は若干悪い。


「これ、完全にとばっちりだよな?」

「そうね。バカどものバカな思惑に巻き込まれただけね」

「さっさと抹殺しておけばよかったと思いますね。あの姉もどき」


 三人の発言には悪意と怒りがふんだんにこもっている。

 それを察したラユムンド達はびくびくしていたが、何とか持ち直す。


「よ、よし。一気に魔法を…」

「何を言っているの? わたくし達は防衛戦を選んだのでしょう? 相手からの攻撃に対して防御・迎撃をしても先制攻撃をするのは作戦表にはなかったはずよ」


 一年用に単純な内容に教師達がしたのは、この場合、失策だったとしか言いようがない。

 単純な上に最初から終わりまで指示していたため、独自判断の項目がなかったのだ。作戦表を無視して先制攻撃を入れるのは臨機応変として問題はなかっただろう。ラユムンドの判断は間違っていない。

 それは誰もが思うことで、正しいとジャネット達三人は分かっている。

 敵は見晴らしのいい更地を一直線に突っ込んできている。狙いやすく、格好の的だ。

 この好機を逃す手はない。


「指揮官はわたくしよね? なら、指示に従いなさい。そして、指揮官を無視して決めた作戦に従いなさい。事前説明は受けていたでしょう? 作戦を一つ選べ、と」

「つまり、途中からの転換を許す発言はなかった」

「だ、だが、禁止する発言もっ…」

「じゃぁ、ダメだった場合はお前一人で責任をとるんだな?」


 ダメだとは思っていないくせに、肩をすくめてアレンが言えば、ラユムンドは青ざめる。

 たとえダメでも、一年生の失敗に厳しいことは言わないだろう。それくらいわかる。

 ラユムンドが恐れたのは、教師の叱責ではなく実家からの叱責と冷たい対応だ。

 侯爵家の五男、末っ子としてラユムンドは生まれた。四人の兄と二人の姉を持ち、なおかつ、彼は妾腹の出だった。母親は裕福な商人の娘だが、所詮は商人の娘。資金援助が欲しかったから侯爵は邪険にしなかったが、対応は冷たく厳しいものだった。

 それらが一変するきっかけだったのが、魔法の才能だった。

 兄も姉も持たなかったそれに、侯爵は手のひらを返してラユムンドを可愛がり、正妻からのいじめに心を病みかけていた母親は、正妻よりも待遇が良くなった。そんな母親はラユムンドに過剰な期待をかけ始めた。もう、あんな苦しい思いはしたくない、という感情からだった。それはラユムンドも同じだった。

 だが、母親の期待がラユムンドにとっては重圧だった。母親とはいえ、他人の人生を背負うというのはまだ十五歳の少年には厳しかった。

 ここで失態を演じることは母親から失望されることにもつながる。味方が母親だけだったラユムンドにとって、それが何よりも怖かった。

 そんなことは知らない、知っていてもわずかな同情だけで特に関心を払わないだろう三人はなおも続ける。


「それに、あれだけの大技を使って疾走してくる相手が、防御魔法を使えないとでも思うの?貴方は」

「い、一斉に、足もとに打ち込めば…」


 青ざめて固まったラユムンドを見かねて、オットーが提案する。


「ま、有効だろうな。けど、相手はエルヴィアだけじゃねぇぞ?」

「フローラとラウルがどれだけの力を持つかはもう分かっていると思っていたが?」

「一斉に打ち込んだ場合、こちらは防御ができないということね。つまり、こちらの攻撃をラウルが一人で防いだ場合、その後ろからフローラの強烈な一撃が来るでしょうね」

「ま、来るだろうな。んで、防衛戦といっときながら先制攻撃を行い、なのに相手を潰せず反撃で潰されるって? うわ、マヌケ」

「恥としか言えないな」


 たたみかけるような言葉に、二人揃ってうなだれる。

 その様子を見て、開始前に感じていた苛立ちをわずかに静める。

 三人は、自覚していた。

 今まで感じたことのない恐怖を目前にして、半ば恐慌状態に陥っていたことを。

 それを二人を使って鎮め、正常に戻ったことを。

 利用したことには多少罪悪感があったが、思惑に乗ってやったのだからそのくらい役立ってくれてもいいだろう、と開き直る。

 もしも、あれがこちらの陣地めがけて発動していたら、確実に死んでいた。

 規則上、相手を殺しかねない魔法は禁止されているからそれはないだろうが。

 『水豪殻漣(すいごうかくれん)』でなくても、同等の陣地を破壊するような魔法を使われていたら、その時点で勝負はついてしまう。

 対象が人なら規則に抵触するが、その周辺の環境ならば抵触しない。

 それを狙って混乱状態にした上で、突撃されればひとたまりもない。耐性があった三人でさえ、恐慌状態に陥ったのだから、ラユムンド達は自滅しかねない。

 それを思えば、エルヴィアは怒り狂いながらもかなり手加減していることが分かる。

 だからこそ、これ以上怒りをあおるようなまねはするべきではないし、せめて、接近戦とちゃんとした魔法の応酬はしたい。

 なので、多少相手の心をへし折ってでも、やめさせる。

 どういった行動をとるか分からないし、魔法をどこまで使えるのかもわからない相手の怒りの琴線が分からない以上、下手なことはできない。

 はっきり言って、ジャネット達三人にとっては、上級生や教師達よりも、エルヴィア一人が怖かった。

 圧倒的に、どうしようもなく。



※※※



 空中画面スクリーン越しにエルヴィアの魔法を見ていた上級生は、一様に驚愕を浮かべていた。

 教師達は慌てふためいて右往左往している。

 愕然と固まっている同級生や二年を放置して、少し離れた所から一人見学していたエアルは、ポカンと口を開けたままの姿で固まっていた。


(あれは、失われた詠唱? 何故、一年生が…)


 現在、仮初の詠唱が本式とされて歪められている魔法形態に対して、エアルは本来の魔法の詠唱を知っていた。つまり、エルヴィアが使う『 顕現せよ。~ 』のことだ。

 本来の詠唱と言葉の重さを幼少から言い含められていたため、ある程度の読唇が可能だった。だから分かったが、エアル以外は誰も気付いていない。

 そして、それ(本来の詠唱)を外に流布してはならないと言われ続けていた。

 ルワ侯爵家の始祖である曾祖母ルツア=ルワの遺言である。


『皇家を見定めろ。仕えるに足りうる者にだけ、膝を折れ。それまでは、真実を隠し、伝え、皇家に悟らせず、奪われず、近すぎず、遠すぎず、追従の形だけを示して時を図れ。仕えし者、そして、認めし者を見つけた時に、真実をあらわせ』


 口伝として残るそれに、祖父も父も従い、エアルもそれを子供のころから言い含められて育った。幼馴染のベルナートにも言わなかった。

 だから、エアルは本当の詠唱と魔法が扱える。そのためかどうか分からないが、水との反属性である炎を扱うまでに至った。しかし、それをひた隠しにしている。

 ばれるのはダメなのだと、耳にたこができるほど言われていた。

 成長すれば、良く分かる。

 偽りを真実として流布し、『聖女帝』の名を言いように利用している皇家の歪さに。


(あれは、何だ? 本当に、人間か?)


 規模の大きさと仕込みの面倒さに加え、忘れられるにいたった最大の要因は、魔力の消費量が甚大だからだ。

 エアルも行使できるだろうが、簡易防御魔法が精いっぱいで、直後に全力疾走などできはしないだろう。

 さらに言えば。


(あの魔法をしのいだ結界も、異常すぎる)


 あれだけの大技をしのいだのは、一年生でも知っている初級中位結界魔法。

 本来、まだ使えはしないだろうが、使えること自体は特に問題ではない。問題なのは、戦時魔法一歩手前の魔法を初級結界魔法がしのいだということだ。

 初級でも込められた魔力が甚大であれば、上級並の威力を持つことは分かり切っている。

 つまり、そういうことだ。


(上級最上位魔法を防ぐということは、初級中位魔法をそのレベルまで強化したということだ。自分の魔力だけでっ)


 その上、エルヴィアに遅れじと疾走している。

 常識的に考えてありえなかった。


(常識を超えた存在は、何時の時代でもいるものだ。そして…)


 強張りながらも笑みを浮かべているジャネットを見て、エアルは口元を覆う。

 硬直からとけて、浮かぶのは楽しげな笑みだった。


(もしも、曾祖母様が、言っていたのが…)


 あの二人だとしたら、と思ってエアルは楽しくなった。

 仕えし者。認めし者。

 その二人が、もしかしたら自分より年下の小さな少女かもしれない。

 幼馴染達が潰したがり、『躾』たがっている彼女達かもしれない。

 それは、なんと滑稽なことだろう。

 エアルは知らない。

 自分の憶測が、当たっていることを。

 そして、自分の知らないところで、幼馴染達が画策していることを。

 十数分後、幼馴染達の画策により、自らの目指すものが揺らぐことを、エアルはまだ知らない。



※※※



 エルヴィア達は、ジェルジとマルティンには期待していない。

 簡単に負けられては困るので、前に出ないでいてくれればいい。

 必然、エルヴィアとフローラが前衛、ラウルが後衛で二人は待機という形になる。

 話し合って決めたわけではなく、エルヴィア達にとってはそうせざるを得ないからだ。話し合っても意味がないだろうし、言う必要性も感じていなかった。なにしろ、指揮官が一番脆弱なのに、最も矜持が高そうなのだから。

 丘のふもとまで走り、息を整えるためにしばし立ち止まる。

 見下ろしてくるだけで攻撃をしないのは、B組の作戦が事前に決められていたように、A組の作戦も決められていたから。それを予測していたエルヴィアは、正しかったことに安堵しつつも怒りを募らせる。


(教師か上級生か、どっちでもいいわ。私達を、なんだと思ってるの?)


 まるで、都合の良い手駒のように動かそうとしている彼らへの不信感が募る。

 フローラとラウルも、見上げた先のジャネット達が肩をすくめたことで察して、眉を寄せる。


「突撃戦の、本番よ。良いわね? ジェルジ=ロダン=サーベス」

「な、何が」

「指揮官のあんたがやられたらそこで終わり、だから後ろで身を守ってなさい、って言ってるのよ。わかったなら、防御魔法の準備をしなさい」

「か、勝つ気なのか? そんなことをしたらっ」

「どうにもならないでしょう? 学生同士の真剣勝負です。どちらに勝敗が傾くかなんて誰にもわかりません」

「その通りね。まぁ、安心しなさい。勝ちはしない(・・・・・・)から」


 何かを含んでいそうなエルヴィアに、フローラとラウルの瞳が遠いところを見るが、それに気付く者はいない。

 エルヴィアは、前を見据えたまま振り返ることもしない。

 だから、三人は気付かなかった。

 背後で、唇をかみしめたジェルジとマルティンが、決死の覚悟を決めたように視線を合わせて頷き合ったことに。



 眼下に見据えたエルヴィアが発する怒りの気配に、ジャネット達は後ずさりしかけた。

 気配に気付いていないらしいラユムンドとオットーは、武器に手をかけたり詠唱の準備に入っている。

 相手の感情に疎い二人をうらやましいと思いつつ、三人も深呼吸を一度して武器に手をかける。

 一対一では歯が立たなかった。では、団体戦なら?

 向こうにも自分達と同等の二人がいるのだから、勝ち目はないかもしれない。だが、かすり傷くらいなら。

 三人がそう考え、どう動くかを考え始めたから気付かなかった。

 ジェルジやマルティンと同じように、ラユムンドとオットーがある種の覚悟を抱いて頷き合っていたことに。

 双方ともに、彼らの不穏な行動に気付かないまま、戦闘に突入した。



※※※



 まず、魔法を放ったのはジャネット。

 広範囲に豪風を発生させて動きを抑制、詠唱しづらくした。先制攻撃ではなく、防衛のために相手を押しとどめることにしたのは、あえて作戦通りにしてやることで文句を言わせなくするためだ。

 それに対して、ラウルが前面防御の簡易魔法を詠唱。

 前面さえ防げれば、進めずとも詠唱は可能になる。

 ラウルが防御を行っている間に、フローラが雷撃を放つ。

 防御が前面に集中しているため、上部から打ち上げ降らせることで攻撃とする。だが、それは攻撃方向が特定されているため、とても防ぎやすい。

 実際、ラユムンドとオットーが二人がかりで防御を上面に張り、何とか相殺していた。

 相殺しかできなかった二人は、この時点で魔法では使い物にならなかった。

 それに関しては、最初から期待していなかったので、ジャネット達は迎撃、ということで積極的攻勢を行い始めた。


『 顕現せよ。我が求めるは悪意を打つ焔。魂を穿つ聖なる弓に願う。救い求めし命に慈悲を与えたまえ  炎矢  』


 試験で使った魔法をクラウジアが行使する。

 その数は、試験とは違って格段に多い。

 左右に七本ずつで、合計十四本。

 残像を宙に描いて飛んでくる炎の矢に、ジェルジとマルティンの腰が引ける。それに構わず、エルヴィアは右腕を矢に向けて伸ばす。


『 顕現せよ  水明すいめい  』


 言葉とともに、炎の矢の真上から雨が降る。

 魔力によって振らされた雨により、ジュワッ、と音を立てて炎の矢が消える。

 詠唱破棄によってあっさりと相殺されてしまい、クラウジアは悔しさを覚えるとともに楽しそうな笑みを浮かべた。


『 顕現せよ。我が求めるは敵を焦がす炎。大地を焦がす業火に願う。刃向う害悪を焼き払いたまえ  烈炎れつえん  』


 前方から壁のように押し迫ってくる炎に、対処したのは防御魔法を解除したラウルだ。


『 顕現せよ。我が求めるは災厄を断ち割る盾。生命いのちを抱く慈悲の流れに願う。魂を砕く牙を弾き阻みたまえ  水波すいは  』


 地面から湧き出た波が炎の壁の中央を、真っ二つに割った。

 開かれた道を一気に駆け抜ける。

 ラユムンド達とジェルジ達は、すでに何をして良いのか分からなかった。

 エルヴィア達の詠唱自体が意味不明だ。

 ほとんどは同じはずなのに、始まりが違う。なのに、正常に魔法が作動している。それに、小さな混乱を覚える。

 だが、すべきことだけは忘れない。

 対面した双方は、ポケットの中の物を握りこんで、奥歯を噛む。

 そして、当然と思って成すことが、絶大な恐怖を生むことに気付かない。

 Aはアレンとジャネットとクラウジアの三人と、Bはエルヴィアとフローラとラウルの三人の対戦になっていた。

 他の四人は介入できずにそれぞれで武器を合わせるしかなかった。

 魔法の打ち合いから始まり、武器の打ち合いが間に入って、戦闘は激化する。

 その端で、ややぎこちなく武器を合わせていた四人のうち、動いたのはオットーだった。

 三対三の対戦に集中していると思い込んだためだった。

 だが、それを視界の端にとらえていたエルヴィアは、少し前から警戒していた。

 相手にならないと放置していたが、動きがぎこちないことに気付いたからだ。

 最初は、元から勝敗が決められた対戦だからだと思っていた。だが、何か機会を計っているかのように視線を泳がせているのに気付けば、不穏な火くすぶるような嫌な予感が大きくなる。

 そして、オットーが取り出したものを目にした瞬間、エルヴィアは背筋が凍るような感覚を覚えた。

 試験前の嫌な予感が、これだと気付いた。


「なっ」


 止めようと足を踏み出した瞬間、今度はジェルジとマルティンが動いた。

 ポケットから取り出したものを地面に叩きつけ、『命じた』。


「「 捕縛せよ 」」


 唱和した声に力はない。ただ、それはきっかけを与えるためだけの物。

 そして、言葉のままに、叩きつけられた物が破裂して光の帯を発生し、エルヴィアとフローラ、ラウルを拘束する。

 フローラとラウルは突然のことに固まり、アレンとジャネットは瞳を見開き、クラウジアは戸惑って動きを止めた。

 ソレがなんであるか、気付いたのはエルヴィアを除けばアレンとジャネットだけ。

 特権階級の最上位にいた二人だから、気付けた。

 『ソレ』が、どれほど危険な物か。

 二人が対処しようと走り出すより先に、オットーが取り出した物を叩きつけ、遅れてラユムンドも同じように叩きつける。


「「 破裂せよ 」」


 力なき言葉はただのきっかけ。

 だが、それは強烈で凶悪な力を言葉のままに、破裂させた。



※※※



 空中画面スクリーンごしでさえ、視界を真っ白に染めるほどの強烈な爆発。

 教師達は腰を浮かし、上級生の中で慌てたのは一握り。

 その中の一人、エアルは戦慄した。

 凶悪ともいえる攻撃にではない。

 一瞬、とらえられたのが奇跡的なほどのわずかな瞬間、エルヴィアが見せた表情と瞳を見たから。

 そこにあった、殺意とも憎悪ともとれる怒りを見てしまった。


「なんてことを…!」

「やはり、一年ごときでは扱いきれんか」

「そのようです」


 戦慄に震えるエアルの言葉が届いていないベルナートとカルメーラは、苦々しげに吐き捨てる。

 それを聞き咎めたエアルは、言葉の意味を理解して信じられない面持ちでベルナートに詰めよった。


「ベルナートッ!」

「何だ」

「まさか、お前があれをっ?!」

「それがなんだ」

「何だ、だと? アレがどれほど危険か、分かっていて渡したのか? まだ一年だぞ!?」


 入学して半年にもならないひよっこ。

 アレをまともに扱えるわけがない。

 熟練の魔導師でさえ慎重になる代物だ。ベルナートやエアルでも使用許可は下りないだろう。


「仕置き程度の物だ。死にはせん」

「な…っ!!」


 鬱陶しげに吐き捨てるベルナートに、言葉に詰まった。


「リロイ代表補佐」

「カルメーラ、お前もか…」

「はい。お教えしなかったことは申し訳ございませんが、アレは少々仕置きが必要と考えたために使用したまでのこと。特に問題はないかと」

「じゃあ、アレに関して、お前達が責任をとるのか?」

「何故です? これは一年生の模擬戦です。我々が介入すべきではありません」


 今度こそ、エアルは言葉を失った。

 アレを渡し、使用させた時点で介入しているのに、カルメーラの言葉は矛盾している。さらに、それが当然とばかりの様子に、正気を疑った。


「お前は甘いんだ。だから言わなかった。言えば、どうせ一年どもをかばうだろう」

「ベルナート」


 気遣いだと言いたいのだろう幼馴染の言葉に、エアルはその瞳に落胆を宿して見渡した。

 自治会に所属する二年と三年の有志が、視線が合った者から順にそらしていく。


(あぁ、いつの間にか、いや、最初からか…)


 手の施しようがないほどに、腐りはてていた。

 呟きは、誰にも届かない。

 落胆に視線を落としかけたエアルは、教師達のざわめきとベルナート達の驚愕する気配に顔を上げた。

 光がおさまり、爆裂でたっていた土煙がうすれ、見えた光景に息をのんだ。



※※※



 白を基調とした修練着は、交戦に入った頃には土煙や魔法の打ち合いのせいでややすすけていた。

 だが、それが今や、その半分を真紅に染めていた。

 正確には、突き出した右腕全体に大きな亀裂が走り、大量の血が噴き出していた。

 その血が、右半身を赤く染めた。

 ザリッ。

 荒い息を吐き、エルヴィアは拳を握りしめる。

 それによって傷が広がり、さらなる出血につながっても、気にせずに歩み寄った。

 驚愕と恐怖にひきつったラユムンドとオットーに、エルヴィアは手加減なしの殺気を向けた。

 ヒクリ、と喉がひきつった二人は、何かを言おうとしていたのかもしれない。だが、そんな暇も与えずにエルヴィアは握りしめた拳をその顔面に突き刺した。

 ゴッ。

 小柄な少女が繰り出した拳打の音ではない。

 音声が届かないはずの空中画面スクリーンの向こうにすら、強烈な一撃だと分からせるほど、エルヴィアの一撃にはあらゆる感情が込められていた。

 吹き飛んだラユムンドは、意識を飛ばしたのかぴくりとも動かない。

 それに青ざめたオットーは、自分の正面に立ったエルヴィアに気付いた時には、同じように殴りとばされていた。

 次いで、ジェルジとマルティンも同じように殴りとばす。

 殴っても収まらない怒りに肩を上下させて、浮いている水晶をわしづかむ。

 気弱な者なら腰を抜かすだろう苛烈な視線を向けて、つかんでいる左手に力を込める。

 真っ赤に染まった右腕にばかり目が向いていたが、その左手や足、体、頬など全体的に細かな傷が無数にあった。血がにじんでいるのも少なくない。

 力が込められることによって血があふれるが、それを意に介さず、届かないと分かっていてエルヴィアは告げる。


「他者の命を粗末に扱う、ということは、お前達もそう扱われる覚悟があるということだな?」


 最後通牒のように吐き捨てて、水晶を砕く。

 握力ではなく、魔力をまとった手が水晶を粉末になるほど砕ききった。

 それに、教師達は青ざめる。

 水晶は言わずもがな法具だ。記録や遠距離投影が可能な貴重な物。

 かなり高価であることは当然のこと、幾重にも刻まれた防御魔法の魔法陣によってかなりの強度になっている。戦時魔法でも簡単に割れないほどと推測されている。

 エルヴィアにとっては、初級魔法でも砕けるお粗末な物でしかないが。

 ベルナート達も、無自覚に震えていた。

 絶対的な存在の怒りを買ったということを、認識しないままに気付いた。

 気付きながら、認識していないから反感だけを自覚する。

 一年ごときが上級生の『指導』に刃向い、学院の備品を故意に破壊した、と。

 それが虚勢であることに、ベルナート達は気付かない。

 逆に、エアルは冷静になった。

 さっきまで感じていた戦慄が、確かな憎悪と敵意を持って向けられたことで腹をくくることができた。

 それは安心できないことだが、不確かなものが確かになったことで、どうすべきかが明確になったのは安心を生んだ。


(もう、後戻りできない。ベルナート達(・・・・・・)は…)


 そこまで考えて、いつの間にか、ベルナートと決別していることにエアルは気付いて自嘲した。

 無自覚なままに答えは出たいたのだと知って。


(届かなかったあの時に、きっと、もう、決まっていたんだろうな)


 模擬戦の時、届かせたいと思った。

 かつてに戻ってほしいと思って、接近した時のわずかなすきに望みを託して。

 その隙さえ与えられず、のされてしまった自分のふがいなさに自嘲して、諦めた。

 諦めたつもりはなかったが、エアルは気付いた。

 あの時に、諦めていたこと。決めていたこと。

 それを自覚した今、何をすべきかエアルは理解した。

 だから、背を向ける。

 なすべきために、慌てて対処に追われる教師達に声をかけた。

 それが、全てを決定的なものにすることを知りながら。




 血だらけになり、貧血を起こしかけながら、エルヴィアは四人が叩きつけた地面を睨みつけた。

 彼らがソレを用意したとは思っていない。

 きっと、上級生が何かを餌に行ったのだろう。

 だから、彼らを殴ったのは八つ当たりが半分だ。

 簡単に釣られ、危険な物を容易に使用して、命を危険にさらした。

 行うことを選んだのは彼らで、それを押し付け脅しつけたのは水晶の向こう側の人間だ。


「バカか」


 心からの侮蔑をこめた呟きを落とし、ゆっくりと意識が遠のく。

 傾いでいくエルヴィアを、呆けていたフローラとラウルが慌てて駆け寄り抱きとめる。

 超人的な魔法の才能と剣術の腕を持っていても、瞬間的な大量出血による貧血はどうしようもない。

 混濁していく意識の中、報復を決めてエルヴィアは意識を落とした。

 フローラとラウルは顔を見合わせ、近寄ってきたアレンとジャネット、医療用具を取り出しているクラウジアと頷き合った。

 あの閃光の中、視界が塞がれつつも見た影の動きと怒鳴りつけるような詠唱が、まぶたの裏と耳の奥にこびりついて離れない。

 拘束を力ずくで引きちぎり、全員を巻き込み誰もが腕の一本くらい吹き飛んでも不思議ではない爆裂を抑え込んだ。

 自身が傷つくのもいとわない行為によって守られた事実に、五人はただ唇をかみしめた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ