聖女任命式:スコープ外事象の発生
王宮には正門と別に城内部への入り口があり、門と入り口の間は前庭と呼ばれている。普段の前庭は下級貴族や商人たちも多少気楽に王宮に居られる場所として人気があり、晴れた日は上野公園の花見かと思うほど人がぎゅうぎゅうになっていることもある。
下級貴族たちからは気楽に親しまれている前庭だが、王族の一生は前庭に始まり前庭に終わると言われている。例えば、生まれたばかりの王子・姫は生後半年から遅くとも1歳までにはこの前庭でお披露目が行われる。そして立太子、成人、結婚、子供の生誕、譲位、そして葬式。王族の大きな節目は、すべてこの前庭で迎える。正門の向こうからは平民に、正門の中からは貴族に見られながら、涼しい顔で花道を歩くことができる人間だけが王族として扱われるのだ。
前庭奥に設置された祭壇に到着すると、そこには既に多くの貴族が着席していた。大体は、久しぶりの聖女をどう自分の利益につなげるか舌なめずりしながら考えているだろうに、表面上はにこやかにアリアを待っている。
まあ、私もそんな貴族の一員である事には変わりない。そもそもアリアを覚醒させたのだって私のためな訳だし。
エルグラン聖務卿は祭壇へ、私は祭壇の横に置かれた椅子に座る。祭壇も女神像も、ゲームでどこか見覚えのあるデザインだ。ただ、女神像の足元に飾られた花は微妙に違う。
(ムワッとした、濃く甘い匂い?)
スチルで飾られていたのはスズラン。このスズランはゲーム中で折に触れて殿下が主人公アリアにプレゼントするので、私の記憶違いではない。今女神の足元を飾るのは、ごく平凡な形の花だ。花の種類は詳しくないので、後でアリアに聞いてみよう。
(じゃあ、既に原作とはかなり異なる運命……ってことなのかしら)
そう思おうとしている自覚はある。けど、明らかに違う箇所を見つけてほっとしていた。
確か、原作では推薦人は殿下なので、そもそも推薦人という席は存在していなかった。ということは練習した儀式の段取りとも少し違っていたはず。
(アリアはルーカスに好意を持ってる。殿下は多分、アリアに聖女以上の感情はない。)
ゲームとは違う、と唱えることで、何から目を逸らしているのか、まだ考えたくなかった。
*
開始時刻きっかりに城の上にある鐘が高らかに鳴らされた。この鐘が鳴るのは、直系王族誕生か儀式の開始に限られる。鐘の余韻をたっぷりと待った後、エルグラン聖務卿が重々しく開催の挨拶を始める。
「今日の良き日、ここにまします敬虔な信徒から、皆さまにご報告がございます。信徒レティシア・ヴァレンティーノ、こちらへ。」
「はい、わたくしは王妃殿下の命により、ソラリアの地を訪問いたしました。敬虔なる民は悪政と天候により苦しみ、かの地は女神の加護を失いかけておりました。」
たちまち周囲にいた貴族たちがどよめく。噂好きな貴族たちは、アリアの家柄や血筋は根掘り葉掘り丹念に調べ上げて記憶するが、肝心な『なぜ聖女になったか』は全く知らなかったらしい。
「かの地を救ったのは、アリア・ローレル嬢の発動した聖女の術に他なりません。よって、わたくしから聖女として推薦いたします。」
「この推薦に、異議のある者は?」
もちろん、こんなところで異議を唱えだす者などいない。
「それでは、ご降臨頂こう。新聖女アリア・ローレル様!」
正門のあたりから大きな歓声が上がった。今回の聖女は男爵家ということで、主な支持層はやはり平民や下級貴族だ。祭壇側に座る貴族たちは聖女を値踏みしようとする目線を隠しもせず、令嬢達はなぜ自分でなく男爵家の娘なのかと歯噛みしている。
(なんて敬虔な拝金主義者たちかしら)
幸い、アリアは自分の所作を気にするので精一杯で、上位貴族たちの不躾な態度は1ミリも気づいていなかった。エスコートする殿下は流石というか、場馴れした雰囲気で上手くアリアをフォローしている。
危なっかしいながらも失敗なく祭壇の前までたどり着き、祭壇の後ろにいる私とエルグラン聖務卿へ一礼する。練習でアリアはこの一礼の動作を飛ばしがちだったので、礼をできた時には心底ホッとした。これさえクリアできれば、アリアのセリフはその後2回くらいしかない。
アリアも非常に安心した様子で、礼の終わりにこちらへ目線をやってにこりとした。なんだ、随分余裕出てきたじゃない。
アリアが姿勢を正して祭壇へ続く階段を登り始めると、不意にゲームのスチルがフラッシュバックした。
(分かってはいたけど、角度的には完璧だわ)
そう、この場面は殿下ルート最初の課金スチル『聖女任命式』。ゲームでも殿下にエスコートされて前庭を歩き、祭壇の階段でアリアがつまづいてしまう。いち早く気づいた殿下が肩に手を回し、アリアを支える胸キュンスチルだ。
(階段はあと10段……)
アリアの足元はなるべくヒールの低い靴に誘導したし、執拗に階段の箇所は練習している。アリアは転ばない。絶対に。
その時、強い風が吹いてアリアの髪飾りが外れかかった。アリアはとっさに髪飾りを抑えて回避したが、そのせいで階段を─────踏み外した。
「アリア嬢、こっちだ」
ゲーム通りに殿下が肩に手を回して支えた。私の角度から見えた2人の姿は、奇しくもスチルとぴったり同じだった。
しかし、そんなところに動揺しているのは、無論私一人だった。高位貴族の何人かがこれ見よがしに顔をしかめたが、エルグラン聖務卿の咳払いでバツの悪そうな顔をしたくらい。
「アリア・ローレル、貴殿を教会の規定に基づき、聖女として任命する。この杖を受け取りなさい。ヴァレンティーノ嬢、マントを。」
いけない、ここからは今日一番の大仕事だ。アリアが杖をしっかり握ったことを確認して、手に持った白いマントをふわりとアリアの肩に掛けた。この正装も似合うし、ソラリアで麦わら帽子を被って畑にいた姿も似合っていた。……ずるいわね、本当に。
「聖女アリア・ローレル様、あなた様の素晴らしいお力を、信徒レティシア、そしてヴァレンティーノ公爵家が保証させていただきますわ。」
私がそう宣言すると、打ち合わせ通りお父様がすっと立ち上がって一番に拍手を始めた。
この演出は王妃様のご指示で、エルグラン聖務卿と一言一句調整して実現したものだ。教会行事では本来、爵位に言及してはならないが、アリアと私が家ごと結びついているという主張がもう一段階欲しい。仕方が無いので、爵位も一応家名の一部という苦しい言い訳でこの台詞に落ち着いた。
次にローレル男爵がやや遠い席から拍手を送り始め、教会派の貴族とヴァレンティーノ家と懇意の貴族たちがそれに続く。
会場全体が割れるような拍手に包まれる中、私は親の顔より見返したスチルの意味を考えていた。
*
「レティ!よく頑張ったね、タイミングもばっちりだ。」
「お父様……」
安心感から思わず抱きつきたくなる衝動に駆られたが、ぐっと堪えてこくこくとうなずくにとどめた。アリアはさっきからお父様と双子の兄にもみくちゃにされている。
「ローレル男爵、ご息女にうちのレティシアが本当にお世話になりましたな。近いうちにまたご領地のお話もお聞かせください。」
「うわあ!はっ、はい!あの、本当にもったいないお言葉で、レティシア様、うちのアリアをどうぞお導きください……」
「とんでもない、わたくしの方がアリア様を頼りにさせて頂いてますのよ。」
「レティ様、すぐバレる嘘はやめてください……」
一家で王宮に留まるというローレル男爵家から手厚い見送りを受けて、馬車へ乗ろうとするとセドリック殿下が走ってやってきた。
「レティ!……もう帰るのか?」
「ええ殿下、今度はしばらく王宮への召喚をお控えくださいましね。」
いつもの調子で返してみたが、思ったより殿下が俯いてしまったので、父に小突かれてしまった。ローレル男爵家ご一行は固まったまま動こうとしない。
「レティ、僕は───────」
「おや王子殿下、うちのレティに何か?」
「すみません、殿下今日は馬車乗り場混んでまして……」
「ヴァレンティーノ公爵家様、そろそろご出発お願いいたします!」
そう、今日は国中の人間が王宮に詰めかけているので、本当に馬車が混んでいるのだ。普段ならいくらモタモタしようと公爵家の馬車を急かすなどありえないが、今日に限ってはそれも仕方ないくらいの密度で馬車が止まっている。
「えっと……」
「殿下?すみません、ちょっと聞こえなくて」
「ああもう!!」
馬車の窓越しに私の手を取ると、殿下は手の甲にキスを落とした。
繰り返そう、今日は国中の貴族が王宮に詰めかけていて、馬車乗り場はめちゃくちゃ混んでいる。
「「「えっ?」」」
「レティシア、近いうちに君の大好きな仕事を携えてヴァレンティーノ家を訪ねよう。それまではちゃんと旅の疲れを癒すように!」
顔を真っ赤にした王子とは対照的に、さっきまで喧騒に包まれていた馬車乗り場は静まり返っていた。生まれた時から品行方正で生真面目な王太子の、まさかのスクープを目撃して。
やや間を置いて、いち早く正気を取り戻した我が家の御者が馬を走らせ、逃げるように馬車乗り場から立ち去った。まったく、この御者には特別賞与を進呈したいくらいである。




