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第三十九話 王器

 アスモデウスが動いた時には、遅かった。


 リセリアの指先が、柄に触れた。


 次の瞬間。


 黄金の炎が、リセリアの手を包み込んだ。


 手のひらから腕へ。

 腕から肩へ。

 肩から胸の奥へ。


 リセリアの中へ流れ込む。


 朱色アルダンだった髪に金の光が走り、瞳の奥からも同じ光が滲んだ。

 

 朱の炎が、焔へ変わる。  


 神の名を冠する、大天使の焔へ。


 そこに、この世界に存在しない金色が侵食していく。  


 焔を宿した金。


 リセリアの髪も、瞳も、纏う防具さえも、その色へ変わっていく。



「虹の制約に従い、そなたが歩む限り、私はその傍らに在ろう。

 そなたの旅路を、そして勇姿を、見せてもらおうではないか!」

 

 

 声は、もう空の彼方からではなかった。

 リセリアのすぐ傍で響いている。

 

 背中に、光が走った。

 炎でもあり、光でもあるそれが、リセリアの背で広がった。


 黄金の炎が、六枚の翼となって現れる。


「我が名はウリエル。セラフィムの一柱にして、第四天使」


 

 リセリアは大剣を引き抜いた。


 石畳が砕け、黄金の炎が刃を走る。



「神の炎を司る大天使――ウリエル。それが私の名だ!」


 

 その名が告げられた瞬間。


 リセリアを包む黄金の炎が、さらに強く輝いた。


 

 焔を宿した金――焔金ほむらがね


 

 その火が、大剣の刃を満たした。


 次の瞬間。


 大剣と、ヨルムンガンドの口が衝突し

 衝撃で広場が震え、背後へ抜けようとする。


 だが、六枚の翼が大きく開いた。


 黄金を宿した炎が、前へ噴き出す。


 民の方へは逃がさない。


 押し寄せた衝撃は、すべてヨルムンガンドの喉奥へ押し返された。


 大天使の炎が、巨口の内側で弾ける。


 ヨルムンガンドの頭部が、大きく仰け反った。


 地を這う巨影が、石畳を削りながら後退する。



「やはりヨルムンガンドのみでは、抑え切れぬか……」


 

 アスモデウスの指が、静かに動く。


 リセリアの足元に、黒紫の魔法陣が展開される。


 石畳の隙間へ染み込むように、禍々しい光が広がる。



「では、これはどうじゃ?」


 

 アスモデウスは不気味な笑みを浮かべる。



「沈め!」


 

 次の瞬間。


 無数の腕が、リセリアの足元に伸びる。


 

 だが――腕の侵食は止まった。


 リセリアの足元から、焔金ほむらがねの炎が静かに広がる。

 それが黒紫の魔法陣に触れた。


 無数の腕を展開していた魔法陣に、亀裂が走る。


 

 蜘蛛の巣のように割れ目が広がり、次の瞬間、黒紫の光が砕け散った。


 不気味な笑みは消え、アスモデウスの足が一歩後退する。



「あの天使……位階が高い」


 

 アスモデウスの視線が、リセリアを捉える。


 焔金ほむらがねの翼を背に、民の前から退かずに立つ王女。



「この小娘――王の器か…」


 

 民たちは、リセリアの背中を見ていた。


 黄金を宿した六枚の翼を背に広げ、

 ヨルムンガンドとアスモデウスの前から退かずに立っている姿を。



「あのお姉ちゃんの色……綺麗」


 少女はリセリアの翼を見て、目を輝かせる。



「あんな色……この世界に存在するのか……」


 焔金ほむらがねの光が、震える民の顔を淡く照らしていた。



「暖かい…この焔に照らされていると、自然に落ち着いてしまう。」


 限界まで張り詰めていた兵の肩から、わずかに力が抜ける。



「ノア様が……私たちにご加護を下さったのよ……」


 祈るような声が、震えながら広がっていく。


 だが、リセリアは振り返らなかった。


 家族を失った者。

 国の平穏を奪われた者。

 マダイが必死になって守ったもの。

 

 その全てを背負って、前に立っているとリセリアは理解しているから。


 だから、リセリアは振り返らなかった。


 リセリアは、静かに口を開いた。



「王族というのは、民にとって特別な存在。

 そして、王族にとっても、民は特別な存在。」

 

 黄金を宿した六枚の翼が、大きく広がる。



「だから、私は守り続けます!この国の宝を」


 常夜の空が、さらに晴れた。


 アスモデウスとヨルムンガンドに支配されていた戦場。

 その均衡が傾いた瞬間だった。


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