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第二十四話 露顕

次の瞬間、男は――振り返らなかった。


 掴まれた袖口ごと、腕を強く振る。


 予備のない動き。

 振りほどく、というより、切り離すように。


 カイルの指が、空を掴んだ。


 同時に、何かが引っかかる。


 男――ロッシュ・ギニョールは、走り出す。


 人混みの中へ、迷いなく。


 カイルは、すぐに追った。


 理由を考える前に、体が動く。


 逃げる背中だけを、見ていた。


 走り出した背中を、見失う気はしなかった。


 人混みはある。

 だが、ロッシュは避けない。


 肩がぶつかる。

 誰かの腕を払う。

 謝る素振りもなく、前へ進む。


 追う側にとって、分かりやすい逃げ方だった。


 カイルは距離を詰める。


 足音が重なる。

 呼吸が近づく。


 その途中で、違和感が混じった。


 ――道が、妙に楽だ。


 人が多いはずなのに、進める。

 詰まらない。

 ぶつからない。


 横にいたはずの人影が、いつの間にか一歩引いている。

 前へ出ようとしていた者が、足を止める。


 声は消えていない。

 ざわめきも、途切れていない。


 それでも――誰も、近づかない。


 視線を感じる。


 前ではない。

 背中でもない。


 横からだ。


 カイルは、気に留めなかった。


 逃げる背中が、まだ前にある。


 それだけで十分だった。


 隣を走るリセリアも、速度を落とさない。

 視線は前。

 意識は、追跡から外れていない。


 二人の前で、ロッシュは走り続ける。


「――ロッシュだ」


「ええ。逃げる理由がある顔ね」

 

 逃げ道を探している様子もない。


 ただ、前へ。


 人の流れが、さらに割れる。


 見えない線を引いたみたいに、距離が空く。


 理由は、まだ分からない。


「あいつ、逃げ足早すぎない?絶対魔法使っているでしょ」


「喋っている余裕があるなら、足を動かして!見失っちゃうでしょ!」


 二人は休憩する間もなく、ロッシュの後を追う。


 道の先に、影が現れた。


 街路の奥に、不自然な黒。


 月光を吸うような、石の輪郭。


 宝物殿だった。


 アメジマドゥスの中央に据えられたそれは、

 遠目でも、周囲の建物とははっきり違って見える。


 ロッシュの足が、わずかに緩む。


 一瞬だけ。


 立ち止まるほどではない。

 だが、確かに、迷いが混じった。


 次の瞬間、ロッシュは振り返った。


 目が合う。


 恐怖ではない。

 怯えでもない。


 ――ここまでだ、と理解した顔。


 その視線が、宝物殿へ移る。


 街路が、そこで尽きていた。

 人の流れも、先にはなかった。


 ロッシュは、宝物殿へ向かった。


 それが逃げ道になることを、

 最初から分かっている足取りだった。


 カイルは、理由を考えなかった。


 追うべきかどうかも、

 危険かどうかも、

 頭には浮かばない。


 ただ、足が前に出る。


 距離は、まだある。

 止まる理由も、まだない。


「カイル!あの人宝物殿に向かっているようだけど、どうする?」


「当然、追う一択!」


 宝物殿は、もう目の前だった。


 ロッシュは宝物殿の扉を開き、慌てて中に入っていった。


 間髪入れずに、カイルもその後に続こうとした。 


 ――その時だった。


 肩に、手が置かれる。


 強くはない。

 指先が触れているだけだ。


 それでも、足が止まった。


 外そうとは、思わなかった。


 振り返る。


 知らない男が立っていた。


 片目は、前髪に隠れている。

 残った目だけが、静かにこちらを見ていた。


 紫の髪は、後ろでまとめられている。

 服装は、紫と藍色を重ねた甲冑だった。


 肩から腕にかけて、

 太ももからつま先にかけて、

 そして胸当てまで――

 必要な部分だけが、硬い鎧で覆われている。


 腹から腰にかけては、布地だ。

 重ねられた紫の布が動きを妨げないように組まれている。


 その上から、ロングコートのような外套を羽織っていた。

 基調は紫。

 留め具に、控えめな金の装飾が走っている。


 背中には弓。

 矢は腰の筒に収められていた。


 弓も、矢筒も――すべて紫。


 戦場の装備に見えるのに、

 今この場所に立っていることが、不思議と不自然ではない。


 距離が、近い。


 声は低く、穏やかだった。


「ちょっと我々とご同行願えるかな?」


 優しい声の、問いかけだった。


 ただ、断るという選択肢だけが、最初から存在していなかった。


 男の隣に、もう一人立っている。


 見覚えのある顔だった。


 ――フジライチョウの時だ。


 あの夜、助けてくれた人物。


 視線が合う。

 だが、何も言わない。


 庇うでも、責めるでもない。

 ただ、そこにいる。


 ロッシュ・ギニョールを追っていたはずが、

 追われてたのは――

 もう、別の存在だった。


 男の視線が、ゆっくりと下がる。


 カイルの顔。

 そして、髪。


 ほんの一瞬、周囲が静まる。


 ざわめきが、形を変える。


 驚きでも、恐怖でもない。

 戸惑いに近い空気。


「……君の髪色にね」


 男は、言葉を選ぶように続けた。


「みんなが、少し驚いていてね。」


 カイルは、そこで初めて、頭に手をやった。


 布の感触がない。


 フードが、ない。


 周囲を見る。


 アメジマドゥスの民が、立ち止まっている。

 近づかないし、目を逸らさない。


 理解しようとして、できずにいる視線。


 宝物殿は、すぐそこにある。


 だが、その方向へ進む道は、もう残っていなかった。 

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