俺は悪くない
翌日、またあの団地に呼び出された。
公園には突破者が埋まったまま。
俺はその脇のベンチで珍走屋を待った。
夜空には星々。
欠けた月が斜めに傾いている。
熱い空気の中に少しだけ涼しさが混じっていて、この地球が暑さから逃れて秋になりたがっているようにも感じられた。
ヘッドライトが近づいてきた。
エンジン音はない。その代わり、シャーと軽快な回転音が近づいてきた。
自転車だ。
キッと短いブレーキをかけて、そいつは停まった。
フランスパンみたいなリーゼントヘア。長ランに謎の腕章。白い手袋。尖ったサングラス。背には日本刀。
誰か教えてくれ。
こいつはなぜ途中で職務質問されなかったんだ?
「俺は珍走屋。ヨロシク」
そいつは手短に挨拶をした。
気合が入っている。
俺は自分の二千円のサングラスが恥ずかしくなったので、さりげなく外した。
「黒木玄一だ。エコだな。チャリで来るなんてよ」
「黒木? 聞いてたヤツと違うな」
「あんた、騙されたんだよ」
「あ? 意味が分からねェ。なんで俺が騙されんだよ?」
「理由はいろいろある。いろいろあるが……面倒だから省略する」
俺は敵を警戒しつつ立ち上がった。
珍走屋の能力は「タフ」。べつに無敵じゃない。ただ痛みに鈍感になれるだけの能力だ。簡潔に言えば、ただ張り切ってるだけの若者、ということになる。
彼はおもむろに空を見上げた。
「なあ、あんた。この世界をどう思う?」
「えっ?」
なんだこいつは……。ポエム野郎か?
俺が返答に困っていると、珍走屋はこう言葉を続けた。
「俺は自分を立派だと思っちゃいねェ。いわばクソだ。けどな、この世界はもっとクソなんだよ」
「分かるよ」
「まあ聞けや。神サマってのがいるとしたらよ、そいつもクソだぜ、きっと。だから俺たちは、世界や神をクソだと思って生きていい」
しかも聞いたことのあるポエムだな。
俺はこう応じた。
「続きを言ってやろう。世界がクソなのは、俺が世界をクソだと思ってるから、だろ?」
「そうだ。まさかとは思うが、あんた……読んだことあるのか? 『世界が俺を愛さない十二の理由』をよ」
「一応な」
こんなところで愛読者に遭遇するとは。
きっと数日前の俺だったら、大喜びしていたはず。だが、いまは違う。心底うんざりだ。なぜこんなのがいまごろ現れるのだ。
若者はニヤリと笑みを浮かべ、サングラスを押しあげた。
「初めて会ったぜ、この話が通じるヤツ」
「だが言っておくぞ。そんな本読むな。頭がバカになる」
「あん?」
額に血管が浮いた。
もし俺に能力がなければ、即座に泣いて謝りたくなるような風貌をしている。しばしば忘れがちだが、たまたま戦える能力が備わっているから普通に会話できているだけだ。
「いいか。世界は俺たちのことなんて、なんとも思っちゃいない。そこは正しい。だが、その本は理由についてなんて言ってる?」
「俺たちが世界をなんとも思っちゃいないからだ」
「結構。だがな、そんなことさえ、じつはどうだっていいんだよ。いいか? 人間の考えなんてどうでもいい。つーか人間だって、そもそもなにも考えたくないんだ。お前だってなにも考えてねーだろ? 脳味噌なんかまったく使っちゃいない。ただ周囲に反射して生きてるだけだ」
「勝手に決めんな」
「土と一緒。つまりお前は、地球の一部なんだよ。もっと言えば宇宙だ」
「……」
彼は怒っている、というよりは、気の毒なヤツに直面したような態度を見せた。
だがいい。
俺も自分でなにを言っているのか分からない。
事実を相対化してゆくと、最後はあらゆるものがどうでもよくなる、というたぐいの極論だ。これは「人類が滅べば意味も消失する」という言説に似ている。
しかも俺は、なかばウソをついている。
本当にどうでもいいのなら、俺はとっくに死んでないとおかしい。なのに俺は、昼間メシを食った。どうでもよくないからだ。人間である以上、餓えや痛みといった身近な問題に対処し続けねばならない。
そしてどうでもよくないから、この戦いにも勝ちたいと思っている。これまでもそうだった。
なぜウソをついたのか、自分でもよく分からない。
たぶん、本の話をしたくなかったから、思いっきり話題を逸らしたのだろう。
男が日本刀を引き抜いた。
「意味分かんねェから、そろそろ殺るわ」
「そうだな。だがその前にひとつだけ自慢しておいてやる。俺は作者のサイン入りの本を持っている」
「なんでてめェが……」
「世界ってのは、それだけ理不尽なんだよ。正義が勝つとは限らない。悪が裁かれるとは限らない。だからクソなんだ。俺たちがどう思おうと、さ」
結局、戦いにさえならなかった。
彼は身体能力が高いだけの一般人だったのだ。
俺が体を硬化させるだけで、刃はいともたやすく弾かれた。スピードもこちらが上。なにをどうしたって俺が勝ってしまう。
数分後、珍走屋は地べたに突っ伏していた。
「クソ……。なんなんだよ、てめェの能力はよ……。技のデパートか?」
「俺の力じゃない。ぜんぶ、死んだヤツらのせいだ」
「あ?」
タフなだけあって、命乞いをしない。
それでも俺がさらに力を強めれば、こいつは反論さえできなくなる。なのだが、なぜかそうする気になれなかった。
「なあ、珍走屋さんよ。あんた、なんでシュラウド部隊に入ったんだ?」
「決まってんだろ。カッケかったからだよ。俺みてェなヤツでも、誰かのためになれるんだ」
「正義のヒーローってわけか」
「笑えよ」
「笑わない。俺もむかし、正義のヒーローになりたかった。このクソみたいな世界を、俺がなんとかするって思ってた」
すると珍走屋が、ケタケタ笑い出した。
「なんなんだよ、てめェはよ。だったらなんでそんなクソみてェな人間になったンだ? 言ってっこととやってっこと全然ちげェじゃんかよ」
「……」
反論できない。
人は反論できないとき、しばしば怒りをもよおす。
だが、今回は怒りさえ湧いてこなかった。
本当に、なぜなのか、自分でも疑問に思ったからだ。
いや、たぶん、事実はシンプルだ。理想は理想。現実は現実。特に考えがあってこうなったわけではなく、流されてこうなったのだ。俺が頭を使って自発的にこうしたわけじゃない。コントロール不能な能力を得てしまって、もてあましたのだ。降って湧いた能力が、俺という人間の器を超えた。
若者はあきれたように視線を空へやってしまった。
俺はこの男をあまり苦しめるべきではないと感じた。
「そろそろ死んでもらう」
「好きにしろや」
その会話が最後だった。
*
やってきたバンの助手席へ乗り込んだ。
「次はいつだ?」
「なるべく早いほうがいいでしょうね」
「なら明日だ」
「構いません。詳細はのちほどお知らせします」
ダッシュボードから七十万を回収した。
会長を殺せばさらに七十万。
だが足りない。
姫子にあの仕事を辞めさせるためには、億単位の金がいる。彼女には学歴がない。保険にも入っていない。だから七十万じゃ全然足りない。
*
翌日、昼前。
都内某所。
俺はサングラスをかけて、秘書とともに神殿へ向かった。
新規に発見された能力者、という設定だ。
なお電気工事という名目で、監視カメラの機能はすべて遮断されている。ゆえに、本日の犯行を警察に監視される心配はない。
警備員はいるが、秘書のおかげで素通りできた。
やたら木々に囲まれているから、セミの大合唱がひどかった。じつはカルトではなく、セミの養殖場なのかもしれない。
地上部分は幅の広い平屋の建築物に見えるが、ここの本体は地下にある。
白いエントランスはガランとしていた。
地下へ進み、ライトアップされた大理石の祭壇を通り過ぎた。
女が水槽の中で浮いていた。
いまなら分かる。
彼女は、普通に生きている。
思想家から吸収した能力を使えば、対話さえできそうだった。が、彼女が対話を拒んでいるふうだったので、俺はあえて声をかけなかった。
執務室へ通された。
前回は会長にお目通りさえかなわなかったのに、今回はそうではなかった。これが罠でなければいいのだが。
「会長、お連れしました」
「ご苦労」
カメラで何度も見たガタイのいい会長だ。
俺も頭をさげた。
「白川晶二です」
これは『世界が俺を愛さない十二の理由』の主人公の名前だ。おそらく「黒木玄一」をいじくったものだろう。
秘書はクリップボードを手に、こう説明を始めた。
「タイプC、ランク3の能力者です。シュラウド部隊の新メンバーとして最適ではないかと」
「もし志願してくれるならありがたい。高待遇を約束する」
彼は立ち上がり、俺に握手を求めてきた。
なるほど。シュラウド部隊に入れるほどの能力者なら、こうして直接会ってくれるのか。以前の俺は役立つ能力を持っていなかったから、ただ事務手続きだけして帰されたというわけだ。
俺も握手に応じた。
「ええ、ぜひ」
「……」
会長はそのまま崩れ落ちた。
麻痺したのだ。
彼は能力を保有していなかったから、一瞬で殺害した。
秘書はクリップボードを放り投げた。
「結構です。撤収しましょう。報酬は後日お渡しします。本日は自宅でお過ごしください」
「イージーだったな」
あとは秘書がうまいこと対処してくれるだろう。
俺が逮捕されることもあるまい。もし逮捕されたら、月でビジネスできなくなる。
地下部には警備員さえ置かれていなかったから、俺たちは特に障害もなく移動できた。
祭壇までは。
嫌な予感はしていた。
いや、予感ではなく、声が聞こえていた。
水槽の女は、ずっと俺にこう警告していたのだ。
「私の子供を殺さないで」
俺たちが祭壇の前を通りがかった瞬間、パァンと水槽が砕け散り、水が飛散した。
段々になっている祭壇の上部に女が降り立ち、水びたしのままよたよたと降りてきた。
秘書は「えっ?」とつぶやいたきり固まってしまった。
絶対に目を覚まさないと思っていたヤツが、こんなに簡単に、自力で目を覚ましたのだ。この女は、本当はいつでもこうすることができた。なのに、しなかった。
彼女は「あー、あー」と声を調整した。
「間宮フユ……。それが私の名前……」
ビリビリと空間のエネルギーが反応しているのが分かる。
たとえばデカい地震が来る前に、家がガタガタ揺れ始めた感じに似ている。
あきらかにヤバい。
俺は秘書の肩を叩いた。
「おい、ぼうっとしてんなよ。こいつを殺ったらいくら払う? 百万なんて言うなよ。千はよこせ。それでも七三だから、こっちは七百万にしかならねぇが」
だが、返事をする時間は与えられなかった。
風が吹き抜けた。
かと思うと、秘書の首から上がなくなっており、ギャグのように血液を噴出させ始めた。血液というよりは、赤いゲロのようだった。
後方では間宮フユが、もぎとった秘書の頭部をゴミのように投げ捨てた。
つまり俺は、無償でこいつの相手をすることになったというわけだ。
月のビジネスもどうなることやら。
俺はなんとか呼吸を整え、こう告げた。
「待て。全部こいつに命令されてやっただけだ。俺は悪くない」
これから殺される人間としては最適のセリフだろう。
女はうっすらと笑みを浮かべた。
できれば見逃してくれると嬉しいのだが。
この女にしたって、俺を殺しても一円にもならないわけだし。
(続く)




