なんだってよかった
おかしい。
家に金を入れているのに、姫子が仕事を辞めない。
エアコンもないクソ暑い室内――。
窓を全開にし、かろうじて夏をしのいでいる。
俺は寝そべってビールを飲みながら、情報屋がノートパソコンを操作するのをぼうっと眺めていた。
「つ、使う?」
彼女は視線が気になるのか、何度も俺のほうを見た。それがついに耐えかねたらしく、こちらへノートパソコンの画面を向けてきた。
「使わない」
「じゃあなに? 私に言いたいことでも……」
「いや、姫子がさ……」
「……」
ぜひとも情報屋の助言が欲しかった。
なんなら俺と一緒に姫子を止めて欲しかった。
なのだが、彼女はこの件になると途端に消極的になってしまう。
「姫子はなんであの仕事を?」
「違うの。私だって止めたの。でも、お金要るからって」
「金なら俺が入れてるじゃないか。まさか、借金でもあるのか?」
「ううん。そういうのはないけど……」
まったく理解できない。
もしかしてイヤイヤやっているのではなく、好きであの仕事をしているのだろうか。そして俺の知らないおじさんと恋に落ちて、ある日突然どこかへ行ってしまうのでは……。いや若い客かもしれない。
吐きそうになってきた。
父親気取りかよ、とは自分でも思うのだが。
ビールを口にしたが、炭酸が異様に鬱陶しく感じられた。もう飲むのはやめたほうがいいかもしれない。というか、仕事にも出ず、昼から酒を飲んでるような男が、他人の生活をどうこう言えるわけがないのだが。
「なあ、情報屋。俺と一緒に姫子を説得してくれないか?」
「ええっ?」
「やっぱり間違ってるよ。あいつ、あんな仕事して……。もっとまっとうに生きられるだろうに」
「だから、その話は何度もしたの……」
そうだ。
俺にとっては一瞬でも、彼女たちにとっては五年の歳月が経過している。この話は飽きるほどしたんだろう。むしろ五年後に急に現れた俺に、蒸し返されたくないはずだ。
それでも納得いかない。
「あ、ほら。黒木さん。文字の大きなリンクあるよ。これ見たら? ねっ?」
「ああ」
監視カメラの映像でも観て気を紛らわせろってのか。
なんだか変態みたいだ。
執務室では会長が頭を抱えていた。
『なんてことだ、偏愛者までもが……』
『月は観測できませんでした』
『つまり高ランクの能力者ということだ。そんな男、いったいいままでどこにいたんだ?』
『数年前、秋田から上京してきたことが分かっています。犯罪歴はナシ。地元では目立った活躍は見られなかったようです』
秘書はウソの経歴を並べ立てた。
おそらく失踪した誰かのプロフィールを勝手に使っているのだろう。
『ドクターの分析は読んだ。一連の事件は、同一人物の仕業と見て間違いなさそうだな。このままシュラウド部隊を当てても同じ結果になるだろう』
『警察の手に委ねますか?』
『待て。それはいかん。警察に借りを作ることになる』
『では発想を変えてみましょう。これまではターゲットを先に現場へ誘導し、あとからシュラウド部隊を乗り込ませる方式でした。しかし今回、ターゲットが事前に罠を仕掛けたこともあり、偏愛者は本来の機動力を封じられてしまいました』
またウソを並べている。
罠はひとつも役に立たなかった。いきなりフランケンシュタイナーでぶん投げられたのだから。
秘書は表情ひとつ変えず言葉を続けた。
『ですので、次回は突破者の起用を提案いたします。彼は土中を潜行できますから、ターゲットより先に作戦を展開できます』
『勝てるのか?』
『正直、断言はできません。しかし現状取りうる作戦の中では、もっとも信頼がおけるのではないかと』
『分かった。その線で進めてくれ』
会長の思考能力は、極限まで低下していた。完全に秘書の口車に乗せられている。
ともあれ、次回の敵が土の中から飛び出してくることは分かった。ドリルというのは痛そうだが、当たらなければどうということはない。
*
「ただいまぁ」
夕方になると姫子が帰ってきた。
声の感じからしてすでに疲れている。
「もぉー、ホント男ってさぁ……。あ、あんちゃんいたの? どうせ昼間からビール飲んでたんでしょ?」
「飲んでた。だが途中でやめた」
「ふぅん……」
ブランドモノのバッグを放り、短いスカートのまま雑に座り込んだ。
俺は本題に入りたかった。
なのだが、どうしてもできなかった。
「なにジロジロ見てんだよ! もしかしてパンツ見てんのか? ほら、好きなだけ見ろ」
姫子はバカにするように足をあげた。
こいつは人の心配も知らずにふざけたことばかりして。
「やめろ。俺はいま、ちょっといろいろアレでな……」
「なに? 深刻な悩み?」
「深刻だよ。どうやったらお前が仕事を辞めてくれるのか、そればかり考えている」
俺がそう告げると、彼女は途端に不機嫌そうな顔になった。
「保護者ヅラやめろって言っただろ……。あたしがどうやって稼ごうとあたしの自由じゃん? なんかあんちゃんに迷惑かけた?」
「もっと自分を大事にして欲しいんだ」
「大事にしたらどうなるの? こっちはとっくにガバガバで、赤ちゃんだって産めないのにさ」
「……」
姫子がなにか言うたびに、俺の寿命が縮む。
シュラウド部隊と戦うよりもつらい。
世界はなんでこうなんだ……。
「あたしさ、そういう顔されんのが一番ムカつくんだよね。どんだけヤっても妊娠しないんだからいいじゃん。そういう生き方したってさ」
「たしかに自由だ。尊重もしたい。だが、どうしても耐えがたい……」
「あたし、学歴もないしさ。いまのうち稼いどかないと、老後の心配があるワケ。だって中卒でさえないんだよ? つーか小学校も行ってないし。だからいっぱい稼いで、いっぱい節約して、住所不定にならないよう頑張ってんの。なんか反論ある?」
「ない」
なにも言えない。
百万や二百万ではダメだ。
とんでもない大富豪になって養うしかない。
月をエネルギーとして活用できれば、信じられないほどの金が舞い込んでくるという。とっととそれを実用化させるしかない。
「俺が億万長者になれば辞めてくれるか?」
「は? なれんの?」
「なれる。たぶん。理論上は」
「へぇ。じゃあ期待してる。もしお金持ちになったら、毎日ハンバーグ食べさせてね?」
「約束するよ」
ハンバーグならいまでも毎日食えるような気もするが。いや節約してるんじゃ仕方がない。俺もビールを控えよう。
ともあれ、ケンカにならなくてよかった。姫子もきっとこの手の論争には飽き飽きしているのだろう。
*
数日後、夜の団地――。
俺は公園に入った。
こちらには探知の能力があるから、敵がどこに潜行しているか手に取るように分かる。
居場所は公園の中央。
俺はその少し手前で足を止めた。
彼はこう思っているはずだ。あと一歩踏み込んで来い、と。
だがそうはしない。
俺は麻痺の能力を使った。
きっと突破者は土の中で苦しんでいることだろう。
一方的な完封だ。
感知したところによると、こいつの能力は「無酸素での活動」。少し時間をかけてその能力を頂戴するとしよう。
「はじめまして、突破者。俺は黒木玄一。きっと別の誰かだと思って乗り込んできたんだよな? だが悪いな。こっちもそれなりの経験者でな。あんたにはそのまま土の中で死んでもらう」
俺はベンチに腰をおろし、サングラスを外した。
「俺の愛読書『世界が俺を愛さない十二の理由』によれば……。いや、もういいんだ。誰が誰を愛そうが、どうでもいいことじゃないか。なあ、突破者。あんたもそう思うだろ?」
月が出ている。
少し欠けている。
「理由だってさ、ひとつだろうが、十二個あろうが、なんだってよかったんだ。人は好き勝手に理由をつける。理由になってなかろうが関係ない。言ってる本人が、理由になると思い込んでさえいればさ……。つまり俺たちの『発想』というか『考え』っていうのはさ、それくらい曖昧なものなんだよ。意味だって、あると思えばあるし、ないと思えばない」
まだ死んではいない。
もう少し話す必要がある。
「分かるか? 意味なんてものはさ、俺たちが勝手に感じて、作り出してるものなんだ。もし仮にこの宇宙から人類が消えたとしたら、意味もまた存在しなくなる。宇宙は特になにも考えていないわけだし。それはすごくフラットで……混乱のない世界じゃないか? いいよな、なにもないって。だって考えなくていいんだから。考えないの好きだろ、人間ってさ」
人は誰しも頭を使いたくない。
動物だって同じだ。
草や木になりたいのだ。
光と水に反射するだけの存在になりたいのだ。
「あんたはそこで土に還るんだな……。どんな感じなんだ? 俺も似たような経験をしたはずなんだが、いまいち記憶がなくてな。思えば完全に無だった。そう。それは『体験』でさえなかった。睡眠とはまったく違う。時間の経過を感じる体さえなかった。精神も機能していなかった。つまりは宇宙ってことか? いや違うかも。違わないかも。あんた、どう思う?」
返事はない。
もう死んだ。
能力も手に入った。
適当に手を振ると、バンが近づいてきた。
きっと戦いを監視していたのだろう。
「さすがの能力ですね……」
「俺の力じゃない。ぜんぶ他人の借りモノだ」
人から盗んだ服を着て、イキリ倒しているだけだ。
秘書はそれを「さすが」だと言う。
俺はダッシュボードから封筒を受け取り、思わずつぶやいた。
「七十万の大仕事も、次でいよいよ最終回か」
「まだ会長がいますよ」
「待てよ。まさかラスボスも七十万でヤらせるつもりか?」
「そちらの都合で契約内容を見直す場合、そちらに不利な条件で契約し直していただきますが」
「いいよ。やるよ」
ラスボスを殺して七十万とは。
完全に買い叩かれている。
安易に契約するんじゃなかった。
「月のビジネスでは儲かるんだろうな?」
「ええ。使いきれないほどの大金が手に入りますよ」
「そいつは楽しみだ」
言葉とは裏腹に、不安しかなかった。
なんとなくだが、俺のような人間は、頭のいい連中に利用されて、最後はポイされるような気がする。
だが、こちらは不死だ。戦えば勝てる。
この女の出方次第では応戦してもいい。
借りモノの力で分からせてやる。
(続く)




