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「世界は俺を愛さない……。俺は世界を愛さない……」
数日後、俺はまたあの団地にいた。
夏は続いている。
闇を切り裂くように、バンのヘッドライトが近づいてきた。
停車すると、中からひとりの女が現れた。それも、「とうっ」と威勢よく。
「ご覧の通り、偏愛者の登場よ! あなたは死ぬわ!」
スタイルのいい体にピッチリと張り付いたスーツ。
蛍光色のアイマスク。
戦隊モノのヒーローみたいだ。いや悪の女幹部か。
続いて、もうひとりの小柄な女がのたのたと降車した。
「あ、私、ラバーズ・スリーです。こっちはゼロ姐さんで……」
律儀に自己紹介してくる。
だが格好はやはりピッチリとしたボディスーツだ。
本人の意思で着ているというよりは、ゼロ姐さんの趣味に付き合わされている感じだ。
バンが去ったタイミングで俺は立ち上がり、サングラスも外した。
「久しぶりだな。黒木玄一だ。あんたら、ナンバーが歯抜けだが、ワンとツーもあとから来るのか?」
するとゼロがたじろいだ。
「ウソでしょ? 黒木玄一? あんた、死んだはずじゃ……」
普通、こういうリアクションになるよな。どう考えても先日の守護者の無反応ぶりはおかしい。正直、あれはちょっと傷ついた。
「間違いなくいっぺん死んだよ。そして生き返った。理屈は俺にも分からんがな」
「けど残念ね。私たち偏愛者の能力は『閉じた世界』。あんたのよからぬ能力は通用しないわ」
彼女の言う通り、麻痺も電気も快楽も通じないだろう。
だから拳で決着をつけるしかない。
そして彼女たちは、肉弾戦のエキスパートだ。
せめて秘書が拳銃でも貸してくれればよかったんだが。ま、あの女がそこまで親切なわけがない。
するとスリーが遠慮がちにつぶやいた。
「ちなみにワン姐さんもツー姐さんも引退しました」
「ご丁寧にどうも」
シュラウド部隊に引退などというものがあるとは。思えば、例の麻痺の婆さんも引退したんだったか。
ゼロがビシと謎のポーズをキメた。
「あんたのせいよ! あの日、あんたがひとりでかっちょよく頑張ったから、ワンは男の魅力に目覚めちゃって……。あたしの元を去ったのよ!」
「記憶にないが、意外と活躍したらしいな、俺」
「解体屋の片腕が落ちて、守護者が膝をついた瞬間、あたしは目を疑ったわ。けど勘違いしないで! そのあとはフルボッコよ!」
「今日はどうなるんだ?」
「今日もフルボッコよ! ちなみにツーは別の女と浮気してあたしの元を去ったわ! この世界はクソよ!」
「クソなのは同意する。おっと、まだ動くな。悪いが、トラップを仕掛けさせてもらった。待ってる間、暇だったんでな」
なにせ先に現場に入るのは俺だ。
主導権は俺にある。
まあショボいトラップではあるのだが。なにせ狩猟の免許がないと、まともな罠も買えない。だから市販の防犯グッズを組み合わせた。
身動きのとれなくなったふたりへ、俺は尋ねた。
「あんたらの能力は、あくまでふたりセットじゃないと発動しないんだよな? つまり一方を片付けた時点で、俺の勝利ってわけだ」
「卑怯よ、黒木玄一! 堂々と拳で勝負なさい!」
「二対一でなにが堂々だよ。あとなぁ、俺はそもそも卑怯なんだよ。ここは殺し合いの舞台だぜ? あんたら、銃を持った相手にもベアナックル・ファイトを強要するのか? ゾウやトラが相手でも? 俺なら武器を使うね。それが人間ってモンだからな」
精神攻撃は基本だ。
言葉で揺さぶって隙を突く。
俺は超スピードで団地に入り込んだ。
危うく壁にぶつかりそうになったが。
今回は建物に引き込んでも大丈夫だ。準備は整えてある。紐をひくだけでネットが飛び出すものや、トウガラシスプレーなどを配置している。ただしスプレーは自分を巻き込む可能性があるから注意が必要だ。
能力を使って気配を消し、道具を使って行動不能に追い込むのだ。
完璧なプランと言えよう。
「あいつ、どこ行った!?」
「そっちの建物です!」
「こざかしいわね。じゃあ二手に分かれましょ。あたしは下から行くから、あんたは上から行きなさい」
「はい」
会話が聞こえてきた。
下からは理解できる。
しかし上からとは?
俺が身を潜めていると、ラバーズ・スリーがとんでもない身体能力でベランダをよじのぼり始めた。まるでサルだ。
しかしこちらの戦術は変わらない。
先に来たほうをネットで絡めとる。そしてスプレーを噴射して分断する。一対一に持ち込めば勝機がある。たぶん。
この仕事を成功させれば百四十万が手に入る。
秘書のピンハネさえなければ二百万のはずだったのだが。
「ちょっとどこよ! 出て来なさい黒木玄一!」
ゼロが喚いている。
先に到着するのはこいつだろうか。
俺がネットの紐に手をかけると、突如、上からなにかが降ってきた。ズシリとしている。まさかとは思うが、ラバーズ・スリーだろうか……。
いきなり視界が回転して、俺は踊り場から外へ放り出された。
意味が分からない。
もしかしてプロレス技の、フランケンシュタイナーとかいうやつだろうか……。
四階から放り出された。
星空が遠ざかってゆく。
「んがあッ」
背面を強打して変な声が出た。
のみならず、とんでもない激痛が全身を襲った。
せっかくの罠を使う間もなく、ひとりで瀕死になっている。このままじゃ殺されてしまう。
「よくやったわラバーズ・スリー! あいつをぶっ殺すわよ!」
「はい!」
声のほうを見ると、スリーが鉄柵から身を乗り出していた。
おいおい。まさか、あそこからダイブしてくるつもりじゃないだろうな……。
だが俺は、走馬灯の中から秘策を見つけ出した。
前回戦った守護者の鉄壁の防御力。いま使わずしていつ使うというのだ。
スリーがスピンしながら俺へ急降下してきた。
俺は身体を硬化させた。
ゴッと鈍い音がした。
スリーの肘が砕け散ったのだ。いや、砕けたどころではない。あまりの勢いに、肘は逆側に折れて、ブチブチと引き千切れた。
ただの肉だと思って侮るからだ。
俺は呼吸を整え、なんとか身体の回復につとめた。
すでにスリーは戦闘不能。
あとから追ってくるゼロをなんとかすればいい。
いまはふたりの距離が離れているから、麻痺も電気も快楽も通じるだろう。ま、セクハラの趣味はないから、麻痺で一気にぶち殺してやるとしよう。殺人にだってマナーはある。
俺はなんとか立ち上がり、駆け寄ってくるゼロへ超スピードで接近した。それと同時、フルパワーの麻痺で動きを封じる。
「ひぐぅっ」
ろくに呼吸さえできまい。
数秒で死ぬ。
「残念だったな。俺の勝ちのようでゅぶっ」
余裕の勝利宣言をしようと思ったのだが、俺は後頭部に激しい鈍痛を受けて地面を転がった。急所に打撃がヒットしたらしく、俺は呼吸をするようにあっさり胃の内容物をぶちまけた。脳震盪もある。
ぼんやりする視界でなんとか攻撃者を見ると、片腕を失ったスリーが俺に飛び膝蹴りをカマしたらしかった。ただし腕の痛みに耐えかねて、彼女も崩れ落ちている。
それだけならいいのだが、ふたりの距離が近づいてしまった。
ゼロが身を起こした。
「このクソ野郎ッ!」
猛ダッシュでやってきて、俺の腹をサッカーボールのように蹴り上げた。
俺はただでさえ瀕死だったのに、団地の壁に叩きつけられ、轢かれたカエルのような格好で大地に伏した。
こいつら、素の身体能力が高すぎる……。
ゼロが怒りもあらわに近づいてきた。
「残念だったわね。あたしらの愛のパワーの前に、孤独な男が勝てるわけないのよ」
「げろろ」
反論しようとしたが、ゲロしか出なかった。
服もゲロまみれだ。
ダサすぎる。
ゼロは呼吸を整えた。
「必殺のキリモミ・スパイラルで殺すわ」
「……」
ゲロを吐きたくなかったので、俺は返事を控えた。
もし打撃で来るなら、身体を硬化させて対処できる。が、いまはそっちに能力を使っている余裕がない。回復に専念しないと死ぬ。かといってこのままでも死ぬ。ギリギリまで引き付けて硬化させるしかない。きちんと硬化してくれるかは怪しいが。
ゼロがその場で大きく跳ねた。
夜空を疾駆する流星のような美しさだ。数秒後に俺は死ぬことになるだろう。こんなことなら月を使うんだった……。
タァンと音がした。
そして宙空を舞っていたゼロが血液をまき散らし、姿勢を崩した。俺の上へ落ちることなく地面へ墜落。
何者かが戦いに介入したようだ。
遠くで銃を手にしているのは、髪をまとめたタイトスカートの女。
秘書だ。
彼女はスリーへも銃弾を撃ち込み、こちらへ近づいてきた。
「生きてますか?」
「なんとかな……。まさかとは思うが、俺のことは撃たねぇよな?」
「もちろんです。助けに来たのですから。ああ、お金のことなら心配しないでください。七三の契約に変更はありませんから。ただし、あなたの服の代金として一万円だけ徴収させていただきます。まさかそのまま帰すわけにもいきませんし」
よくできた秘書だ。
*
俺はバンの中で着替えた。
「いいのかよ、あんたが手を出して」
「ええ。この銃はあなたが持ち去ったことになってますから」
「そろそろ会長も怪しむんじゃないか?」
「かもしれませんね。しかし心配には及びません。手配はすべて私がします。予定に変更はありませんよ」
淡々とおそろしいことを言う。
この女、最初から裏切るつもりで組織に入ったのだろう。すでにあらゆる布石を打っている。だから自信がある。
俺は世間話のついでに、軽く質問を投げた。
「あんた、まさか警察の人間じゃないよな?」
「いいえ」
回答は簡潔だった。
声の調子からは感情を読めない。
もし警察のスパイなら、点と点がつながる気がする。彼女の行動は組織にとってマイナスで、警察にとってプラスとなる。
ただし、警察をあざむこうとしているのも事実に思える。
となると組織でも警察でもない第三の勢力、というわけだ。もう少し思想家と話をしておくんだった。きっと秘書よりはマシな対応をしてくれたことだろう。
俺はダッシュボードから封筒を回収しつつ尋ねた。
「あと何人だっけ?」
「ふたりです。突破者と珍走屋。どちらも五年前の加入ですから、面識はないはず」
「構わねぇぜ。初対面で殺り合うのは慣れてる」
返事はなかった。
その代わり、バンが加速を始めた。
俺は封筒の厚みを嬉しく思った。
自分の金でビールが飲める。のみならず、これで姫子も仕事を辞めてくれるかもしれない。大金だ。もう誰にも姫子に触れて欲しくない。
(続く)




