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彩の国の異邦人  作者: あるちろ
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尾久まで座れないあの悔しさ

作者は埼玉県民です

 目が覚めたら草原だった。現代日本にはなかなか無いレベルの草原だ。



 標高が高いのだろうか強めの風が草いきれを乗せて体の上を通り抜けていく。


 水気を含んだ草が体を冷やし、僅かながら痒みを感じさせている。


 上半身を起き上がらせて周囲を見回すと山々が稜線を重ね、まるで自分を包囲するかのごとく取り囲んでいた。



 酔って記憶をなくした事は今までに数度あったが、日本、いや、世界レベルで見てもこのレベルは中々にレアケースだろう。


 昨夜は記憶が正しければ繁忙期終わりの慰労会だったはずだ。


 確かに飲みはした。ビールを3杯飲んだ後ハイボールに切り替えて上司に付き合って日本酒を飲んだのは覚えている。


 2件目に行ったスナックで鈴木さんが女の子と連絡先を交換していたのも覚えている。


 3件目のカラオケで鈴木さんがトイレに行ったまま戻ってこなかったのも覚えている。


 4件目に行ったラーメン屋で鈴木さんの財布の中身が412円しか無くて立て替えたのも覚えている。


 それでも5件目に行こうとする鈴木さんをなだめ、鈴木さんの奥さんに連絡した後にタクシーに押し込んだ瞬間に鈴木さんが盛大にぶちまけてタクシーの運転手に嫌な顔されたのも覚えている。


 その後、タクシーに乗って家に帰ってスーツを脱ぎ、シャワーを浴び、寝巻きに着替えて布団に横になり、携帯を充電して電気を消した所までで記憶が一度途切れた。


 次の記憶は明け方目が覚めてトイレに行き、水を一杯飲んだ後にまた布団に入った所だ。



 そこからの記憶がない。


 ともすれば寝ている俺を連れ出して始発の東武東上線に押し込み、川越駅で降りて川越線に乗り換えて大宮に行き北陸新幹線に乗り換えて佐久平駅で降ろしレンタカーを借りて中部横断道経由で141号線に乗り清里高原に俺を放置した誰かがいるに違いない。



 清里高原は標高およそ1500mで八ヶ岳連峰と秩父の山々に挟まれているため、この風景にも納得がいく。

 この草原は牧草地だろう。


 雄大な自然が産んだ恵みを食べたジャージ牛のソフトクリームが有名だ。



 ちなみに中央道経由では談合坂SAあたりで混雑が考えられるので渋滞にハマって俺が起きてしまうリスクを考えたら選択ができないだろう。



 太陽の位置的に時間は昼前だろう。


 始発は4時半ごろだったか、なるほど名推理はあながち間違っていなさそうだ。



 だとすれば、方針は決まった。


 まずは清里開拓の拠点となった清泉寮だ。


 そこに行き、事情を説明して電話を借りて会社に遅刻の連絡を入れよう。


 寝巻きがわりの5年間愛用しているスウェットを履き、上は男の生き様が達筆で記された愛用のTシャツ。

 何も変わっていない。


 スウェットのポケットには後で捨てようと思っていたトイレットペーパーの芯が入っていた。


 足元は裸足であり、寝るときに足が火照りがちな俺にとっては地面と草の冷たさが気持ちが良い。


 どうやら俺をここに連れてきた犯人は俺の体や怨恨が目当てでは無かったらしい。


 おそらく部屋に入った際に金などは多少は盗まれただろうが命には変えられない。不幸中の幸いだったと思おう。


 立ち上がった俺は山を下るように歩き出した。

 遭難したときに下るのは本来タブーであるが、ここが清里高原だと俺の灰色の脳細胞が結論を出した以上、下れば141号線が見えてくるはずだ。


 もしくは清泉寮をはじめとした清里開拓の父であるポール・ラッシュ氏の偉業を伝えるためのキープ協会の建造物が見えるだろう。


 思うが早いか山を下り始めた俺は違和感を感じる。

 眼下には遠くに先に風車が乗った建造物が一軒あるだけだ。


 周りに牧柵があることから牧場のような場所だろう。

 曲がりなりにも観光地である清里高原にあるまじき寂れ方をしている。


 俺は驚愕した。

 バブル期には軽井沢と並び立つ避暑地として老若男女に愛された清里高原がここまで寂れているとは。

 栄枯盛衰。諸行無常。

 時代の流れの残酷さとやるせなさを感じながらも歩みを進めた。

 時間は待ってくれない。取り残されずにしがみついた者だけが生き残るのだ。

 埼玉県を見てみろ。東京の植民地とまで称されたあの都市がその立ち位置に甘んじる事なく、時代の流れに取り残されずに熊谷市の暑さというアイデンティティを確立して観光客を呼び込もうとしているじゃないか。

 夏に熊谷駅前のミストの前に行くとテレビの取材を受けられると評判になり去年鈴木さんと一緒にいったじゃないか。

 昼飯に食べた松屋のビビンバ丼の味を思い出せ。

 ミストで蒸し暑くなった駅前ロータリーを思い出せ。

 結局、館林の方が暑かったじゃないか。

 群馬県庁の前にテレビカメラが集まった光景を夜テレビで見たあの悔しさを思い出せ。


 風車小屋までの道のりはまるで高崎線の熊谷ー籠原間のように永遠に感じられた。

 健康のために一駅分余計に歩こうという風潮は死人を出したに違いない。

 だから最近聞かないのだ。メディアは都合の悪い事を隠す。結局テレ玉くんが何の卵なのかもひたすらに隠された。

 体感にしておよそ1時間ぐらいはあるいただろうか。

 豆粒のようだった風車小屋はあと100mほどの場所にまで来ていた。


 その時、俺の脳内に電流が走った。

 ここは清里じゃない。

 なぜなら清里高原の開拓は1938年からスタートした。

 当時には発動機はすでにあり、風車を立てる必要性はあまり無い。

 近年における風力発電はあるが現在はオブジェとしてのニュアンスが大きい風車は、オランダの原風景として設置されることが多い。

 しかし、ポールラッシュ氏はアメリカ人だ。

 あえて建てる必要はないだろう。

 しかも風車は小麦を挽く臼の動力として使用されることが多く、甲信地方の名産である蕎麦を挽くにしては大掛かりすぎる。

 もしくは沢などから水をあげる揚水ポンプとしての用途があるが、川がないため考えにくい。

 やはり小麦のミルだろう。



 ミスリードが過ぎたようだ。

 動揺のために少し冷静さを欠いていたかもしれない


 そう、ここは筑波山だろう。


 茨城県は大豆と小麦の輪作が盛んであり、産地として非常に有名である。

 かの水戸納豆は豊富に取れる大豆の保存方法として先人たちの知恵の結晶だったのだろう。

 茨城県は昔は痩せた土地ではあったが大豆を作ることでマメ科が根に溜め込む窒素分を利用して小麦などの主食用作物をそだててきた。

 そのため、現代においても夏は大豆、冬は麦といったように二毛作体系のでの農業が盛んである。

 茨城県であるならば金額は高いがシャトルバスでつくば駅まで行き、つくばエクスプレスに乗り三郷中央まで行けば武蔵野線にのり東武東上線に乗り換えることができるだろう。

 ここまで寂れているのは茨城県だからだといえば説明はつく。

 すべてが繋がった。

 この風車小屋には電気が通ってなさそうだが、茨城県なら仕方ない。

 俺は風車小屋の戸を開けた。

後書きですが先に謝ります

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