第四十五話 リンデの観察2
翌日の昼過ぎ、廊下でリンデと行き合った。
リンデが書類を抱えていた。いつもの廊下での行き合わせだった。
「アイリーン様、少しよろしいですか」
「はい」
「最近よく公爵様から仕事の意見を求められていますよね、アイリーン様」
少し止まった。
「……仕事の確認が増えていますので」
「はい。ただ、以前はそういったことはほとんどなかったので」リンデが少し間を置いた。「公爵様も変わられたものだと……」
アイリーンは少し考えてから答えた。
「それは——仕事が増えているからではないでしょうか。改革案の段階が進むと、確認すべき項目が多くなります」
「そうかもしれませんね」
リンデの「そうかもしれませんね」が、少し長かった。言い終わった後の間が、何かを含んでいた。「そうかもしれない」で終わっていたが、「そうかもしれないが、それだけではないのでは」という続きがある間だった。
「……では失礼します」
アイリーンが先に切り上げた。
財務棟に戻った。
廊下を歩きながら「公爵様も変わられたものだ」というリンデの言葉が頭に残った。
(変わられた。)
どう変わったか。リンデが言いたかったことは何か。
考えようとして、止まった。「考えなくていい」という判断ではなかった。「考えていい」が「でも」という感触があった。
帳簿を開いた。
農産物の段階税率の試算書の続きがあった。今日中に仕上げたい。数字を確認した。計算式を入れた。
しかし「変わられたものだ」という言葉が、作業の端に残った。
「変わった」というのを、具体的に思い浮かべた。
最初の頃——アルドリックが財務棟に来るのは週に一度だった。帳簿の数字を確認して、短い問答をして出ていった。仕事の確認として完結していた。
今は。
週に四回来る。「数字を組む順番は」という問いがあった。「なぜ仕事に入り込めるのか」という問いがあった。「以前の領でも試みたことがあるか」という問いがあった。帳簿に向かいながら、作業の外の話が混じることが増えた。
(確かに——)
変わっていた。
変わっていることを確認した。確認した後、何を感じたか。名前をつけようとして、やめた。
試算書に向かった。数字を追った。集中した。「公爵様も変わられたものだ」という言葉が作業の中で遠くなっていった。
遠くなったが、消えなかった。
その夜、試算書を仕上げた。段階税率の三案が揃った。明日の午前にアルドリックに報告できる。
仕事が終わった。
燭台を消す前に、もう一度「変わられたものだ」という言葉を思い出した。
リンデは毎日この公爵家にいる。アルドリックのことを長く見ている。その人が「変わった」と言った。
(変わった人が、ここに来る。)
その先は考えなかった。燭台を消して、眠った。
*
翌朝、財務棟に入ると、リンデがすでに茶を置いていた。
「おはようございます」
「おはようございます。昨日は遅くまでいらっしゃいましたね」
「試算書を仕上げました。今日の午前に報告します」
「そうですか」
リンデが少し間を置いた。昨日の廊下での会話の続きを言いたそうな間があったが、何も言わなかった。
アイリーンは段階税率の試算書を机に広げた。三案並べた。一案目:小規模三パーセント、大規模七パーセント。二案目:二段階のみで中間なし。三案目:小規模は現行維持、大規模のみ六パーセントに上げる。
それぞれの五年後の税収予測も添えた。
(どれをアルドリックが選ぶか。)
三案の中で、アイリーン自身が最も精度が高いと思うのは一案目だった。段階を三つに分けることで、商人の規模に応じた負担になる。記録方式の改善で取引規模が正確に把握できるようになった今だから実現できる数字だった。
それを説明できる準備は整っていた。
アルドリックが来たのは午前の中ほどだった。
「試算ができました」
「見せろ」
三案を広げた。アルドリックが最初に二案目を手に取った。
「二案はなぜ中間がない」
「現在の商人の規模分布を見ると、中規模の取引が少ないためです。中間税率を設けても対象者が少なく、事務負担に見合わない可能性があります」
「一案にある中規模商人がいずれ増えるという想定は」
「五年後の予測です。段階税率の導入で小規模商人の拡大意欲が生まれれば、中規模に移行する商人が出ます」
アルドリックが三案を並べ直した。
「……一案目を基本として進めろ。中規模の設定は来年の実績を見てから調整できるようにしておけ」
「はい。中規模の閾値を暫定として明記します」
「それでいい」
アルドリックが立った。
「昨日の件もよかった」
「ありがとうございます」
短い一言だった。しかし昨日の農産物の長い会話を「よかった」と言って帰った。
扉が閉まった後、アイリーンは試算書に「一案目を採用、中規模暫定」と書き入れた。今日の仕事が決まった。次のステップが見えた。
リンデの「変わられたものだ」という言葉が、今日の「昨日の件もよかった」と重なった。変化は確かにある。それが今の場所で続いている。仕事が続いていた。




