第四話 分類と索引
本作は全70話で完結予定です。
本日から毎日5話ずつ、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に更新予定です。
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帳簿を開いた瞬間に何年のものかわかる——それが、アイリーンには当然のことだった。
年号ごとに背表紙の色が違う。税収記録は青みがかった表紙、支出管理は薄茶、債務の記録は白、在庫管理は緑。この色分けの体系を設計したのも自分だった。三年目に「種別が混在していると探す手間がかかる」と気づいて変えた。それからは手に取るだけで内容の見当がつくようになった。「誰でも見当がつく」——とはいえ、実際にこの棚を開いていたのはアイリーン一人だったけれど。
今夜の作業は「分類の確認と索引の追記」だ。年度別に並べ直し、それぞれの冊子に「どこを見れば何がわかるか」を書き加えていく。次に担当する者が、初日に迷わないように。
棚の前に膝をついて、一冊ずつ取り出す。税収の帳簿から始めた。青みがかった表紙が並んでいる。一冊ずつ開いて、索引の欄に書き加える。季節ごとの集計ページ、徴収区分の一覧、年比較の試算表——それぞれがどのページにあるかを書く。字が潰れないよう丁寧に、でも速く。
三冊目を終えたとき、ある行に目が止まった。
四年前の商業税の欄。細い字で傍線が引かれていて、欄外に「前期分計上誤り、修正済(詳細別紙参照)」という書き込みがある。アイリーン自身の字だった。前任者の誤記を見つけて直したときの記録だ。本体に書き込みを残したのは、次に見た者が「なぜ数字が変わったのか」と戸惑わないためだった。
(修正の跡を、ちゃんと残してきた。)
当時は当然のことをしていただけだ、と思っていた。今もそう思う。ただ、一冊めくるたびにこういう書き込みが出てくる。二行、三行、小さな痕跡がそこかしこに残っている。誰に報告したわけでも、誰に見せたわけでもない。ただ帳簿の中に、確かにある。
支出管理の帳簿に移った。家臣の人件費の最適化を始めた三年目以降、費目の種別が増えていた。給与体系の組み替え、季節手当の計算根拠、旅費の精算基準——全部、アイリーンが設計した分類だ。前任者の頃は「その他」という欄にまとめて入っていたものを、正確な費目に分けた。
五冊目のとき、不正な支出の除外記録が出てきた。六年前。家臣の一人が費目を二重計上していたのを、数字の流れから見抜いて修正した記録だ。「意図的な不正か計算ミスか判断しかねたため、静観の上で除外」という一行がある。当時のアイリーンは十八歳だった。報告しようか迷って、やめた。報告する相手がいないという感覚があったから。誰も帳簿を読まない財務室で、一人で判断した。
廊下の向こうで、かすかな足音がした。警備の使用人が巡回しているのだろう。音はすぐに遠ざかった。財務室の扉は、誰にも開かれなかった。
八年間、この部屋に誰かが確認に来たことがあっただろうか。ロランが足を向けたことは——おそらく一度もなかったはずだ。家臣の誰かが来ることもなかった。この扉を開けるのは、いつもアイリーンだけだった。「帳簿を整えてくれている令嬢」というくらいの認識だったのだろう。それでも帳簿は正しく動いていた。確認されなくても、見られなくても、数字は誠実に積み上がった。
「完了」と書いた紙を挟んで棚に戻す。また一冊、積み上がる。
気づけば机の端の山が膝の高さを超えていた。量としては半分以上を超えた。終わりが見えてきた。
棚の一番下の段を確認したとき——古い帳簿が目に入った。
一番古い年号。八年前の、最初の帳簿だった。
手が、わずかに止まった。
取り出して開く。ページが少し黄ばんでいた。十六歳のアイリーンが最初に手を触れたとき、この帳簿は既にずいぶん乱れていた。どの費目がどこに入るのか統一されておらず、同じ取引が三箇所に分散して記録されていた。整理するだけで三ヶ月かかった。
表紙の裏に、丸みのある字の署名があった。
「初回確認済・アイリーン」
今よりも少し角が丸い、十六歳の頃の字だった。記録として残したのは「確認した証拠を入れなければ」という思いからだった。この帳簿を次に誰かが開いたとき、「ここから始まった」という印があった方がいい、と思って書いた。誰かに見せるわけでもなく、ただ正しい記録として残した。
少しだけ、手が動かなくなった。
(八年。)
感傷でも後悔でもなかった。ただ——確かにそこにある、という実感があった。十六歳のアイリーンが書いた一行と、今夜この部屋にいる自分の間に、ちゃんと八年分の時間がある。帳簿の中に、それが全部入っている。
ページをめくった。最初の年の数字が並んでいる。その一行に、鉛筆で小さな書き込みがあった。
「辺境の税制との比較・要検討」
自分で書いたものだ。この頃から、辺境の独特な徴収構造には関心があった。越境商人が多い辺境では通常の徴収方式が機能しない場面が多い、と記録を見ながら気づいた。この書き込みは一箇所ではない。二年目の帳簿にも、四年目にも、同じような書き込みが出てくる。「辺境参照」「辺境の事例」——関心が、何年もかけてそこかしこに染み込んでいた。その「いつか本格的に考えてみたい」が、昨年の冬にあの覚書になった。
帳簿を閉じて、「完了」の紙を挟んで棚に戻した。すぐ手を伸ばして、続きへ。
最後の一冊を手に取った。今年度の帳簿だった。今年の秋の収穫期試算、冬の予備費計上、来期の予算見通し——すべてアイリーンが書いた数字が並んでいる。索引を書き加え、「完了」の紙を挟んで積み上げた。
積み上がった帳簿の山は、机の上で二段になっていた。全部、終わった。
窓の外が、かすかに白み始めていた。
まだ夜明けとは言えないが、完全な闇ではなくなっていた。どこかで鳥が鳴いた。眠気は感じなかった。作業の集中が深いときは、いつもそうだった——疲れはある。でも眠くはない。
「……次は引継書」
独り言が、財務室の静けさに落ちた。
帳簿の分類は終わった。けれども引継書はまだない。仕事は、まだ続く。




