第13話 鶺鴒鳴く ─医務官─
アオは独特な匂いが鼻につく薄暗い医務室でお茶を頂いていた。ユイは窓際の椅子に腰かけて、片手の本を眺めている。
「落ち着きましたか?」
蓮の花が描かれた白い茶器にもう一度口をつけると、ダンが尋ねてきた。アオはぎこちなく頷く。不思議と先ほどの緊張感は解れている。
「それは菊花茶と言って精神を安定させる効果があるんです。必要なら後で作り方を教えましょう」
「あ……ありがとうございます」
木でできた小さな小屋。医務室は後宮の端に位置していた。正確には後宮と外朝の狭間で、どちらの人間でも利用できるように双方から一つずつ扉が取り付けられている。
アオは室内を一度ぐるりと見まわしてから、木製の高い机に向かっているダンに話しかけた。
「それで、セツさんは……大丈夫なんですか?」
「彼女は大丈夫です」
「でも毒って」
「どこから聞いたんですか?」
アオは後ろにいるユイを振り返った。ユイはちらりと目だけを上げると「侍女たちがそう騒いでいた」と言う。アオはユイの発言に頷いた。
「そうです」
「……正しくは毒ではありません」
じゃあなんだ。毒だと勘違いさせる何かが起きたのには違いないだろうが。
「アオさまは食べられない食べ物はありますか?」
「……? いえ」
「なら上々。食事に心配はなさそうですね。実は……人によって、体が受け付けない食べ物が存在するんですよ」
「好き嫌いではないんですか?」
ダンはにっこりと笑う。
「これは命にかかわるので、決して一緒にしてはいけません」
なんだか叱られたような気がして、アオは首を竦めた。食べて命にかかわるなら、それは毒と同じかもしれない。
「つまり、あの女官……セツは食べられない食べ物を身体に入れてしまったんです」
「わかってるなら食べなきゃいいのに」
ユイは本を放り出して言った。ダンはその発言を諫めるように厳しい目線で制する。
「もちろん彼女は分かっていたさ。でも予期せぬ形で取り入れてしまったんだよ、ユイ」
「……」
「刺繍針に青魚の汁が塗られていた。おそらく昼餉に出た鯖のものだろうけど、彼女はその針に触れた」
「触っただけでで倒れるなんてことある?」
「運悪く針が指に刺さるところを見た女官がいた」
汚れているから拭う必要がある、そう言ったセツは針を布でエキスを拭き取った。しかし運悪く後ろからぶつかった女官のせいでその針が指先に刺さってしまう。そしてセツはしばらくしてから全身に発疹を出して倒れた。
ダンの語りはこのようだった。
「今セツさんは?」
「奥の寝台で眠っています。少量でよかった」
無事なら一安心だ。もしアオのせいでなくとも、これで命を落としていたら気分が悪い。どちらによ落ち込んでいるのには変わりないが……。
「そう、ですか……」
「だからアオさま、貴方は関係ないのですよ。たとえ朝の採寸如きで毒が身体に回ったなら、遅効性にもほどがありますし。なにより──」
ダンは本を閉じるユイにちらりと視線を寄こす。
「なにより、ユイが無事ですから。いくら腕利きとはいえユイでも毒には敵いません」
「ダン師!」
「少しからかっただけだろう」
二人のやりとりを傍に、アオは自身の手を見た。手袋をはめてこればよかったが、機を逃してまだらがむき出しだった。
「では、わたしのこの肌は何なのですか?」
ユイは少し目を見張って、それから放り出した本を再び手にして顔を隠す。ダンは少し気まずそうな笑みを浮かべて静かに息を吐いた。
「その白いまだらはいつからありますか?」
「……多分、両親が亡くなってからです。ムラの抗争で七歳の時に」
「なら精神的重圧によるものだと思いますよ」
アオは呆気に取られて体の動きを止めた。
心の負担でこんなふうに? まさか。
「で、でも、他にも重荷を抱える人はいますよね?」
「申し訳ありませんが、詳しいことは言えません」
ダンは声を潜める。
「どうしてですか……?」
「私は貴方がここにいて欲しいと思うからです。不確定なことを言って乱したくない」
それはアオにとっては少し複雑すぎる表情だった。
「……」
「今、巫さまは板挟み状態です。彼女が亡くなればこの宮廷は崩壊すると言っていいでしょう」
アオは絶句する。
宮廷が崩壊だなんて想像がつかない。無知なアオでもこの政治がどれだけの長い間クニを保って来たのか体感している。
ダンは神妙な面持ちで続きを口にした。
「巫さまと宰相殿の二人でこのクニは支え合っている。巫さまがいなくなれば宰相殿一人の独裁になる。それは最も避けたい事態なのですよ、後宮にとっても、外朝にとっても」
「それを抑えるために……?」
「いるだけでいいんです」
ダンは硬い表情をふっと緩めた。しかしその表面の奥では真剣さが残っている。アオは思わず目を逸らした。
「……わたしなんかが」
「ところでアオ」
ユイはアオに声をかける。ダンもアオも振り返って話を遮ったユイに注目した。
「ところでさっき、アオはムラの抗争で両親を亡くしたって言った?」
「は、はい」
「七歳の時って何年前?」
「えっと……たぶん八年前、ですけど」
「ふうん」
ユイは聞きたいことを聞き終えたのか、また本へ目を戻した。しかしダンは立ち上がると、ユイから本を取り上げる。
「何が聞きたいんだい、ユイ」
「……大したことじゃないよ。それって蜂須賀村と鶏内村の抗争かなと思っただけ。聞き逃して」
ユイはダンに取り上げられた本を取り返すと、開いていた頁を探し始めた。
ダンはともかく、と手袋に包まれた手を叩く。
「ともかく、そういうわけです。だからアオさま、どうか巫さまの役に立ってあげてください」
「わ……、わかりました。わたしでもお役に立てるのなら」
「はい」
アオは手の中にあった茶器をダンの机に置く。ユイはそれを確認すると、少し焦ったようにアオの腕を引いた。
「ユイ?」
「いいから行こう。今日の読み書き目標も達成してないし、油売ってる暇なんてない」
アオは半ば引きずられる形で医務室を後にすることになる。
けれどダンは微笑みながら小さく手を振って見送ってくれた。




