ぼくと神様(シュライスサイド・回想)
ローズリー国の王族、王室貴族たちが住まうヴェラクルス城。
その中枢に秘匿圏域が存在することを知る他国の者は少ない。
別邸緑の宮殿。
リリアは「わたしのひみつきち」と呼んでいた。
寄宿舎を抜け出した夜。
連れて行きたい場所があるとリリアに言われて来たのが、この庭との初めての出会いだった。
王族の人間しか入ることが許されない場所。
歴代の王、妃、王室の中核に関わる者の躯はみなこの庭に安置され、国花であるバラの花の香りで包みこみ餞とする。
そして、この場所に躯がある間中、祝福の儀が行われる。
苦しまぬよう。つらくないよう。寂しくないよう。
あちらの世で「独り」にならないよう、一族全員で祈りを捧げる聖域。
ぼくは、幼いころから戦争を経験してきたおかげで、欺瞞や蔑み、憎悪や嫌悪の気配には敏い。
だから、だいたいの違和感への直感は当たる。
一帯に漂う「神域である」と自覚させる霊気。
庭に入ったとたん注がれる穿つような視線。
命令されたわけでもないのに、清廉に振舞えと不可視な存在に諭される感覚。
この庭には何かいる。そう思った。
庭園に入るには掌紋が必要で尚且つルルーシュ家の人間しか入ることを許されない・・・・はずだった。
戦後の疲労で意識朦朧な中。
ぼくが庭園に入ろうと手をかざすと、門が静かに開いた。
汚れ切った軍服で血濡れた剣をもったぼくに慄きもせずに庭園が迎えてくれた。
この得体のしれない状況におもわず笑みが零れる。
城の深くにいるはずなのにかすかに聞こえる怒号、悲鳴が鼓膜を切り裂くように響く。
たまに聞こえる断末魔がひどく耳に響く中、ぼくは庭の父大樹であるオークの木の根元に疲れ切った体を預けた。
虚ろに視線を燻らせ庭を眺めるぼくの体に白い霧が纏わりつく。
白い霧は冷気を湛え、燃え滾ったぼくの体の熱を冷まし続けてくれているようだった。
その心地よさに眠り込んでしまい、目が覚めると体中の切り傷がきれいに消えていた。
ぼくにとってこの出来事は、ローズリー国を守護していると言われている「太陽の神」に生きろと言われた気がして、感謝の意を込め、この国を占領下に置いた日から今日までこの場所を必ず訪れるようにしている。
門を開き薄暗い道を進みつづけると最初に現れるのは多彩多色のバラの花。
花々を籠鳥するかのように囲った造形優美な庭園は、まるで鳥籠のようだ。
この国の国花で数百年もの間この国を守護してきた「太陽神の化身」との謂れがあるバラの花々は、天蓋から降り注ぐ月の光で幽玄さを纏い脈動するようにそよいでいる。
その様子すら名伏し難い恩寵のように感じられぼくは厳かな気持ちになった。
「神、か」
大量のバラを国中に植える必要はあるのかローズリー王に問うたことがある。
彼は「太陽神の啓示だから」というばかりで裏にある謂れについては踏み込まなかった。
数百万本という数のバラの花を国中に植える行為は、一見すると主君の専断的行動に見える。
少なくとも、ぼくにはそう見えていた。
仮に天啓だったとしても太陽神とは狂気を司っているのではないか。
そう眉をひそめたくなるほどの異常性を感じずにはいられなかった。
しかし、この国で衣食を過ごした日の晩鐘後に決まってこの庭園に足を運ぶようになって自覚した。
王は、花々の香りの向こう側に在る確かな覇力の気配と、得も言われぬ恐怖心から逃げたかったのだ。
バラを植え続けることで崇高を顕わし「彼」を宥めていたのだと今ならわかる。
欝蒼とした樹間の影に覆われたティーテーブル。
その傍らにゆらりと佇む人姿。
柳の枝垂れのように流れる銀髪が木陰の中で鈍く光っている。
純白色のカラクールのコート、金で彫られた豪奢な飾りのついたステッキを持つまでが彼の正装だ。
彼の一帯にしか漂わないユリの香気が今夜は一段と甘い。
いつ会っても寸分の狂いがないほど完璧で、圧倒的な雰囲気に飲まれないよう己を律してから口火を切る。
「ひみつきちへようこそ、トラウム」
静寂に包まれた部屋の中央にあるテーブルを見やると、ロイヤルブルーの空のティーカップが二脚と、手つかずのスノーボールクッキーが置かれていた。
・・・・・彼にしては慎ましい。
「お招きいただき光栄です。シュライス皇帝陛下」
低音で柔らかな声がぼくの名前を呼ぶと分かつように月光が差し込み、トラウムの輪郭が浮かび上がる。
今日は紅月。
赤く染まる月に照らされ、陶器のような白い肌に幾分かの血色が点る。
彫刻のように美しい顔にはぼくに似た金色の瞳が誂えられている。
首元までつまった長衫服は闇夜の中では悪魔のように見えると彼に伝えたことがあったが、然して気にすることなく同じ服を着てくる。
意味ありげにうすく微笑みつつ、ぼくの分のお茶をティーポットから注ぎ入れ、湯気の合間から覗く、ガラス細工と見紛う彼の指。
幼いころ触れたら、氷のように冷たかった。
「あなたが考案した風船蜂のお茶です。リーガル国でいま大人気でして、手に入れるのに苦労しました」
そうだった。
ぼくは自国にすら帰っていない。
「らしくない。ほんとうに」
トラウムが湯気が立ち上るカップを差し出す。
漂う蜂蜜のあまい香りに心が解けていく。
「譲渡条約は締結されたのでしょう?リリア王女を窘めたら一度リーガル国へ戻られたらいかがですか?」
ぼくはゆっくり首肯してから、彼が揶揄したいであろう者から矛先を変えた。
「国の現況は?」
「戦勝直後は民衆の気が沸騰していましたが、鎮静魔法を施し今は平穏に戻りつつあります。昨晩ロイド殿下もご帰城されました。わたくしもおりますのでご心配なく」
「わかった。ロイドへ送った皇書は?」
「既に拝読されております」
「そうか・・・・」
ロイドの名前を聞いた途端、突然やってきた虚脱感で気が抜ける。
戦時中、特に戦後は、身内の人間はおろか臣下も最低限しか周囲に置かない。
ぼくの実弟であり、第二王子でもあるロイドは、リーガル国内でも最大規模の軍事力を誇るピュレテーレ軍を率いる軍師でもある。
彼の洞察力とその場を御する才幹は、きっと混沌とするローズリー国民を治めてくれる。
そこだけでも任せられれば幾分か休めそうな安堵で笑みがこぼれた。
隣からトラウムが笑う気配が漂ったので、ぼくはすぐさま唇を結ぶ。
「自然な反応ですよ。殿下とは久々にお会いになるのでしょう?」
「あぁ。手紙のやり取りはしていたが、寄宿舎から帰ってくるのは久々だ。願わくば招聘命令で帰したくはなかったんだが・・・・」
トラウムは持っていたティーカップを置くとひどく真剣にぼくを見た。
でも、心なしかその雰囲気は柔らかく、まるでお説教する前の先生のような感じだ。
「終戦後あなたが朝寝じゃなかった日がありますか?じゃじゃ馬娘のリリア王女はわたしたちに任せて、リーガルでゆっくり休養しなさい」
「ありがとう。けれど、一つだけ注釈をつけたい。リリアは聡明だよ」
確かにリリアはじゃじゃ馬だ。
だけど、そう揶揄できるのはぼくだけでいい。
そう意図を込めてトラウムを鋭視したが、彼は綺麗な唇で含笑している。
「ひさびさの再会でしょう?憧憬の面影が濃いままであれば、そう錯覚するのも無理はありません。しかし彼女には我欲的な女だという二つ名が立っている。わたくしとしては時機を見て次妃の候補を・・・・」
「ぼくはリリアを心から愛している」
ぼくが言い放つと、トラウムから漂う空気が変わる。
愛、夢、希望、情。
この類の単語がでるとトラウムは機嫌が悪くなる。
そのサインは、形のいい唇がすこし震えるからだ。
「この国の原動力は心。敗北に呻吟した彼らにもはや矜持はない。あなたが策案した手筈では、一人残らず洗脳思想を施し、リーガル国に彼らを迎合すること。そしてここに来ての誤算は、リリア王女が反駁思考を緩めずにいることですよ」
「わかっている。しかし、数百年に渡って平和へと導き続けた一族の尊貴な血統を引くリリアを慮らないまま外交を進めれば、ローズリーが魔法国家である以上、何が起きるか想定できないのも事実だ。慎重に事を進めなければ」
「王の威厳を以て彼女を隷属させなさい」
矢継ぎ早に詰められる会話、鋭く射る視線、語気を強めるトラウムに煽られ、つぎの瞬間口走ってしまう。
「言われなくてもわかってるよ!」
ぼくの叫びが木霊した。
トラウムは黙っている。
叫ぶなんて、らしくない。
天井から降り注ぐ月を仰ぎ、深呼吸する。
軍服の胸元に隠してあるリリアとお揃いのネックレスに指を這わせるだけで、きもちが穏やかになっていく。
心音が整ったところで、静かに話をつづけた。
「リリアを殺したほうがいいのはわかっているし、ローズリー国民を皆殺しにすれば、ぼくは覇者として進める。だけど、それを自分に赦してしまったら、未来永劫、血に塗られた修羅の道を進むしかなくなる。ぼくはリーガルを魔王のいる国にしたくない」
わかってほしい。
そう縋る様にトラウムを見つめたけれど、彼の恐声がすべての希望を砕く。
「わたしと交わした契約を覚えていますか?」
穏やかな声色から一変した様子に、怒られる子供のように肩がすくんだが、絞るように返す。
「覚えてるよ」
「おまえとリリアが結ばれたのは運命ではない。契約によって仕組まれた偽愛だ」
置いてあったスノーボールを拾い上げ手から漏れ出す淡く光る魔法で粉々につぶして見せ、ぼくに向かって笑いあげた。
白い粉砂糖が宙を舞い欠片がテーブルに散乱する。
「月の守護を受けた美しい王は神に願った。どうかリリア・ルルーシュと自分を結ばれる運命にしてください。結ばれるそのためならば魂を捧げても構わないと乞うてきた。神は言った。おまえの体一つでどこまでこの世界の業を暴けるか見せてみろと。進むたびに犯す業を背負い己の魂の螺旋を見せ続けろと」
トラウムはぼくの顎を細い指ですくう。
指先はやっぱり氷のように冷たい。
「おまえはわたしに従う運命なんだよ」
そうだ。ぼくは運命を変えた。
コールドムーンの日以来、ぼくはリリアを愛しつづけていた。
いずれリーガルに迎えるつもりで王に進言もしていた。
しかし、ローズリー国王と王妃はリーガル国に対して友好的ではない。
その理由のひとつは、リーガル領地の中に数百年前から根付き始めた疎外独立国との交易断絶ができないからだった。
アングラ帝国とも名高いこの国は、父上が命じた「我楽多追放」の令により本国を追われた魔法を使えない人間、能力のない人間たちの最後の砦として爆発的に発展していた。
この国を壊すことは内部抗争を意味するため迂闊には手を出せない。
そんなことを続けているうちに父上の威光が衰えを見せはじめ、国内情勢の悪化や謎の疫病の流行が重なり、リリアを迎えられる状況ではなくなっていた。
そんなとき、国内浄化をするため「神器の儀」を行うという決定が下され、その儀式を先導する役目をぼくが仰せつかった。
神器とは各国に存在する国を司るもので、建国のきっかけとなった者がもっていたものを祀ったものだ。
リーガルにある神器は「水鏡」という鏡で通称セレスの涙と呼ばれている。
その昔、どこの国ともわからない魔法使いが行き倒れ寸前で保護され、彼は水とワイン、そしてパンをくれと当時の王に懇願した。
王は彼の言う通りに分け与えた。
魔法使いは感謝し、謝礼の代わりに鏡を渡した。
その鏡は薄汚れていて使い物にならなかったが、王はその鏡を聖水で清め、鏡面を磨き、祝福の魔法を施した。
すると、鏡が真価を表す様に光り輝きだし鏡面から声がした。
その声の主は、「水」と名乗った。
リーガル国の伝承では、セレスという名前の少女が太古の昔、戦で己を磔にしこの地を守ったと言われている英雄の名前。鏡はその遺物とされた。
だが、こういうとヘンな感じだけど、水鏡にはぼくの友達が住んでいる。
幼いころ神器だとは知らずに持ち出して遊んでいると中から声がして、ぼくに話しかけてきた。
声の主は言った。
「わたしは神様だ。悪い神様に鏡の中に閉じ込められてしまって外の世界を知らない」
だからじぶんに外の世界の事を教えてほしいと。
その代わり、ぼくの知らないことをたくさん教えてくれると。
それ以来、ぼくは「彼」を友人と呼んだ。
「トラウム!ただいま!」
水鏡をのぞいて声をかけると、ふわりと波紋が広がり鏡面から声がこぼれる。
「お帰りなさいシュライス」
「きょうは父上と馬乗りに出かけたよ!それにリリアもあそびに来てくれた!」
「それは楽しそうだ」
「リリアはきょうもいい香りがしてやさしくてもっと好きになったよ」
「シュライス殿下はほんとうにリリア王女が大好きなんですね」
「うん!いつか妃に迎えたいって父上にもロイドにも言ったんだ!」
「それは素晴らしい。わたしもいつかリリア王女にお会いしてみたいものだ」
「会えるよ!ぼくが会わせてあげる!」
トラウムはぼくの話し相手になってくれた。
周囲に聞かれたら憚られることも彼には何でも話せた。
でも、この鏡は少女の遺物。
大人になって水の乙女はどこにいるのかと彼に聞いても、今は寝ているとか、出かけているとか、わかりやすい嘘を並べてくるだけだった。
ふつうならば、怪しんで交流はしなくなるだろう。
だけど、当時のぼくには、彼しか頼れるものがなかった。
一戦一夜で一変し敵になるかもしれない人間に囲まれた日常の中、伏せった王の代わりに負った荷を下ろすことは容易くはない。
そんな状況の中、トラウムの存在はぼくの癒しになっていた。
戦争が続き、トラウムと話す時間さえ取れなくなって久しい中、儀式を行うため持ち出した水鏡と対面したとき、トラウムはぼくに言った。
「月の真の守護者が鏡に映される時、わたしはその者の願いを叶えるだろう」
聞いたことがある古い言い伝えだ。御伽噺かもしれない。
だけど、そんな与太話に縋りつきたくなる程、ぼくはリリアが欲しかった。
手に入れたかった。どうしても。
誰かを欲するなんて、ぜんぶ、ぼくらしくない。
らしくないことをするため、ぼくは鏡を使って神を呼び出した。
満月の夜、鏡に月を映した中、史書に記されていた古の呪文を唱える。
「魂を捧げます」
鏡の中から顕われたのは、少女ではなく銀髪の男。
その声色からトラウムだとわかった。彼は言った。
「月の光を得た水鏡に水の乙女はいない。
選ばれし真の守護者よ。わたしがおまえの願いを聞き入れよう。しかし条件がある。お前の魂の半分をよこせ」
戸惑うことなくぼくは願った。
「わかりました。その代わり、どうかぼくの願いを叶えてください」
魂の半分がどれほどの量なのか何も聞かぬままぼくは契約を交わし、彼は儀式通りにリーガル国を浄化してくれた。
そして運命は動き、戦争という代償を払いはしたが、契約通りにリリアをぼくの元に運んでくれた。
懐古するほど遠くない思い出を思い出しながら、難しい顔のままバラの花を摘む、彼の姿を眺める。
「国内はこれから混沌を増す。その中に理を敷きリーガルが圧政であるということを示さなければならない」
「理は式の後だ。今やれば戦争になる」
「心とは脆い。王と王妃を失った今、心の概念すらも失いかけている。生き残ったリリア王女でさえも復讐心を燃やすことでしか生への活路が見いだせずにいる。彼女を真に慮るならば、介錯をする程度の寄り添い方が相応しいと存じます」
金色の瞳がギュッと色濃くなって突き刺さんとばかりに向かってくる。
ぼくと同じ瞳の色をしたトラウムの言葉に、イエスともノーとも顔には出せなかった。
静寂の中、バラの芳香が強くなった。
何かの気配を感じ、何もいるはずのない闇に目を向ける。
普段の僕なら、そんな気配に気圧されることはない。
ほんとうに、なにも、らしくない。
気が抜けたようにふっと細いため息が漏れ目の前のカップに口をつける。
鏡のように、トラウムも同じくお茶を口にしていた。
そんな彼を見ながら、おだやかな心地で命令を下す。
「彼らの出方を見る。理を敷いてくれ」
トラウムは目線を合わせず「かしこまりました」と小さく返した。
「ごちそうさまでした」
踵を返そうとするぼくを見送ることなく、目伏せたトラウムが右手を掲げると光の粒子が集まりながらなにかを象りはじめ、やがて瑠璃色の杖が彼の手に顕われる。
細い腕で大きく振りあげ、石突を打ち鳴らすと厳かな声音で唱える。
「理」
彼の柔らかく低い声が波紋のように広がると、しんと凪が訪れ、やがて轟音と共に圧倒的な魔力が国中を覆っていった。
その様は一瞬だったが、微かに残る最後には、淡く光るベールが国をくるみこんだように穏やかでやさしい光景が広がっていた。
ぼくは、彼の魔法を眺めながら、早くリリアに会いたくて仕方がなかった。
頭の中を見透かしたように、トラウムがぼくを流視しため息をつく。
彼の様子を見ながら、ぼくは自嘲気味に笑った。




